出発は遂に訪れず (新潮文庫)

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  • Amazon.co.jp ・本 (416ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101164014

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  • デビューから中期にかけた短編集。
    非常に鬱屈としていて内向的な作品が並ぶ。
    しんどいボリュームと文字密度だが、『夢の中の日常』は完全に開眼しており底知れないエネルギーを感じた。

  • 「夢の中での日常」と「パラ.イメージ論」   -2008.07.26記

    島尾敏雄の短編「夢の中での日常」-
    この超現実的としか言い得ないような作品世界を、吉本隆明は「ハイ.イメージ論Ⅱ」のなかで「パラ.イメージ論」なる一章を設けて、図形論的に解読してみせている。
    それを一言で云うならば、言語における概念と、その言語が喚起しうる可変的な像との関係を、有機化学における、一般に基同士の反応する位置関係を表す、オルト-o-.メタ-m-.パラ-p-を導入し、図形化しようというものであるらしいが、高校化学の知識すらすでに遠い彼方の霧の中状態の私などには、取り付く島もないような言葉の叛乱で、まるでお手挙げなのだ。
    先ずは、オルト-o-とはなんぞや メタ-m-は? さらに、パラ-p-とは?
    さしあたりこれら有機化学の基本的keywordらしいものをごく大雑把に理解するのに、あれこれとネットをググってみたりして、数時間を要してしまったような始末である。
    いろいろ見ていくと、オルト-パラ転化=o-p変換の反応では一般に自己発熱が生ずる、ということもわかってきた。
    まるで泥濘のなかの落とし物を手探りで掻き分けしているような悪戦の果て、やっと本論を再読にかかる。
    なるほど少しは見通しよくなってきた。

    「文学作品がどんな自意識の手でつくられても、いつも無意識の達成を含んでいる。‥書き手の主観的な思い入れは、いつもいくぶんかは意図と実現の食い違いにさらされる運命にあるといっていい。これが文学ということの意味なのだ。」

    「あるひとつの文学作品のなかで、言葉が像をよびおこすときその像をどう位置づけたらいいのか。‥この像は印象からいえば言葉として意味の流れを減衰させているようにみえる。その減衰をいわば代償としておぼろげな像を獲得しているといえそうなのだ。‥言葉の概念と像のあいだに内から連関があり、しかも概念の強度が減衰するのと言葉の像が出現するのとが逆立するようにかかわっていることを前提にしてみる。すると入眠状態あるいは夢の状態がいちばんこれに近いことがわかる。この入眠または夢の状態は、ひとつの極限として、ちょうど無意識の独り言が音声をともなわないで呟かれている状態になぞらえられる。‥これとまったく逆の極限をかんがえれば、像が場面ごとに不連続で、意味の流れなど到底たどれなかったり、前後がアト.ランダムで流れなかったり、まったく荒唐無稽になってしまう場合がありうる。でもどの場合も、像が連続している状態を、無意識に実現している。」

    「文学作品の言葉がある場面で像をよびおこしているとき、言葉はこのふたつの極限を境界にして、その内側にある帯のどこかに位置づけられると思える。その位置は言葉の概念が意味の流れとしてさしだすものを減衰させはするが、それの代償としてかすかな像をあらわしている状態だ。この位置は、いってみればオルト-orthoの位置なのだと思う。オルト位置では言葉は意味の流れをつくりあげる機能をいくぶんか減衰させ、それにともなって、微かな像を手に入れている。」

    「なぜオルト位置とみなすべきか。メタ-metaの位置では言葉の意味の流れはいっそう弱まってしまう。そしてそのかわりに像化の強度はいっそう加わっていく。このメタ位置ではすでにふつうの言葉の概念の群を統轄する像とか、像と像とを概念が統轄している状態を想定したほうがいいことになる。またパラ-para位置では像の強度としては視覚の映像とひとしい鮮明さを想定しなくてはならず、言葉の像としては不可能に近くなる。そこで普通の言葉の像と概念を、もうひとつ垂直の次元から-いいかえれば巨視的な世界視線と対応して微視的に-鳥瞰的に統轄する像の意味をもつことになるため、とうてい言葉の第一次的な像化にふりあてられない。」

  • 『死の棘』で有名な島尾文学の解明につながる短編集、最近復刊されたもの。

    海の特攻隊として死を覚悟させられ、終戦にてまぬがれしも心の傷は癒えず、それが過去にあるために本人と家族におよぼす深い傷。

    解説に「正確で抽象的な作品」とあるように、文学的なあまりにも文学的な作品集。短編ではあるが、島尾敏雄が昇華させた主題が年代を追って、作品の執筆順に深まっている。

    緊張を強いられた現実と、心因性の深層心理が弾ければどうなるか、という文学での追求は「文学的なあまりにも文学的な」と書いたが、現代に引き比べられ、悩ましい普遍が織り込まれている。

    初版の解説(森川達也)に引き続き、芥川賞受賞の堀江敏幸の解説が追加されているが、それもなかなかよい。そういうことだったのかとすっきりさせてくれる。すっきりしたとて重いのだけれど、惹きつけられるのはおこがましくも堀江氏同様

  • 「海辺の生と死」から辿りつく。独特の、夢と現実が交錯するような物語が面白かった。何者かにより自分の命が終わりを宣言される。それを当たり前として受けいれて日々生きた人でしか書けないすごみがあった。

  • 特攻隊長として自らの死を予期しつつも、結果訪れなかった特攻命令により、生き延びることとなった島尾敏夫の短編集。

    表題作の「出発は遂に訪れず」では、その模様が揺れ動く心理描写と共に克明に描かれる他、デビュー作である「単独旅行者」では、自らのレーゾンデートルがどこにあるのかがわからない不安感から、行くあてのない旅を続ける主人公の姿が、当時の作者の心理状態を表しているように見える。

  • 迫力のある特攻隊の心理描写を期待していたが、実際は暗く閉鎖的で抑揚のない日常であった。この事が却ってリアリテイを掻き立てる。1日を跨ぎ、生と死を分かち、価値観が変わる。それは一体どんな気持ちだろうか。天皇の名を利用し、政治を行った当時の民主主義は、国民を操作し、時に逮捕し、揺動した。当然、大義はあった。だから納得した。しかし。

  • 「戦争はどのように語られてきたか」で扱われていたので。特攻出撃命令が保留となったまま終戦を迎えた士官の心の内が丁寧に描かれている。

  • 特攻隊に配属されるも、飛び立つことなく終戦を迎えた軍人の想いがつまっている作品
    回想するのとは違う、その当時のままの状況が描かれている

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著者プロフィール

1917-1986。作家。長篇『死の棘』で読売文学賞、日本文学大賞、『日の移ろい』で谷崎潤一郎賞、『魚雷艇学生』で野間文芸賞、他に日本芸術院賞などを受賞。

「2017年 『死の棘 短篇連作集』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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