ローマ人の物語 (12) ユリウス・カエサル ルビコン以後(中) (新潮文庫)

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  • Amazon.co.jp ・本 (224ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101181622

感想・レビュー・書評

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  • ゼラの戦い。「来た、見た、勝った」。アフリカ戦役、タプソスの会戦、小カトーの自殺。ローマにもどったカエサルの凱旋式と国家改造。スペインに逃げ込んだポンペイウス派の残党との戦い。ムンダの会戦。ラビエヌスの戦死。社会改革。

  • カエサルは、リーダー

  • 残党の平定から新秩序の創造。
    これから先のカエサルを見てみたかった。
    カエサルの最後。

  • 13巻に記載

  • 遂にカエサル暗殺される。
    これだけ全てのあらゆる能力や才能を兼ね備えた人物でも、暗殺を未然に防ぐことはできなかった。

    人間というのは、
    どれほどの天才であっても未来を完全に見通すなどということは出来ないという格好の例である。

    だが、
    カエサルの行った様々な行跡は、2000年経った今も私達の生活の質に多大な影響を及ぼし続けていることは、特筆して然るべき点である。


    中でも現在でも使われている太陽暦や、
    また、元々巻物であった書物の形態から、現在も使われている一冊の本として作られる造本法も、カエサル考案のものであり驚きだ。


    あらゆることに通ずるカエサルのこの多角的かつ先見的かつ合理的な視点や視野を生み出す素地となる教養の多くは、
    ローマ随一の知識人と呼ばれるキケロをもってしても認める、カエサルの読書量に裏打ちされたものであることは、否めないだろう。


    そんな知識人であるキケロでさえも見えていなかった未来の展望を、先見の明をもってして見ていたカエサルの卓越した見識眼には驚く。

    その違いを生み出すものは一体何なのか?
    人間とは本当に面白い。

  • 先輩に薦められ手に取った作品。
    教養として古代ローマ史を学びたい方の必読書です。
    ハンニバルからカエサルまで一気に通読してしまったぐらい面白かったです。

  • エジプト帰りのトルコはゼラの会戦を『来た、見た、勝った』の三語にまとめられるほどあっさり勝利し、北アフリカはタプソスの会戦では寡兵なのに相手の騎兵を歩兵で抑え、相手の歩兵を騎兵で抜くというわけのわからない勝ち方をし、スペインはムンダの会戦でかつての副将ラビエヌスを倒して全てが終わった。

    とうに共和国の枠を超えていた超大国の実権を一人手中に治めたカエサルは、暦、税制、交通、医療、教育と全てを変えていく。既にこの頃、共和国という名前ではあれど終身独裁官として全てを一人で決めるその体制は帝国の兆しであったわけだが、思うにカエサルが成しつつあった帝制とは、果てなき権力を求めて辿り着いた目的地ではなく、超大国となってしまったローマを即断即決で超大国に適した体制に造り替えるための手段でしかなかったように思える。対して共和制は、制度の変更にコストはかかるが、長期的に幅広い人材をプールするのに適していたわけで、もしもカエサルが生き残っていたとすれば、独裁官という急事に全てを作り変える手段を残しつつ、平時の維持運用のための共和制を基本としたのではないだろうか。

    しかし、その先行きもわからぬまま、カエサルは暗殺される。

    こんな何でもできる、自在に人を扱えるような傑物をも殺す弱点とは一体なんだったというのか。
    戦場においてさえ、捕虜にした敵や降伏した敵は決して殺さず、反対派の粛清などもってのほかであったカエサルのそれは、人柄からくる寛容なのではなく、実利を考えての寛容ではなかったか。恐怖による社会的混乱を避け、経済の活性化を第一に考えたからこその行動であり、結果、先のスッラの時代とは違い、ローマは大いに発展することになった。だが、寛容により許された全ての人が、過去を忘れその後の人生に没頭できたわけではない。許すという行為は勝者にのみ可能な行動であり、特に生死に関わることであった場合は、文字通り生きることを"許"可されるということだ。

    許されたものに"許"可される生き方とは、キケロのように一生頭を下げ続けるか、ヴァッロのように厚顔無恥に全てを忘れるか、ブルータスのように敵に回るかの選択肢しかなかった。かくして至る結末は、次巻に続く。

  • カエサルの死は早すぎるとしか言いようがない。そして歴史は繰り返す。

  • 読書日:2012年7月17日-20日
    title in Italiana:C.IULIUS CAESAR -POST RUBICONEM-
    Caesarが領土が拡大したRomaに相応しい国作りの為に
    順風満帆に様々な改革を行い、これからだとワクワクしながら読んでいたのに。
    最後の辺りで唖然として暫く衝撃が拭えませんでした。
    Ciceroがバジルスに送った手紙の内容に納得出来ません。
    そしてその後に載っていたCaesarの手紙で、
    Romaに来て協力して欲しい。助言でも、忠告でも、得意分野でも良い、と、
    この箇所が特に胸を打ちました。

    Ciceroの行動の不可解さと、暗殺後に読むとこの手紙の内容が違った印象を受けました。

  •  著者が最も愛しているであろう男、カエサルである。ほとんど衆愚政治と化してしまった元老院と対立し、少しでもローマを良くしようとするカエサル。しかしその行動があの悲劇を引き起こすのである。
     民主制から専制政治への移行は、第二次大戦時の世界情勢を考えても、現代にあっても注視しなければならない事項であろう。

     天才の行動は当代の人には理解できないのが特徴である。しかし、後世の人から見れば、その行動の正しさが明白であることも特徴だ。その意味で言えば、カエサルは天才だったと言える。
     ローマ人がイタリア半島周辺に留まっていた時期には有効に機能していた共和制も、支配地域が拡大してしまうと機能不全に陥ってしまう。なぜなら、ローマで開催される市民集会に参加できない市民が増えすぎ、多数の声が反映されなくなった結果、地方に火種が燻る状態となってしまったからだ。この火種を消そうと軍を差し向けても、その指揮官以下中核は1年交代の任期制。敵地で戦争をしなければならないのに、戦争の才を持たない指揮官が任命されるかもしれないのだ。
     カエサルは、ローマ共和制の欠点を明確に認識していた。そして、どういう支配制度を敷けば、広がったローマ世界を平和のうちに治めることが出来るかを考えて行動していた。この制度が有効であることは、カエサルの後継者オクタヴィアヌスの手により生まれ変わったローマ帝国が存続した事からも明らかだろう。しかし、カエサルにとっては自明なローマの欠陥も、当時の元老院議員には理解できなかった。彼らにとって、カエサルの行動は王を目指すための利己的な行動にしか見えなかったのだ。

     現代の政治家は理想を持って政治を行っているのか。こういう話を読むと疑問を感じてしまう。確かに、自分なりの理想を持って政策を立てている人もいるかもしれない。でも、その政策とは、例えれば、いまある道を右に曲がるか左に曲がるかを決めるという程度のものではないのか。新しい道を切り開くように、滑走路を敷設して空を飛ぶというように、抜本的に何かを変えるということまで考えて政治をしている人はいないように思う。
     現代の政治制度は、ローマ共和制が抱えたような問題を孕んでいる気がする。これを劇的な変化によって乗り越えるのか、緩慢な衰退を迎えるのか、静かに選択の時は迫っている。

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