ローマ人の物語 (21) 危機と克服(上) (新潮文庫)

著者 :
  • 新潮社
3.66
  • (70)
  • (119)
  • (176)
  • (10)
  • (1)
本棚登録 : 1146
感想 : 84
本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
  • Amazon.co.jp ・本 (208ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101181714

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • ユリウスクラウディウス朝のネロが自死した後のガルバ、オトー、ヴィテリウスのほとんど無名の皇帝の時代。
    でも、これが面白かった。たった一年の間に死んでいった3人の皇帝は、何が足りなかったのか?塩野女史はすべて足りないと
    ばっさりと切っている。

  • ローマが帝政になってから約100年。
    カエサルより続く血脈がかの暴君ネロで途絶えた時。

    ローマは大きな危機を迎える。

    1年の間に3人の皇帝が殺され、まさに帝国そのものが崩壊の一歩手前まできてしまう。

    その時、ローマ人はいかにしてこの危機を乗り越え、ローマ史上最も繁栄した五賢帝時代へと導いたのだろうか。

  • なんということだ。
    悲しくなるほどの皇帝になった3人の統治。何をしてるんだ、とローマ市民でなくてもガッカリする。
    剣闘士の試合のようにティベリウス派と元オトー派、プリムス率いる軍団との戦いを、平和を享受しながら眺めていたとの記述にえっと思うが、今の日本の政治に対する国民の態度と大差ないなと思ってしまった。
    この後、ローマはどうなるんだと心配しながらの読了。2024年元旦の読書。

  • ネロの死によってユリウス=クラウディウス朝の帝政が終わり、内乱の混乱期を迎えた今巻。ガルバ、オトー、ヴィテリウスと、なんと1年間で3人も皇帝が次々と代わったというから驚きだ。
    後半に父親が元老院階級ではない、たたき上げのヴェスパシアヌスが登場。盟友のムキアヌスも有能そうだし、次巻に期待。

  • 紀元68年、第五代ローマ皇帝、ネロ死す。
    初代皇帝アウグストゥスの血統は絶え、ユリウス・クラウディウス朝は滅亡した。

    しかし、広大な版図を持つローマ帝国は新たな皇帝を必要とした。もはや、効率的な統治のためには皇帝制は必要不可欠なものとなっていたのだ。
    ネロの死後、およそ1年半に渡り、新皇帝の座を巡って帝国内で内戦が勃発した。

    皇帝(仮)ガルバ、首都ローマの上流階級の生まれであった彼には、アフリカとスペインの属州総督を務めた経験があった。総督の任期中には特に問題を起こすこともなく、まずまずの善政を行ったとされているが、ローマ市民へのバラマキを怠った上に人事で失敗、さらに財政再建の点でも誤りを犯した。

    そのような中で、帝国の前線であるライン川上流を守る高地ゲルマニア軍の司令官、ルフスを解任してしまい、軍団の反感を買ってしまう。
    新皇帝ガルバへの忠誠宣言を拒否したライン川沿いのゲルマニア軍団は、低地ゲルマニア軍団の司令官であったヴィテリウスを新皇帝として担ぎ上げ、反ガルバへと動き出した。このヴィテリウスの父親は、第4代皇帝クラウディウスの協力者であった。

    一方ローマでは、ガルバが後継者として、ネロ暗殺を図った「ピソの陰謀」で有名な名門貴族の一門に属する、ピソを指名していた。
    しかし、それに対して失望したのがかねてからガルバを支持してきたオトーである。ピソはオトーよりも年下だったのだ。彼はすでにガルバに失望していた近衛軍団を懐柔しクーデターを計画、ピソ共々ガルバを殺害した。約7ヶ月の帝位であった。

    新皇帝(仮)オトーは、ガルバと異なり新興の元老院階級に属しており、祖父の代までは騎士階級であった。かつてネロの友人であった彼は、妻のポッペアをネロに寝取られてしまい、帝国の西端の総督に派遣されてしまった。
    しかし、彼は属州統治を成功させ、ガルバが反ネロに蜂起した際には真っ先に彼を支持したのだった。

    元老院からの承認を取り付けたオトーだったが、彼には首都ローマに向かって南下中のゲルマニア軍団を迎え撃つ必要があった。しかし、当時イタリアにはほとんど兵力が無く、さらにゲルマニア軍団は冬季にも関わらず行軍を続けた。
    絶体絶命の中、こちらも帝国の前線であるドナウ河を防衛するドナウ軍団がオトー支持を明確にした。しかし、ドナウはローマから離れている上に、戦力が分散しているため、ローマへの到着には時間を要した。そこで、オトーはドナウ軍団到着まで、手持ちの兵力で時間を稼ぐ必要があった。

    オトーはドナウ軍団との連絡を保つため、イタリア半島の付け根の部分を流れるポー河を前線とし、ゲルマニア軍団を足止めしようとした。そして、第一次ベドリアクム戦が勃発する。戦争の結果、ヴィテリウス軍が勝利し、オトーは自死した。3ヶ月の皇位だった。

    新皇帝(仮)ヴィテリウスは内戦後に致命的な誤りを犯した。オトーの下で戦った各軍団に属する百人隊長を死刑に処したのだ。また、敗軍兵は戦地となった町クレモナの円形競技場建設に駆り出された。ヴィテリウスのイタリア入りを、剣闘士試合で祝うためである。また、剣闘士試合にはオトーが編成した剣闘士部隊の生き残りを参加させた。

    元老院とローマ市民からの承認も受けて、名実ともに皇帝となったヴィテリウスだったが、ここでも失策を繰り返してしまう。オトー側について戦った、近衛軍団全兵の解雇である。そして新たな近衛軍団として、支持勢力であったゲルマニア軍団を起用した。

    浅からぬ憎悪を抱いて帰営したドナウ軍団兵は、新たな皇帝を擁立することにした。そこで、当時シリア総督を務めていた、ムキアヌスに白羽の矢が立ったが、彼は軍団の支持がヴェスパシアヌスに向かうよう努めた。ヴェスパシアヌスは平凡な人物ではあったが、健全な常識人でもあった。帝国の再建にはそう言った人物こそふさわしいと、彼は考えたのかもしれない。

    そうして、ムキアヌス・ヴェスパシアヌスに、当時エジプト長官であったアレクサンドロスとヴェスパシアヌスの長男ティトゥスも加えた4人で、ヴェスパシアヌスの皇位実現が推進されることになる。

    現ベイルートで行われた会談で、第一段階として、ムキアヌスとアレクサンドロスが兵員・兵器・軍資金の確保を行い、ヴェスパシアヌスは軍団兵とのコミュニケーションを行うことが決定した。
    また、それ以外にも、ヴィテリウスに解雇された近衛軍団の旧兵士をヴェスパシアヌス側につかせたり、アルメニア王国・パルティア王国への特使の派遣なども行った。

    第二段階では、ムキアヌスは軍勢を率いてイタリアに向かい、ヴェスパシアヌスはエジプトで待ち、ティトゥス・アレクサンドロスはこれまでヴェスパシアヌスが総指揮を取っていたユダヤ戦役を担当した。また、東方各地に駐在していたローマ軍団からの推挙もあり、同盟諸国の王もヴェスパシアヌスの登位に賛意を評した。こうして、準備段階は完了した。

    一方、ヴィテリウスやゲルマニア軍団はローマで快適な生活を満喫していた。

    ここで突然、双方が予測していなかったことが起こる。ライン川防衛線での属州兵の反乱と、ドナウ河防衛線での軍団兵の蜂起である。ライン川での反乱は放置されたが、ドナウ河での蜂起は反乱ではなく、ヴィテリウス派への復讐心がその原動力となった。司令官はイタリアに逃げ、軍団長であったアントニウス・プリムスらが主導権を手にすることとなる。ドナウ軍団はイタリアに向けて進軍を開始す。

    そして、第二次ベドリアクム戦が勃発。戦場近くのクレモナの町は徹底的に破壊され、大量の死者が出たなかでヴィテリウス側が敗北する。ドナウ軍団がイタリア半島を南下する中、恐怖に駆られたヴィテリウス派がヴェスパシアヌスの兄であったサビヌスを殺害、彼が立て篭っていたローマの聖域であるカピトリーノの丘には軍勢が押し寄せ、神殿は建国以来初めて炎上した。こうして、ローマでの市街戦は不可避なものとなった。

    市街戦では、特に近衛軍団の兵舎付近での戦闘が最も激しかった。民衆は剣闘士試合のように市内での戦闘を楽しみ、戦利品の横取りも行われた。ローマ全体が狂気と堕落の街となったのだ。
    ヴィテリウスはアントニウス・プリムスの命で殺された。8ヶ月の帝位だった。

    数日後に、防御が手薄になったドナウ河からローマ領内に侵入したダキア族を撃退するなど、寄り道をしていたムキアヌスがローマに到着する。彼はヴィテリウス残党を処理し、ティトゥスとヴェスパシアヌスを執政官に就任させた。アントニウス・プリムスには軍功賞をあたえたが、他には何も与えなかった。

  • ネロが自死してからの30年間のローマ帝国の様子。本のカバーに銀貨が載っていて、作者の説明書きがありますが、今回の巻はそれだけでは足りず、ネロから始まってネルヴァまで皇帝の顔を刻んだ銀貨が8枚も載っています。ガルバ、オトー、ヴィテリウス、ドミティアヌスと非業の死を遂げた皇帝が4人もいて、作者もこの時代を「ローマ帝国にとって、苦悩と悲嘆に埋めつくされた時代の話…」としています。しかし、後世の歴史家の評価を鵜呑みにしておらず、この後の5賢帝と呼ばれる皇帝たちの力だけで、500年のローマ帝国が保たれたのではないとしています。…危機とは常にネガティヴな現象か…という疑問も提しながらこの時代を作者は検証していきます。
    紀元69年の年、1年間に皇帝が3人も入れ替わる訳ですが、この皇帝となった人物たちは、資質に問題あり!の人物たちで国を治める力のないものばかりでした。そのため軍団同士の市街戦が繰り広げられる酷い事態になりましたが、それを庶民は剣闘士の試合の見物でもするように観戦したのでした。そのことの是非について、私も後世の歴史家の非難よりも、作者の言うように、ローマの庶民の批判精神の鋭さが印象的でした。この時代に生きていたら、こんな政治の混乱には、冷めた眼で勝手にやってよ!と思うだろうと考えました。そして、ひと頃の日本でも短期間にコロコロと首相が代わっていたなあと思い出すのでした。

  • 紀元69年の「三皇帝時代」を扱う21巻。血の権威を失った皇帝人事の混乱に乗じて、三人の人物が勢いだけで皇帝となり、争いあう一年を描きます。失敗から学ぶと言いますか、私欲を貪るリーダーと保身に徹し抑止力のない元老院、呆れ果てて無関心になった庶民、という最悪の構図は現代にも通じるものがあります。

  • 失政を重ね帝国に混乱をもたらしたネロが自死した翌年(紀元69年)、ローマには3人の皇帝が現れては消えた。ガルバ、オトー、そしてヴィテリウス。初代皇帝アウグストゥスの血統ではない彼らに帝国の命運が託されたが、傲岸、生硬、怠惰という各人の性格に由来する統治力のなさが露呈、いずれも短期間で破滅した。さらにその間、軍団同士が争う内戦状態に突入し、帝政始まって以来の危機的状況に陥る。果たしてローマ人はこれをいかに乗り越えたのか。

  •  ネロの死の後に皇帝位につくことになった,ガルバ,オトー,ヴィテリウスの3皇帝の物語です。内乱で終始した1年強の時期ですが,アウグストゥス帝の血とつながりを持たず,これまでの「権威」を持たない皇帝が,行き当たりばったりで行動したことによる内乱の時期を読んでいると,統治者やリーダーとしての資質について考えさせられます。何が必要かという冷静な認識と,臨機応変での対応力と言えば簡単ですが,それを実際に身につけて,活用するというのは,組織のトップとして要求されることなのでしょう。また,この時代のいきさつを読んでいると,情報伝達のスピードについても考えさせられます。

     この内乱を,どうやってヴェスパシアヌス帝とその周辺の人々が収拾させ,さらなる繁栄につなげていくかは,次巻以降の物語です。

  • 23巻に記載

全84件中 1 - 10件を表示

塩野七生の作品

この本を読んでいる人は、こんな本も本棚に登録しています。

有効な左矢印 無効な左矢印
有効な右矢印 無効な右矢印
  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×