- Amazon.co.jp ・本 (256ページ)
- / ISBN・EAN: 9784101200361
感想・レビュー・書評
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徹頭徹尾、隈研吾の現場主義と現実主義が表出している自伝的一冊。建築とは人の生活の提案である、という一貫した姿勢には感銘を受けるし、奮い立たせられるものがあった。
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すごい建築家の隈研吾氏、すごい経歴で挫折なんてなかったんだろう、と勝手に思ってたけど、失敗や葛藤を繰り返し、文化を守り新しい文化を作っていこうと奮闘してる隈研吾氏だった。宮城の復興を建築の力で支えてくれています。隈研吾氏の建築物、みて回りたくなります。TEDもおすすめです。
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安藤忠雄はあまりにも有名だが、ひとつ上の世代。それに対して隈さんはリアルタイムで活躍してる建築家である。
とは言っても、初めて認識したのは太宰府のスタバなので、最近なんだけど。(そんなに建築家に興味が無かっただけです。すみません。)
でも時々ネットやマスコミの記事でお見受けしてて、そうしていると、ザハで話題になった新国立競技場を設計されることに。一躍時の人になられて、どんな人物か気になってました。
建築をアカデミックに学んだ戦後第4世代だからこその、反コンクリート志向。世界の国々や歴史と対峙しながら、ブランドに留まることなく、現場にこだわっておられる。バブル期の挫折があったからこそ、90年代の日本の谷での仕事があり、またそこから世界で活躍するに至った様は本のタイトルどおりでした。
別の著書も読んでみたくなりました。
もちろん建築も見に行きたいです、出来る限り。 -
最近隈研吾さんが気になってたから読んだけど、この人忙しすぎて、この人が話したことをライターがまとめた本らしい。
さすがは世界的建築家で自分の志す建築がどういうものか、探求し、理解していて、かつそれがとても説得力あるものだった。かっこいい。。
一番心に染みたのは、隈さんが建築に「死」を取り戻したいと言っていたこと。近代建築はコンクリートが不老不死で最強っていう「神話」の上に成り立っていた。けど、東日本大震災で近代建築の無力さ、限界を知った僕らはいまこういう方向に向かうべきなのではと。コンクリートは固まった時点で完結であとは壊れるのを待つだけ、取り返しがつかない。木材とかは建物の完成がスタートでそこから古びていき、味が出てくるし、組み直し、作り替えが用意。壊れ方までデザインしていくのが21世紀的建築なのではと。
家が永久の資産なんてとんでもないし、不動産業界とか投資の世界の宣伝文句でしかない気がしてきた。賃貸で十分やし、家を立てるにしても負の遺産にならないものにしたいと思った。 -
某テレビ番組で、林先生が引用していたのが印象的で読む。
超有名な建築家、時の人の自叙伝。
普段、この手の話を読むと自慢たらしくて嫌になることもあるのですが、
これがめちゃくちゃ面白い。
日本人の問題、建築の問題、
どれも「なるほど」とうなずいてしまうことばかりで、
あっという間に読んでしまった。
建築家に憧れる生徒はたくさんいるので、彼らにぜひ読んでほしいもんだ。 -
芯が通っている人に思えた
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隈研吾さんの自伝的な仕事論。大変面白いし、彼の真摯で柔軟な、そしてパワフルな姿勢に感動する。
海外に飛び出すんだ!という叱咤激励も身にしみる。
そこにどうやって行くか、だと思う。 -
ほら ご神体は「鏡」だし
建物の材料は 全て「木」と「土」で
できあがっているでしょう
そうなんですよ
最終的には 全てが自然に還っていく
それが 本来の「神社」なのです
と 知り合いの宮司さんから
教えてもらった話を思い出した
本書は何気なく手に取って
さほど、思い入れもなく
なにげなく読みだたのだけれど
これが とてつもなく 面白い
単なる「建築」の話にとどまらない
その場所にどうあるべきか
その時代にどうあるべきか
それを どうとらえるのか
それを どう考えるのか
まるで 一人の哲学者のお話を
聞かせてもらっているようでした
反ハコ、反コンクリートの建物を
なぜ そういうふうに
なぜ そう考えるか
なぜ そうなっていくのか
世界各地に国内に
創り続けておられる
一人の建築家の
一人の思想家の
軌跡がこの一冊です -
モダニズムに対峙して、優しい、場所や自然に溶け込み、生命のサイクルを感じさせるような建築に取り組んできた隈研吾のエッセイ。デザインを職業として真剣に取り組んでいる人の精気が満ちていて、元気が出る。
世界の建築現場を見渡した時、意外に中国では環境負荷にフォーカスしているとか、韓国の建設ビジネスのアグレッシブな活躍ぶりとか、アメリカのディベート教育の不毛とか、組織の中での報告に求められる厳しさなど、面白い話題が満載。