ローマ人の物語 (41) ローマ世界の終焉(上) (新潮文庫)

著者 :
  • 新潮社
3.99
  • (73)
  • (94)
  • (61)
  • (3)
  • (3)
本棚登録 : 821
感想 : 68
本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
  • Amazon.co.jp ・本 (272ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101181912

作品紹介・あらすじ

テオドシウス帝亡き後、帝国は二人の息子アルカディウスとホノリウスに託されることになった。皇宮に引きこもったホノリウスにかわって西ローマの防衛を託されたのは「半蛮族」の出自をもつ軍総司令官スティリコ。強い使命感をもって孤軍奮闘したが、帝国を守るため、蛮族と同盟を結ぼうとしたことでホノリウスの反感を買う。「最後のローマ人」と称えられた男は悲しい最後を迎え、将を失った首都ローマは蛮族に蹂躙されるのであった…。

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • いよいよ西ローマが、というより真のローマ帝国が終わりを迎える。自由の象徴のローマが西ゴート族のアラリックに劫掠された。復活の最後の頼みのスティリコを、くだらない利己心や権力争いから死に追いやる皇帝、元老院。キリスト教を唯一宗教とした時点で、すでに滅亡の始まりだった。残った東ローマは、すでにパクスロマーナを謳歌した本当のローマ帝国ではないが、これから厳しい敵が待ち受ける。

  • 紀元前700年代から始まるローマ世界ですが、紀元395年のテオドシオス帝の亡き後、東と西に兄弟で分担する統治システムが、東ローマ帝国と西ローマ帝国に別れていきます。息子二人の面倒は将軍だったスティリコに託していました。彼の出自は「ローマ化した蛮族」でしたが、「最後のローマ人」と形容されるように、政治、軍事面ともに実力があり、“男が惚れ込む男”のタイプでした。
    この時代、帝国は周りからの侵攻の脅威に晒されていましたが、皇帝の死後、西ゴート族が早速南下してきます。「それはまるで、雪崩であり津波だった」と筆者は形容しているように暴力的なものでした。確かに民族の移動などという教科書で習った生易しいものではないと実感しました。殺戮と略奪を繰り返す非文明の民を率いていた男は、アラリックでした。この西ゴート族は東ローマ帝国領に向かい、この脅威を恐れた東の無能な皇帝は、相手の要求に屈し、公式にアラリックを軍司令官に任命してしまいます。それは脅せば屈するという風潮が他の蛮族にも及ぶ危機をはらんだものでした。
    この後、スティリコはアラリックとの同盟交渉を公にして元老院を召集、多額の報酬と引き換えに帝国の防衛を任せることにします。この“毒をもって毒を制す”やり方は、元老院に蛮族に支配されてきたという苦い思いを起こさせ、スティリコへの敵意となります。結局、東ローマ帝国皇帝が死去したきっかけを発端に、彼は国家反逆罪で死刑になるという全く報われない末路を迎えるのでした。筆者は「人間の運・不運は、その人自身の才能よりも、その人がどのような時代に生きたか、の方に関係してくる」と表現していますが、私もそれに納得します。戦争の時代に生きた人々にはこのように、優秀であっても報われない人々が数えきれないほどいただろうと…
    その後410年、帝国はアラリックに同盟協約時の金の支払いの履行を求められ、ローマを封鎖されます。この恐喝に成功したアラリックは、再び首都を占領、いわゆる「ローマ劫掠」に成功。数多くの人がローマを離れます。800年もの間、世界の中心的な役割を担ってきたローマの面影は消えてなくなりました。

  • 最後のローマ人といわれた蛮族出身の将軍スティリコの孤独な戦い。繰り返される蛮族の侵略に目を向けずに、内向きな皇帝、皇宮官僚。公の精神は失われた時代。読み進めるもの重苦しい。そして410年西ゴート族によってローマ劫掠を迎える。

  • 頑張っていたスティリコを殺してしまった。
    なんかここまで来るともう好きだったローマはいないので、アラリックやってしまえという感じで読めました。

  • いよいよローマ帝国の終わりが見えてきました。
    あっちからもこっちからも蛮族が攻めて来るのに対して、皇帝は皇宮に引きこもったまま何もしない。
    どころか、安全なところに逃げ込みたいとまでいう。
    ローマ市民を守るのが皇帝の責務のはずなのに、自分のことしか考えられない皇帝に代わって、軍総司令官であるスティリコが八面六臂の大活躍でローマを守る。

    しかし、彼は半蛮族なんだな。
    母はローマ市民だったけれど、父が蛮族ということで、偏見の目がつきまとう。
    これも、本来ローマ帝国は蛮族をも寛容に受け入れていた筈だったんだけどな。
    生まれも大事だが基本は能力主義だったはず。

    国が衰えるというのは、能力のある人が排出されないのではなく、能力のある人を活かすシステムが作られないってことなんだと、ここ最近の巻を読んでいて思う。
    陰りを見せ始めても、能力のある皇帝は何人か出てきている。
    けれどそれを実務としてこなす人がいないとか、皇帝の意思が反映されないシステムとか。
    キリスト教の悪影響もあるけれど、ローマ市民の公共心の欠如が、結局彼らの首を絞めてしまったように思える。

    蛮族から助けては欲しいけれど、兵やお金を出すのは嫌。
    それではスティリコだって戦えない。
    苦肉の策が、蛮族との手打ちであったはずなのだが、ローマ市民のプライドが許さない。
    もうこれは、カエサルの頃のローマ市民とは全然質の違う人たちなのだな。

    ”何もかも自分たちだけで一人占めにするのは、支配の戦略としては最も下手(まず)いやり方である。”
    自分たちの安全だけを守るため、防衛線はどんどん内側に縮小し、逆に切り捨てられた他民族は蛮族に戻ってローマを攻める。

    そんななかスティリコは、黙って皇帝の代わりに前線に立ち続け、法を作り、皇帝を立てる。
    冤罪をかぶせられても、剣を取って反逆するわけでも、抗弁するわけでもなく、臣下としてふるまった挙句に死罪になった。
    ローマ人として生きた最後の男、スティリコ。
    皇帝が…ではなく、時代が彼を見捨てたんだなあ。
    合掌。

  • テオドシウスの死後、ローマは東西に二分され、東ローマ帝国をアルガディウスが、西ローマ帝国をホノリウスが統治する。
    皇帝としての才覚があるとは言えないホノリウスだが、蛮族出身の部下、スティリコの力でローマに侵入する蛮族を跳ね返す。スティリコ同様に蛮族出身であるアラリックが、東ローマ帝国に襲い掛かるが、東ローマは彼らに西ローマ帝国の土地を与え、自領から追い出す。ここに西と東の対立は深刻化する。
    スティリコは、このアラリックや北アフリカの反乱を抑えるが、ローマの国力低下は著しく、とうとうガリアの半分を放棄し、ローマを守る作戦を立てる。放棄したガリアの制定をスティリコはアラリックに任せる、毒を持って毒を制す戦略に出る。この戦略がローマの元老院やその他の市民の反感を呼び、スティリコの人気は失墜。
    皇帝側近の讒言により、スティリコは殺され、その決定にローマ軍は皇帝を見放す結果となる。
    スティリコ配下の兵隊を吸収したアラリックは、ローマを2度の恐喝の後、陥落させる。その途上、アラリックも病に倒れるが、都市ローマは回復が叶わないほど破壊される。

  • ローマが崩壊していく。せっかく立ち上がった指導者も、つまらない内輪もめで潰され…。この先を読むのがつらい。

  • 迷走を続けるローマ帝国は東と西に分かれる。蛮族の侵入に悩まされるなか、軍司令官スティリコが就任。血統は純血のローマ人ではなく半蛮族だが、軍略を発揮して蛮族からローマ帝国を守ろうする。
    だが悩まされたのは動員できる兵士の数の少なさ。苦肉の策として蛮族との同盟を図るが、皇帝と宦官の反感を買い、スティリコは謀殺される。
    支柱を失った帝国は蛮族に蹂躙され、ついに首都ローマは蛮族の攻撃によって陥落する。

  • 皇帝テオドシウスの亡くなった後、ローマ帝国は東側をアルカディウス、西側をホノリウスが統治するという形に二分された。

    しかし、それらの二人の後見人として、テオドシウスは軍総司令官にスティリコを充てる。

    そして、最後のローマ人と呼ばれるスティリコは、西ゴート族をはじめとする蛮族の侵入から帝国を守るため、帝国の全域を奔走する。

    一方で、軍事的な対応だけではなく、西ゴート族との同盟の締結による安定の確保や、ローマ帝国の現状を見きわめた上での北部・中部ガリアからの撤退といった手も打っていく。

    しかし、ローマ帝国の衰退はこのような有能な人材をもってしても食い止められる状況ではなく、むしろその流れは加速していった。

    その要因は帝国の内外にあったと思われるが、ローマ帝国の内側の変質が、その根本的な要因として大きかったのではないかと感じる。

    三世紀から始まったキリスト教の伸長は、この時代には、聖職者という非生産人口の増加と教会や聖職者に対する非課税という形で、帝国の経済や財政に大きな影響を与えるようになった。

    また、精神の面でも、多文化・多民族のグローバル国家を形成していた寛容の精神が、一神教の全土への浸透により徐々に失われていったということも、考えられる。

    しかし、この巻でも取り上げられているように、それよりも大きかったのはディオクレティアヌス帝やコンスタンティヌス帝によって進められた、職業の世襲制やローマ市民と属州民の区別の廃止といった施策ではないかと思う。

    ローマは広大な領域を統治するようになった初期から、ローマ市民と属州民、自由民と奴隷といった形で人々の間に格差があった。しかし、属州民がローマで兵役を勤め上げることでローマ市民権を得られたり、教師と医師はローマ市民権を得られるといった形で、それらの階層の間には流動性があった。

    職業選択の自由はまた、ローマの各地から優秀な人材をローマ帝国の統治層に受け入れるという効果も持っていた。

    しかし、ローマ市民と属州民の区別がなくなることで、ローマ市民のローマ軍団への責任感や、属州民がローマ軍団に志願することのメリットが失われ、ローマ軍団はその人材の供給が大きく損なわれることになる。

    経済の面でも、ローマの建国当初からの基幹産業であった農業は、度重なる蛮族の侵入と略奪をうけることにより、その基盤を大きく損なわれていた。

    略奪を頻繁に受けるようになることにより、ローマの大多数を占めていた自作農は自らの農地を放棄し、大規模な荘園に所属する農奴となっていった。

    このことはローマ社会の中堅層を縮小させ、帝国の軍団兵の供給源や課税ベースの縮小という形で帝国の弱体化につながっていく。

    ローマの衰退を食い止めるべく奮戦したスティリコは、結局、皇帝ホノリウスを操った宦官の謀略により、死罪となる。権力を握りすぎたがゆえに反発を買い、高給内の政略により失脚するという出来事も、政体が末期にあることを典型的に示しているように感じるが、このような出来事の間、皇帝のリーダーシップも元老院のバランス感覚を持った熟慮も、一切その影を見せなかった。

    そして軍総司令官を欠いたローマは、蛮族にローマに迫られ、市内を劫掠される。800年間侵略をうけることのなかったローマ市内が劫掠受けたことに対して、ローマ軍団の組織的な防衛線もなく、ローマ市民や元老院がその立て直しのための策を練ったということもなかった。

    劫掠を受けた後、ローマ市民は次々と郊外の別荘や小片へと移り住み、ローマを去っていく。

    ローマ帝国は大きな木が倒れるようにして滅びたのではなく、静かにその姿を消していったのだという印象を持った。前世紀からローマ帝国自身の変質が進んでおり、既に自らの政体を維持し続ける力を失っていたからこそ、外敵に対して力強い抵抗をすることもなく、静かに消えていったのだろう。

  • この巻は、ローマ人の物語の最終章でもある「ローマ帝国」の終焉初期の話。

全68件中 1 - 10件を表示

塩野七生の作品

この本を読んでいる人は、こんな本も本棚に登録しています。

有効な左矢印 無効な左矢印
有効な右矢印 無効な右矢印
  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×