完本 日本語のために (新潮文庫)

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  • 新潮社
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  • Amazon.co.jp ・本 (352ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101169118

作品紹介・あらすじ

子どもに詩を作らせるな、文学づくのはよそう、分かち書きはやめよう、完全な五十音図を教えよう、正しい語感を育てよう…など、国語教科書をめぐる考察。愚問、珍問、怪問続出、ちんぷんかんぷんの国語入試問題批判。すでに歴史的名著といっていい日本語論のさきがけ『日本語のために』に『桜もさよならも日本語』を加えて新編集。いまこそ読みたい決定版「丸谷才一国語読本」。「日本人はなぜ日本語論が好きなのか」を新たに収録。

感想・レビュー・書評

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  • 丸谷才一氏の個人的見解に過ぎないのだとしても、
    高評価な小林秀雄の文章が一向に理解できない自分に向けられた残念感が緩和された一冊。
    なんであんな解りづらい文章を評価するのだろう?評価出来る自分は素晴らしい、みたいな話なのかもしれないが、
    茂木先生が大好きらしいから、きっとやっぱり私の頭の理解力が不足しているのだろう。

    この本と併せて、
    鹿島茂氏のドーダシリーズの小林秀雄も、
    私の小林秀雄コンプレックスの溜飲を下げてくれた。

    しかし、小林秀雄は吉満義彦に何であんな難解な文章を書くのだ?と批判をぶつけたららしいから、小林秀雄は鹿島茂書くところのドーダに関しては無意識だったのか?
    そもそも脳内理論の構造が違うのやもしれぬ。

    難しくても理解は出来て面白い、という文章もありますし。
    日々、多少は脳みそが汗かくような難しい文章も読んでいかないと、読解力が落ちますな。

  • 日本語といへば丸谷才一。丸谷才一といへば日本語。そんなイメエヂを強烈に植ゑ付けた一冊であります。「硬い評論と軟い随筆が同居してゐる風変りな本」(「あとがき」より)は、この後も『遊び時間』シリーズなどで継続されていきます。
    国語教科書に関しては、本書が書かれてゐた時期、まさしく私は小学生だつたので、取上げられてゐる教科書には一部覚えがあります。ありましたねえ、子供に書かせた詩(のやうなもの)。理由ははつきり分からなかつたものの、読んでゐてとても恥づかしくなつた記憶があるのです。
    教科書に載つた詩で、私が一番印象に残つてゐるものは、三好達治「土」であります。かういふのはやはり解釈よりもまづ感じることが先なのでせうね。

    私が本書で最も衝撃を受けたのは、引用されてゐる志賀直哉の文章です。何と、日本の国語をフランス語にしやうといふ提案をしてゐるではありませんか。日本の文化の進展が阻害されてゐるのは、日本語のせいだと。それも自分の確固たる信念があるわけでもなく、「フランス語が一番よささうな気がするのである」...丸谷氏は「まつたく無茶苦茶な議論で、馬鹿につける薬はない」と断罪してゐます。そして更に不幸なことに、この意見はその辺のおやぢが酔つ払つて与太を飛ばしてゐるのではない、といふことですね。小説の神様といはれた、日本を代表する作家の発言であるといふことであります。まつたく暗夜行路ですなあ。
    日本語ブウムといふのが断続的に起りますが、その都度本書に立ち戻り、大勢にミスリードされることなく一人ひとりが考へる責任があると申せませう。

    http://genjigawakusin.blog10.fc2.com/blog-entry-29.html

  • 言葉は時間を経過する事により変化する。これは当然だし否定すべき事では無い。しかし、国語を教える側がミスリードすることは許されることではない。

  • 【本の内容】
    子どもに詩を作らせるな、文学づくのはよそう、分かち書きはやめよう、完全な五十音図を教えよう、正しい語感を育てよう…など、国語教科書をめぐる考察。

    愚問、珍問、怪問続出、ちんぷんかんぷんの国語入試問題批判。

    すでに歴史的名著といっていい日本語論のさきがけ『日本語のために』に『桜もさよならも日本語』を加えて新編集。

    いまこそ読みたい決定版「丸谷才一国語読本」。

    「日本人はなぜ日本語論が好きなのか」を新たに収録。

    [ 目次 ]
    1 国語教科書批判(子供に詩を作らせるな;よい詩を読ませよう ほか)
    2 日本語のために(未来の日本語のために;現在の日本語のために ほか)
    3 国語教科書を読む(分ち書きはやめよう;漢字配当表は廃止しよう ほか)
    4 言葉と文字と精神と
    5 大学入試問題を批判する(慶応大学法学部は試験をやり直せ;小林秀雄の文章は出題するな)
    附録(歴史的仮名づかひの手引き;和語と字音語の見分け方 ほか)

    [ POP ]
    日本の識字率は高く、街には活字が溢れているが、伝統に則った日本語が継承されているだろうか。

    国語改革により、文明全体が大きく損傷されたと著者は憂える。

    子供に詩を作らせるな、小学生にも文語文を……と、国語教科書を考察する。

    1974年刊行の『日本語のために』と、86年刊の『桜もさよならも日本語』を合本。

    新編集による決定版「国語読本」。

    [ おすすめ度 ]

    ☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
    ☆☆☆☆☆☆☆ 文章
    ☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
    ☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
    ☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
    ☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
    共感度(空振り三振・一部・参った!)
    読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)

    [ 関連図書 ]


    [ 参考となる書評 ]

  •  賛否はともあれ、矢張り学校の先生にならうといふ人には、数章だけでも、斜め読みでも、読んで置いて貰ひたい本だと思ふ。

     其の上で、安易な賛否、感情ではなくて。反論するなら例証を考へて考へねばならぬ。
     賛成するにせよ鵜呑みにするのではなく。議論の何が2014年段階では有用では無いのか。また議論の何は昨今でも不変に有意なのか。矢張り考へて考へて議論せねばならぬ。
     畢竟、人は考へる葦であるさうだから。

     旧仮名遣ひ、といふのか、歴史的仮名使ひ、といふのか。兎に角それが昔から、僕は好きなんです。
     どうしてだか、子供の頃に外国で暮らした反動で日本の古典モノを一杯読んだからなのか。岩波書店刊の漱石全集をよく読んだからか。
     と思つて居ると、丸谷才一さんの本は、頑として旧仮名使ひ、歴史的仮名遣ひの儘である。子供心に嬉しかつたのを覚えて居る。

     此の本は、其の丸谷才一さんが書いた、国語教育批判、文部省批判の意見提言。そして大学入試問題批判である。

     一体に、 僕自身の経験でも確信に満ちて、現代文の学校教育というのは断然不毛であつた。何より、教師の人々が本当に書物を読んでいるのかしらん、文章を愛しているのかしらん、という疑惑が拭えなかった。

     なんだか全体に、見えない誰かに抑圧されて解釈を押し付けられて。がちがちになり。

    「このやうに思え」「このやうに味わへ」

     感想解釈を、こころの中まで強制されて居ては、そもそも本を読むことが嫌になつてしまふ。
     だう読んでも良いのである。読むことだけに正義があつて、読んだものはいつか思わぬところで活かされるのだから。

     などと、もやもや思つて居たことを、丸谷才一さんが例証豊かに説いてくれて居る。
     以下、黒丸●が丸谷さんの言つて居ること。(だと僕が思ふこと)

    ●国語教育で、子供に良い詩を読ませるのは良い。が、詩を作らせるのはナンセンス。
     ぢゃあ、教師が詩が作れるのか?解るのか?笑止千万である。

    ●なぜ、自由詩ばかり読ませるのか。音韻溢れる言葉の方が子供には楽しい。
     自由詩が先進で音韻詩が古いという、或る時代の流行に流されて居るに過ぎない。

    ●兎に角、読書感想文を辞めよう。
     百害あつて一利無し。書評といふのは、大人にも、プロの文筆家にも難しいのだ。
     文部省役人が型に嵌めて採点する感想文なぞ、子供を読書から逃走させるだけだ。

    ※僕は、感想文を書かせるよりは、要約文を書かせるほうが良いと思ふ。
     何を読んだのか、という写生といふか。

    ●戦後の国語教育改革は、総論としては評価しない。
     日本語を簡単便利にすることは、それが正しい美しい日本語であることと相反する部分も多いので慎重にせねばならぬ。
     具体的には、多くの漢字を簡単に表記するようにしたことと、新仮名遣ひである。
    (漢字と旧仮名、歴史的仮名遣ひの問題については非常に豊富に例が語られて居て、解り易い。
     詰まりは、歴史的仮名遣ひは、表記がさうであることに文法的に表意的に理由が或る。正当性があつて、合理性がある。
     ただ単に「さう口で発音しているぢゃないか」といふだけの理由で新仮名にしたが故、「なぜ?」「どうして?」と考へたときに理由がなくなつてしまふ。
     また、漢字を簡単にしたのも、評価すべき点もあるが、ソレによつてどうしてそういう文字なのか、意味が曖昧になる文字が多い。また「母」は、中が点々に簡単にされたが、「海」「毎」は儘である。など。
     このあたりに就いては詳細に書いて居る)

    ●そもそも、戦後の国語改革は、呆れるほどに日本語の包括的知識のないGHQ主導で始まれられ、それに同調する一部知識人や殆どの新聞によって拙速に作られたものなのだ。
    ※これに就いては勉強になつた。殆ど知らなかつた。

    ●GHQの人たちは、こんな無茶な自殺的戦争を政府に国家に許して無批判な国民といふからには、識字率が恐ろしく低いに違いあるまいと考へたさうです。
     そこで、それは、漢字といふ難しいものが宜しくない、と考へたりした。ローマ字化しやうとしたり。志賀直哉さんは日本はフランス語にしやう、と血迷つたことを言つた。
     フィリピンなどは英語の国になつている。日本もある意味、危なかつた。
     ぢゃあ、日本語を仰せの通りに簡単にします、と役人が国語改革を行つた。慌ててばたばた適当にやつた。矛盾が一杯あつた。
     ちなみにGHQは、調査したら日本の識字率が欧州の先進国並であることを知つて驚愕した。
     (まあそれはそれで、じゃあなんでみんなこんな戦争を権力に許したのかと言ふ興味深い問題が残るわけだけど)。
     以降、GHQは国語改革についてはあまりとやかく言ふのを止したさうです。
     今の文部省のお役人たちは、そのときにばたばた決まつたコトを、「決まりですから」と盲目墨守している部分が多い。

    ●口語文について。これは維新後に非常に苦心して血まみれになつて作られて居る。独創的なものである。
    ※そうなんですね。だから、丸谷さんにせよ漱石にせよ、自分で言葉と文法をある種、創つて居るのですね。そこにルールやマニュアルはありません。

    ●更に口語文でいへば、戦後のものは1950年代後半以降の週刊誌文化、まぁ結句は高度成長による生活改革が読み言葉の発展を促して居る。

    ●ちなみにいへば、戦前、日本人は今と比較すれば飛躍的に「モノを言わない、喋らなかつた」。それは色々な記録を見れば推察が着く。
     だから、言葉とは上意下達の目的が主だつた。だから、装飾的で偉そうで華美であることが大事だつた。
     教育勅語も軍人勅語も大日本帝国憲法も終戦の勅も、全て率直に言えば、意味不明で曖昧でよく分からない部が多いのである。(聞き取りにくいといふ事も含めて)
     戦後の最大の変革は、とにかく友人と夫婦と誰とでも、横の関係で意見交換することが物凄く増えて居る。そのための言葉が作り出されていることである。

    ●だが、このまま文部省手動の意味不明な国語教育をほおつて置くと、何が起こるかといふと、
     日本語が「古典」と切り離されていく、ということが起こる。
     それでケッコウぢゃないか、と言ふ人もあらうが、さうではならぬ。
     意識していようと居まいと、言葉は全て歴史的に作られてきたものであるから。
     元のルーツからのつながりをあまりに踏みにじっては、音と意味が乖離して、意味が乏しくなり、言葉が貧しくなる。
     そして僕たちは結句、言葉で考えられることしか考えられないのだから、自分たちの頭の中の可能性をどんどん低くしていく。




     と、言ふやうなことだつたと。

     へええ、其れは知らなかつた、と言ふことも多かつた。また、成程それぁ、そうだ、と同意することも多々。
    ただ、惜しむらくはどうしても全編此れ、丸谷さんが誰かを批判して居る。どうしても、やや上からの見下しになる瞬間が或る。それいつた短文を集めて、一冊にして居る。集まると一寸、其れが鼻に就く。其処はやや難点ではあつた。

    だが、全般に良く良く勉強されて居ると思ふ。日本語と日本語の本が大好きで、でも同時に英文と英語の本も愛している丸谷さんならでは、洋の東西の公平感、理性的な、フェアな後味が有ります。そういつた好感香る一冊。

     コトバについての文法的例証部等は若干斜め読みでは有りましたが、こういつた読書の素になる文章そのものにつひての本を読む、という怪奇な構造ではありますが。其れも又、読書の愉しみですね。


    ※韓国はどこかで非常に人工的に国語をハングルにしたさうで。其れはあく迄、表音文字であるさうだ。いつたいそこのところはどういふ問題なり課題なり喪失があるんだらうか。無論、利点もあるのであらうが。不勉強故、詳細を知らない。気になつた。

  • 面倒くさい記述も多いが、戦後の国語改革批判は重要。

  • 「日本語のために」と「桜もさよならも日本語」の合本でした。
    僅かな増減あり。

  • 日本語の表記に関してこれまで抱いていた疑問の多くに対し、大きな示唆を得た。

    その多くが国語改革による混乱から派生するものであることが確認できただけでも有意義だった。

    ただし、新仮名使いが完全に定着した現在、どのように考えるべきか、もう一度論じて欲しい。

  • 書かれてから時間が経っているからだろうか、「おじいちゃん無理しないで」感がひどい。少なくとも私には旧仮名遣いの文章は徒に読みにくいだけだった。書くのも易しいというけれどあれだけ例外があるものは易しくはないし、自身も分からなくなると人に聞くという。
    国語教育は文学者を育てるためのものでもなければ、読書に親しむ人間を増やすための物でもない。
    そもそも仮名遣いを旧仮名に戻すのなれば、数学の先生も理科の先生も英語の先生も旧仮名を使用しなければならない。しかし、学校教育の場で新仮名が使われ始めてから少なくとも3世代にはなっているだろう。いったい誰が自由に旧仮名を使えるというのか。ただのマニアだけだろう。

    実情に全く添わなくなってしまっていて、おじいちゃんの回顧録(昔はよかった、俺の時代は)のようになってしまっている。

  • 『日本語のために』+『桜もさよならも日本語』の
    いいとこどり合本。

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著者プロフィール

大正14年8月27日、山形県生まれ。昭和25年東京大学文学部英文学科卒。作家。日本芸術院会員。大学卒業後、昭和40年まで國學院大學に勤務。小説・評論・随筆・翻訳・対談と幅広く活躍。43年芥川賞を、47年谷崎賞を、49年谷崎賞・読売文学賞を、60年野間文芸賞を、63年川端賞を、平成3年インデペンデント外国文学賞を受賞するなど受賞多数。平成23年、文化勲章受章。著書に『笹まくら』(昭41 河出書房)『丸谷才一批評集』全6巻(平7〜8 文藝春秋)『耀く日の宮』(平15 講談社)『持ち重りする薔薇の花』(平24 新潮社)など。

「2012年 『久保田淳座談集 暁の明星 歌の流れ、歌のひろがり』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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