ローマ人の物語 (2) ― ローマは一日にして成らず(下) (新潮文庫)

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  • / ISBN・EAN: 9784101181523

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  • 偉大なローマ帝国はあれほどの大をなぜ成すことができたのか?ーー
    「ローマは一日にして成らず」下巻では、前309年ケルト人襲来というローマ最大の敗北から、いかにローマが立ち上がったかを記している。

    「ローマ人には、敗北から必ず何かを学び、それをもとに既成概念に捕われないやり方によって自分自身を改良し、そのことによだて再び立ち上がる性向があった。
    敗けっぷりが、良かったからではない。敗けっぷりに、良いも悪いもない。敗北は、敗北であるだけだ。重要なのは、その敗北からどのようにして立ち上がったか、である。」

    ローマの遺した歴史的価値を、ぜひ本書で。

  • 読書録「ローマ人の物語2(文庫版)」4

    著者 塩野七生
    出版 新潮社

    p90より引用
    “いや、歴史というもの自体が、目標とする
    ところは同じなのにそれを実現する手段とな
    ると一致できなかった、人類の種々相である
    といえるかもしれない。”

    目次から抜粋引用
    “ペリクレス時代
     ケルト族来襲
     ローマの政体
     市民権
     戦術の天才ピュロス”

     歴史作家である著者による、歴史に大きな
    足跡を残した古代ローマについて記した一冊。
     アテネでの民主政の成立からローマの東地
    中海世界での国際社会デビューまで、史実と
    著者の主観を上手く交えて書かれています。

     上記の引用は、公共の利益の重要性とそれ
    を実現するための手段について書かれた部分。
    同じ目標であったとしても、そこに至る手段
    の違いで争い合わなければならないというの
    は、何とも複雑な気持ちです。
    しかし、今の世界情勢を見ていると、とても
    ではないけれど、同じ目標を見ていると決し
    て思うことの出来ない人達もいますが。
     巻末にローマとその他の世界地域を、同時
    代の時系列で並べた年表がついています。
    ローマがイタリア半島を統一する頃、日本は
    弥生時代に入ったばかりとなっています。
    エジプトやギリシアなどでは、科学が発展し
    始めているなど、いかにその周辺の地域が先
    進的であったかよくわかる年表です。

    ーーーーー

  • 「敵は凶暴なケダモノだ。殺さなければ、こちらが殺される!」
     周辺国を武力で呑み込むローマの支配欲は止まるところを知らなかった。ラテン同盟などという小賢しい同化政策を用いて自らの勢力範囲を拡大しつづけるローマ。男女平等の考えを持った高潔な民族であるエルトリア人もローマの暴力には逆らえず次々と都市が陥落していく。イタリア半島はこのままローマに蹂躙されてしまうのか? だがローマの神々は自らが庇護するこの民の暴走を許しはしなかった。神々はケルト人を神の代理人としてローマに送り込んだのだ。だが自らの力を過信し増徴しきったローマ人に神の声は届かない。
    「敵は凶暴なケダモノだ。殺さなければ、こちらが殺される!」
     傲慢なローマ人はケルト人を蛮族扱いし、そう言い放った。愚かにも天に唾を吐いたローマ人は神々から授けられた神通力を失い都市を占拠された。ざまあみろ!
     都市を失ったローマ人たちは7つの丘の上に建つ神殿へと向かい神々に許しを乞うた。神の使いであるケルト人はこの講和に快く応じ捕虜の身代金とわずか300kgの金塊で都市を解放した。しかしそれは大きな誤りであった。
     ケルト人が遠くに去ったのを見るや否や都市を再建し、ラテン同盟復活という一方的な大義を掲げ挙兵したローマ。武力による侵略に一度は解放された周辺民族が呑み込まれていく。くそっ、俺たちは100年かけてローマ化されてしまうのか!
     イタリア半島最後の希望は南部の雄タラント。ローマ人は彼らに幼稚な言いがかりをつけ厚顔無恥にも謝罪と賠償を要求したが、ギリシア文明を色濃く受け継ぐ文明人たちはこれを拒否! 圧巻の拒否! 自らの自由と正義を守るため、エピロス王ピュロスを雇い入れローマとの決戦を開始した。
     行け、ピュロス! マケドニア式の戦術で弱小ローマ軍団を滅ぼしてやるのだ!
     次回『ピュロスの勝利』――誇り高きタラントに勝利を

  • 下記のペリクレス(Περικλῆς)の演説。
    格調高く、現在でもそのまま使うこともできる誠に正論である。
    紀元前500年の成熟した政治体制・政治哲学に感動すら覚える。


    われらがいかなる理想を追求して今日への道を歩んできたのか、いかなる政治を理想とし、いかなる人間を理想とすることによって今日のアテーナイ(アテネ)の大をなすこととなったのか、これを先ず私は明らかにして戦没将士にささげる讃辞の前置きとしたい。この理念を語ることは今この場にまことにふさわしく、また市民も他国の人々もこの場に集う者すべて、これに耳を傾けるものには益する所があると信ずる。
     われらの政体は他国の制度を追従するものではない。ひとの理想を追うのではなく、ひとをしてわが範を習わしめるものである。その名は、少数者の独占を排し多数者の公平を守ることを旨として、民主政治と呼ばれる。わが国においては、個人間に紛争が生ずれば、法律の定めによってすべての人に平等な発言が認められる。だが一個人が才能の秀でていることが世にわかれば、無差別なる平等の理を排し世人の認めるその人の能力に応じて、公けの高い地位を授けられる。またたとえ貧窮に身を起そうとも、ポリスに益をなす力をもつ人ならば、貧しさゆえに道をとざされることはない。われらはあくまでも自由に公けにつくす道をもち、また日々互いに猜疑の眼を恐れることなく自由な生活を享受している。
     よし隣人が己れの楽しみを求めても、これを怒ったり、あるいは実害なしとはいえ不快を催すような冷視を浴せることはない。私の生活においてわれらは互いに制肘を加えることはしない、だが事公けに関するときは、法を犯す振舞いを深く恥じおそれる。時の政治をあずかる者に従い、法を敬い、とくに、侵された者を救う掟と、万人に廉恥の心を呼びさます不文の掟とを、厚く尊ぶことを忘れない。
     また、戦の訓練に眼をうつせば、われらは次の点において敵側よりもすぐれている。先ず、われらは何人にたいしてもポリスを開放し、決して遠つ国の人々を追うたことはなく、学問であれ見物であれ、知識を人に拒んだためしはない。敵に見られては損をする、という考えをわれらは持っていないのだ。なぜかと言えば、われらが力と頼むのは、戦の仕掛や虚構ではなく、事を成さんとするわれら自身の敢然たる意欲をおいてほかにないからである。子弟の教育においても、彼我の距りは大きい。かれらは幼くして厳格な訓練をはじめて、勇気の涵養につとめるが、われらは自由の気風に育ちながら、彼我対等の陣をかまえて危険にたじろぐことはない。
     これは次の一例をもってしても明らかである。ラケダイモーン人はわが国土を攻めるとき、けっして単独ではなく、全同盟の諸兵を率いてやって来る。しかるにわれらは他国を攻めるに、アテーナイ人だけの力で難なく敵地に入り、己が家財の防禦にいとまない敵勢と戦って、立派にかれらを屈服させることができる。
     われらは質朴なる美を愛し、柔弱に堕することなき知を愛する。われらは富を行動の礎とするが、いたずらに富を誇らない。また身の貧しさを認めることを恥とはしないが、貧困を克服する努力を怠るのを深く恥じる。そして己れの家計同様に国の計にもよく心を用い、己れの生業に熟達をはげむかたわら、国政の進むべき道に充分な判断をもつように心得る。ただわれらのみは、公私両域の活動に関与せぬものを閑を楽しむ人とは言わず、ただ無益な人間と見做す。そしてわれら市民自身、決議を求められれば判断を下しうることはもちろん、提議された問題を正しく理解することができる。理をわけた議論を行動の妨げとは考えず、行動にうつる前にことをわけて理解していないときこそかえって失敗を招く、と考えているからだ。この点についてもわれらの態度は他者の慣習から隔絶している。われらは打たんとする手を理詰めに考えぬいて行動に移るとき、もっとも果敢に行動できる。
     まとめて言えば、われらのポリス全体はギリシアが追うべき理想の顕現であり、われら一人一人の市民は、人生の広い諸活動に通暁し、自由人の品位を持し、己れの知性の円熟を期することができると思う。そしてこれがたんなるこの場の高言ではなく、事実をふまえた真実である証拠は、かくの如き人間の力によってわれらが築いたポリスの力が遺憾なく示している。なぜならば、列強の中でただわれらのポリスのみが試練に直面して名声を凌ぐ成果をかちえ、ただわれらのポリスに対してのみは敗退した敵すらも畏怖をつよくして恨みをのこさず、従う属国も盟主の徳をみとめて非難をならさない。かくも偉大な証績をもってわが国力を衆目に明らかにしたわれらは、今日の世界のみならず、遠き末世にいたるまで世人の賞嘆のまととなるだろう。
     トゥーキュディデース著、久保正彰訳『戦史』(岩波文庫)より

  • ロムルスによるローマ建国から、イタリア半島統一まで。
    そしてポエニ戦争へ。

  • 2015年81冊目。

    前509年の共和政への移行から、ケルト人襲来・サムニウム族との戦い・エピロスのピュロス王との戦いと、激しい戦争をくぐり抜けて270年にイタリア半島を統一するまで。
    「結び」にある三人の歴史家の意見がローマの興隆の理由を簡潔にまとめている。
    ・ディオニッソス:異宗教への寛容により、征服民族との対立ではなく内包ができた
    ・ポリビウス:王政・貴族制・民主政それぞれの利点を混ぜ合わせた独自の政体
    ・プルタルコス:敗者を同化する開放性

    〈メモ〉
    ■ギリシャに視察団を派遣したローマは、その民主政をまねることはしなかった。実際に、民主政の黄金期と言われているペリクレス時代は、「外観だけ民主政で、内実は一人が支配する国」とも揶揄されることもあった。
    ■外敵との戦いが内紛を交互に繰り返してきたローマは、ケルト人襲来後のリキニウス法の成立により、内部の争いを収めた。
    ■アテネにおける市民の平等な国政参加は名目だけで、実際は無給という条件のせいで難しかった。ペレクレスはこれを有給にすることで解消。
    ■執政官・独裁官は任期が限られている中、共和政を維持するためには長期で戦略を立て選挙に左右されない元老院の存在は大きかった
    ■ローマの強みは、征服民族への寛容によって人財の不足が起きなかったこと。(アレクサンドロスは自身以外の指揮官を持たなかった)

  • 最高ー!淡々と書かれているが冷たい印象はないまだまだ既刊があると思うとワクワクする。

  • こちらも読了。

    はぐれものの集まりだったローマが強国の力を吸収しながら、当時としては画期的なローマ連合というスキームを用いて大きくなる様は圧巻。
    優秀な者が上に立つ仕組み、国内で争いを起こさない仕組み、敵をも内に取り込みその民衆の心をつかむ仕組み。
    勉強になる。

  • ギリシアから視察団が戻り、前449年、共和政ローマは初の成文法を発表。しかしその内容は平民の望むものとは程遠く、貴族対平民の対立の構図は解消されなかった。近隣諸族との戦闘もさらに続き、前390年夏にはケルト族が来襲、ローマで残虐のかぎりをつくす。建国以来初めての屈辱だった。ローマはいかにしてこのどん底から這い上がり、イタリア半島統一を成し遂げるのか。

  • むずかしー。
    でも頑張って読んでる。

    もっと地図や解説、資料が欲しい!

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