続・泥流地帯 (新潮文庫)

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著者 : 三浦綾子
  • 新潮社 (1982年8月27日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (537ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101162072

続・泥流地帯 (新潮文庫)の感想・レビュー・書評

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  • 前作「泥流地帯」で、北海道の十勝岳が噴火。拓一と耕作兄弟は一瞬にして祖父母、姉、妹、そして田畑を失う。貧しくとも真実に生きてきた彼らに与えられた結果がこの報い。折れそうな心を懸命に立て直そうとする耕作だが、復興に取り組んだところで、またも裏切られるのではないかという疑問は消えない。

    若い頃の苦労が大事なのは今も昔も変わらない。それはわかっているんだけど、誰もがこの兄弟ほど真面目に生きられるのか。苦労は報われないこともあることを理解し、納得できるのか。考えれば考えるほど、人生は理不尽だと思う。

    本作品では、復興に取り組む村民の中で悪事に走る者もいれば、宗教にすがる者も登場する。そんな様々な人間模様が描かれつつ、耕作たち家族にかすかな希望が見えたところで幕を閉じる。

    おそらく、その希望も一瞬で、さらなる苦難が待ち構えているんだろう。真面目に生きていればいいことがある、なんて単純なことを作者は語らない。じゃあ、どんな生き方が正しいのか。そんな作者の問いかけに考えさせられる。

  • 苦しみを超えてこそ人生。天北原野のバッドエンドとは異なるハッピーエンドが三浦綾子作品にあっても良いでしょ。

  • ここで終りかー

  • 先の巻を読み終わった時の不完全燃焼を持ちつつ
    (ラスト厳し過ぎるでしょー…と、もやもや)

    続・泥流地帯を見つけたときは即買いでした。有ったんだー!やったー!どうなったのか気になってたー!って言うか、あれで終わったら本気で苦しい。うん。

    三浦綾子さんの小説を読んで、不幸とか幸せとか
    罰が当たるとか当たらないとか
    徳を積むとか積まないとか、
    献身とか見返りとか、何の為に生きるとか…
    この方はクリスチャンですが、宗教に囚われずに
    発信する方だな、と思いました。

    アナ雪じゃないけど、ありの〜ままを〜受け入れて生きるって簡単じゃないよね、でも迷うのも生きてるからだよね。とか。
    哲学的w←似合わん。

  • 修一おじさんが登場する度に涙が出そうになる。今の世で考えれば聖人のような、耕作と拓一と福ちゃんだけだと「作り話」感が否めないが、彼はとても人間らしく、重要な役回り。
    節子もいいキャラクターだと思う。

    「因果応報は人の希望」
    であって、現実はそうではない。
    なぜ、いい事ばかりしている人がこんなにも辛い目にあうのか。なぜ、悪い事ばかりしている人が悠々と生きているのか。
    このあたりを考えるのが終盤のテーマ。

    私は無宗教なので、人生の大道は「先祖の行い」で決まっているが、細かい部分は自分次第って考えている。ちょうどいいところ。笑

    ラストシーンは、情景が浮かぶ。
    白いハンカチかあ。映画で見たいなあ。

  • 泥流地帯の続編。主人公兄弟が被害にあった土地を懸命に再生させようと件名に努力する姿が描かれる。兄の拓一がちょっと聖人過ぎているのと、二人のヒロイン、節子と福子の描き方に個人的には不満が残り、泥流のカタストロフが強烈な前作に比べるといまひとつな印象。でも、ヨブ記を引いて、善因善果、悪因悪果はそうあって欲しいと思う人間の願望なんだというのはなるほどと思わせるし、因果応報的な発送から離れて、真摯にまじめに生きていくことの大切さを教えてくれる。 

  • 2015.12.18
    突然爆発した十勝岳の泥流は開拓部落に襲いかかり、一瞬にして、家族の命を奪い、田畠を石河原に変えた。地獄と化した泥流の地から離散していく人々もいるなかで、拓一・耕作兄弟は、祖父・父の苦労の染み込んだ土地を、もう一度稲の実る美田にしたいと、再び鍬を手にする。そんな彼らに、さらに苦難が襲いかかる。苦闘の青春を描き、人生の報いとは何かを問う感動の完結編。(裏表紙より)

    こんなに感動させられ、勇気付けられる小説があるものかと。モチーフとしては、「泥流地帯」とそこまで変わりはない。真面目に正しく生きる人間が、不幸や苦難に遭いながらも、力強く生きていく姿を描く。しかし私は、そういう強く生きる拓一の姿に、畏敬の念を抱きながらも、耕作の視点に非常に共感を覚える。なんで正しく生きる人が馬鹿をみるのか。なんで卑怯な人間がのさばるのか。「泥流地帯」では、真面目に生きても馬鹿臭いという耕作に、拓一が、馬鹿臭いとは思わない、生まれ変わっても自分は真面目に生きると答える。ここに私は、誇りある生を見た。報われるかどうか、結果が出るかどうか、認められるかどうか、そういう自分の外にあるものは関係なく、自分が自分で、認められるような生き方、自分に反しない生き方、馬鹿と言われようとも俺はこう生きたいんだという生き方、自分で自分を誇りに思える生き方の大切さ、美しさを見た。続編である本作でもその主張は一貫しているように思う。p275あたりで国男が、甲斐のない苦労、報われない努力をすることに意味があるのかと問う。拓一は、報われないかもしれないという覚悟の上での努力には価値があるのではないか、報われるとわかってるなら人は誰でも努力する、努力の結果ではなく、結果の約束されない覚悟のある努力そのものに価値があるのではないか、と答える。これは痺れた。そしてヨブ記の話などを通しながら、善因善果、悪因悪果、勧善懲悪は人間の理想であり、善く生きれば幸運になるでもなければ、悪く生きれば不運になるわけでもないという結論が提示される。人事を尽くして天命を待つ、というが、まさに人事を尽くすとは誇りある生を生きることで、幸運不運は人間の能力の外側にある、天命なのだ。そしてその天命すら期待せず、ただ自らの信じる生き方をする、自らがよしとする生き方をする。どんな苦難が襲いかかろうとも、それを苦難とすることなく試練とし、負けずに生きていく。試練という解釈は、フランクルの「夜と霧」を思い出させる。しかし私は、どんな苦難も試練と捉えることによる強さが、誇りある生き方を生む、というのとは別の捉え方をしている。この捉え方は結局、自分の外に神という想定をしているし、内なる基準でのみ生きているわけではないからだ。私はこの小説に、耕作の問いと拓一の生き方に、どんな苦難にも負けない誇り高き強さの根っこに、繋がりを見た気がする。拓一はなぜ地獄と化した土地に残ったか、祖父母と父の努力を無駄にしたくなかったからだ。なぜ足が悪くなったか、耕作をかばったからだ。人がもっとも力強く生きるための力とは、人と人の繋がりの中にあるのではないか。そしてそれは目の前にいるあなたと私というだけではない。過去の人々、未来の子どもたちもある。例えば我々日本人は先人の苦労により築いていただいた平和の上にあぐらをかいて生活している。ここでただ、その平和に甘んじて自己中心的に生きれば、それは先人の努力に唾を吐くようなものではないだろうか。私という人間が今この瞬間に生きていられるのは、過去の人々との、父と母との、兄弟との、先輩や後輩や、そして友人との繋がりがあるからであり、さらにまた私の生き方が、未来の世代に繋がっていく。その繋がりひとつひとつを大切に、彼らを裏切らないよう、彼らのためを思い生きることが、誇りある生の基盤になるのではないか。つまり、誇り、それは自らで自らを名誉に思うこと、名誉に思うとはつまり自分で自分を褒められること、褒めるのはよいことをしたからであり、ではよいこととは、結局人と人の間で決められることである。自分のもつ時間的空間的広がりをもつ繋がり、それを自覚して、それに背を向けずに生きることで、その繋がりの中で生まれるのは愛ではないか。つまり、愛に裏打ちされた誇りある生こそ、人の生きる道ではないだろうか、なんてことも考えたりした。どこまでもやはり、自らを生かすのは人なのだと改めて思った。苦難があれば、それは運命に問われているのだと、試練だと解釈し、また愛と誇りを持って、日々、納得できる生を生きる。すべきと思うことを為し、また愛をもってしたいことをするというか。儒教的に言えば、繋がりから見出される、仁義の徳というか。仁義を尽くして誇りを得るのかな。こんなに、生きることを教えられた小説はないかもしれない。苦難の意味、人生の報いを説いた名作。

  • 大正15年,北海道十勝岳が大規模な爆発を起こし,当時,上富良野を中心に死者・行方不明者144名,負傷者200名、流失・破壊家屋372棟という大災害となった。本作品は,この時の噴火を描いた小説です。十勝岳の麓で暮らす一家。貧しい農村の暮らしの中でも真面目に生き,心豊かに暮らす人々。しかし,自然はどんな人間に対しても平等に牙をむく。本作品の中では,数々の苦難にあっても、強く正しく生きる兄弟の姿に心が打たれます。

    *推薦者(図職)T.K
    *所蔵情報
    https://opac.lib.utsunomiya-u.ac.jp/webopac/catdbl.do?pkey=BB00085858&initFlg=_RESULT_SET_NOTBIB

  • 苦難は宝物。
    善因善果、悪因悪果は思い込み。
    ヨブ記。

  • やはり三浦綾子、後半からは基督教色が出てくる。
    戻った母親はなんて良い人だろうと思うべきキャラ設定だが、私は一番嫌い。

    ちょっと不思議だったのはあの時代、親に女郎に売られる娘が、結婚には否やを言えるところ。

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