真田太平記(三)上田攻め (新潮文庫)

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  • / ISBN・EAN: 9784101156361

感想・レビュー・書評

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  • 【再々読】
    血沸き肉躍る‼‼
    上田攻め ― 真田太平記㈢
    2010.12発行 大活字文庫 真田太平記㈢第1巻~第3巻
    大活字文庫「真田太平記㈢」の底本は、新潮文庫です。このため登録は「真田太平記㈢ (新潮文庫) 」で行います。

    豊臣秀吉の天下統一がなるが、近親の死を受け心が相当に疲れた秀吉が、何かにつかれたように朝鮮へ兵を出す。

    第1巻
    徳川家康は、北条氏直から和議の条件として沼田を引き渡すように迫られたため、大久保忠世を大将として、平岩親吉らの二級の武将たちをもって上田を攻めたが、真田軍二千に対して、徳川軍は五倍に近い兵力であったが、昌幸の地の利を得た作戦に敗退する。
    その後、徳川は兵を増強するが、真田も、上杉景勝の援軍が到着し両軍は膠着状態になり、徳川軍は撤退する。

    第2巻
    関白・豊臣秀吉が、下手に出て沼田城を、真田昌幸から取り上げて北条氏直へ渡すが。氏直は、大阪へ出て秀吉に挨拶に行こうとしない。業を煮やした秀吉は、氏直を謀にかけて開戦に持って行く。ここに秀吉の北条攻めが行われる。真田昌幸の次男・幸村は、大阪に人質として送られていたが、秀吉のはからいで上田に帰り北条攻めに加わる。

    第3巻
    徳川家康は、重臣・本多忠勝の娘を養女として真田昌幸の長男・信幸に嫁がす。信幸は、分家をして沼田城主となる。信幸は、父と弟との距離が開きだすのを感じだす。そんな信幸の心は次第に家康の信頼にこたへていくようになる。
    その頃大阪では、太閤・豊臣秀吉の弟・大和大納言秀長の死、淀君が生んだ豊臣鶴松の死、秀吉が千利休に死を命じる。これらのことが重なり秀吉の心は相当に疲れ・・・、朝鮮へ兵を出すこととなる。

    【読後】
    豊臣秀吉の天下統一は、豊富な財力で、兵の出血を極力抑えて行う、やり方は凄いものです。ただ、天下統一後の道筋が見えないのが残念です。
    真田家は、上田に徳川軍を向かえ、沼田に北条軍を向かえと、大変な中で上杉景勝の男気が素晴らしいです。真田が領地を・・・守るために戦っている様が手に取るようにわかる描写です。
    特に音読していますと、感情が・・・、もう笑いと、涙がと大変です。あすからの真田太平記㈣が楽しみでなりません。

    【音読】
    誤嚥防止のために、音読を行なっています。読みなれた大活字文庫「真田太平記」を借りて来ました。
    真田太平記の音読は6月27日から行っています。舌を噛み、舌の先に出来た口内炎が大きくなり食事もままならなくなり7月4日で一時中断しましたが。再度8日から再開しました。また舌を噛み16日から中断し、20日から再開しました。31日から舌を噛んでいないのに、舌が少し痛くなりました。8月2日から音読時間を10分台に少なくして続けます。4日から音読時間を、通常の30分台に戻しました。原因は、不明です。
    8月18日に舌を強く2回噛み、音読を中断します。24日から再開します。最初の2日は、6分、7分と、次の2日は、10分台、そして今は20分台と音読時間を少しずつ増やしています。

    8月30日(日)で新潮文庫の真田太平記㈢に相当する。大活字本の真田太平記㈢第1巻~第3巻を、音読で読み終りました。
    2020.08.30読了

  • なかなか真田家にとってハードな内容だな。夜通し同じ体勢で固まってた当主の気持ちがやりきれない。
    全体通して小太郎と角兵衛の成長期というか心の機微が面白かったな

  • 小田原攻めのあたり。そして視点が信幸に変わった。
    14冊目読了。

  • 豊臣秀吉が天下を取り、対抗するような従うような態度をとれるのは徳川家康のみ。
    真田家が領土としている沼田城は、北条氏が所有権を主張し、北条の後ろには徳川、真田の後ろには上杉の構図ができます。
    家康は真田家の上田城を攻めさせます。
    ここは真田一族の見せ場、知略と武力、綿密な情報収集と豪胆な決断、地の利を生かし徳川の大群と互角以上の戦いを繰り広げます。
    まさかの痛手に家康は徳川軍の本体を送り込もうとしますが、すると上杉景勝が真田への援軍をちらつかせ家康を牽制します。景勝の後ろには秀吉の影も見えるので、このままでは豊臣対徳川の代理戦争になりそう、さすがに家康が兵を引きます。

    真田家を書く小説のため、親族たちも出てきます。
    薩摩守矢沢頼綱。昌幸の叔父にあたります。信幸と信繁を一時期預かり養育して武士として育てました。まさに武士らしい武士で、昌幸もこの叔父には頭が上がりません。息子の頼康と共に真田家の親族にして重臣です。
    昌幸の弟で分家している信尹(のぶただ)。武田滅亡後から徳川家に近づき配下に入りました。昌幸と家康の橋渡しを勧めています。戦国の世をどうやっても生き抜けるような目利きと交渉力を持っています。

    第三巻は前半クライマックスが上田合戦、後半クライマックスは小田原城攻めです。
    私は豊臣が北条を攻めたのは「再三の上洛命令を無視され堪忍袋の緒が切れた」くらいに思っていたのですが、直接の要因が真田にあったとは。
    秀吉は、大名同士の勝手な戦を禁止します。
    しかし北条と真田は要所にある沼田城を巡って争っていて、ある時北条は真田の名胡桃城を攻め落とします。そして怒った秀吉が北条の小田原攻めに。
    この小説では、名胡桃城を北条が攻めたのは秀吉の謀略であり、真田昌幸もそれを知りながら名胡桃城主を見殺した、としています。

    小田原攻めでは真田家はそこまで出番はありません。
    物語としては、秀吉の奉行の石田三成が真田家にいたわりを見せてくれて昌幸が感動を覚えたり、昌幸がますます上杉景勝に感銘を受けたりするところが今後の関ヶ原での伏線となってる感じです。

    後世から見ると小田原攻めにおける北条家はどうしたかったんだ、と思ってしまうわけですが、北条としてはいざ戦となれば徳川、伊達は味方に付いてくれると思っていたようですね。それにしては事前の手回しした様子でもないんですが。
    やっぱりプライドが高過ぎ、城が堅固すぎて過信してしまったというだけなのか…。

    北条攻めを書くにあたって作者はこの当時の典型的な戦国時代の武士というものを「自分の力量を認めてくれる相手でなくては命懸けの働きをしない」「認めるというのは第一に立身出世、第二にそうした報酬がなくとも自分の働きに感謝してくれること」「自分が気に入った主人のためだったら無我夢中になって働く」という、実にはっきりとした自己主張をする、としています。

    …そんなこんなで小田原攻めで北条が滅びると、秀吉は朝鮮へ出兵します。
    秀吉の長男鶴松が生まれるが幼くして死に、次第に衰えていく秀吉の様相が語られます。

    真田家では、次男源次郎信繁が上杉の人質から豊臣の人質になります。どちらでも気に入られる信繁。
    作者は源二郎信繁の事を「かれは幸村として人口に膾炙している」として、今後は彼を「幸村」と書く、とします。
    実際の真田源二郎信繁が、「幸村」と名乗ったかどうかは不明のようですね。本人は名乗っておらず後世の人が名付たとかも。

    そして嫡男の源三郎信幸は婚儀が整いました。
    家康の部下、本田忠勝の娘、稲姫です。結婚後は武将の妻として小松殿、と呼ばれます。そして信幸は真田本家から分家し沼田城主になります。
    一時期信幸を育てた矢沢頼綱の最後の薫陶が格好良かったので記載。
    (NHKドラマでも加藤嘉さんが演じていてもう格好良かった~~)

    「これより、あなたさまは分家の当主にござる。それがしは本家の家臣としてあなたさまを敬わねばなりませぬし、あなた様もまたそれがしを本家の家臣として扱わねばなりませぬ。

    また、分家とは申せ、当主であるあなたさまが、たとえば…たとえば、御本家に対し一分も譲ることができぬというような事態が起こりま威たるときは、それがしは御本家の家臣として、あなたさまと争わねばなりませぬ。分家とは申せ。あなたさまはご当主でござる。当主たるものは、どこまでも、わが一念を貫き通さねばなりませぬ。
    それがしもそのように、あなたさまをお育てしてまいったつもりでござる」

  • まだ3巻にして、すでに盛り上がりがすごい。この時代の人達はなんて起伏に飛んだ人生を歩んでいたんだろう。寿命は短いのに。戦略、知略、勝って負けて勝って負けて…それぞれの武将の動静も面白く、そして真田兄弟が逞しく成長していたり。少しづつ読み進める予定がどっぷりハマりそうな予感がします。

  • 登場人物同士の中が色々と変化。
    上手く行ってなかったものが上手くいくようになったり、うっすらとギスギスし始めたり、目が離せない。

    名胡桃城については駆け引きのために利用されその上あんなことになるとは、大の虫を生かすためには小の虫を。。。。非情なり。

  • だんだん面白くなってきました

  • 金大生のための読書案内で展示していた図書です。
    ▼先生の推薦文はこちら
    https://library.kanazawa-u.ac.jp/?page_id=39376

    ▼金沢大学附属図書館の所蔵情報
    http://www1.lib.kanazawa-u.ac.jp/recordID/catalog.bib/BA87458566

  • 第一次上田合戦の描写は、なかなか迫力があった。

  • 信幸かっこいい!

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著者プロフィール

大正十二(一九二三)年一月二十五日、東京市浅草区聖天町生まれ。昭和十(一九三五)年、下谷区西町小学校卒業、株式仲買店勤務。昭和十四年より三年ほど証券取引所にあった剣道場へ通い、初段を得る。旋盤機械工を経て昭和十九年、横須賀海兵団入団。敗戦の翌年、東京都職員として下谷区役所の衛生課に勤務。昭和二十三年、長谷川伸門下に入る。昭和二十五年、片岡豊子と結婚。昭和二十六年、戯曲「鈍牛」を発表し上演。新国劇の脚本と演出を担当する一方、小説も執筆。昭和三十年、転勤先の目黒税務事務所で都庁職員を辞し、作家業に専念。昭和三十五年、『錯乱』で直木三十五賞受賞。『鬼平犯科帳』『剣客商売』『仕掛人・藤枝梅安』の三大シリーズや『真田太平記』等、数々の小説で人気を博す一方、食や映画、旅に関する著作物も多く上梓した。受賞歴はほか吉川英治文学賞、大谷竹次郎賞、菊池寛賞等。平成二(一九九〇)年五月三日、入院していた東京都千代田区神田和泉町の三井記念病院で死去。小社では同じく単行本未収録のエッセイ集『一升桝の度量』(二〇一一)と初期戯曲集『銀座並木通り』(二〇一三)を刊行している。

「2022年 『人生の滋味 池波正太郎かく語りき』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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