- Amazon.co.jp ・本 (192ページ)
- / ISBN・EAN: 9784101183183
感想・レビュー・書評
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2011年に起こった東日本大震災から4年が過ぎたが、福島原子力発電所に残された被害の修復には、まだ多くの時間を必要とする。
一方で、つい先日も日本製食品輸入に関する新たな検査表示規制を要求するなど、科学的根拠のない風評被害が続いている。
著者である物理学者の早野氏は、震災直後からツイッターを立上げ、福島原発での被害状況や影響度を、客観的な事実の蓄積で外部に発信し続けてきた。早くから早野氏の活動をフォローしてきた糸井氏との対談。
客観的事実も人による感情、非論理的行動で歪められてしまう。理屈は分かっていても行動は・・・という事だろうか。それ故、科学者は信頼できる客観的事実を公表し続けなければならない。
科学的判断も限界があり、限られた制約条件の中での真実であることを理解しなければならない。早野氏も多くの場面で迷いがあった。しかし地道な事実の蓄積と検証を止めることはなかった。
多くの情報が瞬時に手に入る中で、ニュースソースも多様である。時にセンセーショナルで興味を引く題材のみ取り上げられたり、エキセントリックな表現が人目を引いたりはするが、そんなときでも真実を「知ろうとすること」を基本スタンスとして忘れないでおこう。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
有事の際の素人の心得は信頼できる専門家、メディアを見つけることだろう。そして信頼性の判断軸の一つが「ヒステリックに騒いでいない」こと。逆に一番信用できないのが「大騒ぎする素人の方々」。そういう方々は、自我までゆらいでいるように見える。
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物理学者の早野龍五さん×糸井重里さんの福島第一原発をテーマにした対談集。
一度持った疑いを晴らすのは本当に難しい。でもその疑いの種はどこから来たものか。その種は自分の考えを動かすほど信頼に値するものか。根拠のない声に踊らされないようにしなければと思う。
「大丈夫です」「安心です」その言葉も、いつか科学的に覆るかもしれない。お二人の会話でもっても明確な結論は出ないけれど、情報に常に更新していくことが大切だという。情報が溢れすぎて何が正しいのか分からずつい蓋をしてしまっていただけに、少し踏み込んで自分のなかの原発関連の情報を更新してみよう。
巻末の糸井重里さんの「もうひとつのあらすじ」は近年の情報化社会すべてにあてはまるように思う。
「人というのは、おもしろい生きもので、野次馬というやつをこころのなかに飼っています。」
十人十色様々な視点や考えがあることは良いこと。但し事実が曲げられたり膨らまされていないか見極め、時に柔軟に、時に良い意味で疑り深く情報と付き合っていこうと思った。 -
1冊目が綺麗でも下から2冊目を取ってしまうというたとえに納得。
でも内部被曝は問題ないという根拠が今ひとつだったのがちょっと気になります... -
一度は目を通して損はないと思う。
糸井さんと早野さん掛け合いがすごく分かりやすい。お互いの視点からの言葉。それがスーっと入ってくるし、考えるキッカケを与えてくれた。
138億年前の水素で自分はできてる話。
難しいなともっていた物理学ってそういう視点でみて、想像するとワクワクした。 -
知ろうとすること、ってゆう本でした。知らないままではいちゃだめだと思ってる自分と、知るなら正確な情報でなきゃ意味がないと思ってる自分とがいたんだけど、だからちょっとめんどうで、いまは余裕がないからなあってゆう言い訳めいた気持ちがあった。読んだことでようやく折り合いをつけられたかな。
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近所のアーケード商店街の本棚から拝借して読了。
うーん。
これ読んで「反原発」とか「放射線から子どもたちを守ろう」とか、そういう見方を変える人は変えるでしょうね。
でも、これ読んでも変えない人は変えないんだろうな、ってことが、読んでて一番よく分かったことなんだな。
早野さん自身の身体で「死なない」「問題ない」「少ない」「自然界と同じ」と、測定機器と確かなデータもベースにして話しているのは非常に確かな信頼と安心感をもたらします。
けれども、それでも、
「いや早野さんあんたの身体の場合はそうかもしれないけど、他の子にはしっかり影響があるんじゃないですか?」
とか
「アレだけの事故だぞ?本気で調べたのか?国や東電の隠蔽に加担してるんじゃないのか?」
とか
「0.何ベクレルだろうとフクシマ由来の放射性物質があったら安心は出来ない」
と言う人は言うんだろうなぁ。
そのフクシマに自分は行きもしないで。
カウンターで調べもしないで。
物理をしっかり勉強もしないで。
言うだけはタダ、触らぬ神は触らんままにしといた方が祟りがないもんだから、TwitterだのFacebookだのでフリーで垂れ流しとるんですよ。
私は変わりました。ただ、私の思っていた以上にややこしい問題だったんだなということをまざまざと感じてしまったという、そういうことなんですが。