ゆうじょこう (新潮文庫)

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著者 : 村田喜代子
  • 新潮社 (2016年1月28日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (377ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101203515

ゆうじょこう (新潮文庫)の感想・レビュー・書評

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  • 硫黄島を離れ、熊本の廓へと売られた主人公イチ。
    悲惨な話なのに何故か温かさを感じる作品。
    遊女らしくない天真爛漫なイチにとても惹かれました。
    途中、福沢諭吉の学問のすゝめが一部抜粋されており、かなり奇抜な事を書いているんだと無知な私はちょっと鳥肌モノでした。

  • 女性だから書ける、女の世界。シビアで甘ったるさがない。でも主人公の生命力と言葉で最後まで引っ張られる。20代で読んでいたら自分の女性性の捉え方が変わったのかもなあ。感覚や描写は男性が読むと生々しいかも。

  • 遊女”校”なのか、”考”なのか、”抗”なのか…父親がさらに借金を重ねにやってきた、という下りの部分が重いが、振袖新造になっても田舎言葉で日記を記す主人公の強さのおかげで悲惨さはない。最後は女性のエンパワーメントになっていて解放感すらあり。
    それほど遠い昔の話ではないが、今となっては遊郭の暮らしは異世界モノのよう。一見、豪勢な暮らしをしているように見える花魁も、遊郭の場所を借りた自営業で何かと借金が減らない仕組みになっている。一人の人間を花魁というキャラとして崇めたり、搾取したりする罪深さよ。

  • 硫黄島の海女の娘・青井イチ。困窮する家を救ふために、熊本の郭に売られてしまひます。15歳。時代は明治中期くらゐでせうか。当時は貧しさゆゑに、娘を売る家は珍しくなかつたと聞きます。
    イチが売られたのは、熊本一番の遊郭である「東雲楼」。楼主の羽島茂平は、大阪堂島の米相場を牛耳る実力者。
    ここでイチをはじめとする娘たちは、各花魁に遊女としての教育を徹底して仕込まれるのであります。イチは「小鹿」なる源氏名を与へられました。
    イチが預けられた花魁は、一番の稼ぎ頭である東雲さん。聖母のやうに、後輩たちを温かく見守ります。

    当初のイチは、島ことば丸出しで、「けー、こー、こけー、こー」などと、ニワトリみたい。現在でもネイティヴの鹿児島弁は、耳で聴くだけでは理解出来ぬ事が多い。まして当時の、しかも島ことばになりますと、本土の人にとつては外国語そのものでしたらう。
    郭には「学校」もあり、「女紅場(じょこうば)」といふ名前。ここで一人前の娼妓としての技能知識を身に付けるのです。先生に相当する「お師匠さん」は、赤江鐵子さんといふ中年女性。キリッとタスキをかけてゐます。
    女紅場でイチが書く日記が面白い。島ことばで書くので、文字で見ても理解不能。それで標準語のルビが振つてあり、やうやく理解できるのであります。

    鐵子さん自身も勉強家とお見受けしました。福沢諭吉の欺瞞を指摘する箇所などは、快哉を叫びたいところでした。さうなんですよ、著書を読めば分かるが、この福沢翁は、徹底した差別論者であります。しかも自身の自覚はどうやら無い。なぜ未だに神格化され、お札の顔なんかになつてゐるのか、わたくしには首肯しかねるのであります。まあいいけど。

    女としても成長してゆく青井イチ。郭の中では様様な出来事が起き、その都度新しい発見や悲しみが。逃亡する女郎、妊娠する花魁、刃傷沙汰......そして天神(花魁に次ぐ位)の夕浪さんの一言をきつかけに、物語は大きく展開してゆくのです......
    生々しい女だけの世界を描きながら、ドロドロした感じは全くなく、寧ろ爽やかな感動を呼ぶ長篇小説であります。面白いよ!

    http://genjigawa.blog.fc2.com/blog-entry-711.html

  • 粗にして野だが率直で利発、磨かれる前の原石そのもののイチがどう成長していくのか、廓の天国と地獄の狭間でハラハラしつつ興味が尽きない。
    「踏みしめる足場のない所」で垣間見える鐵子さんや東雲さんの優しさにホロッとくる。三人の心が交流する紅絹の休みの話が好き。反面、娼妓を取り巻く世間や環境は怒りが湧くことばかり。
    火山の溶岩が海へ流れ出すような静かに燃える熱いラスト、彼女たちのあまりに険しい前途を思うと若干気持ちは暗くなる。それでもこの選択が報われることを祈らずにはいられなかった。

  • 遊女もの、は好きで色々読んだけどなかなか新しい視点とヒロインで面白かった。
    村田喜代子、の時点でなんというか土着的な空気は予想していたけれど。
    願わくばもうちょっと、色めいていてもよかったかなぁ。好みとして。
    ヒロインがあまりにも女、として開いていかないのがちょっと不思議ではあった。

  • 先日花魁道中を見に行った。
    これがあの八文字かと胸を高鳴らせた。
    混み合っている中、そばにいた中年女性が連れに言った。
    「女なら憧れるわよねえ。綺麗な着物着てさ」

    確かに綺麗な着物には憧れるけれど、実際の花魁に憧れを持つかといえば、どうだろう?
    身体を売ることに抵抗がある(だからと言ってその職にいる人を貶めるつもりはない)だけではなく、病になっても医者に見せてもらえずそのまま命を落としたり、誇りを踏みにじられたり、親に借金をどんどん増やされたり......。
    苦界そのものだ。

    男たちの作った世界、彼らが思い描き、その思い通りの時間が流れる中で、女たちはどれほど犠牲を払い辛い目にあってきたのだろう。


    本書は明治になってからの熊本。
    硫黄島から売られてきた青井イチ(子鹿)の目から見た廓の物語だ。
    太夫の妊娠、出産、位の低い遊女の逃亡、転売。
    その中で生きるよすがとなるのが女紅場と呼ばれる遊女たちの学校だ。
    教師役の鐡子は元武家にして元遊女。
    彼女が遊女たちの背中を押す。
    誇りを持て生きよ、と。
    鐡子は福沢諭吉の『女大学』に希望を持つが、次第に諭吉の不平等、不公平の思想を見、失望し、怒りを覚えるようになる。
    そして遊女たちに知恵を授け、ストライキを起こさせるのだ。

    福沢諭吉の不公平の思想は当時からすれば、それでも画期的なものだったのかもしれない。
    しかし私も受験生の頃にその違和感を感じたのを覚えている。
    天は人の上に人を作らず、人の下に人を作らずといへり、そう語ったのと同じ人物とは思えなかった。

    東雲太夫の言葉が胸に残る。
    楼主は決して悪人ではなかった。
    遊女を騙したり、酷いように扱ったりはしなかった。
    「それでも」「それでもお前様は、人を売り買いしなさんした」

    美化された言葉ではこの太夫の言葉は伝わるまい。

  • 時代は明治初期、場所は熊本の遊郭。ちょっと変わった設定だが苦界に身を置かざるをえなくなった少女を中心に、社会の変化に戸惑いながらも新しい時代を逞しく生きる女性の姿が描かれる。方言で綴られた少女の日記が効果的にその真摯な思いを訴える。

  • 南の小さな島で、貧しい漁師の家に生まれたイチは、15歳で熊本の遊郭に売られる。
    広い海で大きな海亀と泳ぎ暮らしていた少女は、きらびやかな牢獄で囚われの日々を送ることになる。
    鄙で生まれ育ったイチは、訛りがきつい。「ください」は「けー」、「ここへ」は「こけー」、「これ」は「こー」、「食え」は「けー」、「来い」は「こー」。口数の少ない少女が必要最低限のことをしゃべると「こけー、こー、けー、こー」とまるでニワトリのようであった。
    体は真っ黒に日焼けし、行儀も何もなく、小柄で痩せてサルのよう。
    どたばたと歩き、訛りを隠すための遊郭独特の言葉もまったく身につかない。
    およそ人間らしくない野生児が、突然、絢爛豪華な世界に放り込まれる。見た目は美しい極楽のようだが、その実そこは、性と金に支配される底なしの地獄だった。

    島で育ったうえ、まだ子供であるイチは、島の外の広い世界のことは何も知らない。だが彼女には強靱でしなやかな身体とそれに見合う「魂」があった。
    女紅場(じょこうば)と呼ばれる遊女たちの学校で、日記を書くことを教えられた少女は、つたない国言葉を重ねて、汚い字で、日々のあれこれを綴る。
    有無を言わせぬ破瓜。望まぬ務め。不人情な客。かさむ借金。身勝手な親。
    理不尽な出来事を睨みつけ、叩き付けるように文字にしていく。
    それは世界をぶった切ろうとする、小さなしかし鋭い刃のようであった。

    イチを見守る2人の女がいる。
    1人は、イチを預かり、面倒を見ることになった姉さん格の東雲(しののめ)。店一番、いや廓一番の売れっ子で、遊女のトップクラスである「太夫」である。時には菩薩のように、時には魔物のように、底知れぬ美しさを持つ。
    いま1人は、女紅場の先生である鐵子。遊女上がりである。幕臣の家の出で、御維新で家が傾いた。大家族が田舎に引っ越す工面をするため、長女である鐵子が身を売ることになった。つらい年季が明けた後、遊女たちに文字や書、算術を教える先生の職に就いた。
    非常に対照的な女たちだが、いずれも凛と芯が強い。
    激動の時代の中、女たちは自らの境遇や世の中を見据える。
    世界の価値観が揺れ動く中、女たちは考え続ける。自分たちはどういう場所にいるのか。ここで何が起こっているのか。これは「正しい」ことなのか。
    イチはこの2人をつなぐ架け橋となる。

    東雲は太夫として何不自由ない暮らしを送っている。艶然と男たちを意のままに扱い、楼を支え、多くの者を養う金を稼ぎ出す。それでもなお彼女は「売られた」身で、「賤業」に就いていることには変わりはない。
    鐵子は若き日、福澤諭吉の「学問のすすめ」「新女大学」に感動した。だがそれは読み込むにつれて、彼女を落胆させる。すべての人が平等と謳いながら、裏には女、特に遊女を低く見る偏見が渦巻いているのが彼女には見えた。
    明治維新という激動の時代の中、それまでの世界を支えていた制度や価値観が崩れ、遊郭も揺れた。キリスト教的な思想による外圧もあった。人権意識の高まりもあった。
    物語のモデルとなった熊本・二本木では、1900年(明治33年)、遊女による大規模なストライキが起きている。
    そんな中、遊女たち自身はどう暮らし、何を思っていたのか。著者の濃密な筆は、力強く、ときにユーモラスに、ときに壮絶に、女たちを描き出す。

    イチは日記を綴り続け、考え続ける。その国言葉は稚拙かもしれないが、強い。彼女は最後まで、国訛りを捨てない。それは、自分の言葉で考え、自分の言葉で表現する術を捨てないということだ。
    その考えがたどたどしくても、ときに浅薄でも、身のうちから発した思想は強い。それは誰にも奪われぬものだから。
    彼女は最後に、自らの意志で海に泳ぎ出す。荒海かもしれない。生き延びることは叶わぬかもしれない。けれど、決めたのだ。
    びんと強靱な尾びれを振って1匹の魚がゆく。その潔さがまぶしい。

  • 娼妓として売られ、地獄だと気づきながらも本質である生き生きとした心を失わないイチ。
    時代と世間に飲み込まれてそこにいるのに、日々を生きていく事で、逆にすべてを飲み込んでいくよう。
    激しくないのに、すごく激しい。
    ドロドロとした所は無いのに、より人身売買という差別の苦しさが胸に刺さる。

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ゆうじょこう (新潮文庫)の作品紹介

貧しさゆえ硫黄島から熊本の廓に売らた海女の娘イチ。郭の学校〈女紅場〉で読み書きを学び、娼妓としての鍛錬を詰みながら、女たちの悲哀を目の当たりにする。妊娠する者、逃亡する者、刃傷沙汰で命を落とす者や親のさらなる借金のため転売される者もいた。しかし、明治の改革の風を受け、ついに彼女たちはストライキを決意する――過酷な運命を逞しく生きぬく遊女を描いた、読売文学賞受賞作。

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