アブラクサスの祭 (新潮文庫)

著者 :
  • 新潮社
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  • Amazon.co.jp ・本 (149ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101166520

作品紹介・あらすじ

東北の小さな町の寺に勤める僧・浄念は、躁鬱に苦しみつつ薬と酒の力を借りて法要をこなす毎日。不惑間近となったいま、学生時代にのめり込んだバンドへの情熱が心を占める。やっと実現にこぎつけたライブのステージで、強烈な恍惚感とともに降りてきた啓示の正体は…。精神を病みロックに没入する僧が、祝祭の只中で感じた歓喜と安らぎ、心のひそやかな成長を描く芥川賞受賞第一作。

感想・レビュー・書評

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  • 玄侑宗久『アブラクサスの祭』新潮文庫。

    躁鬱に苦しむ僧侶がロックミュージックと、アルコール、薬と仏教のフュージョン世界を漂う。

    大昔の村上龍やウィリアム・バロウズの小説テーマと似ているが、何処か思い切りが無いというか、混沌とした精神世界を描き切れていないように思う。

    東北の小さな町の寺に勤める僧侶の浄念は若い頃から躁鬱に悩まされながら、薬と酒の力を借りて、何とか法要をこなす毎日を過ごしていた。不惑の歳が近付き、浄念は学生時代にのめり込んでいたロックバンドへの情熱を思い出す。

    本体価格324円(古本100円)
    ★★★

  • 躁鬱とアルコールのせいか観念的すぎる主人公、それでも何故かスッと理解できる瞬間があるのが不思議。

  • 精神を患っている僧侶の浄念は薬(医者から処方される)を飲むことで心の安定を図り、酒を大量に飲む事が恒常化している。そんな彼は昔音楽をやっており、病気から来るものか何らかの啓示なのかライブをする事に。
    物語は主人公とそれを取りまく人々の視点で進んでいきます。
    浄念の危うさと彼の妻、上司、上司の奥さんの寛容に包まれた物語でした!

  • 2013.6.2読了

    僧侶の浄念は自分の病気を分裂病まじりの躁鬱病と理解し、薬でコントロールしながら法要等をこなす日常。躁から鬱への移り変わりの変化を内側から、そしてすぐ側で見ているかのような感覚になった。理解した訳ではないのだが、周囲の人の、特に妻の多恵や玄宗の妻麻子の心の変化は優しい静かな時間が流れている感じ。浄念にとっての「祭」とは?

    もうひとつ、16歳の老犬ナムと3年前に同じく16歳で亡くなった我が家のももことが重なり、次第に弱っていく様子が思い出され少し辛かった(/_;)

    ともあれ、この作品に出逢ったのはいくつかの偶然が重なっているので、映画の方も機会があれば観てみようと思います。


    アブラクサス=神様と悪魔を兼ね備えた存在

  • 読んでいて少しだけ苦しかったです。
    それでも、その分優しさが胸を打ちました。
    印象に残ったのは浄念と多恵の鏡のシーン。あとはナムですね。
    繊細さと力強さが入り交じった素敵なお話です。

  • 躁うつ病の僧が自分はこのままでいいんだという自信を得るまでの物語。僧らしくない世俗的な生活をしつつも、そのオーラで周囲の人々から一定の評価は得ていた主人公。最後まで恵まれすぎていて好かん。

  • 病と音楽って、似てる。躁鬱でヤク漬けのロックな坊主の話。出てくる音楽はほとんど分からないのに面白い。音楽って毒にも薬にもドラッグにもなるよね。で、環境そのものでもある。


    これ読んで気付いたけど、私も躁鬱の気があるんだなぁ。ただ、幸か不幸か私には病に深く落ちていけるだけの才能がない。病は深く強烈に落ち込まなければいけない。そこから浮上する力は最底辺まで行かなければ湧いてこない。ただし、そのまま帰って来られなくなることもよく、あるけどね。

  • アブラクサスに反応して読んだのだけど、
    結構期待したせいか超えられなかった。
    ただ何だかとてもリアルだった。

  • 躁鬱を薬と酒の力でどうにか乗り切りつつ、騙し騙し法要をこなす浄念に多かれ少なかれ共鳴するひとは多いのではないだろうか。視覚的なイメージも強いため、現場にいるような息苦しささえ覚える。筆者の他の著書に比べて頽廃的、観念的になり過ぎていないのは浄念との距離の取り方が絶妙だからだろう。

  • 善であり悪である神アブラクサス。それに象徴されるのは善も悪一体化した世界である。最後のライブシーン。主人公の浄念はまさにその一体化を体感する。
    このライブシーンはまさに「祭」のよう。
    人間は六道を漂うひげのようなもの。「あるがまま」ではなく「ないがまま」である。浄念は躁鬱、分裂病であると自認しているが、それはある意味で自然なことなのか。六道を突き抜けた恍惚の中で浄念が聞いた「おまえはそのままで正しい。」というアブラクサスの啓示。それは彼の存在を肯定するものであろう。ひげのように漂いながらも浄念は確かに生きているのだ。また妻の多恵が「六道の輪廻として浄念の変化を捉えてみよう」とし、自分を見直し、変化していく様子は心が穏やかな気持ちになった。夫婦が呼応し合っている。それが伝わって心地良かった。

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著者プロフィール

一九五六年福島県生まれ。慶應義塾大学中国文学科卒業。八三年、天龍寺専門道場入門。現在、臨済宗妙心寺派福聚寺住職。花園大学仏教学科および新潟薬科大学応用生命科学部客員教授。二〇〇一年「中陰の花」で芥川賞を、一四年「光の山」で芸術選奨文部科学大臣賞を受賞。著書に、『禅的生活』(ちくま新書)、『荘子と遊ぶ』(ちくま文庫)、『やがて死ぬけしき』(サンガ新書)、『竹林精舎』(朝日新聞出版)などがある。

「2020年 『なりゆきを生きる』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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