真田太平記(十一)大坂夏の陣 (新潮文庫)

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  • / ISBN・EAN: 9784101156446

感想・レビュー・書評

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  • 信之は幸村の事で頭がいっぱいなのかなと思いきや、恋に忙しいのかよというのが中盤にあったので最大の見せ場の夏の陣以降の幸村の所ではなんかちょっと霞むよね…

  • 十一巻「大坂夏の陣」
    子供の頃大坂の陣の順番が夏の陣⇒冬の陣の順番のような気がしていました。あくまでも季節の順番のイメージですが、冬が先ってなんか馴染まないんですよね。

    さて。
    和議と相成った豊臣と徳川ですが、家康はすぐにでも戦に持ち込み豊臣を滅ぼすように計ります。
    豊臣側は「これまでも何とかなってきたのだから、これからも何とかなるのではないだろうか。先のことは希望だけを見ていたい」しかし「何とかなる」ために有益な動きを取らない…という性質のため、幼いころから苦労と忍耐の末生き残った家康にかかればまさに赤子の手を捻るようなもの。
    しかし著者はこの強引な開戦に関して家康の言い分も書いています。「自分はこれまでずっと耐えながらここまで来た。生き残るために情報網を張り巡らし、あらゆる手段を講じてきた。豊臣家だってそのようにして来れば、もう天下が自分たちの者ではないと分かり、その上で家を存続させるために何をするかわかるだろう、それを何の手段も講ぜずただ天下人のつもりでいるもんじゃない」

    ついに大阪夏の陣が始まります。

    この期に及んで豊臣直属家臣と、牢人たちとの齟齬。
    連携の取りようのない戦。
    大阪城内に数多入り込んでいる徳川の間者。

    そんな中、信之に家康の密命が下ります。
    密かに弟幸村と会い、徳川に寝返らせるように。

    お互いに無駄と分かりつつ再会する兄弟。そして別れ。

    この対面が行われたのは、京都に屋敷を構える小野お通という女性の屋敷。
    お通さんは、美女で才女で文化人(浄瑠璃はお通の書いた草紙に節を付けた物が始まりらしい)、朝廷にも豊臣にも徳川にも信頼されあらゆる人脈を持つという女性。
    お通さんを書くだけで相当な物語になりそうですが、ここではすでに50を超えた信之が60近いであろうお通さんに痛烈な慕情を抱き、これから彼らの交流が続く…ということを示唆しています。

    夏の陣では作者はこの時代の人たちの死に向かう様相を描写します。
    幸村は大阪城に入った時からこの戦は豊臣には勝ち目はない、しかしそんなことは問題ではない、関ヶ原の合戦の時には上田城で徳川本隊を遅延させたものの、自分たちは関ヶ原に参戦できずわけのわからない負け戦になった。今度は天下の元でただ一度の決戦にすべてをつぎ込み正々堂々と家康と闘いたい、と戦に向かいます。
    幸村の下働き向井佐平次は、30年前に幸村(当時は源二郎信繁)と出会ってから自分は幸村と死ぬものと定めてここまで身を置いてきた。「左衛門佐様のようなお人は二度とこの世には表れまい。明日はどうやら、己のささやかな一生をうまく終えることができそうじゃ」
    佐平次の息子で草の者の向井佐助(おそらく猿飛佐助から名前を取ってる)は草の者として育てられた。「人間は必ず死ぬる者じゃ、死ぬる日に向かって生きているのじゃ、そのことを片時も忘れるな。迷えば迷うほどに草の者の『生』は充実をせぬ」という生き方が完全に身に付き、真田の草の者として命を燃え尽くします。
    幸村の息子の大助も、実に見事な若武者として描かれます。「大助の心は決まっていて微塵も動かぬ。今の天下に初一念を貫く漢たちがどれほどいようか。漢が武士が思い惑い、迷いぬいて、ふらふらと何度でも己の初一念を我から覆す世とはなった」「周囲の状況がどのように転変しようとも初一念を崩さぬ武士の本分を真田大助は十四歳にして体得していたことになる」
    父の代から豊臣譜代の毛利勝永は、関ヶ原後の蟄居先からすべてを捨てて駆けつけてきました。「それがしの意地は他人に対して張り通すものではなく、われとわが身に立て抜くものでござる」

    そして家康も、「いざとなったら儂と秀頼が組合い、上になった方が勝ちじゃ!」と気力充満、戦に対する意気込みを示すため、自分の親族や直属の家臣たちをもっとも過酷な戦場に配置します。

    それに対して豊臣家の家臣たちは、秀頼に何かあったら困る~豊臣家が潰れるようなことになったら困る~ウジウジグダグダで思い切った決断も行動もできません。

    後世から見れば、裸城で日本中全員敵で自分たちを殺すために囲まれていて、城内スパイだらけで、味方の主だった武将たちも次々死んでいき…と言う状況で、
    今更「牢人は信用できない」「秀頼公が怪我したら困る」なんて言ってる場合かと思ってしまうのですが、
    大阪城陥落の後を出た侍女の証言によると「城の南方で両軍の血戦が始まっても、なかなか落城などとは思いもよらず」とのこと。
    大阪城を完全に取り囲まれた状態でも落城するわけないと思っていたというから、本当に完全に堅固な城だったんですね…。

    時代劇などで大坂の陣を撮ると、だだっ広い平原で「わー」「わー」やってるだけで、大阪軍の「後藤がおびきだし、毛利が崩し家康本隊を孤立させ、真田が家康を討つ」というのがどうもピンとこなかったのですが、
    歴史検証番組で当時の地形説明や撮影で、森や狭い道や遺跡等がある物を見て、やっと「これなら孤立させる作戦が立てられるね」とわかった。
    できれば合戦ロケはちゃんと山あり谷あり川ありで撮ってもらいたいもんです(笑)。

    しかし現実はそのようにならず…
    真田幸村最期の日、最期の時。
    大阪城落城。

    幸村の妻と娘たちは、罪を問われることなくそれぞれの引き取り先が決まります。
    幸村は、真田丸での守備、撤退時の殿、家康本隊への突撃、と守・退・攻、すべてに見事な働きをしたので、
    敵軍の将とはいえ武士としての敬意を勝ち得ました。
    幸村の妻は家康から「あの大谷行部の娘で、あの真田幸村の妻ならば」と助命し、
    幸村の娘たちは「あの日の本一の兵真田左衛門助幸村の娘ならば」望まれての嫁ぎ先が決まります。

    関ヶ原の巻の記述でもそうでしたが、
    思いっきり闘った敵は敗将でも認められ、中途半端な裏切りをした敵や、宜しくない振る舞いをした味方のほうが侮蔑される、だからこそ自分の決断が一族郎党の命運を決める武将たちは、負け戦だろうと精一杯目いっぱい戦うのですね。

  • 今までの10巻の中でどうしても気になって仕方がなかった「大義」、モヤモヤとしたものが付き纏っていたが少しづつ解消されてきた。家康の大義、幸村こ大義そもそも同じ目線で比べるのは間違いであった。為政者と武将そもそも終着点が違っていた。もし比べるのであれば家康と秀頼であって幸村ではない。しかしこの真田太平記で描かれる家康は広い視野で次の段階を見据えていた気がしてならない緻密な根回し、戦になる前の準備・仕掛け!豊臣家を滅ぼし誰かが盤石な泰平の世を築かなければ混乱の世は続く、戦国の世に終止符を打たなければならない、勿論私利私欲を除いてそこが大願であれば逆に素晴らしい「大義」であると思う。幸村が決戦前夜に戦の次の段階はビジョンはあったのだろうか?無かったとしたら、案外共に死を覚悟して戦に向かう士はリーダーをどう見ていたのだろうか?殉死が当たり前の様な当日の価値観が今の私に共有出来ないのは仕方がないとしても興味深い幸村の生き方である。
    しかし物語の重厚さ、戦闘の描写、人間模様の展開どれをとっても素晴らしい小説である事に間違いない。

  • 夏の陣の場面はやはり読み応えあり。
    その前に描かれた「恋」に少々もたつきを感じた。

    ささ、いよいよ最終巻へ。

  • 2011.9.13
    大坂夏の陣にて、真田幸村死す(「幸村」は後世つけられた呼び名だというのが通説なのだが、このシリーズではそのことを断ったうえで敢えて幸村と呼んでいる)。
    大坂方の武将たちは連携が取れず互いに疑心暗鬼になる面もあり、足並みがそろわない。結局、戦場にて思うさま兵を動かし、敵方を叩いて真田の名を天下に知らしめたいという真田親子の願いは完全には果たされなかったわけだけど、どこかからりとして潔い、秋の晴れ空のような死に際の描写がかえって胸を打つ。
    何であれ、一つの大願のもと生き抜いた最期の胸の内ってどんなものかなあと思いを馳せてみたり。戦国の世と現代では人の生き方も大きく様変わりしているわけだが、こんな風におのれのなすべきことを知り、凛として生きてみたいもの。

  • 大阪夏の陣、幸村、名を天下に知らしめて逝く!!

    「初一念とは、事にのぞんで一瞬のうちに決意をかためることだ。その一瞬に、決意した者の全人格が具現されることになる。」
    初一念を崩さぬことこそ、武士の本分、と池波正太郎は志記す。
    真田兄弟は、初一念に殉じた、と。

    人の一生は短い。故に、燃やし尽くさねば、生きる甲斐がない。
    幸村の末期、燃やし尽くされた生命の輝きは、強い印象を残す。

  • 読書中。
    大坂夏の陣では、「真田幸村は火縄銃の短銃 馬上筒を持って騎乗し、家康本陣めがけて、突進した」とあるが、本書でもその下りが出てくるのか、楽しみ。

    読了。
    NHK大河ドラマの真田丸で放送した、馬上筒での家康本陣への突撃描写は本書には、無かった。
    ※sanada-nobusige.com より
    『紀州徳川家「南紀徳川史」(徳川茂承によって編纂が開始され1901年に完成した歴史書)。この書物に真田幸村(信繁)が大坂夏の陣で家康を追いつめ、馬上筒で狙撃しようとした際、馬が揺れて手にしていた馬上筒を落としてしまったため家康は家臣に守られ逃げることができたという記述があります。この後、真田隊は敗退、幸村は討たれてその命を落としました。』

    片桐且元のように徳川へ寝返る者達。
    大坂城に寄せていた浪人のうち、敗戦濃厚になると逃げだす者達。
    幸村はこのような状況でも、自信の信念を曲げず、家康本陣へ突進した。
    人の本質は、死を目前にした究極の選択を迫られる中で、その選択の如何によって知ることが出来るのだろう。
    兄の真田伊豆守信之は江戸屋敷にいて、弟の死を知らされた。
    「左衛門佐ほどの男が、死に場所を誤るはずもない」と言った。凄い兄弟だ。

    後半の大坂夏の陣の描写から、目が離せなくなり、一機に読み進めた。
    真田太平記(一)から読み始めて、だいぶ経ってしまった。
    いよいよ、最終巻の真田太平記ー雲の峰ー(十二)へ。

  • 終盤のクライマックス、大阪夏の陣。
    見応えある回だった。
    やはりついつい大河ドラマの真田丸と比較してしますが双方独特の面白みが
    あった。

  • 幸村悲しい…

  • 金大生のための読書案内で展示していた図書です。
    ▼先生の推薦文はこちら
    https://library.kanazawa-u.ac.jp/?page_id=39376

    ▼金沢大学附属図書館の所蔵情報
    http://www1.lib.kanazawa-u.ac.jp/recordID/catalog.bib/BA87463023

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著者プロフィール

大正十二(一九二三)年一月二十五日、東京市浅草区聖天町生まれ。昭和十(一九三五)年、下谷区西町小学校卒業、株式仲買店勤務。昭和十四年より三年ほど証券取引所にあった剣道場へ通い、初段を得る。旋盤機械工を経て昭和十九年、横須賀海兵団入団。敗戦の翌年、東京都職員として下谷区役所の衛生課に勤務。昭和二十三年、長谷川伸門下に入る。昭和二十五年、片岡豊子と結婚。昭和二十六年、戯曲「鈍牛」を発表し上演。新国劇の脚本と演出を担当する一方、小説も執筆。昭和三十年、転勤先の目黒税務事務所で都庁職員を辞し、作家業に専念。昭和三十五年、『錯乱』で直木三十五賞受賞。『鬼平犯科帳』『剣客商売』『仕掛人・藤枝梅安』の三大シリーズや『真田太平記』等、数々の小説で人気を博す一方、食や映画、旅に関する著作物も多く上梓した。受賞歴はほか吉川英治文学賞、大谷竹次郎賞、菊池寛賞等。平成二(一九九〇)年五月三日、入院していた東京都千代田区神田和泉町の三井記念病院で死去。小社では同じく単行本未収録のエッセイ集『一升桝の度量』(二〇一一)と初期戯曲集『銀座並木通り』(二〇一三)を刊行している。

「2022年 『人生の滋味 池波正太郎かく語りき』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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