ローマ人の物語 (2) ― ローマは一日にして成らず(下) (新潮文庫)

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  • Amazon.co.jp ・本 (240ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101181523

感想・レビュー・書評

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  • 安定の面白さ。
    ローマが南イタリアまで統治していくお話。
    とにかく色々なリーダーが出てきていて「人材」が豊富な印象。細かには描かれていないけれどきっと誰しもが野心家であったのだろう。

    日本では人材はどんどん潰されていく。失敗が許されないからだ。ローマでは失敗したら陶片投票で追放されるけれど、元老院が優秀なことを覚えているから必要とあれば再び声がかかる。寛容。

    人材が豊かになる秘訣は血に対する考え方だとおもう。国家維持を念頭に置いて「純粋な血」ではなく「新鮮な血」が必要だという。新しい人材を外部から積極的に取り込んでいくのだ。

    保守でもなく、革新でもなく
    「発展」を目指す。そのための可変性をこしらえるべきだ。

  • ★★★2021年8月★★★


    ローマの誕生期から、成長期の歴史を描く。
    アテネの民主制の話に始まり、ローマがイタリア半島南部に勢力を拡大するところまでを記述する。

    「ローマは、アテネの模倣をしていない。
    ・・・絶頂期にある国を視察して、その国の真似をしないのは常人の技ではない」

    この時代のローマを塩野氏はこう表現する。
    アテネの模倣はせず独自路線をゆくローマ。
    十二表法、アッピア街道など、これぞローマというものを着々と整えてゆく。

    やがてギリシャは、マケドニアのアレクサンドロスに支配される。アレクサンドロスが東でなく、ローマを攻めていたら?というのは楽しい想像だ。
    このころ、ローマはイタリア半島南部に手を伸ばし、ギリシャ人と対決し、半島全体を統一することになる。
    イタリア半島南部はずっとギリシャの植民地だったのだが、ついにローマの軍門に下った。


    そして時代はカルタゴとの対立へ。
    世界史のスケールの大きさ、なんと面白いのだろう。

  • 第2巻はローマの国内の足固めの時期の話。外政としてはまだ貧弱なローマが、どのように内部体制を整えていったのかがよく分かる。

    同時代において大国だったギリシアを見習いつつ、ギリシア式をそのまま模倣するという国づくりをしなかったローマ。歴史を後から見ている自分たちは、その結果が長く続くローマ帝国の基盤を生むことになったということを知っているのだが、当事者たちが当時、超大国を真似しないという選択肢を取ったのは驚くしかない。先見の明があったというわけではなく、ローマ人の独自性や性質をきちんとふまえて最適と思われる選択肢を取ったのだろう。

    この時期、ローマは北部から来たケルト人(ガリア)に一時、ローマを占拠される。その苦い経験を基に内政、外政ともに充実させていく。この辺から出てくるローマらしさ、当時の世界では画期的な工夫が「戦争の敗者を隷属させるのではなく、共同経営者として保持した」こと。とかく敗者を完膚なきまでに叩き潰すことが至上とされがちな近世や近代の戦後処理とは全く違い、このあたりがローマの真骨頂なのだろう。

    終盤、著者はローマ人のアイデンティティを「開放性」であると喝破する。開放的であるが故、異宗教や異なる肌の色の人材をどうかし、宗教に狂信的にならず、国民全体を執政官と元老院と市民集会で包含し、他民族を吸収、同化することができたとし、それがローマの強さであり、時に脆さの原因でもあると説く。この開放性は、今後の巻でも発揮されていくのだろう。

  • 建国から約250年間続いた王政に変わり、市民集会で選ばれた二人の執政官が統治する共和政に移行したローマは、その時代、地中海の先進国だったギリシアのポリスに視察団を派遣します。当時のアテネはペリクレス時代であり繁栄と力を誇っていたのですが、この政治体制をローマは何故か模倣しませんでした。その後ローマは貴族対平民の抗争で80年間揺れ動きます。そして、紀元前390年ケルト族の来襲によって深刻な打撃を受けます。そこから、周りの民族と勢力争いを繰り返し、同盟を結んだりしながら紀元前270年前後にイタリア半島の統一を成し遂げます。ここまでがこの巻で書かれています。民主主義の創始であるアテネの政治体制、軍事国家だったスパルタのことなど、ギリシアの都市国家と比べてローマはどうだったのか。高度な文化を築いたギリシアが衰退して、ローマが興盛をつづけられたのは何故か。それはローマ人の開放性にあるのではないかと指摘しているのです。

  • ローマが共和制になってから、イタリア半島を統一するまでの物語。
    このあたりから、アレクサンダー大王のif(もしもアレクサンダー
    大王が東ではなく西に進んでローマと対決していたら)や、
    アッピア街道が検察された背景、財務官アッピウス、戦術の天才
    ピュロスなど、政治システムとそれに関わる人物がより
    描かれるようになっており、物語として読むことができた。

    イタリア半島統一までの物語を読むにつれ、
    「ひとまずの結び」で塩野七生氏が述べている、
    「古代のローマ人が後世の人々に残した真の遺産とは、
    広大な帝国でもなく、二千年経ってもまだ立っている遺跡でもなく、
    宗教が異なろうと人種や肌の色がちがおうと同化してしまった、
    彼らの開放性ではなかったか」
    というローマ評が実に的確であると言わざるを得ない。

    偏狭なナショナリズムはいずれ行き詰まりをみせる。

  • ローマ人の起源はやはりギリシヤから来ており、題名通りローマは一日では完成出来ず、紆余曲折があり、完成されていった。

  • 紀元前5世紀~前3世紀頃の古代ローマならびに周辺諸国の興亡について書かれた史伝。

    当時のローマやギリシャのポリスなどの社会構造、諸外国との戦役における駆け引きなど、いくつかの視点でローマ世界について書かれている。

    特に、私は、現在の日本と照らし合わせ、何か現状打開の知恵があるのではないかと思いをめぐらせながら、本書を読み進めた。

    例えば、ペロポネソス戦役中のアテネ。この国は、優秀な人材が多数いたにもかかわらず、滅亡の一途をたどってしまった。この理由として、自国滅亡の危機を身をもってささえようとした者はいなかったと筆者は述べる。

    また、アテネとならぶギリシャの強ポリス、スパルタ。質実剛健で戦力も高かったが、閉鎖的な民族ゆえに、結局、弱体化してしまった。

    一方、戦力・国力ともに弱小国家であったにもかかわらず、ローマは着実に力をつけ、後に大帝国へとのし上がる。大国家にならしめた所以は、高い愛国心、戦争で勝利すると敵側を国民として受け入れてしまう柔軟さ、そして、模倣の民と軽蔑されるくらいに、他民族から学ぶ国民性。戦争に負けても、必ず何かを学び、それをもとに既成の概念にとらわれないやり方で自分自身を改良し、再び起ち上がる性向にあった。

    国際競争力が低下しつつある日本。ローマもケルト人の侵略等、数々の破滅的打撃を被っている。それでも、国力をつけつづけたこの国のように日本がなれるのか?それとも、アテネのごとく人材の国外流出、または政治無関心に陥ってしまうのか?はたまた、このまま国際社会から目を背けスパルタのようになってしまうのか?

    時代も民族も異なるローマの物語を理解したところで、日本の諸問題を解決できるわけはないとは思うが、参考になる点はおおいにあると感じた。

    物語自体の愉しさゆえに、このような考え方もさせてくれた、良書。歴史とは本来愉しいものなのだと思った。次の物語を早く読みたい。

  • なんともロマンいっぱいのローマ史。
    一つ一つのエピソードが小説にでもしたいような、魅力がたっぷり。
    ローマの貴族が、なんとも格好いい。
    独裁官に任命され、15日で戦争を終わらせ、16日目には官を返上したとか、幼い後継者を残し、護国のために一族玉砕とか。
    現在の政治屋に読ませたい。

  • 外敵からの侵入に耐えるだけのローマが、徐々に国としての体をなしていく。そのプロセスにおいて、先行するギリシアの例を知るが全く意に介さない不思議。王政から、世界で初めて共和制に移行するも、貴族対平民の対立は続く。そしてケルト族の侵入により、国家僧帽の危機に立たされ、屈辱的な和平案でなんとか生き残るが、この記憶が後々の方針決定に長らく影響を及ぼす。いやあ、面白い。

  • 前巻からの続きで、ペリクレス政治下のアテネの話から始まる。当時のローマは視察団を送ったが、アテネの政治体制を自身の制度に落とし込まなかった理由に、民主政はペリクレスのような強力な政治家が要るからと説くのが面白い。ローマは執政官・元老院・市民の三極構造を採るローマ共和国独自の政治システムを作り上げる。
    その後ローマはケルト族やサムニウム族など、周辺部族との戦争がながく続く。これら部族にローマは一度やられるのだが、筆者は、ローマ人とは敗北から学び、改良し、再び立ち上がる民族なのだと説く。「敗けっぷりが、良かったからではない。敗けっぷりに、良い悪いもない。敗北は、敗北であるだけだ。重要なのは、その敗北からどのようにした起ちあがったか、である。つまり、敗戦処理をどのようなやり方でしたのか、である」(P115)。その学びを経て、ついにはギリシャ植民地・ターラントに雇われた戦術の天才・ピュロスにも勝利し、紀元前270頃にはイタリア半島を統一するに至る。
    この広大な領土をどうして治めることができたのか。本巻の最後にある「ひとまずの結び」には、その理由としてローマ人の「異例な」特徴としての「開放性」を挙げている。宗教への寛容性、先に挙げた権力の三極構造、そして他の部族にも開かれたローマ市民権。「知力ではギリシア人に劣り、体力ではケルトやゲルマン人に劣り、技術力ではエトルリア人に劣り、経済力ではカルタゴ人に劣っていたローマ人が、これらの民族に優れていた点は、何よりもまず、彼らのもっていた開放的な性向にあったのではないだろうか。ローマ人の真のアイデンティティを求めるとすれば、それはこの開放性ではなかったか」(P208)。

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