ダンシング・ヴァニティ (新潮文庫)

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著者 : 筒井康隆
  • 新潮社 (2010年12月24日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (348ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101171524

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ダンシング・ヴァニティ (新潮文庫)の感想・レビュー・書評

  • 誰かが家の前で喧嘩をしている。
    場面が繰り返し繰り返し繰り返されると思いきや全然知らない場所にやってきていて
    そしてまた繰り返す。
    目まぐるしく変わらない状況と台詞回しで
    誰かが家の前で喧嘩をしている。
    ノンストップな幻想、妄想、虚構的シュール。
    そして喪失。
    踊り続ける虚栄。
    喪うことが人生だ。
    そのことを噛み締めながら。
    思い出を反復しながら。

  • 楽しみ方がいまいちわからなかった…。少し異なる同じシーンを繰り返しながら、少しずつストーリーが進行していく。解説に「音楽と同じようなメロディーの繰り返し」とあって、なるほどなぁ、と思ったけど、うーん、難しい。

  •  本作は文学的実験である。しかし同時に娯楽小説でもある。実験の主たる手法は反復。
     「おれ」は美術評論家で、母親と妻、幼い娘、出戻りの妹とその娘と先祖代々の家に住んでいる。ストーリーは「おれ」の本が売れたり家を建てたり画家と付き合ったりという美術評論家の日常であるが……
     「ねえ。誰かが家の前で喧嘩してるよ」と妹が言いにくる。とばっちりを受けたら大変と家族を奥の部屋に避難させ、「おれ」は二階の窓から様子をうかがう。すると家の前ではやくざと大学生が喧嘩している。喧嘩がエスカレートして死人が出たところで、再び「ねえ。誰かが家の前で喧嘩してるよ」。とばっちりを受けたら大変と家族を奥の部屋に避難させ、「おれ」は二階の窓から様子をうかがう。すると家の前ではやくざの抗争だ。ついにパトカーが来ると、再び「ねえ。誰かが家の前で喧嘩してるよ」。とばっちりを受けたら大変と家族を奥の部屋に避難させ、「おれ」は二階の窓から様子をうかがう。すると家の前では下っ端相撲取りが喧嘩している。喧嘩がエスカレートして死人が出たところで、ようやくループから抜け出して次の展開に進む。
     といった具合。反復というのは音楽では古来当たり前の技法だった。ソナタ形式では提示部を反復する。というのは主題をすぐには覚えられないからである。展開部で主題は様々に変化を施され再現部で再びもとの主題がもとの形で戻ってくる。現代の芸術でも美術ではミニマル・アートがあるし音楽でもミニマル・ミュージックがある。ただ、本書でなされている反復はクラシック音楽的なものではなく、ジャズのアドリヴの意匠のようにも思える。演劇でも反復の技法があるし、反復のないダンスなんてあり得ない。ところが文学では反復というのは忌避されるだけだった。この「反復」については『創作の極意と掟』のなかで入念に解説されていて、先頃映画化された『All You Need Is Kill』などゲーム小説への言及もある。
     作品ではこの反復自体が魔術的リアリズムとして機能する。さらに死んだ父は思い出の父として平気で作中に登場するし、幼くして交通事故で亡くなった長男も思い出の中で成長して成人となって登場する。これも繰り返し登場するという「反復」でもある。浮世絵の始祖といわれる岩佐又兵衛のことを調べるために彼の住んでいたあたりに直接行ってみようと思い立てばそのまま万治三年の江戸に行ってしまう。
     表紙のフクロウは要所要所で顔を出す、これも反復のひとつの形態である。バーニーガールは表紙には2人しか書いてないが10人ほどいるコロスで途中で出てくる(あるいはこの2人は歌手になった「おれ」の姪と娘かも知れないが)。古代ギリシャ劇のコロスつまりコーラスの語源となったものである。舞台に上がって状況を説明をしたり注釈したり観客に語りかける。これを普通の小説的の記述の中でやってしまうのだ。コロスもまた反復のひとつの技法である。
     反復のリズムがギャグを生むこともあるし夢と現実の混淆を生み出しもする。しかしこの反復の律動に身を委ねていると、ああ人生ってつまらない繰り返しだなあなどといった想念も頭に浮かんでくる。ヴァニティとは、空虚、むなしさ、無意味といった意味で、転じて虚栄心の意味もある。踊る空虚。

  • 明晰夢をひたすら言語化するスキルとバイタリティ。伊集院光が言うところの「脳汁を垂れ流す」状態か。「音楽」「フクロウ」とくれば、ツイン・ピークスも思い出す。

  • こ……これは。
    『夢の木坂分岐点』のあとにピッタリのチョイス。
    自分の読書力が高いとかではなく、これは読者を選ぶ小説だなぁ。ツツイファンでもしんどいと思う人がいるかもしらんが、反復によって光るギャクもあり、非常に面白く読めた。
    さっそく友人にすすめたが、「分裂症を誘発するやばい文章」とうまいことを言っていた。

  • 冒頭から初期の短篇 「しゃっくり」 を思わせる時間の反復で始まり、 おい、 これいつまで続くんだよと、 半ば呆れながら読み進めていくと、 いきなりの鮮やかな場面転換が。時間と空間、 過去と現在を自在に行き来し、まるで夢を見ているときのような、 あの脈絡は無いのに妙に生々しい感覚を味わわせてくれる作品。筒井ヴァージンは手を出さないほうが良いかもしれぬ。

  • 好き嫌いが分かれる本とは思いました。私は大好きです。言葉を弄んでいるようにも見える文章をこつこつこつこつ読み進めていくと、じわじわと物語が広がっていきます。最後の辺りは物語に浸り切って涙ぐむほどです。何度も読み返してしまう本です。

  • 反復する手法が実験的に面白い。
    話として面白いかというとまたそれは別です。
    反復する方向性は決まっていて、繰り返されると必ず筒井氏らしいナンセンス世界になっていく。その逆はない。コピペを繰り返されるとだんだんオリジナルの精密さが無くなるという表現なのかもしれない。
    ネット世界のコピペはそのままの同一性を保つので、この場合のコピーは複写機的な感じ。そこにちょっと人間味を感じます。

  • まさに吃りの小説。何度も何度も同じ文章が繰り返されるが、繰り返される度に少しずつ主人公の心情やら他人に対する印象やらで新しい情報が盛り込まれ、徐々に描かれている状況が理解できるようになるような気がする。

    繰り返されて来たエピソードたちが一堂に会す瞬間は、不思議なカタルシスがある。

    白いフクロウや兵隊、匍匐前進や鳥の羽ばたく姿など、多分に示唆的なキーワードが多く出てくる。「夢」というキーワードも重要。それらを丁寧に紐解くことはとても興味深いのだと思う。読み進めながらだと、同じ言葉の繰り返しでだんだん頭がボーッとしてくるので、あまり考えられなかった。

    同じ文章をひたすら読むという行為に途中かなり辟易したが、それでも最後には「この小説は人生そのものを描いているのだ」と思わせるのは(解説込みで)さすが筒井康隆と言ったところ。物語として面白いかと聞かれると、返答に困る作品。

  • 踊る空虚。ただのおふざけ作品かと、読んでいたらラストで不意をつかれた。

  • 先の読めない「コピー&ペースト」手法が面白い。
    ドタバタ感が筒井作品らしくて好み。繰り返される文章がくせになる。

  • 2012.2.26(日)¥250。
    2012.5.4(金)。

  • ジャズ小説×文学部唯野教授×夢の木坂分岐点×その他モロモロの筒井作品(○ ○! 混乱しそうだけど、文章のリズムがいいから、それにうまく乗っかるとスラスラ読める。

  • こうまで続くと食傷気味だが、さすがとも思う。

  • なかなか難しかった。
    何度と無く繰り返される同じような場面に目がくらむ。
    夢の中なのか現実か、はたまた精神を病んだ人の心の中なのか。

  • ある男の半生。
    どこまでが夢でどこからが現実なのか。
    将又最初から全部夢なのか。夢など見ていないのか。

    怒濤のコピー&ペーストは、日常生活そのものの比喩なのかと思ったり。
    転がり続ける人生は、一体どこへ向かうのか。

  • 久々の筒井長編。やっつけるのにかなり手間取った。似たような夢を見るが細部が違っているような感じ。それが現実と混ざり混沌を織りなす。

  • 「残像に口紅を」が、文字をひとつずつ消してゆくことで以前と同じ表現を使うことができなくなる、いわば「反復の忌避」が主題であったのに対し、「ダンシング・ヴァニティ」は作者が執筆中に突然思い出したかのように以前と全く同じ文体が繰り返される。穿った見方をすれば、ただの原稿料の水増しなのかもしれないが、同じ事件であったり、行為であったり、従来小説の筋道を作ってきた「場所」や「時間」を突き破って進む本作は、そこに感じられる「物語性」というか、コンセプトありきでストーリーのない「非物語性」に与えられた物語的な説得力が、「残像を〜」と比べても圧倒的に充実している。奇しくも、どちらも筒井本人を投影したかのような「職業作家」が主人公の日常を描くもの。はっきり言ってどちらもコンセプトが実行される世界を「ただ生活しただけ」の話なのだが、同じ文体・同じ行為・同じ展開は次第に記憶に蓄積されていき、「そらきた」「そこでまたか」と、それぞれの「ネタ」を「待ってました!」とでも言うように楽しめるのが痛快。

  • 実は、筒井康隆さんの本はこれまで読んだことがなくて、これが初めてだった。

    はじめ読み始めて、
    なんだこれは?
    って?マークばっかり浮かんでたけど、
    特に素晴らしい物語があるわけでもないのに、
    繰り返しのリズムの中で少しずつ変化していく話がその先どんな風に進むのかが気になってしまって、夢中で読んだ。

    突き刺さるような言葉とか、いろいろな人間模様とか、深い感情の洞察とか、
    そういうのがあるわけでもないのに、リズム感が楽しい。
    こんな小説もあるんだなと感心する。

    ただ、同じような作品は二番煎じ的な感じになってしまって、書けないのかなとも思う。

    解説に、同じような繰り返しに見えて、少しずつ変化していくのは、
    音楽ではよくある手法と書いてあったけど、
    なるほどだから楽しいのかと妙に納得させられた。

  • 夢から覚める直前のような、上に行くのか下に落ちて行くのか解らないコピー&ペースト、コピー&ペースト。もしかしたら自分の夢に、コロスやらソフトブリーズやらピンク・アウルやらが出てきそうです。何方か書いていましたが、これは筒井でなければ、出なかった本でしょう。当分キトクロ、キトクロです。恐るべし筒井康隆。

  • 「夢の木坂分岐点」を思いだした。
    でも、あの作品は変奏を重ねながら、延々とループが続いていくよう。この作品は反復を重ねながら捻れていくが、話は前に進んでいく。
    小説中でも夢についての言及があったが、むしろ死ぬまで終わらない妄想というべきもの。
    日本文学に筒井康隆というジャンルがあると云うぐらいに、あまりに独特。唯一無比。

  • 小説の表現方法はまだ出尽くしたわけではないことを思い知らされる。

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ダンシング・ヴァニティ (新潮文庫)の作品紹介

美術評論家のおれが住む家のまわりでは喧嘩がたえまなく繰り返され、老いた母と妻、娘たちを騒ぎから守ろうとおれは繰り返し対応に四苦八苦。そこに死んだはずの父親や息子が繰り返し訪ねてきて…。コピー&ペーストによって執拗に反復され、奇妙に捩れていく記述が奏でるのは錯乱の世界か、文学のダンスか?巨匠が切り開いた恐るべき技法の頂点にして、前人未到の文学世界。

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