智恵子抄 (新潮文庫)

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  • Amazon.co.jp ・本 (196ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101196022

作品紹介・あらすじ

附録: 悲しみは光と化す (草野心平著 147-163p)

感想・レビュー・書評

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  •  あどけない話


    智恵子は東京に空が無いといふ、
    ほんとの空が見たいといふ。
    私は驚いて空を見る。
    桜若葉の間に在るのは、
    切っても切れない
    むかしなじみのきれいな空だ。
    どんよりけむる地平のぼかしは
    うすもも色の朝のしめりだ。
    智恵子は遠くを見ながら言ふ。
    亜多多羅山の山の上に
    毎日出てゐる青い空が
    智恵子のほんとの空だといふ。
    あどけない空の話である



    、、、私が十代のころ、智恵子抄が家の本棚にあり、パラパラと読んでいて、この詩が、一番、印象に残っていた。智恵子さんの、切絵作品も、カラーで載っていて、美しい。このたび新潮文庫の智恵子抄を読み返したくなり、購入した。改めて読むと、高村光太郎の、智恵子を本当に熱烈に愛していたのが分かる。……智恵子さんと同じ病を持ち、二十数年経った私が、今この本を読むと、智恵子さんの視点で、考えてしまう。高村光太郎は、智恵子を芸術家の眼で視ていて、芸術作品とした。狂気を孕んだ無垢な女は、創作のインスピレーションの泉であったことだろう。高村光太郎の、愛、は本当でも、その愛は、多いに自分にも、向けられていたように、感じてしまった。高村光太郎は、詩作の中で、何度も「人間でなくなった智恵子」というような表現をしているが、私には、詩人の感傷のように思えてならなかった。

    、、、ともあれ、素晴らしい詩をたくさん読むことができて、とても良かった。


    • まいけるさん
      あの頃

      人を信ずることは人を救ふ。
      かなり不良性のあつたわたくしを
      智恵子は頭から信じてかかつた。
      いきなり内懐(うちふところ)に飛びこま...
      あの頃

      人を信ずることは人を救ふ。
      かなり不良性のあつたわたくしを
      智恵子は頭から信じてかかつた。
      いきなり内懐(うちふところ)に飛びこまれて
      わたくしは自分の不良性を失つた。
      わたくし自身も知らない何ものかが
      こんな自分の中にあることを知らされて
      わたくしはたじろいた。
      少しめんくらつて立ちなほり、
      智恵子のまじめな純粋な
      息もつかない肉薄に
      或日はつと気がついた。
      わたくしの眼から珍しい涙がながれ、
      わたくしはあらためて智恵子に向つた。
      智恵子はにこやかにわたくしを迎へ、
      その清浄な甘い香りでわたくしを包んだ。
      わたくしはその甘美に酔つて一切を忘れた。
      わたくしの猛獣性をさへ物ともしない
      この天の族なる一女性の不可思議力に
      無頼のわたくしは初めて自己の位置を知つた。

      私が一番好きな詩です。
      中学生の時、友達が手紙でこの詩を教えてくれてはっとしました。

      人を信じることは人を救う
      2021/08/14
    • りまのさん
      まいけるさん

      素敵な詩!ですね。良いお友達をお持ちであったのですね。
      智恵子抄を、取り出して、読んでみました。
      けれど何故か、「あの頃」と...
      まいけるさん

      素敵な詩!ですね。良いお友達をお持ちであったのですね。
      智恵子抄を、取り出して、読んでみました。
      けれど何故か、「あの頃」という詩、太宰治の人間失格に出てくる、人を信じ過ぎる、無垢な女を、連想させます。
      いえいえ、やはり、智恵子は高村光太郎にとって、天女のごとき存在であったのでしょう。

      私も、ハッとしました。
      ありがとうございました。 (*^^*)
      2021/08/14
  • 高村光太郎の愛の詩集だ。
    「いやなんです
    あなたのいつてしまふのがー」
    そのフレーズは知っていたけれど、「人に」というタイトルすら知らなかった。
    また、「人に」というもう一つの詩があることも初めて知った。
    「智恵子は東京に空が無いといふ、
    ほんとの空が見たいといふ。」
    こちらも、「あどけない話」というタイトルであることを知らなかった。
    私にとって、本当に初めての高村光太郎だ。

    『人に』(いやなんです)
    光太郎と智恵子が出会った時、智恵子には婚約者が居たのだそう。
    だから、
    「いやなんです あなたのいつてしまふのが」
    なんですね。
    知らなかった~。
    「花よりさきに実のなるやうな
    種子よりさきに芽の出るやうな
    夏から春のすぐ来るやうな
    そんな理屈に合はない不自然を
    どうかしないでゐて下さい」
    焦がれる気持ちで溢れている。
    すがっていると言ってもいいくらいに。
    ○○のような…○○のような…と重ねに重ねているからこそ、正直に真っ直ぐ述べる最後の2行が切なく胸を打つ。
    「おまけにお嫁にゆくなんて
    よその男のこころのままになるなんて」

    でもこれ、ただすがっているだけじゃなさそう。
    「そして男に負けて
    無意味に負けて
    ああ何といふ醜悪事でせう」
    これって、決められた婚約者の元に嫁ぐなんて、そんないいなりになっていていいのですか?と言っているのかな。
    それだけでは言い方が強めだな…と思い少し検索すると、光太郎はフェミニストだったとの記事があった。
    女性の権利を認め、男女平等に価値観を求める人であったということ。
    そんな光太郎だからこそ、自分の心惹かれる女性が、言いなりになって嫁いでいくことに我慢がならなかったのだろうな。

    「ーそれでも恋とはちがひます
    サンタマリア
    ちがひます ちがひます」
    恋を否定すればする程に、どれほど恋い焦がれているのかが伝わってくる。
    高村光太郎は1911年(明治44年)12月に智恵子と出会ったとのこと。
    「人に」は1912年(明治45年)7月の作品。

    光太郎と智恵子は1914年に結婚。
    だけど、平穏な生活は長くは続かなかった。
    1929年に智恵子の実家が倒産。
    この頃から智恵子は体調を崩し始めて、精神を病んでしまう。


    『レモン哀歌』
    「そんなにもあなたはレモンを待ってゐた
    かなしく白くあかるい死の床で」
    智恵子の詩の間際を書いた詩。
    あかるい死の床、レモンの清々しさ、それらによって二人の愛が神聖なものに昇華されているように思えた。

    「その数滴の天のものなるレモンの汁は
    ぱつとあなたの意識を正常にした
    あなたの青く澄んだ眼がかすかに笑ふ
    私の手を握るあなたの力の健康さよ」
    正常に戻れば、智恵子は確かに自分を愛しており、握り返してくる手の力も健康的であるというのに、その一瞬に全ての愛をかたむけ、彼女は逝ってしまう。
    光太郎にとってどんなに大きな悲しみであっただろう。
    同時に、これまで智恵子につくしてきたことが報われもしたのではないだろうか。

    「写真の前に挿した桜の花かげに
    すずしく光るレモンを今日も置こう」
    「今日も」とあるように光太郎はこれまでも、そしてこれからもレモンを供え智恵子を想ってゆくのだろうな。
    それでも、「今日も置く」ではなく「今日も置こう」としたことで、そこに動きが生まれているような気がする。
    そうやってレモンを供えることが、日常生活の一部であるように。

    智恵子が亡くなったのは1938年(昭和13年)10月で、肺結核だったのだそう。
    この詩は1939年2月の作品。


    『智恵子の半生』
    これは高村光太郎が残した随筆だ。
    彼女の存在が光太郎の大半を占め、彼女の死が光太郎にどれほど大きな衝撃を与えたかがよく分かる。
    「自分の作ったものを熱愛の眼を以て見てくれる一人の人があるという意識ほど、美術家にとって力となるものはない。」
    「製作するものの心はその一人の人に見てもらいたいだけで既に一ぱいなのが常である。私はそういう人を妻の智恵子に持っていた。」

    智恵子を亡くし空虚な日々を過ごす光太郎だったが、
    「或る偶然の事から満月の夜に、智恵子はその個的存在を失う事によって却て私にとっては普遍的存在となったのである事を痛感し………」
    とある。
    心の支え、想像力の源だった彼女が、本当の神の領域としてのミューズに昇華された瞬間だろうか。

    この『智恵子の半生』の中で光太郎は、実に冷静に客観的に、智恵子と自身について語っている。
    『智恵子抄』を読む前に、こちらに目を通したほうが良かったかもしれない。
    智恵子も洋画家であり芸術家だった。
    そんな彼女にとって「肉体的に既に東京が不適当の地」であり、「田舎の空気を吸って来なければ身体が保たないのであった」と光太郎は語っている。

    「私は時々何だか彼女は仮にこの世に存在している魂のように思える事があったのを記憶する。彼女には世間慾というものが無かった。彼女は唯ひたむきに芸術と私とへの愛によって生きていた。」

    智恵子の命日10月5日は『レモン哀歌』にちなんでレモン忌と呼ばれる。

  • 何もわからないくせに
    高村光太郎にかぶれてた。
    「東京には空がない」など暗唱していた。
    かなり文学少女気取りか!「自分」
    今でも本の表装が赤で覚えてる。
    じっくり読んでみたらどうだろう〜

  • 詩を解する心が自分に乏しいので、それが半分を占めるこの大作をなんとなく避けてきたが読んでよかった。

  • 私の1番好きな本です。
    高村光太郎が妻・智恵子を思って書いた詩集。
    出会ってから亡くなってしまっても。
    有名な詩ですが「あどけない話」が好き。
     智恵子は東京に空が無いといふ、
     ほんとの空が見たいといふ。

    智恵子のように純粋になりたい。。。

  • 修学旅行に持っていった。静謐でみずみずしい言葉たちがだいすき。高村光太郎は「レモン哀歌」から知ったけれど、この詩集の巻頭の、「人に」がとても響いて入り込めた。こころの奥からまっすぐに恋人に目を向けている感じがすてき。

  • 高村光太郎氏のことを未だに彫刻家だと思っている私ですが、詩人としても活動されたそうでこの作品は有名ですね。

    智恵子抄の智恵子は奥さんのこと。
    何度も映像化されたり、他の作家にリメイクされたり、歌になったりと忙しい作品でした。
    せっかく生まれてきたなら、ここまで愛されたい(?)ものですね。愛というものが何かを伝えるにはいい教科書です。

  • 目の前で見てきた妻がどんどん変わり果ててしまうのをどんな気持ちで見ていたのだろうというまさに興味心で読み始めたが、あまりにも純粋で心から愛されているのが本当にわかる。智恵子さんが亡くなっても尚、作品を発表した強さには感動して涙した。でもやはり世界一愛していた、世界一自分自身の作品を見てくれた彼女の存在は彼にとって大きすぎるもので亡くなってからはもう初めの詩とは全く違う雰囲気と言葉を使った詩になっておりそれが読者の私でも本当に心が痛かった。

  • 友人の結婚式への道すがら読んだ。
    後から知ったことだが、高村智恵子は日本女子大学の出だった。我が友人も同窓である。何かの縁だったのかもしれないと思う。
    光太郎と智恵子の無類なき愛の物語。

    「あどけない話」だけ知っていたが、「冬の朝のめざめ」がよかった。

    ヨルダンの川に氷を噛まむ

  • あなたは私の為に生まれたのだ
    私にはあなたがある あなたがある
    (「人類の泉」)

    智恵子は自分の作品をはにかみながら光太郎に見せたとありますが、上記などの熱烈なラブレターと取れる詩を光太郎も智恵子に見せたのだろうかと思いました。

    出会ってから結婚、そして智恵子が病んでも、亡くなってからも変わらず智恵子を愛し続けた光太郎。智恵子の病は深刻で、苦しい日々が続いたと想像されますが、夫の全幅の愛情で支えられて幸せな人生だったのではないかと思いました。

  • 私は詩に明るくないけれど、この本は時折読み返す。昔は清らかな愛が素敵という印象だったが今は違う。
    愛する人との幸せな生活、統合失調症の発病、自殺未遂、そして死。
    自らの無力さを感じつつ愛を昇華させるのは苦しかったはず。こんな風に人を愛してみたい。

  • 智恵子抄をいつか読みたいと思っていたら、15年前にこの本を読んで妻に強く勧め一緒に泣いたとゆう驚愕の事実が今日分かりました。
    私が智恵子になる日も近そうです。
    もうなっているかもしれません。
    ただ、今のところぜんぜん美しくないです。

  • わがこころはいま大風の如く君に向へり

    こんな風に誰かを想うというのは
    奇跡のようだなぁと思います

    あなたはわたしの全てとまで歌いそうな
    全編に溢れるような愛

    こういうことを思えるのが人間性であり
    愛情というのはほんとに奇跡のようなものだなと

    悲しみもすべて感じるしかないのだなと
    手ばなして委ねるだけではないのだなと
    自然のリズムと人間の叡智と


    読み終わる頃には光太郎の哀しみを想って
    おもわず涙しました。

  • チープなラブソングが交差点に吹きだまるこのご時世。恋なんて愛なんてそんなもんだと思ってましたが、どうやらそうでもないらしい。この詩が教えてくれました。誰かを愛したくなる詩です。

  • 愛だなぁと思った
    もう智恵子さん(高村光太郎の奥さん)が高村光太郎の全てだったんだなぁってことが全ての詩を通して耳元で訴えかけてくるようだった
    一般的な恋愛を敢えてフィルターにするなら重い恋愛なのだろうけど、重いって裏を返せば真剣に愛してることでもあるんだよなぁと思ったり
    これくらい愛されてみたい気持ちもある

  • “私はこの世で智恵子にめぐりあつたため、彼女の純愛によつて清浄にされ、以前の廃頽生活から救ひ出される事が出来た経歴を持つて居り、私の精神は一にかかつて彼女の存在そのものの上にあつた”
    詩人高村光太郎は本書の中でこのように綴った。
    明治の末年、グロキシニアの鉢植をもってアトリエを訪れた智恵子との恋愛時代から、結婚生活、夫人の発病、そして昭和十三年十月の永別までを通した高村光太郎の詩集である。その一つ一つは力強く描かれ、希望を感じさせてくれるものばかりである。コロナ禍の中気分が落ち込みがちの毎日で高村光太郎の力強さに触れてみてはいかがだろうか。

    中央館 : 自動化書庫, 911.56//Ta45
    OPAC:https://opac.lib.niigata-u.ac.jp/opc/recordID/catalog.bib/BA33460076

  • 草野心平のあとがきがよかった。あとがきを読んでもう一度詩を読むと楽しい

  • 智恵子抄
    (和書)2011年05月01日 10:42
    2000 新潮社 高村 光太郎


    智恵子抄・・・・前から目を通したいと思っていて、ようやく読むことになる。

    詩もよかったが、顛末が書かれている雑文も読めてどういうことなのか一端が理解できました。

    精神の病というものも人ごとではないので読んで良かったと思う。

    切り絵も綺麗だと思いました。

  • 好きな相手が精神病に罹ったら、どのような感情や態度になるのだろうか。レモンの詩は、心に残る。

  • 彫刻家である高村光太郎の妻智恵子への深い愛とやがて精神が蝕まれる智恵子への深い哀愁の念が全編にわたり貫かれている美しき魂の遍歴。悲しき現実と智恵子の妻として人しての美しさがひしひしと伝わってくる。人を愛することがここまで稲妻のように強い思いの楔を人に打ち込むのか。

  • 妻への深い愛情を感じた。人はこんなにも愛し合うことができるものなんだなあ。

    【紙の本】金城学院大学図書館の検索はこちら↓
    https://opc.kinjo-u.ac.jp/

  • 著者の死んだ妻智恵子について描かれた詩集です。著者の妻に対する愛とやさしさを感じると共に、死んでもなお夫に愛される幸せを感じました。

    九州大学
    ニックネーム:川島太一郎

  • たまにこれを読まないと心が曇るのですよ

  • 智恵子さんへの愛の詩集です。切抜絵を拝見しながらページを進めるとよいです。 ぱぴい

  • 日本の代表的な詩集を読んでみる。
    芸術家夫婦の愛のかたちがリアルに表現されている。
    「東京には空が無い」と言う智恵子の言葉が印象的。
    光太郎の本当の気持ちはどうなのか。
    智恵子は幸せだったのだろうか。
    答えが出ない作品だからこそ後世に残るのかなと思う。

  •  
    ── 高村 光太郎《智恵子抄 1941‥‥ 新潮文庫》
    http://booklog.jp/users/awalibrary/archives/1/4101196028
     
     
    (20231128)

  • 学生のときに授業でやらなかったレモン哀歌が大好きだったため購入しました
    一つ一つが愛を語るみたいに丁寧でとても好き

  • 高校の国語の教科書にのっていたときから好き。
    樹下の二人が好き

  • 詩を感じるだけで読むのもいいけれど、今回は高村光太郎さんと智恵子さんがどのような方なのか、どんなタイミングでこの詩を詠んでいるのか調べるだけで想像力が膨らむ。

    その上で、やはり、レモン哀歌がわたしも一番すきな詩です。

    他に今回読んでいいなと思ったのは
    ・おそれ
    ・人に

    あとは智恵子さんの切り絵、調べたけどとてもかわいらしくてすき。

  • レモン哀歌と梅酒が良き。
    小学生の時に暗唱していた。
    この詩に出会わせてくれた先生に感謝。

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著者プロフィール

詩:詩人・彫刻家。高村光雲の長男。東京美術学校卒業後、欧米に留学してロダンに傾倒。帰国後、「スバル」同人。耽美的な詩風から理想主義的・人道主義的な詩風へと転じる。代表作:「道程」「智恵子抄」「典型」「ロダンの言葉」等。


「2013年 『女声合唱とピアノのための 組曲 智恵子抄』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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