日本世間噺大系 (新潮文庫)

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  • Amazon.co.jp ・本 (400ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101167350

感想・レビュー・書評

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  • 「日本世間噺大系」という書名を見た時に、
    ■なぜ「話」ではなく、「噺」なのだろう
    ■「体系」と「大系」は意味が異なるのだろうか?
    といった、漢字の使い方が気になったので、ネットで調べてみた。

    まずは、「話」と「噺」の違い
    「噺」は、小噺という言葉からもわかるように、日常の会話やたわいもないお話ではなく、物語性があり、相手を喜ばせるもののこと。落語家は、別名「噺家」といわれており、これは他人を物語性があるお話で楽しませるという意味がある。
    「話」は、人間が言葉を発して第三者と会話を通じてコミュニケーションをとるか、第三者に会話を聞いてもらうこと。とりあえず、人間が集まり、会話が始まれば「話」になり、別に人を楽しませるという必要性はなく、怒らせるようなことでも「話」になる。
    両者の違いは、会話で相手を楽しませようとする意気込みがあるか否か。

    次に、「大系」と「体系」の違い
    「大系」は、同じ分野の著作を集めて系統的にまとめた一群の書物(に付ける名称)を意味する。シリーズ。例えば、「古典文学大系」「法律学大系」など。
    「体系」は、個々の要素を統一的にまとめて全体、または、一定の原理によって組織された知識の全体を意味する。システム。

    確かに、本書は、人を楽しませるための「噺」を集めたものなので、「世間話」ではなく、「世間噺」の方が良いだろう。
    また、別に何か一定の原理によってまとめようとしたり、全体像を表そうと試みようとしている訳でもなく、「世間噺」を「集めてみた」という内容なので、「大系」の方がふさわしい。
    実は、このような細かいところまで配慮された本だということに、読んでみて、また、漢字の意味を調べてみて気がついた。一つ一つの「噺」に感想はなく、ただ全体を楽しく読んだ、というのが読後感。

  • 伊丹十三さん(1933-1997)の溢れんばかりの知性と教養がほとばしる、縦横無尽、問答無用、自由奔放、奇想天外、一刀両断の世間噺がてんこ盛りのエッセイ集31篇。 映画監督・伊丹十三氏の早逝が惜しまれる。

  • 創作とエッセイと、たぶんリアルなインタビューがオムニバスで入っている。伊丹十三のドキュメンタリーでいつもレコーダーを持って市井の人から話を聞いていた、とあったので、それが文字化されたのだと思って読んでいた(創作が混じっていてもわからない)。エッセイはまるで目の前で伊丹さんが語っているよう。座談会やインタビューは臨場感のほか、今では語る人がいないであろう貴重な内容が満載で面白かった。

  • 「先生、これは無理です。辛くてとても食べられません」
     乃公(おれ)はつい弱音を吐いてしまった。
    「ほう、食べられないかね。食べられぬものを無理にとはいわないが、しかし、仮にも芸術家を志すほどの者が、このくらいの辛さに平行しているようじゃ話にならない。これは或る心理学者の説だが、一体芸術家ほど辛い物を好むということで、これは全く私も正しいと思う」
     途方もないことを云い出した。たかが菹(キムチ)くらいのことで芸術家を失格しては堪らぬから、乃公は素早く白菜をもう一切れ頬張り、肺をポンプのように活動させて口の中の火を消しながら尋ねた。
    「しかし、芸術家ほど辛い物を好むというのは、どういう根拠からです」
    「どういう根拠って、考えれば判るだろう。クレッチマーの分類に、寒いとすぐに外套を着る人というのがあるが、君なんぞは差し詰めそれにピッタリだ」
    「私は寒いとすぐ外套を着るんですか」
    「外套というのは物の譬えでネ。つまり行動が専ら外的な条件に支配されているということだ。寒いという外的条件が直ちに外套を着るという行動を喚び起こす。そこには芸術家として不可欠の内省というものがかけらも無いというんだな」
    「だって寒けりゃ誰だって外套を着るでしょう。一体何を内省するんです」
    「たとえば外套を着ない方が体を鍛えるためにはよいのではないかとかーー」
    「なんだ、そんなことですか」
    「ホラ、君はすぐ軽蔑するだろう。もしかすると、それが自分の状態を正確に云い当てている心理ではないかと疑ってみようとすらせぬ。先刻も君は菹が辛くて食えないと云った。つまり辛いという外的条件に対して、直ちに食えないという反応を示した」
    「しかし先生、あれはーー」
    「まァ、黙って聞きなさい。君は辛いから食えんという。これはどういうことか。わたした思うに、君が自分の味覚と思っているものは、実は世の中の相場に過ぎんのだな。世の中の尺度が自分の尺度になっているから、味を知っているという人の云うことにすぐ左右される。私がこの蕎麦屋が旨いというと君はすぐにそれを信じる。自分で考えるという努力をしない。自分の馴れぬ味だと、味その物を否定して、辛い、食べられぬ、とこうなる」
    「ーー」
    「辛いけれども、朝鮮の人はみんな食っている。なぜ同じ人間でこれが食えないのか。この辛さも馴れればなんらかの旨みに繋がってくるのではないか。せめてそのくらいのことすら君は考えつかぬ。現実を頭から肯定することへの抵抗というものが君には全くないんだ」
    「ーー」
    「芸術家とは自分の内奥を見詰める人だろう。辛さに辟易している自分をもう一つの自分が周到に観察する。どこまで自分が耐えられるか。ぎりぎりまできて自分がどのように応ずるか。それを具に観察するのが芸術家というものだろう。考えてみれば菹ほど自己観照を誘う食べ物はないんだ。それを君は辛いから食えないという。恥ずかしいとは思わないのかね。食えないなら、どうしたらそれが味わえるようになるかと自問自答してみる。これが自己批判になる自己改造に繋がるんじゃないか。菹が食えないと云った瞬間、君は芸術語る権利を自ら放棄してしまったんだ。馬鹿だよ君は」

     自分のような日頃健康なものにとって風邪のひき初めというものはなにがなし物珍しく甘美なものである。思いっきり世の中に甘えてみたいような、また、それがいかにも当然であるかのような、甘酸っぱい心持ちがする。

  • 伊丹十三は映画監督だと思っていたから、もともとはエッセイが有名だったと聞いて少し驚いた。
    嘘かほんとかわからない、蘊蓄の世界。
    様々な表現を経験している人だけあって、文字の世界でも独特な世界。
    面白いです。

  • 伊丹十三記念館で購入。
    やっと買った4冊を読み終えました。
    この本が、一番読みやすかったかも。
    今に通じることが多いように思います。

  • 良質で濃ゆい世間噺。エッセイやショートショートも。肩の力を抜いて読めるが、なかなか皮肉も効いていて、スーパー民主主義や整体師の話などはちょっと考えさせられた。お気に入りはミュンヘン・ドイツの博物館。本物に触れて遊びから学ぶの大事。魅力的すぎて、ちゃんと現存しているか、思わず検索してしまったよ。とにかく昭和の空気感が好きな人間にはたまらない一冊で、お腹いっぱいになった。

  • 面白い。本を読んで笑ってしまうのって久しぶりだった。

  • 「ヨーロッパ退屈日記」や「女たちよ」と傑作エッセイを読んだが、これは一味違う。半分はエッセイだか、後半はルポまで固くはないが、農家、タクシーの運転手、整骨師、皇族関係者、ずさんな工事による水質汚染被害者などなど、様々な人の談話が「世間話」として書かれてる。この辺から伊丹氏の世の中の裏を暴く記者的な魂が表れたのか、とても読み応えがある。

  •  奇才、伊丹監督のエッセイ。話題は時代的には古く、今とはかなり異なる世界にも思えるが、当事者感覚で読めるのが面白い。

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著者プロフィール

1933年生まれ。映画監督、俳優、エッセイスト、テレビマン、CM作家、商業デザイナーなど、興味のおもむくままに様々な分野の職業に分け入り、多彩な才能を発揮。翻訳も多数手がけた。1997年没。

「2020年 『ちょこっと、つまみ おいしい文藝』 で使われていた紹介文から引用しています。」

伊丹十三の作品

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