- Amazon.co.jp ・本 (208ページ)
- / ISBN・EAN: 9784101181714
感想・レビュー・書評
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暴君とされるネロの死後、再びローマに内乱が勃発。
三皇帝時代とされる、ガルバ、オトー、ヴィテリウスの時代が描かれる。
ネロの死後、皇帝に推挙されたガルバは、内政と人事の対応を誤り、殺害される。
その後、ネロの友人オトーが皇帝に名乗りをあげるが、同時にヴィテリウスも皇帝を目指す。
両者の会戦の結果、ヴィテリウスが勝利し、オトーは自死する。そのヴィテリウスも統治能力は無く、ローマ内から資質を疑われ、遂にドナウ川沿岸を守る部隊を敵に回してしまう。
一方、シリアを担当していたヴェスパシアヌスが、皇帝就任に向けて準備を始めていた。
暴走に近い状態のドナウ川方面軍が、ローマ首都になだれ込み、ヴィテリウスを擁するライン川方面軍と市街戦を行い、遂にヴィテリウスは殺害されてしまう。
たった1年程の間に3人もの皇帝が非業の最期を遂げる。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
第5代皇帝ネロの後、1年の間に皇帝が3度替わったローマ史上の危機の一年、紀元69年を描いた巻。」
アウグストゥスが構築したユリウス朝の歴史の後にこの時代を見ることで、実は帝政ローマは世襲の皇帝ではなかったのだということに改めて気づかされる。
皇帝というと中国の皇帝をイメージするが、帝政ローマのそれは、元老院や軍団兵、そしてローマ市民から第一人者として認められることが、帝位についた証となる。ある意味、「民主的な帝政」とでも言えるような政体である。
この1年間、元老院は意思決定や統治能力を失っており、ローマ市民は皇帝の首がすげ替わっても日々の生活は何も変わらないという冷めた態度を示していた中で、誰を皇帝に押し上げるのかは、軍団兵たちの帰趨によっていた。
ただ、新たな皇帝が即位するたびに次の皇帝を推挙するローマ軍団兵たちの行動も、ローマの政体や政策をどのようにするべきかという背景を持ったものではなく、「ライン軍団」対「ドナウ軍団」といったいわば組織内の派閥争いに基づくものであり、そのために担ぐ神輿として皇帝候補を立てていたに過ぎなかった。
そのため、皇帝が変わることで帝政ローマの統治のあり方が変わるわけではなく、また官僚機構が整備されたローマにおいて、日々の国家運営が揺らぐこともなかった。
筆者も書いているが、歴史家タキトゥスはこの1年間を危機の一年であったというように描いているが、帝政ローマはまだ本当の危機を迎えてはいなかったのではないかと思われる。カエサル、アウグストゥス、ティベリウスによって構築されたグローバル国家ローマの構造は、彼らの治世から30年余り後のこの時代にはいまだに健在であり、ローマが本当に衰退を始めるのは、グローバル国家として多様な民族を柔軟に統治するしなやかさを失ってからなのではないかと思う。
危機においてその組織の本質が表れると言われることが多いが、この「危機の一年」を振り返ることは、帝政ローマの設計意図が改めて明らかになる機会だったように感じた。 -
ユリウス・クラウディウス朝と五賢帝時代の間にあたる時代
100年近く平和だったローマでの内乱がどの様に進んだのかを語っている。
[more]
ぶっちゃけ、あんまり面白い巻ではない。
カエサルやアウグストゥスの様な傑物がいるわけではないし、ハンニバルの様なローマを滅ぼそうとしている敵対者がいるわけでもないので、すっごいグダクダに思える。
ここで感じた事はアウグストゥスの構築した帝政というシステムがいかに優れているのかを示している事で、内乱で上層部が変わっても庶民に大きな影響は出ていない事が示されているとおもう。 -
ネロの死後わずか一年半の間に四人の皇帝が即位します。
最初から最後までドタバタしていた印象です。
四人目のヴェスパシアヌスはこれからなのでわからないけど、本当に酷いのは三人目のヴィテリウスだけで、ガルバとオトーはついていなかっただけではないでしょうか?
この前の巻でネロは最悪の皇帝であったけど、暗殺はなかなか実行できませんでした。
ベネヴェントの陰謀のあと、ゲルマニア軍の二人の司令官がコルブロ同様うまく呼び出され、彼らに忠実な部下達の集まる勤務地から引き離した後で死を命ずるという卑劣なやりかたで殺されました。
その後ガリアでヴィンテックスの呼びかけでネロの排除を旗印に反乱が起こり、それを鎮圧したゲルマニアのローマ軍団の兵士たちはその時の司令官ルフスに「あなたに皇帝になる覚悟があるなら我々は支援を惜しまない」といいます。反ネロではガリア人と想いをともにしていたのです。
またドナウ軍団も、実際にはライン河を守る兵士たちより血を多く流しているのに、ライン河のゲルマニア軍団が帝国を守る精鋭との既成概念があり、反発心を持っていたようです。
このようにあちこちの兵士達がいろいろな思いをためこんでいて、ネロの死によって大爆発してしまったのではないでしょうか。
この頃のローマは大変な状況なんですが、塩野女史の文だけではなんだかお祭り騒ぎのような印象を受けてしまいます。私だけでしょうか? -
初代皇帝 アウグストゥス
2代目 ティベリウス
3代目 カリグラ
4代目 クラウディウス
と続き、
5代目ネロの失政で、帝国内は内乱状態となり、
6代目 ガルバ 1年7ヶ月
7代目 オトー 3ヶ月
8代目 ヴィテリウス 8ヶ月
と短命な皇帝が続く。
いずれも軍事力を背景に皇帝の座に着くが、後を襲う者によってあるいは殺され、あるいは自死に追い込まれてしまう。 -
危機があっても総崩れにならないところがすごいな。踏ん張れるのは頭で考えているからか。
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Nero帝の治世からNero帝死後の混迷の初期まで(Galba、Otho)。
自壊する帝国という名にふさわしい混迷っぷりである。 -
一年で皇帝が四代入れ替わる紀元69年。驚くべきはこの混乱の中、皇帝の肖像が彫られた銀貨が四代全員分鋳造され、流通した結果、今世にも残っているという事だ。
歴史書に残るのは政権の闘争のみだが、それでもローマが存続できていたのは、例え首都が戦場となろうとも、民衆が生活を維持できるシステムが構築済みであったからということが伺い知れる。
そんな偉大な先帝たちのシステム構築に、寄与するどころか関与することもできなかったのが、ネロに続く皇帝ガルバ、オトー、ヴィテリウスの三人だ。
先帝の失策に乗じて皇帝を名乗った後、人心掌握に失敗して殺されるだけの繰り返し。
ローマのシステムとは、如何に愚鈍な皇帝であっても数十年は耐えられる堅牢なものであったが、先帝ネロの暴政は14年続いた後の崩壊であった。
今この時に必要とされるのは、先帝の遺産を食い潰すしか能のない愚帝ではなく、時勢に合わせてシステムを改修できる改革者であった。
人材が豊富なローマにおいて、そんな人物は当然存在した。だが、有能であるがゆえ、2000年前から鉄火場であったイスラエル、シリア、エジプトにいた。
失策続きであった前皇帝達と比べてみると、ヴェスパシアヌス、ムキアヌス、アレクサンドロスの三人は、簡単にやるべきことをやっただけのようにすら見える。
ないがしろに扱われた兵達と関係を密にし、近しい地位にあるものどうしで役割を決め、国境の防衛と首都への侵攻を両立可能な体制を整える。
愚帝は愚帝であるがほど、長期間の権勢を維持できる能力もないので、混乱だけ引き起こしてあっさりと敗北する。
この渦中のさなか、元老院といえばもはや名乗りを上げた皇帝を承認する以外は人材プールとしての役割程度しか残されていなかった。
いよいよ現代が思い描く『皇帝』のイメージと近づいた権力を手に入れつつあるローマ帝国のシステムは、如何に改築されるのか。次巻に続く。 -
皇帝ネロの失政の後、ローマは混乱を極める。1年間の間にガルバ、オトー、ウ”ィテリウスと3人の皇帝が現れては、それぞれ殺害されて消えた。ローマ帝国の中は内乱状態で同士討ち状態。それぞれの人物とも皇帝になるまでは何らかの大義や名分があって就任したものの、その後帝国をどうするのか、混乱状態をどう回復させるのか、ビジョンが欠けていた。また変化に対して柔軟にスピーディーに対応する姿勢も欠けていた。現代にも共通する課題が浮かび上がる。