あらゆる場所に花束が… (新潮文庫)

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著者 : 中原昌也
  • 新潮社 (2005年4月24日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (185ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101184418

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あらゆる場所に花束が… (新潮文庫)の感想・レビュー・書評

  • 大好きな小説。日本文学の乱暴者・極北を行く中原昌也の三島賞受賞作。これはとにかく笑える。まず文章の素人っぽさ。「あまりの迫力に圧倒されっぱなし。」「アスピリンを発見。」「怒りが爆発して、顔面に平手打ち。」「黒飴キャンディをプレゼントしますよ。」など分別のある作家ならまず使わないであろう表現に力ない笑いがこぼれること請け合い。登場人物の独白を「うるせえ!」の一言で片づけてしまったところにあきれたと同時に新しい日本文学の可能性を見た。そして無意味な暴力シーン。会社の友人を公園の木の幹に向かって投げ飛ばしたり、チンピラの鼻柱をテレビで見たサッカーの要領で熱狂的に何度も膝で打ったり、猥褻壁画が崩壊して子供たちが大量死したり、ダンプカーで美容室の女主人を轢き殺したり、気球のオーナーを包丁で刺すために体のあちこちにマーキングしたり、やりたい放題である。物語の明確な筋というものはなく、主人公も誰だかよくわからない。一応一貫して出てくる登場人物は何人かいるが、そいつらが果たして生きてるのか死んだのかもよくわからない。実験的といえばそうだし、適当に書いたといえばそうなってしまう。この本は読まなくても人生に全く影響しない類なので暇な人だけ読めばいいと思う。余談だが俺はこの本を友人との読書会の課題図書に選んだことがある。友人は東野圭吾の『怪笑小説』を持ってきた。メシを喰いながらああでもないこうでもないとメチャクチャな文学論を喋りまくったのだが、あることに気付いて俺は愕然とした。友人が持ち込んだ小説とこの小説の共通点は「笑えること」だが、東野圭吾は綿密な計算の上に成り立つ上質な笑いを『怪笑小説』で提供しているが、『あらゆる場所に花束は』にはそれがない。つまり俺は下らねえ下らねえといいながら笑っているだけなのである。友人に比べて俺の人としての器が小さいことがこの読書会を通じてハッキリしてしまったのである。まあ関係ない話はいいか。おすすめです。

  • ごつごつと乾いたものを、ねっとりしたもので覆いつくしている感じ。
    退廃的で、愚かで、ほんのちょっと美しい。

    言葉も分かる。文章も分かる。
    ただ、流れが分からない。
    でもこの人が凄い事は分かる。

    章ごとに目線をぴったり合わせた語りが、違う人物によって繰り広げられていくので、焦点を合わせていくのに時間がかかった。

  • 2/20
    連関する言葉のイメージよりも、連関することなく捨て去られた言葉への暴力に注目したい。

  • 又吉さんが紹介していた本。
    映画パルプフィクションのような本。
    夢を見ているような話の展開。
    つじつまがあっていないようで、どこかあっている。

    僕にはついて行けなかったけど、賞を受賞しているし、文学会では評価が高いらしい。

    解説を読むとなんとなくわかったような気がする。

  • 反復され重複し、連鎖するイメージの数々が、次の物語を生んでゆく。絶えず浮遊する視点は確かに誰かのものでありながら、同時に何者のものでもあらぬところのものであるような在り方で規定される。ので、ちょっと時間をあけるといま誰が何をしているのかよくわからなくなる。

  • さすがに意味が分からなかった。超細切れかつちょっとエログロ、関連ありそうでなさそうなストーリーが何となく羅列されつつ唐突に終わるというある意味斬新?な小説。前衛小説?アート?なのか。

  • テクスト論破りの小説

  • 大期待の末に読んでがっかり。
    短い小説なのに読み終えるまでの苦痛だったこと。
    思いついたモチーフなり設定なりを一時間くらいでメモしてあとは惰力で書いたのでは。
    嫌になっちゃう。
    こういう作品を無暗に持ち上げる評論家も嫌になっちゃう。

  • 山上たつひこや小林よしのりといった、昔のギャグ漫画
    それに登場する少年主人公が
    そのまま大きくなって
    経済力と闇の権力を握ってしまったら、これはおそろしい
    その行動力と、社会の常識をあざ笑う独特の美学で
    おもしろおかしく人を傷つけて
    みずからの正しさをけして疑わないある種のファシズム
    それを振り回す「小林」という人物に虐げられる一般の人々は
    怒り、いらだち、媚びへつらい
    時にそれを模倣しようとして大火傷を負ったりもする
    「小林」には「小林」なりの理想があって
    自分の好きな花でいっぱいの町を作りたいとか
    ひょっとするとそういう、かわいらしいものなのかもしれないが
    しかしグレート東郷というプロレスラーはこう言った
    「血はリングに咲く花」
    流血沙汰の連続する物語なのである

  • ふー、読み終わった。
    なんだか、異様なエネルギーは感じるんだけど、訳がわからん。
    ひょっとしたら、何年か経って読み直したくなるかもしれない。

  • 茂が食堂で見つけたとても醜い女を観察し、描写する。

    >何が美しいのか、何が美しくないのか……その美的価値基準を他者から押しつけられることに彼女は大胆にも断固として抵抗しようというのだ。それが納税と同じく文明社会に係わる者のルールだというのなら、問答無用に全てを徹底的に破壊すべきだと声高に己の心の中だけで独白することが習慣化……勿論、この主張のためなら彼女は残虐な殺人すら厭わない。初めは民衆にとって他人事であった筈の醜さの定義がいきなり、顔が皺だらけで髪が薄くなったり腹が突き出て肉が弛んだ者までをも含み、より多くの(中年層を中心とした)人々の参加が期待される。

    中原昌也はここで何かをキャッチしたんだろう。キャッチしたときの文章はドライヴ感が溢れている。
    とまれヘンテコな文章である。たぶん、彼女の醜さはもはやイデオロギーとして機能しているということが言いたいのだろう。それは新奇な考えといっていいと思う。けど最後の文章では、「参加が期待される。」という何かの評論か大学生のレポートのような決まり文句で結ばれる。

    大学生のレポートというのは結構的を射た表現かもしれない。大学生は教授にこれこれの事を800字で提出などと言われて、とりあえず期限に出せばいいのだからと、自分では思ってもいないことを(借り物の言葉で)書く。

    さらにいくと、この話題の結びでは「醜いものは所詮みな決まって三流だ」となり、

    >常に一流と見なされているものと俺は接していたい。そういう値打ちのある出会いは、知らぬ間に俺の価値を次のレベルへと確実にステップアップしてくれるからだ。

    というもっとも陳腐な言葉で締めくくられる。
    この流れをまとめるとすれば、こういうニュアンスになるのではないか。

    「いろいろ真剣に考えるんだけど、真剣と言ったってブスについて考えてるわけだから決して真面目ではないし、せっかくたくさん考えたところでまあこんなことはどうでもいいよね」

    そこには何かしらのリアルがあると思われる。
    だって「おもしろい」と感じるし。

    さらに今作は初の長編ということで、やはりヘンテコなところが出てくる。

    同じモチーフをまたちょっと違う形にアレンジして何度も作中に登場させるというのは、長篇小説ならば当然の技法であるけど、その場合のモチーフというのは音楽でいうと倍音みたいな効果をもたらし、読者に「何かわからないけどいい感じ」をもたらす。

    ちなみにこのモチーフというのはだいたい作者によって巧妙にそうと分からないように出されることが多いと思う。その方が「何かいいんじゃない?」感が強まるからだろうな。

    けど中原昌也は開けっ広げにこのモチーフを繰り返す。何の飾りも変装もない。さらに言えばこれがもっともヘンテコなところであるんだけど、その繰り返しに倍音のような効果は一切ない。

    見事にぶつ切りだ。
    「この場面は前のページにも似たようなものがあったな」と思って、その場面を時間的空間的に繋げようとする試み、つまり文脈を作ろうという読者の試みは徒労に終わる。

    現代音楽だな。

  • 【極めて恣意的な読書ノート】
    ◆精神的・身体的暴力に思考を・人間性を奪われ、ひたすらベルトコンベアのペースについてゆく。ゆえに過呼吸。息継ぎもできない。自我を奪回するためにはラッダイトが必要で、そのBEATがようやく生きた鼓動となる。BEATは自己まで打ち毀し、破壊のあとには何も残らない。屍を肥やしに、せめて…花よ咲け。

    ◆文体が合わず、最初は読みにくく辛かったけれど、p.77くらいから、表現に詩を感じて世界に入ることができた。
    ◆はまってくると、〈…た。…た。…た。〉に時折挟まる体言止めが妙なリズムを刻み、ラジオの朗読劇で聴いてみたいと思うようになった(できれば男声・棒読み希望)。
    ◆読んでいるとき、三島由紀夫の詩情(『午後の曳航』)・安部公房の不条理、それから石田徹也の画を思い浮かべていた。
    ◆作者の作る音楽も聴いてみたいと思った。

  • ラスト、気球がとつぜん墜落し、死傷者が多数でる。何の脈絡もない終わり方だが、作者はおそらくこの気球の墜落のように、作品自体をぶっ壊そうとしているのだろう。
    伏線が貼られているようでいて、実は何の意味もなく、相互に何の繋がりもないと思えるようなストーリー、謎のオンパレード、不可解な行動ばかり演じる登場人物たち、それらは意図して書かれているのだろうけど、読みとおすのがきつい。笑った箇所もあるけれど、二、三回だった。作品の長さに比べて笑える回数が少ないような気がする。
    三島賞受賞作。前衛的な作品といってもいいのだろうけれど、私には下手な書き手と紙一重のように思える。
    こんな作品がひとつくらいあってもいい。でも、正直もう読みたくない。そんな感じ。
    * * * * * * * * * * * * * * * * 

     七歳になるリーベリの元に、或る日、継母のケイとその娘ミミがやって来ます。継母に虐められ、リーベリは学校にも通えず、幼い頃から働かされ、友達すらいなくなります。
     リーベリの心の拠り所は、亡くなったママ・ジュリアが遺してくれた魔法の教科書だけ。リーベリは毎日魔法の勉強をし、早く大人になり自由な生活を送れる日が来ることを夢見る毎日です。
     成長したリーベリの唯一の仲間はぬいぐるみやカラスだけです。
     或る日、そんなリーベリは、海岸にひとり男が倒れているのを見つけますが……。


    にゃんくの本『果てしなく暗い闇と黄金にかがやく満月の物語』より

    ↓ここから本を試し読みできます
    http://p.booklog.jp/users/nyanku

  • 解説を含めても200ページ足らずの薄い文庫本だが、中原昌也作品としてはかなり長い方。解説によると今のところ著者唯一の長編らしい(未読があるので間違ってるかも)。
    短篇と同じく不条理で唐突、何か得られるものがあるのかと言えばそれも疑問……だが、独特の言語センスや単語のユニークさをこれでもかというぐらい楽しめる。
    解説でも言及されていた鉄槍の描写は想像すると笑わずにはいられない。

  • どうしようもない出来事とどうしようもない登場人物達に気が滅入り、余りに意味不明な状況に滑稽さを感じ、読み進めるうちに妙なテンションになる小説 最後幾つかの断片が拾い上げられて一応の終結をみせたかのように思えるのだが、結局のところ始めから終わりまで訳のわからないことばかりだった そこが面白かったのだけれど

  • 花束をおく傍観者がいるのかしら。読者がおいてくださいってことかも。

  • 面白いのだか面白くないのだかわからなかった。ただ、セリフなどが妙に印象的だった。もう一度読めば面白く感じるのかもしれない。

  • 第14回三島由紀夫賞受賞作。
    話が一定方向に流れるのではなくて、途中で何度も人物や場面が変わる。

  • つかれーたー!
    後書きと解説が一番面白かったよ!!

  • 支離滅裂、出鱈目前衛小説。

  • 登場人物の名前がいちいち素晴らしいわい!

  • ユーモアに満ち満ちた文章で意地悪く笑えたから、筋とかどうでもよくなってしまって。

  • よくわかんね〜。

  • 別に面白くないし特に学ぶこともないし文章もひどいのだが、しかしこのよく見せようなどとはまるで考えていないであろう原始的で生っぽいテキストが時々とても読みたくなるのも事実で、ついつい手を出してしまう。

    この人が文章でやろうとしていることには感心するし、誰にでもできそうに見えて誰にもできないと思うので、わりと憧れる。

    あと、いくつか読んでみて中原昌也は長編より短編の方が面白いと思った。

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あらゆる場所に花束が… (新潮文庫)の作品紹介

どこからか聞こえてくる「殺れ!」の声。殺意と肉欲に溢れる地上を舞台に、物語は進む-。暗い地下室で拳銃に脅かされながら、絵ハガキを作らされる男。河川敷で、殺人リハーサルを粛々と敢行するジャージ姿の一団。ペニスを露出させ、謎の人物を追う中年ルポライター…。それぞれが複雑に乱舞、絡み合いながら、前代未聞、仰天の結末へと突っ走る。異才が放つ、三島賞受賞の超問題作。

あらゆる場所に花束が… (新潮文庫)の単行本

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