ローマ人の物語 (12) ユリウス・カエサル ルビコン以後(中) (新潮文庫)
- 新潮社 (2004年9月29日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (224ページ)
- / ISBN・EAN: 9784101181622
感想・レビュー・書評
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カエサルは、リーダー
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残党の平定から新秩序の創造。
これから先のカエサルを見てみたかった。
カエサルの最後。
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13巻に記載
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遂にカエサル暗殺される。
これだけ全てのあらゆる能力や才能を兼ね備えた人物でも、暗殺を未然に防ぐことはできなかった。
人間というのは、
どれほどの天才であっても未来を完全に見通すなどということは出来ないという格好の例である。
だが、
カエサルの行った様々な行跡は、2000年経った今も私達の生活の質に多大な影響を及ぼし続けていることは、特筆して然るべき点である。
中でも現在でも使われている太陽暦や、
また、元々巻物であった書物の形態から、現在も使われている一冊の本として作られる造本法も、カエサル考案のものであり驚きだ。
あらゆることに通ずるカエサルのこの多角的かつ先見的かつ合理的な視点や視野を生み出す素地となる教養の多くは、
ローマ随一の知識人と呼ばれるキケロをもってしても認める、カエサルの読書量に裏打ちされたものであることは、否めないだろう。
そんな知識人であるキケロでさえも見えていなかった未来の展望を、先見の明をもってして見ていたカエサルの卓越した見識眼には驚く。
その違いを生み出すものは一体何なのか?
人間とは本当に面白い。 -
先輩に薦められ手に取った作品。
教養として古代ローマ史を学びたい方の必読書です。
ハンニバルからカエサルまで一気に通読してしまったぐらい面白かったです。 -
エジプト帰りのトルコはゼラの会戦を『来た、見た、勝った』の三語にまとめられるほどあっさり勝利し、北アフリカはタプソスの会戦では寡兵なのに相手の騎兵を歩兵で抑え、相手の歩兵を騎兵で抜くというわけのわからない勝ち方をし、スペインはムンダの会戦でかつての副将ラビエヌスを倒して全てが終わった。
とうに共和国の枠を超えていた超大国の実権を一人手中に治めたカエサルは、暦、税制、交通、医療、教育と全てを変えていく。既にこの頃、共和国という名前ではあれど終身独裁官として全てを一人で決めるその体制は帝国の兆しであったわけだが、思うにカエサルが成しつつあった帝制とは、果てなき権力を求めて辿り着いた目的地ではなく、超大国となってしまったローマを即断即決で超大国に適した体制に造り替えるための手段でしかなかったように思える。対して共和制は、制度の変更にコストはかかるが、長期的に幅広い人材をプールするのに適していたわけで、もしもカエサルが生き残っていたとすれば、独裁官という急事に全てを作り変える手段を残しつつ、平時の維持運用のための共和制を基本としたのではないだろうか。
しかし、その先行きもわからぬまま、カエサルは暗殺される。
こんな何でもできる、自在に人を扱えるような傑物をも殺す弱点とは一体なんだったというのか。
戦場においてさえ、捕虜にした敵や降伏した敵は決して殺さず、反対派の粛清などもってのほかであったカエサルのそれは、人柄からくる寛容なのではなく、実利を考えての寛容ではなかったか。恐怖による社会的混乱を避け、経済の活性化を第一に考えたからこその行動であり、結果、先のスッラの時代とは違い、ローマは大いに発展することになった。だが、寛容により許された全ての人が、過去を忘れその後の人生に没頭できたわけではない。許すという行為は勝者にのみ可能な行動であり、特に生死に関わることであった場合は、文字通り生きることを"許"可されるということだ。
許されたものに"許"可される生き方とは、キケロのように一生頭を下げ続けるか、ヴァッロのように厚顔無恥に全てを忘れるか、ブルータスのように敵に回るかの選択肢しかなかった。かくして至る結末は、次巻に続く。 -
カエサルの死は早すぎるとしか言いようがない。そして歴史は繰り返す。
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読書日:2012年7月17日-20日
title in Italiana:C.IULIUS CAESAR -POST RUBICONEM-
Caesarが領土が拡大したRomaに相応しい国作りの為に
順風満帆に様々な改革を行い、これからだとワクワクしながら読んでいたのに。
最後の辺りで唖然として暫く衝撃が拭えませんでした。
Ciceroがバジルスに送った手紙の内容に納得出来ません。
そしてその後に載っていたCaesarの手紙で、
Romaに来て協力して欲しい。助言でも、忠告でも、得意分野でも良い、と、
この箇所が特に胸を打ちました。
Ciceroの行動の不可解さと、暗殺後に読むとこの手紙の内容が違った印象を受けました。