ヨーロッパ退屈日記 (新潮文庫)

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著者 : 伊丹十三
  • 新潮社 (2005年3月2日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (304ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101167312

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ヨーロッパ退屈日記 (新潮文庫)の感想・レビュー・書評

  • これを読んでニヤッとしたら、あなたは本格派で、しかも少し変な人です。――文庫表紙より

    まずこの、『ヨーロッパ退屈日記』というタイトルがいいではないか。タイトルで思わず借りてしまったではないか。
    内容のほうも、題名に反して(笑)退屈することなく楽しめた。今よりずっと海外に行くのが大変であっただろう時代に、「退屈」というタイトルをつけるだけあって、なかなか挑戦的で、それでいてキザな内容である。
    しかしその「キザさ」には、覚悟と信念があった。いいものはいい。格好悪いものは、格好悪い。どうせやるなら、おいしいものを食べて、高いもので洒落込み、贅沢をして何が悪い。ああ、こんな台詞、一度でいいから言ってみたいものです。

    自分の目で「本物」を見極めることは、自意識を満足させてくれると同時に、自分にも他人にもモノにも妥協しない、行動力と気力が必要なのだろうな。

    著者のことはよく知らないけれど(『お葬式』という映画は聞いたことがあるようなないような・・・その程度)、なんだか気になる人だと思った。生き方が物語になりそうな人、というかんじ。
    溢れ出しそうな教養を持った人、というのに憧れます。

  • この本は友達が持ってたので、「伊丹監督って本書いてたんだ!」と初めて知り、ブックオフで新品同様105円で売ってたので『女たちよ!』とともに購入。なんなのブックオフ・・・そんなに安くていいの?・・・。それと、フォロウィーさんが『女たちよ!』について書かれてたのが積んでたのを読むきっかけになりました。

    ウィキペディアに「気障」とあるけど・・・いや、そうは感じなかった。
    本屋によくある「男の○○」「モノ」的な雑誌、あれが大嫌い。まず装丁が下品。ファッション誌に限らず雑誌全般に僕が求めてるものは多いけど、「ファッション」を語るならまずデザインに拘るべき。そして「ファッション」を語るなら根っこにある文化も語るべき。
    「雑誌」であるなら、インターネットの直線的検索では得られない、「雑多な内容」を入れるべき。目当ての記事以外の変な記事やコラムも面白くなければ雑誌の意味がない。
    つまりファッション誌が自分に合うかどうかは、映画や音楽の記事でも趣味が合うかどうかがひとつの目安になってる。雑誌不況の時代、面白い雑誌は少なくなりました。
    ちょっと前に『プレイボーイ』誌の名物編集長のNHKのドラマを観まして、これが面白かったんですが・・・開高健の『風に訊け』連載秘話があったりして。
    あと北方謙三の「とりあえず女を抱け!」とかですね、ああいうやつ・・・いや違うか・・・。とにかくそういう、「男の生き方」についての連載、指南役のさきがけだったのではないかと。

    とくに気障に感じなかったのは、僕が好きなファッション誌の条件にピタリと合うから、非常に品があるからだと思う。連載は『婦人画報』でされてたようで、それもあるかも。『ホットドッグプレス』の北方先生はハードボイルドだけど上品ではないよね(笑)。
    もうひとつは、'60年代前半に書かれたものだということ。バブルとグルメブームがあったので、当時と今では全然違う。当時だと海外の情報があまりなかったと思うので、そりゃあハイカラでハイソだったに違いない。
    でも、今読んでも知らないことばっかり!!すごく為になる。★を減らしたのは、「結局は金」という感じが若干したから。あとの方まで読んでくとなんとなくわかる部分が多い。

    まず面食らったのは22頁の「工事中 road work(それにしても日本の under construction というのはどこから出たのかね)。」という記述。ハァ?と。何言ってんだこの人?と。のちのち意味がわかってくるけども、徹底的にアメリカ人は田舎者だとこき下ろしてる。これは・・・敗戦体験が大きいのかも。
    日本人がわりとシンパシーを感じるのは、たぶんイギリスとイタリア、ドイツとかだと思う。ヨーロッパの国も日本も、皇室の歴史が古い。終戦時にアメリカはたかだか170年ぐらいの歴史しかない・・・。ついでに、これはアメリカ人の発言ですけど、「内陸部に宗教右派が多いのはアメリカの歴史が浅いせいもあるかも」とか。

    話は続き、日本に対する愚痴、罵詈雑言がどんどんエスカレートするのが非常に面白い。で「どうなるんだろう・・・」と思ってたら、最後にちゃんと考察されてるんですよね。特に、街並みの話。ここがね、よかったですね。
    当時、伊丹さんは29歳ぐらい。まだ若い。これはみんなそうだと思うんですが、外に出ると自分のところの悪いとこが目に付くというね。でもそれだけじゃなくて、逆に日本の良い部分、残すべきものも見える・・・日本に対する愛情ですね。

    映画の話、車の話、ファッションの話、語学の話、音楽の話・・・
    やはり一番面白いのは食べ物、食文化の話。アーティチョーク・・・アーティショーを無性に食べてみたくなる。アーティチョークなんて食べ物は最近まで知らず、『フォロー・ミー』という映画でロンドンの通... 続きを読む

  • 全体から漂ってくる倦怠感がたまらない!
    林望のイギリスはおいしいが好きだったので、近い物があってさくさく読めた

  • まだ映画は撮っておらず、個性的な役者、エッセイストとして活躍していた頃の伊丹十三のヨーロッパに関するエッセイ集。
    何せ書かれたのが1962年らしいから、ヨーロッパで日本人は魚を生で食べると言うと驚かれるなんていう記述もあり、古さを感じないわけではないけれど、50年経った今読んでも、笑えたり感心したりしてしまう。
    私のような凡人だと今読んでちょうどいい感じ。
    62年には生まれてないけれど、たとえ80年頃に読んでもアーティチョークなんて知らなかったし。
    私が幼いころの日本人って欧米人に対し、過剰な憧れと劣等感があったと思うけれど、伊丹十三は対等に渡り合っている。
    こういう教養とセンスと知性がある人が早世したのは非常に残念だ。
    本当の国際人とはこういう人だと思う。

  • 伊丹十三の偏見と独断がぎっしりのとっても面白い本です。
    ヨーロッパでの経験談から料理、お酒の作りかたや心持ちなど、洋服について、車について、外国語について。生活のすべてのことをかれの独断で言い切っているところがおもしろい。
    伊丹十三が描く女性像がとっても好きで、とっても理想的なんです。

  • もしも私が1965年の日本の高校生だったらこの本に感銘を受けてイタミストになっていたこと間違いない!

    雑誌ku-nelで中村好文が伊丹十三について書いてたので興味がわいて読んでみた。
    大層キザだと懸念された文体はさして気にならない。
    1950年頃のヨーロッパの風習などがありのままに書いてあってとっても興味深い。
    スペインにおける文盲率の高さに対して既にその点は先進国な日本。誇りを持ってお国自慢をするって、今の日本人には今ひとつピンと来ない感覚よね。でも悪い気はしない。本来はそうあるのが理想だと思う。
    しかし何より驚くのは伊丹十三のセンス!!
    もっと読もう。

  • POPEYEの特別号にて興味を持ち、すぐさま購入した。1965年発刊であり、著者がヨーロッパでの体験や日本と当時のヨーロッパ圏との文化の差を皮肉交じりで書き綴っている。
    それは現代の日本人にも言えることが多く、50年以上たった今でもさほど変わっていないことを実感させられた。
    ユーモア溢れるセンスを惜しみなく発揮しており、クスッとくる。気軽に読める一冊。

  • ちょこちょこ心に響く言葉があったので付箋した
    映画みよ

  • ハリウッド映画、北京の55日、ロード・ジムに出演した元祖国際俳優 伊丹十三。出版されて半世紀経った今読んでもクスりと笑えるところ多々あり。と云うことは私は山口瞳氏曰く、少し変なヒトなのだろう(笑)
    何度も出てくる現代(1965年当時)の日本に対する駄目出し。
    その厳しい口調の奥に捻くれた愛情も見え隠れする。
    それにしても、伊丹さんってひとは、身近にいればかなり付き合いづらく、面倒臭いんだろうなと。
    1965年の伊丹一三 名義の初版本は自分にとって宝物です。

  • 軽いエッセイはいいもんだ。
    中身のない会話でも楽しくできるのは
    そこにヒューモアがあればこそだと思う。

    そしてこの伊丹十三という青年は年頃らしい
    高潔さをもって世界を観察している。
    本当によいものが世の中には存在するに違いないという期待と、少しの諦め。
    人の文化への期待はそのまま信頼感でもあって、
    そこが彼のヒューモアの源泉になっている。

    それにしても、
    香港のここに行ったら美味いぞ、というリストは使えるのかと思って検索したら
    今もお店はありそうで、人生の楽しみが増えた。ありがたや。

  • 私は、彼と一緒にいると「男性的で繊細で、真面な人間がこの世に生きられるか」という痛ましい実験を見る思いがする。

  • まだ日本人が今ほどヨーロッパに行くことか容易ではなかった時代に、映画監督の伊丹十三が、フランス、イタリア等々で見聞きした話がまとめられています。
    「何故パリは美しいか」「握手の名人」「ソックスを誰もはかない」…これらにビビッと来た方は是非お手に取ってみて下さい。(ゆりこさん)

  • 2017.4.24 18
    良かった。

  • こういう感じのエッセイを読むと今生きていたらどういう事を思うのか、どういうものが読めるのか、ということをいつも考えてしまう。正直言って、「はいはい、わかったわかった」と言いたくなるような説教臭さをどうしても感じてしまうのだが、今この時代の我慢ならないこと、許せないことをもうちょっと教えて欲しくなってしまう。そんな魅力。こんなこだわりおじさんが近くにいたらうざったくてしょうがないから本で読むくらいが丁度良い。

  • 本質を大切にする伊丹十三のダンディズムがつまったエセー。

    「夏の盛りには、時間はほとんど停止してしまう。」から始まる一節に、救われたような気持ちになりました。そうです、子どもの頃、学生の頃の夏休みは、蝉の声、蒸し暑い空気、青い空に五感が押し包まれて時間が止まっていた。でも、時間が失われているとすら思わなかった。大人になって、考えることが感じることに取って代わると、時間を失うことを恐れるばかりだけれど、この一節を読んだとき、そっかこれは昔の夏休みのあの感じかと、恐れや焦りが何となく知っている懐かしいものに通じて、救われた気持ちになったのです。伊丹十三は、一人乗りの船を漕ぎながら、本質を追求していたのですね。

  • 2016年2月11日、読了。

    鼻持ちならない本である。自分はヨーロッパ通である、君たちは知らないだろうが、という、ちょっと見下した位置を、それと悟られないように、小粋な語り口でまとめた本である。まさに今、私がこの本をぶった斬ったように、あれはよくない、これが正しい、と、伊丹十三はばっさばっさと決めていく。そこには一種のいやらしさがある。

    しかし、その文体の、色彩の豊かさ、描写の美しさには感嘆せざるを得ない。伊丹十三自身、あとがきで自らを「明らかに視覚型の人間である」と語っている。たとえば、パリの街灯についての描写は、こんな感じである。

    「パリの信号燈は、例のガス燈と同じように渋い臙脂色に塗ってあり、これがマロニエの緑と石のペーヴメントに素晴らしく調和しています。
    また、赤、橙、緑の三色の灯火も、パリでしかみられない、非常にデリケートな色が出ています。殊にオレンジは素敵で、全くフランス的としかいいようのない、不思議な蜜柑色なのです」

    マドリッドの夕方を書き写した一文も、じつに美しい。

    「ホテルの部屋一杯に西陽があかあかと射し、窓の外の、六本のポプラの大木が、葉の裏を銀色に翻えらせながら大きく揺れ動き、三人の青服の男が、広場中の並木に、もう二時間もかかってホースで水をやっています」

    色の、微妙な揺れをも感じとり、言葉へと導いていく。本書には、鮮やかな情景が、そこかしこに溢れている。

    驚くのは、これが1961年の著作であるということだ。50年以上も前である。当時の方々は、みな語彙が豊かであったのだろうか。それとも伊丹十三という、稀有な才能あってのものだろうか。当時まだ30才になろうかという若者である。

  • 伊丹十三のファッションや様式に対するこだわりと姿勢は一歩間違えると煙たがられるんだろうが、そこからにじみ出る謙虚さと純真さのおかげで彼のこだわりから嫌味の臭いは取り払われる。ファッションなんて人それぞれでいいじゃないかと思っていたが、フォーマルとは、スタンダードとは何か、身だしなみとは、について改めて考えさせられる。

  • 「靴を買いにジャギュアに乗ってロンドンからミラノへ…」キザと言えばあまりにもキザ。ほとんど漫画のレベルで。が、しかし、この時代に20代の若さでこれだけの行動力と感性を持っているのは確かにちょっと常人離れしているし、読んでいて多少の古臭さは感じても不思議と嫌らしさはあまり感じない。

  • この本を読むと、伊丹十三という人が本当によく分かる。自殺してしまった映画監督である。
    伊丹氏は繊細で、センスが良くて、真面目で、こだわりのあるダンディでチャーミングな人だったということを初めて知った。イギリス英語をこよなく愛し、ヨーロッパを心から楽しんだようだ。ヨーロッパになじみがある人には、ウンウンとうなずける箇所がたくさんあるに違いない。本に載っていたイギリスのジョークは、日本人にとってはあまり面白くないと思うが、イギリス人に話してみたら大うけしたので、感心してしまった。
    この本には伊丹氏の美意識が詰まっているものの、解説に書かれているように、嫌味が無い。自筆のイラストも素晴らしい。60年代に書かれたと思えないほど、今でも内容が新鮮で、おススメの一冊である。

  • かっこいい。スノッブ。大好きだこういうの。

  • 指南役さんのお勧め本。なるほど、これは西洋の話だけど粋のことを言っているように思える。

  • 1965年に書かれた本。
    伊丹十三の個性そのもの。
    トラディショナルでスタイリッシュ、芸術全般に造詣が深い。
    スパゲッティの食べ方指南は面白かった。

  • 猫町の友人が(他の人に)おススメしていたので読んでみた。伊丹十三と言えば映画監督のイメージしかなくて、こういう洒脱なエッセイも書いている人だとは知らなかった。もっとも彼が監督業に転身したのは 50歳過ぎのことで、この「ヨーロッパ退屈日記」は彼が若き日々に映画俳優としてヨーロッパを転々としていたときのエッセイ。

    初版は 1965年(もとになった雑誌掲載は 1962年頃か)。ほとんどの日本人は海外に出た経験がなく、スパゲッティをズルズルとすすって食べていた時代にあって、お洒落、料理、音楽、語学と「本物」の欧州感覚が散りばめられた本書は非常に面白く読まれたに違いない。何せ、これだけ情報が溢れる 2014年の今読んでも十分に面白いんだから。40年の時を経て同じエッセイを楽しめるということは、著者の言う「本物」が、やはり本物だったということなのであろう。山口瞳による惹句と解説(ポケット文春版の裏表紙)も良い。

  • 多彩なスター、伊丹十三
    今度松山の記念館行ってみよ

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ヨーロッパ退屈日記 (新潮文庫)の作品紹介

1961年、俳優としてヨーロッパに長期滞在した著者は、語学力と幅広い教養を武器に、当地での見聞を洒脱な文体で綴り始めた。上質のユーモアと、見識という名の背骨を通した文章は、戦後日本に初めて登場した本格的な「エッセイ」だった。

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