知ろうとすること。 (新潮文庫)

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  • 新潮社 (2014年9月27日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (192ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101183183

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知ろうとすること。 (新潮文庫)の感想・レビュー・書評

  • 2011年に起こった東日本大震災から4年が過ぎたが、福島原子力発電所に残された被害の修復には、まだ多くの時間を必要とする。

    一方で、つい先日も日本製食品輸入に関する新たな検査表示規制を要求するなど、科学的根拠のない風評被害が続いている。

    著者である物理学者の早野氏は、震災直後からツイッターを立上げ、福島原発での被害状況や影響度を、客観的な事実の蓄積で外部に発信し続けてきた。早くから早野氏の活動をフォローしてきた糸井氏との対談。

    客観的事実も人による感情、非論理的行動で歪められてしまう。理屈は分かっていても行動は・・・という事だろうか。それ故、科学者は信頼できる客観的事実を公表し続けなければならない。

    科学的判断も限界があり、限られた制約条件の中での真実であることを理解しなければならない。早野氏も多くの場面で迷いがあった。しかし地道な事実の蓄積と検証を止めることはなかった。

    多くの情報が瞬時に手に入る中で、ニュースソースも多様である。時にセンセーショナルで興味を引く題材のみ取り上げられたり、エキセントリックな表現が人目を引いたりはするが、そんなときでも真実を「知ろうとすること」を基本スタンスとして忘れないでおこう。

  • いまだに「福島産」というだけで拒絶する人がいる。福島に近いというだけでも拒絶反応を示す。スーパーで「茨木産」という表示が増えたのを見て「福島産を隠すための陰謀だ」という。国や電力会社の発表する数字は信用できないと自分たちで計測している人もいる。がれき処理の持ち込みに断固反対している人もいる。
    そういう人たちを見て、私自身どう判断していいのかわからなかった。大雑把に「大丈夫だよ」と言ってしまうのも違う気がするが、だからといって、わけもわからず「なんとなく怖い」というだけで右往左往するのも嫌だ。
    この本を読むと、「冷静に判断する」とはどういうことかがわかる。「冷静に怖がる」とはどういうことかということもわかる。
    計測して出てくる数字はただの数字で、それをどう読むか、どう受け取るかで全然違ってくる。
    危ないものをすべてゼロにせよ、という願望は、感情としては理解できなくもないが、やはり無茶な要望だと思う。そんなに危ないのが怖いなら生きるのをおやめなさいな、と言いたくなる。
    さまざまなリスクとどう折り合いをつけていくか、どれを避けて、どれは受容するか。そういう判断を「科学的な態度」というんだろう。
    この地球に生きている、というのがどういうことなのか、落ち着いてよく考えた方がいい。そのための方法や考え方を、この本は教えてくれる。

  • 気になってたこの本。本当に読んで良かった。

    もう10年以上前だけど『海馬 脳は疲れない』を読んだ時も同じような興奮と感動があったなぁ。と思い出した。

  • 有事の際の素人の心得は信頼できる専門家、メディアを見つけることだろう。そして信頼性の判断軸の一つが「ヒステリックに騒いでいない」こと。逆に一番信用できないのが「大騒ぎする素人の方々」。そういう方々は、自我までゆらいでいるように見える。

  • 「知らない」と「知っている」この雲泥の差。
    そして、知っていてもなんとなくできないことがある。
    本屋さんで積んである雑誌の2冊目を取ってしまうこと。
    でも、知っていれば、そのうち2回に一回は一番上の雑誌を手にするかも・・・。これが雲泥の差なんだと優しく丁寧に伝わってきました。

    伝えるのに「言葉」は本当に必要ですが、それに人の納得が加わるには事実という要件も必要なのですね。
    いろいろわかると共に、わからないことも一つ。
    データでいろいろ危ない物質の量が少ないのはわかったのですが、大きな事故がありながら、どうして少なくてすんだのかはわからなかった。理由もわかるといいのにな。
    そして、物理学者という人のアタマの構造はもっとわかりませんでした。紙には書けないけど数式として答えが出る・・・????うーん、違う人種ですね。
    でも、とっても興味ですし、面白いとは思いましたが。

  • 無意識のうちに塞き止めていた福島に関する情報を、3年と半年を経てやっと更新できた。それもまた、すごく確実に。しばらくは本棚に戻さず、持ち運んでいたいなぁ。
    (文中の言葉の交差ひとつにしても、早野さんの説く科学的な確信でグッと安心、もうひとつ糸井さんのすごく人間的なユーモラスでホッと安心だったり。個人的にはそういったとこも魅力的だったな。)

  • 「地球はまあるい」

    実際に見たひとはほんのわずか。
    見てきたひとが言ったんだし映像もあるしせんせいからもそう教わったし。
    だからわたしたちはまあるいと思うことにしている。

    わたしたちは、往々にして体験していないものを実体験したような感覚になり信じて知識にしているものがたくさんある。

    2011年3月11日以降、わたしも科学的な言葉がどんどん入ってきてただ悪い方向ばかり想像していたひとのひとり。

    だからこそ読んだ。

    起きてしまったことはしゃーない。
    ここから未来をまた築き上げていこう。
    スキャンダラスではないほうを選ぼう。
    そう思わせてくれた一冊。

    斜め読みしたので、今度は時間をかけてゆっくりと読むことにする。

  • きちんと根拠を持って恐れなければならない。
    知ろうとする努力を怠ってはいけない。

    例えば、週刊誌を買う場合、一番上にあるものではなくて、ついその下の2冊目を手にしちゃうことがある。一番上の本が汚れていれば別だが、明らかにきれいな本があるときにも、2冊目をとってしまう。これは誰でも経験があることだと思う。また、絶対切れない振り子で、10m先までは届かないような振り子の先に包丁をつけて振り子を揺らし、その10m先にたつ。なんだか立ちたくないと感じる。地上に置いてある20cm幅の平均台はどうってことなく渡れるのに、地上100mのところに20cm幅の平均台をおかれると、やはり渡りたくない。
    これら、非科学的なことは、我々の中に普通にあるし、それを否定できるものではない。
    福島県産とそうではない野菜があったときに、科学的には福島産でも大丈夫なのに、まぁ違う方を買っておこう、と言う行動と良く似ている。だから、そういう風評被害とか、差別につながりそうなことを自分もやらかしそうだという自覚をしっかり持った上で、できれば大切な判断の時には、『汚れていないなら一番上の本を買う』と言う行動をとりたい。で、正しい方を選ぶっていうときに考え方の軸になるのは、やはり科学的な分析・知識だと思う。
    科学的に大丈夫だからって安心できないっていう気持ちは必ずある。でも、そんな時でも科学的に正しいことを選びたい。

  • きっかけは小さくても、自分を発信し続けることで想像もできない未来が広がることもあると、早野さんの話を読んで思う。そこには誠実さが一貫してあるからこそ、人が集まるのだろう。自分もそうありたい。

  • あの震災に対して、当時ネットの中にはたくさんの情報が常に流れていて、でもそれが正しいのかどうかは私には判断できなくて、正直真実を知るのは怖いとも思っていた。
    もしとんでもない状況に日本がなっていたらどうしようという恐怖。
    そうやって知ろうとしなかったから、手元にある分かりやすい意見、大声での警告を私からも発信するのが唯一自分に出来ることだと勘違いをしていた。
    この本を読むまで、福島は危険で、もう人は住めない土地で、そこの食べ物ももちろん食べてはいけないのだと思っていた。
    もう震災から5年が経っている。
    自分の生まれた国で起きた事故について、知ろうとするにはあまりにも遅すぎたと思う。
    同時に、あの頃どれだけの人が早野さんの存在に救われただろうと考えると、このように真実を伝えるということの価値を改めて実感させられる。

    福島の安全性について声高々に主張する本じゃないです。
    ただ大丈夫だよと言ってくれる暖かい本です。
    たくさんの人が読んでくれたらいいなと思います。

  • 物理学者の早野龍吾さんとコピーライターの糸井重里さんが、東日本大震災から3年が過ぎた2014年、原発事故は結局どういう影響をもたらしたのか、また、情報を受け取るときの態度などについて対談している様子をまとめた本。

    本書の中で、糸井さんが非常時に、専門知識が無い中で、どういう人の言葉を信用すべきかを、どう判断していたかが紹介されていた。
    スキャンダラスでなく、脅かす態度がなく、正義をふりかざしていなく、それでいてユーモアがある。
    本書はまさにそんな本だった。
    難しい言葉も全然ないし、押し付けがましい態度もない。
    それでいて、そうだったのか、とうなずける話ばかり。
    実際に早野さんが行った調査や、データの整理といった、単純に事実に基づいた話だからだろう。
    これは、とりあえず日本人は一読しておいた方が良い本ではないか?

    早野さんは、物理学者ではあるが、原発については全く専門外であったという事実に驚かされる。
    震災が起きた日から、原発について勉強を始め、理解を深め、種々のフィールドワークや、赤ちゃん向けのホールボディカウンターの開発など、重要な貢献をするに至ったという。
    中でも、線量を測る機器で、すでに開発されていたがあまり普及していなかった製品(D-シャトル)を、早野さんが「再発掘」したくだりに感服した。
    これまでは、ガラスバッジという、1年間にどれだけ線量が上がったかしか分からない、非常にざっくりとしたものしかなかったという。
    しかし、早野さんは、線量と生活習慣・・・何時にどこで何時間過ごしたのか、が重要であるという当たり前の事実に注目する。
    そして、1時間毎の線量を記録できるD-シャトルに注目した。
    単純に外出していなければ線量が低いといった事実だけなく、同じ家に居るときでも、除染がされていない屋根に近い2階の線量が高い、等、目からウロコの事実ではないか。
    その製品は、内部的には1時間毎のデータを蓄えているが、需要がなかったため、それを取り出すソフトが無い状況だったという。
    確かに、非常時でなければ、1年間の線量が把握できていれば、いいのかもしれない。
    しかし、こういった事故が起こってしまえば、そうではない。
    そうした場合、どういう情報が日々必要なのかという、頭の切り替えが必要だ。
    今回の事故のような状況において、ざっくりとした事実しか分からなければ、また何か情報が隠されているのではないかといった、様々な疑心暗鬼に陥ってしまう。
    自分の行動と線量が結びつけば、どんな場所が危ないのか、逆に危ないと思っていた場所も実は大丈夫など、リアルに把握できるこで、より具体的な対策や安心につながる。
    そういう、状況に即した冷静な対応、発想ができる早野さんは、本当にすごい。

    しかし、玉石混交の情報の中で、早野さんのような人をどう見つけ出すべきか。
    事実、震災当時、早野さんを知ってもいたが、私は、信じるに足る人物だと当時判断することはできなかった。
    思考を放棄しないという一点につきるのだろうが、当時を思い出すと、科学的な素養が乏しい私には、やはり限界があった。
    糸井さんの人を信じる基準は、一つ参考にしたい。
    また、自分で本を読んだりしないと、こうした事実を知ることもできない現代の報道のあり方は、本当に嘆かわしいと思った。

  • ある物事に対する判断をする前にその物事を知ることが大切。これは当たり前の話だが、知らず知らずのうちに大きな声に流されて、それが大衆の総意みたいになる傾向を感じる。
    福島の問題については、このことが如実に示されてしまった。大切な判断は常に事実に対して行うべきもので、それを知ることが大前提。
    真摯に事実を発信する早野氏。その事実に向き合う糸井氏。科学と大衆の関係があるべき姿として示されていると感じた。科学リテラシー以前の問題として、持つべきスタンスを学べた。

  • 読めば読む程、早野さんの人柄や行動力に感服。
    科学者の態度の件り、

    端的に言えば、自分が研究したり、発言したりする分野において、過去に何が起きて、いまどこまでがわかっていて、どこからがわかっていないかというようなことは、勉強しなくちゃいけない、それは必須です。

    この責任を全うする努力が出来ての、この人間力なんだろうな、と。まだまだ頑張らなくちゃ!と思うのでした。

    そして、138億年のドラマも良かった。
    あんな風に科学を語れる人、もう拍手。だから、震災後に、不安な人も耳を傾けたんだろうなあ。

  • 物理学者の早野龍五さん×糸井重里さんの福島第一原発をテーマにした対談集。
    一度持った疑いを晴らすのは本当に難しい。でもその疑いの種はどこから来たものか。その種は自分の考えを動かすほど信頼に値するものか。根拠のない声に踊らされないようにしなければと思う。
    「大丈夫です」「安心です」その言葉も、いつか科学的に覆るかもしれない。お二人の会話でもっても明確な結論は出ないけれど、情報に常に更新していくことが大切だという。情報が溢れすぎて何が正しいのか分からずつい蓋をしてしまっていただけに、少し踏み込んで自分のなかの原発関連の情報を更新してみよう。

    巻末の糸井重里さんの「もうひとつのあらすじ」は近年の情報化社会すべてにあてはまるように思う。
    「人というのは、おもしろい生きもので、野次馬というやつをこころのなかに飼っています。」
    十人十色様々な視点や考えがあることは良いこと。但し事実が曲げられたり膨らまされていないか見極め、時に柔軟に、時に良い意味で疑り深く情報と付き合っていこうと思った。

  • 「傍観者」だったことを思い知らせれてしまった。
    私は、ただ知っているつもりだったのだと。
    「知ろうとすること」は、たしかに大切な姿勢だと思う。それと同時に、どの情報を選ぶか、見極める目の大切さも痛感させられた。
    これからの世界を生きていく上で、大切なことを学ばせてもらえた一冊です。

  • 糸井さんの言う、よりスキャンダラスでないほう、より脅かしてないほう、より正義を語らないほう、より失礼でないほう、を選ぶ、私もそうしてみたい。

    どうしても、スキャンダラス、脅かし、正義、そんなものに弱くなってしまうから。

    ただ、様々な情報の中から、どうそれを選択していくのか、難しいとは思う。
    結局のところ、「○○さんが言っているから」程度でしかなかったりするから…。

    原発事故から5年が経とうとしていて、その間の情報の更新はしていく必要があるのは確かだと思う。

  • 科学者にとっての科学と、その他の人にとっての科学って違うのだろうなというのが興味深かった。

  • 糸井さんと早野さんの会話(対談ではないと思う)はわかりやすい。福島や内部被ばくに対して多くの誤解をしていたことを知りました。
    早野さんがあとがきに記している
    ---「混乱した状態から、より真実に近い状態と思える方に向かって、手続きを踏んでいく」というサイエンスとしての考え方を、一般の人たちに理解してもらうのは、とても難しいと知ったのです。---
    根気強く数字を見せ続ける早野さんの行為には頭が下がります。福島の高校生たちのCRENでの講演については、私までドキドキしてしまって、心が震えました。
    そして、糸井さんのあとがきは最高です。

  • 東日本大震災・福島第一原発事故に伴う様々な混乱。
    その際に事実とその周知に文字通り奔走した東大の物理学の早野龍五教授と、コピーライターの糸井重里氏の対談集です。

    早野先生が語るのは科学に対し、学問に対し、事実に対して真摯であるということ。糸井さんの言葉からは、そういう「真摯な人」をどうやって見つけるのか、についてだと思います。
    とても感動する話が多かった。多くの人に読んでいただきたい一冊です。

  • 関空のTSUTAYAでようやく見つけた。これはいい本だと思う。早野氏の、データや計測値に基づいた確かな実感と信念、それがよく表されている。

    震災から3年半が経過し、その間のデータや考え方の変遷、今後の見通しなども、過剰に不安がらず、かといって過剰に楽観視することもなく、淡々と語られている。だからこそ、糸井氏があとがきで述べられているように、多くの方に伝わり、信じてもらえるような言葉になっていくのだろう。

    これを文庫にしたのは、きっとお二人が「多くの人に手に取ってもらいたいから」だと思う。その通り、ぜひ多くの人に手に取っていただきたい。

  • 手頃なサイズと価格で,対談形式で読みやすく,多くの人に薦められる本。科学的な考え方とは,信頼できる人を見つけるには,といった人生にとって大事なことが学べる。
    311後の早野先生のツイートはほんとに有り難かった。人々の不安につけこむ根拠の乏しい声高な雑音にどう対処していくか。それはもう地道な事実の積み重ねと冷静な議論によるしかなくて,それを率先して(それも本業とは別の活動として)やってくれたのが早野先生だった。陰膳調査やWBCでの測定など,3年間の活動を振り返っている。
    そして対談相手の糸井さん。科学に疎いとは言え,原発事故後の情報が錯綜する中で,誰が誠実で誰がそうでなかったか,どの意見に耳を傾けるべきかの見極めはちゃんとできていた。センセーショナリズムへの警戒感,正義を叫ぶ人への不信感,攻撃的態度や暴言への嫌悪感といった健全で常識的な感覚は,結局のところ自分や家族を守る武器になるんだと思う。

  • 極力客観的である姿勢、なにが真実なのかを見極めようとする姿勢が素晴らしいなと。それをどう実現していくか、そして具体的にどう物事を解決していくか、を学びました。客観的な数値を重視し、解決は地道に、という点が私の仕事(経営コンサル)と共通しているのが興味深いです。

  • 予想外に、いろんな方面に面白い。
    原発事故や放射能問題のことだけじゃない。
    早野さんと糸井さんの会話形式を見てると、理系とか文系とか心理とか哲学とか、反するものではなくて、お互いをつなぐ架け橋同士なりえるんだな、とか考えてみたり。

    データの提示は理系、それを信じられるかという心理的作用に対して働きかけるのに必要な表現は文系的なもの、すべてをくるめて考えて納得してとかするのが哲学なのかな、とか。

    原発事故の放射能問題は、出ているデータは信頼できて、それに基づいて大丈夫だよと言われてることは大丈夫で、まだ危ないから気をつけてといわれることには気をつけていれば、もう大丈夫なんだと、確信がもてるんだと。
    なんとなくの無闇な不安がなくなりました。

  • 自分で情報を手に入れようとすることなく、流れてくる情報を目にして怖がっていた。それが間違いとも知らずに。情けなく思った。そして、自分から情報を掴まないといけないと感じた。その姿勢だけで、大丈夫なんだと思う。

  • 1冊目が綺麗でも下から2冊目を取ってしまうというたとえに納得。
    でも内部被曝は問題ないという根拠が今ひとつだったのがちょっと気になります...

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知ろうとすること。 (新潮文庫)の作品紹介

福島第一原発の事故後、情報が錯綜する中で、ただ事実を分析し、発信し続けた物理学者・早野龍五。以来、学校給食の陰膳(かげぜん)調査や子どもたちの内部被ばく測定装置開発など、誠実な計測と分析を重ね、国内外に発表。その姿勢を尊敬し、自らの指針とした糸井重里が、放射線の影響や「科学を読む力の大切さ」を早野と語る。未来に求められる「こころのありよう」とは。文庫オリジナル。

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