縛られた巨人-南方熊楠の生涯- (新潮文庫)

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  • Amazon.co.jp ・本 (514ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101209128

感想・レビュー・書評

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  • 南方熊楠の伝記である。多くの本の中で非常に詳しく書かれている。海外、特に大英博物館での話が多いが、これまで言われていたこととだいぶ異なり、具体的に書いている。粘菌のことも書かれているがそれほど詳しくはないようなかんじであるのは、この著者のせいかもしれない。
     孫文との関係についての詳細に書いているので、他の伝聞よりもましである。
     最後は天皇の回想で終わっているが、記録があるということで仕方がないのではあろう。
     牧野富太郎の次は南方熊楠が朝の連続ドラマになるであろう。
     朝日新聞の文学紀行で和歌山編で紹介された。

  • 伝説の巨人、南方熊楠。明治期の科学者と言えば北里柴三郎、志賀潔、野口英世などの微生物ハンターと理化学研究所の長岡半太郎(原子模型)、高峰譲吉(消化酵素とアドレナリン)、池田菊苗(グルタミン酸)、鈴木梅太郎(ビタミン)などが有名で何人かはノーベル賞を取っていてもおかしくない。一方の熊楠は生涯無位無冠、一方でアメリカ留学中にキューバに渡りサーカスの巡礼に同行した話がいつの間にか革命に身を投じ左胸を狙撃されたことになっていたり、イギリス亡命中に知り合い終生の友人となった孫文を公使館での軟禁から脱出させたことになっていたり、神社合祀(予算削減のために神社をつぶして他の神社に合わせて祀った)に反対したおりには推進派の集会にのりこみ止めにきた警官6〜7人を手当り次第に投げ飛ばしたりと伝説には事欠かない。

    自宅の研究中はよく裸ですごしており、助手と一緒に採取に行った山からふんどし一丁で騒ぎながら駆け下りてんぎゃん(天狗)が出たとの騒ぎになったこともある。感情の振幅が激しく大英博物館で助手として立ち入りが許されていた際には日清戦争での三国干渉への日本の弱腰をからかったイギリス人に蹴りを入れ頭突きをかまし、2ヶ月の出入り禁止の後また殴り飛ばして追放されたりしている。上の伝説の警官投げ飛ばしは実際には酔っぱらって現れた熊楠が警官に取り押さえられたと言うのが真相なのだが、サービス心もあって人に話す際には面白おかしく脚色したために話が膨らんでしまった様だ。キューバや孫文救出は後に講談師が語った話ではあるが何をやってもおかしくないと思わせる所があったのだろう。帰国時にも寄宿した和歌山の円珠院では粘菌の研究のために馬糞を寝床に持ち込み、最後は部屋で牛肉を焼いて追い出されてもけろっとしている。「やぁ、すこたん(失敗)、すこたん」と。また収監された監獄でさえ顕微鏡の差し入れを受けると新種の粘菌を発見したりもしている。

    等身大の熊楠は一度研究に打ち込みだすと一心不乱で他のことは気にせず、息抜きには酒をつぶれるまで飲む。「先生は、酒に崩れやすい方で、少し酒が入ると、平素の胸中の鬱積が口をついて出てくることもあり、人をワヤにしてやるというて、面白がって人の笑う様なことをいい、結局自分がワヤになってしまうようなことがあった。」豪放磊落な見た目とは異なり恥ずかしがりやで人の好き嫌いが激しく、そのくせ仲良くなると態度がぞんざいになる。例えば高野山金剛峰寺の後の座主への手紙では「パリ ひょっとこ米虫大馬鹿野郎 土宜法龍様」に始まりしまいには「予は仏教の相伝の説きようを侠気上より教えてやったんだ。」と言う始末である。博覧強記で子供の頃から和漢三才図会や本草綱目などを知り合いの家で読んで丸暗記し家に帰って筆写している。語学の才能も桁外れで英、仏、ラテンなど19カ国語を話したらしい。それも覚えるのは街の酒場に出かけてだ。

    桁外れの記憶力を持ちながらも嫌いなことはやらないので学校にはほとんどいかず、大学予備門(東大)も中退して留学している。この時の同窓に正岡子規や秋山真之、夏目漱石や山田美妙がいる。坂の上の雲の時代に徒手空拳、いかなる組織にも属せず個人で博物学、菌類学、人類学に打ち込み粘菌の発見数では個人でアメリカやイギリスの総数に並ぶほどの発見をし、柳田邦男とは膨大な数の書簡をやりとりした。

    留学中も鬱病にかかった漱石の様に欧米文化に萎縮したり、言葉の壁に悩むものの多い中熊楠は全く卑屈さを感じさせない。下宿の寝床に粘菌の研究のために馬糞を持ち込み、学問上の紛争では豊富な知識を元にネイチャーに投稿した天文学の論文「東洋の星座」は最優秀賞をとり、また別の学術雑誌ではオランダ第一の東洋学者をもの知らずとやり込めている。シルクハットとフロックコートでジェントルマンの仲間入りをしようと汲々としている他の留学生とは一線を画し、日清戦争開始にあたっては貧乏のはずなのに発起人となって真っ先に献金し日本人会の間をかけまわって募金を集めた。爆発的な行動力もあり研究においては粘り強さも集中力もあるのだがどうも自分の興味のないことにはからっきし。どう見ても組織の中では生きられない人だ。

    親は大きな酒屋で財産を残したが、熊楠の相続分はかわいがってたはずの弟にだまし取られている。酒を飲んでは「とりかえしてきちゃる」と威勢は良いが実際には素面ではうまく言えないのだろう。うまくごまかされて帰ってくるあたりは学問では生かされた能力が実生活ではまるで役に立たず生涯にわたって生活は豊かではなかった。孫文の最後の日本訪問の際も金がないために田辺から和歌山に出ることも会いにいけなかった。「革命が成功したときは、ミナカタのために広州の羅浮山を天下の大植物園にして・・・」という夢は果たされずに終わる。

    晩年の熊楠には遅くして結婚した長男が感冒が原因なのか受験先の高地で精神を病んで帰ってくるという痛ましい出来事が待ち受けていた。一方で最大の栄光もこの時期に訪れた。昭和四年熊楠が奔走して自然を守り、後に天然記念物に指定された田辺湾の神島で昭和天皇に御進講をした。時代背景を考えると無位無冠の在野の学者が講義をすると言うのは他の人からはとんでもないことらしくさまざまな嫌がらせを受けたが天皇の心には残ったらしい。「南方にはおもしろいところがあったよ。・・・めずらしい標本が献上された。・・・南方はキャラメルの箱に入れてきてね・・・それでいいじゃないか」南方への歌も残されている。「雨にけぶる神島を見て紀伊の国の生みし南方熊楠を思ふ」しかしこのエピソードも熊楠を案内した老漁夫の鶴吉に言わせるとこう言う話だ。「神島にゃもうてんのはんがお待ちで、わしゃ南方先生を船から波打際まで濡れんように背負うて行った。ほぃて先生を下ろしたら南方先生がピョコンて挨拶され、天皇はんも頭を下げられた。南方先生は何遍もピョコンて挨拶されると、天皇はんもそのたんびにピョコン、ピョコンて頭を下げられたんよ」

  • 博覧強記の明治人、南方熊楠の人間的魅力がふんだんに語られている。
    反骨精神と茶目っ気がここにあります。
    [more]
    (目次)
    神童クマグス
    天下の男といわれたい
    わが思うことは涯なし
    フロリダ泥砂の中に埋もるや
    馬小屋の哲人
    Ros Marの謎
    さらば孫文
    龍動水滸伝
    リバプールふたたび
    孫文の白いヘルメット
    熊野蒙昧の天地
    わが頭抜けて那智山中を飛ぶ
    われに恋慕の思いあり
    帰りなんいざ
    小生いまだ女を知らざりしなり
    稲八金天大明権現王子の出現
    予、警察署長を蛙の如く投げ
    人魚の裁判
    われゲスネルのごとく
    人の交わりにも季節あり
    蚤をとるか天下をとるか
    時空のミケトゾア
    雨にけぶる神島を見て
    熊楠への旅のおわりに
    対談 人間・南方熊楠に迫る(北杜夫・神坂次郎)

  • 文句なし最高峰

  • 南方熊楠の波乱万丈な人生、最高。

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