人間・この劇的なるもの (新潮文庫)

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  • Amazon.co.jp ・本 (174ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101216027

作品紹介・あらすじ

人間はただ生きることを欲しているのではない。現実の生活とはべつの次元に、意識の生活があるのだ。それに関らずには、いかなる人生論も幸福論もなりたたぬ。-胸に響く、人間の本質を捉えた言葉の数々。自由ということ、個性ということ、幸福ということ…悩ましい複雑な感情を、「劇的な人間存在」というキーワードで、解き明かす。「生」に迷える若き日に必携の不朽の人間論。

感想・レビュー・書評

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  • 少し難しい
    が、
    何か大切なことが、自分の身になるようなことが書いてあるような気がする

    人は必然性を欲するというようなことは何か別の本でも読んだような気がするが、どの本かわからない。

  • シェイクスピア翻訳で知った著者。

    漠然とした「自由」や「生」に絶対的な価値を見出すことに違和感を感じていた。
    しかし本書は、生きることは演戯である、という切り口から、生の幸福はどこにあるのかを考察していた。
    主我と客我の乖離を解きほぐしてくれた一冊。

    自分の理解の2段くらい上を行っていたので、数年後にまた読み返そう。必ず。

  • アバタロー氏
    1956年出版
    類書「自由からの逃走」20230910 読了

    役割がなくなったら個人でいることが不安になり、あえて自由を放棄しファシズムの一員になってしまった内容

    《著者》
    ふくだつねあり
    1912年生まれ評論家、翻訳家、劇作家、演出家、現代演劇協会理事長
    「国語教室」
    日本が近代化の遅れたのは、日本語の複雑性のためで、歴史的仮名遣いを現代仮名遣いに改める方針
    これに福田は猛反発で福田・金田一論争を巻き起こしこの著書を発表
    「私の幸福論」
    語り口が優しく読みやすい

    《感想》
    「私たちが欲しいのは自由でなく宿命だ」
    非常に感動した言葉だ
    全体的に劇のように力強く情熱があり、訴えかける文章に引き込まれてしまった

    簡単に言うと「自分の人生、自分が主人公」なんだろう
    良いことや悪いことに向かい続けるからこそ、自由という感覚が持てるという考えだ
    個人的には劇的でなくて平凡でいいと思うが

    《内容》
    〇空っぽの自由を欲しがる人間
    自由は嫌なことから逃げる事だ
    何かをしたいための自由ではなく、何かを「しない」ための自由が欲しいのだ
    本当は自由を求めていない
    本当に望んでいることは、起こるべくして起こっているということだ
    そしてその中で自分が一定の役割を務め、今なさねばならぬことを自分が行っているという実感なのだ

    私たちが欲しているのは自由でなく宿命だ
    その宿命がどんなものであっても、真摯に向き合い続ける中で、ようやく私たちは自由という感覚を味わうことができる

    〇劇的に生きるとは何か
    完全に燃焼しきれない日々は過去への恨みや後悔、そして未来への絶望を生み出し、やがて人々から生きがいを奪っていく

    「劇的」に生きるということは、自分の生涯、あるいは一定の期間を1個の作品に仕立て上げたいということに他ならない
    人間にこの欲望がないのなら芸術などというものは存在しなかっただろう
    人間はただ生きることを望んでいるのではなく、同時に味わうことを欲しているのだ
    つまり今自分が成すべき役割を与えられるのを待つのではなく、自らの意志で選び取り、それを演じきって見せること
    それによって今まで見えてこなかった自分だけの舞台が浮かび上がり、私たちは劇的な生を生きることができ、さらにその中で生きがいを味わうことができる

  • シェイクスピアの日本語訳で、ずっとずっと彼の存在を感じていた。その解題や解説、シェイクスピアという人間を見つめるまなざしに、考える精神の匂いを感じていた。
    そんな中、シェイクスピアとは別に彼のことばに触れてみると、なんとおんなじことを考えていたのだな、と読んでいて思わず微笑んでしまう。このひとは立ち上がった精神を演技と呼んでいるのだ。もう、笑わずにはいられない。
    存在してしまっているこの事実になんの理由もない。すでに舞台に立ってしまっているのだ。社会的に生きるという事は、その舞台を引き受けることである。役割は誰が与えるものでもなく、舞台上の演技によって生まれ、そしてその上の役者によって担われていく。シナリオは舞台に立った瞬間から決まっている。ひとは生まれたからには死なねばならない。死んでいくからこそ、生きられる、演技できるのである。しかし、それをそのまま演じることは舞台では許されない。ただ生きるだけではそれは演技ではないのである。それを知らずに舞台に立つという事は、滑稽な大根役者のすることなのである。そうした舞台と演技の本質を見事に体現したのがシェイクスピアの中でもハムレットだったのである。
    物語の役者たちは作者の分身でありながら、分身にはなりえないのである。役者たちは作者から離れて舞台を演じなければ、人生の劇という本質を表現したことにはならない。ドラえもんなどで感じたあのキャラクターたちの自立性はこのことだったんだと気づく。そういう役者と舞台がそろう時、舞台は未来へ向かって創造的に進行していくのである。作者のお人形遊びではなく、ひとりでキャラクターが演じられるようになった時、その劇は創造性のある舞台を展開できる。

  • 私たちの前には常に現実しか存在しない。
    行為を完全に燃焼し切る。

    生きがいとは必然性のうちに生きていると言う実感から生じる。また、その必然性を味わくこと。

    私たちが欲しているのは自由ではなく、ことが起こるべくして起こることだ。そしてらその中で成さねばならぬと思うことをすることだ。人間に必要なのは個性ではなく、役割なのである。


    全てを宿命と思い込む。
    必然性。→自己確認。

    自分が全体の中の部分であることを自覚し、意識的に部分としての自己を味わうこと。

    しないための自由。

    脱落者は脱落者で終わるが。優越者はさらに勝たなければならない。

    組織すると言うことの難しさ。偉さ。

    対物質的な自由。 

    孤独からの脱却を。
    →群れを成すことの大切さ。

    行動は知識の放棄によって、初めて可能になる。

    生は必ず死によってのみ正当化される。

  • 初めに見たときは、タイトルの「劇的」はドラマティックという意味で用いられているのかと思っていたが、読み進めて本当に演劇という意味の「劇的」だと分かって驚いた。人間が生きるということと、それがいかに劇性を含んでいるかということが、示唆に富んだ言葉で語られている。シェイクスピア劇をあまり読んだことがないので、理解しきれない内容もあったが、深い洞察と信頼できる文章。こういう本を読むにつけ、読書とは訓練の賜物だということを実感する。

  • 残念なことに、自己の自意識(自我)と、他者の自意識(他我)の葛藤劇を、人間は避けて通ることができない。いや、この葛藤劇を劇的に生きることこそ、人間の生の本来的なあり方なのだ、と、この大胆な書名は喝破しているわけだ。著者は、葛藤劇の代表格である「愛」について語ることから話を始め、サルトルの『嘔吐』からの引用から、シェイクスピアの『ハムレット』論、そして演劇論、死生論へと議論を展開し、最後は一種の宗教論にまで行き着いている。本書を読み終えた後で、印象的な冒頭の文章に立ち帰り、一服しながら、「なぜ本書は「愛」について語ることから話を始めているのだろう」と、思考を巡らせてみるのも一興であろう。(2011:菊池有希先生推薦)

  • \380で、一生本棚に残る本が買えた。

    内容は、まづ、ぼくたちが生きているこの世界のモデルをシェイクスピアの「舞台」に見立てる。その上で、個性や自由などの金ピカの虚偽を暴きながら、演劇の舞台のように「第3者」を意識することにより、与えられた役の中で精一杯演じきる=生きることができると説く。

    自己満足に陥ったり他者に引き裂かれたりすることなく、充実した生をあゆむ秘訣とは。『風姿花伝』に通ずる、第3者をもってまことの花を生と成す思想。

    しかし、この本の本当の価値は、そうした内容よりもむしろ美しすぎる「思考の軌跡」そのものにあると思う。著者の論考は、まるで一寸の迷いも汚れもない、透きとおった氷の彫刻でも眺めているかのような、そんな気分にさえさせてくれる。心が透明になる一冊。

  •  通勤や電車移動の間でちまちま読み進めていたが、やっと読み終わった。
     話の流れが最初から綺麗に進むわけではないので、論旨を正確には読み取れてないが、面白かった。人間が生の充実さを味わえるのは、死から生へと蘇る瞬間である。このことは、日常生活における儀式にも、舞台芸術としての演劇にも共通する。部分からの解放と全体への回帰。大雑把なまとめはこんな感じか。
     途中の箇所は、人生の意味に関するカミュの立場への批判としても読むことができそうだった。
     解説の坪内祐三も良かった。あまり納得はできなかったが。

  • 個人としての生き方、自由とは何か、我々が生きる人生と死について、「劇」「演劇」といったテーマから論じられたものである。

    全体的にシェイクスピアを読んでいないと理解に苦しむ部分が多く、高い読解力が必要と感じた(少なくとも自分はあまり満足に理解が進まなかった)が、人生と死の関係について、我々は「劇的」にその一瞬を過ごしているのかもしれない、そう感じさせる一冊。

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著者プロフィール

評論家,劇作家,演出家。東京大学英文科卒業。 1936年から同人誌『作家精神』に,横光利一,芥川龍之介に関する評論を発表。第2次世界大戦後すぐに文芸評論家として活動を始め,やがて批評対象を文化・社会分野全般へと広げた。劇作は 48年の『最後の切札』に次いで 50年『キティ颱風』を発表,文学座で初演され,以後文芸部に籍をおいた。 52年『竜を撫でた男』で読売文学賞受賞。 63年芥川比呂志らと文学座を脱退,現代演劇協会,劇団雲を結成して指導者となる。 70年『総統いまだ死せず』で日本文学大賞受賞。シェークスピアの翻訳・演出でも知られ,個人全訳『シェイクスピア全集』 (15巻,1959~67,補4巻,71~86) がある。著書はほかに『人間・この劇的なるもの』 (55~56) など。 81年日本芸術院会員。

「2020年 『私の人間論 福田恆存覚書』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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