ローマ人の物語 (35) 最後の努力(上) (新潮文庫)

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  • Amazon.co.jp ・本 (224ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101181851

感想・レビュー・書評

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  • ローマ時代の終末期の始まり、ディオクレティアヌス帝の巻。元首政を捨て絶対君主制で国を保とうとする帝は四頭政やキリスト教の迫害により帝国の死期を少しでも伸ばそうと贖う。膨れ上がる国のいく末をディオクレティアヌスは感じていたのではないか。

  • 軍人皇帝時代が終わり、絶対君主制の時代に。
    その最初の皇帝はディオクレティアヌス。ローマに境を接する各地から蛮族の侵攻を防ぐため、ディオクレティアヌスが考案したのは、ローマを分割し、各地域の担当を決め、その各々が持ち場を守ること。そのため、ローマは東西に分かれ、さらに東西の正帝の下に副帝を置く、四頭政が開始。
    それにより、蛮族の侵攻を食い止めることに成功。ただ、その代償として、軍人や官僚の増加とそれに伴う増税が発生する。
    四頭政を次代に引き継ぎ、皇帝を引退するディオクレティアヌスだが、四頭政の不安定な面が表面化し、政局は不安定になっていく。

  • 蛮族を退けることはかろうじてできたものの、税収は減り、軍事費はかさみ、貨幣の悪貨化は止まらない。
    これぞローマと言うべきインフラの整備すら、手を付けられずに放置されたまま。
    ローマもここまで落ちたか、と思わざるを得ない。

    しかし人材がないわけではなかった。
    軍人出身の皇帝がつぎつぎに暗殺され、首を挿げ替えられた中、軍属ではあったものの軍人ではなかったと思われるディオクレティアヌスが皇位に立つ。
    これといって手柄を立ててもいない彼が、なぜ軍の推挙で皇帝になれたのか。
    それは、軍という組織を維持するのに優れた手腕を持っていたからだと著者は言う。

    同時多発的に侵入しては、略奪行為を繰り返す蛮族に、たった一人の皇帝では手が回らないと判断したディオクレティアヌスは、もう一人皇帝を立て、それぞれが責任をもって治安を維持することにしたのだ。
    そしてそれが成功すると、さらに皇帝を増やして4人体制とする。
    なかなか権力を分散する方向に舵を切る人は少ないと思うが、軍事的にはそれで十分対応できた。

    しかし4人の皇帝にそれぞれ下部組織が付くわけで、これを維持するのは経済的にとても苦しいことになる。
    国が上り調子の時、例えばネロやカリギュラのような皇帝が出ても、国の在りように影響がなかったのとは反対に、国が衰退していくときは、有能な人が出てきたとしても、流れを止めることはできないのだなとつくづく思う。

    最後の一文、珍しく引きが強い。
    ”ところが、第二次「四頭政」がスタートした紀元三〇五年のわずか一年と二ヵ月後に、誰一人予想していなかったことが起こったのであった。”

    何?何?
    何が起こったの?
    めっちゃ気になるじゃないの。

  • 20年ぶり?に読みました。
    このシリーズ好きで、読み返したいんだけど。
    長すぎるんですよね。
    それ故1巻はいったい何回読んだことやら。
    今回はあえて、最終巻から読み進めてみます。

  • やっと強い皇帝が出てきた。
    頼もしいがすでにローマは、以前のローマではなかったのが残念。
    ディオクレティアヌスのテトラルキア

  • 一冊まるごとディオクレティアヌス。ディオクレティアヌスといえば四頭政。ただディオクレティアヌスには帝国を分割する気はなかった。四頭政は、蛮族からの帝国の防衛が最大の目的で、軍事は四人で分担、しかし統治に必要な政策はディオクレティアヌス一人が決めていた。防衛の面では大成功、しかし、皇宮が4つとなったことで、軍隊は倍増、官僚機構は肥大化、それを支えるために大増税が行われた。皇帝は、市民たちの第一人者から絶対君主へ、皇帝と臣下たちの間の距離は大きく広げられた。また本国と属州の区別も撤廃された。中央集権的な、きめこまかな統治、きめこまかな町税のため。極度のインフレが起こり、価格統制勅令、悪貨を良貨とすべく貨幣改鋳が行われたが、インフレの鎮静化には失敗。徴税徴兵のため、職業選択の自由、居住地を変える自由は禁じられた。帝国に暮らす民は、蛮族からの略奪には守られたが、重税に苦しみ、大変窮屈な政策を押しつけられ、生きづらかったのでは、と。ディオクレティアヌスの在位最末期には、キリスト教徒迫害ととられる勅令が出されたが、殉教者はごく少数だった。古代のキリスト教会が持つ柔軟性には著者は何度も感心、三世紀後半のキリスト教徒弾圧の当時から、棄教者の復帰をゆるすのに必要な手順がマニュアル化されていたのだ、と。最後は、最高権力者としては空前絶後、生前にさっと退位して隠棲したところまで描かれる。政治史的にはおおむねそうだったのだろうと思われる。政策面はもう少し類書をあたりたい。

  • 「長く国家ローマを成り立たせていた、『中央政府』、『地方自治体』、『個人による利益の社会還元』という三本立てのシステムは崩壊する。」まさに「いかに悪い結果につながったとされる事例でも、それがはじめられた当時にまで遡れば、善き意志から発していたのであった」

  • 紀元284年から305年下り坂にあるローマ帝国皇帝の地位にいたのは、ディオクレティアヌスでした。彼は信頼する友人のマクシミアヌスをその2年後に皇帝に推挙し、東西をそれぞれ治めることとしました。さらに293年、二人は東西を分担する人物を任命し、帝国は4人で分担する体制になりました。4頭政と呼ばれる政治体制は、防衛システムとしては機能し、以前のどん底の危機から脱したのでした。皇帝の地位が脅かされる、以前の不安定な治世を経験したディオクレティアヌスは、統治の安定を考えた故なのか、絶対君主政の第一歩を踏み出します。帝国は4頭政により担当が細分化し、軍も官僚も縦割りで巨大化するという弊害も招きました。そして、絶対的な権威をも求めた結果、キリスト教徒の弾圧が始まるのでした。ディオクレティアヌスは305年、後継者を決めた後にマクシミアヌスとともに潔く退位します。4頭政の安定を信じていたということなのでしょうか…

  • 危機の三世紀の後に登位し、21年間という長い在位を持った、ディオクレティアヌスの治世を描いている。絶対君主制と呼ばれるようになった時代である。

    統治のあり方として最も大きく変わったのは、帝国を東西に分け、それぞれに正帝と副帝を置く「四頭政」を敷いたことである。危機の三世紀をもたらした大きな要因の一つである蛮族の侵入を帝国の長い防衛線で防ぐために始められた制度である。

    しかし、本巻で述べられているように、このことがローマ帝国の諸制度に与えた影響は、当初の意図・趣旨を超えたものだった。

    4人の皇帝が存在することにより、各皇帝の直属の軍団が構成され、ローマ軍の兵士の定員は結果として倍増した。当然ながら国防費は増大し、税制改革による増税が図られることになる。

    また、ローマ軍の指揮を執る軍団長、司令官の人材供給を元老院から切り離すことにより、地方自治の領域にまで官僚機構が必要となった。

    元々、属州には大幅な自治権を認めるとともに、軍団をリタイアした兵士たちに植民都市を建設し運営させることにより、ローマ帝国の官僚機構は非常にシンプルだった。

    しかし、ローマ人のキャリアを元老院を頂点とする政務と軍団とに分断したことにより、軍団を地方自治に活用するということは出来なくなり、複雑化した税制への対応もあり、官僚機構の肥大化していった。

    このような帝国の統治・防衛システムの変化は、状況に対応した施策として一つひとつは合理的な考え方ではあったにしろ、そのことがもたらす複合的な作用により、徐々にローマ帝国を変容していった。

    通貨の質、インフラのメンテナンス、兵士の採用といった本巻で採り上げられている様々な事象において国家の骨組みが弱体化していく様子が丁寧に描かれており、時代の変化に対応することの難しさ、複雑さが感じられた。

  • この巻では、いよいよローマ帝国の崩壊を食い止める一手。

    前書までは、仕方なく東西に分けてそれそれに「正帝」と「副帝」を置く「四頭政」に移行する話。

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