アインシュタイン伝 (新潮文庫 や 10-7)

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  • Amazon.co.jp ・本 (307ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101219073

作品紹介・あらすじ

その真価をめぐり世界中をスキャンダラスな渦に巻きこんだ相対性理論の創始者、アルベルト・アインシュタイン。彼の予言E=mc2は、40年を経て現実のものとなる。原爆という名の怖るべき現実に…。20世紀を象徴するかのように波瀾に満ちた理論物理学者の、人間味溢れる生涯。晩年の彼に近しく接した著者が、数学者ならではの率直明快、的確な筆で描き出す、同伝記の「定番」-。

感想・レビュー・書評

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  • (2006.04.01読了)(1998.02.28購入)
    「アインシュタインの夢」「アインシュタインの発想」「相対性理論」と3冊も読んで、よくわからいというのに、懲りずに4冊目「アインシュタイン伝」を読みました。
    矢野さんには、学習参考書でお世話になりました。数学者が、どうして物理学者の伝記を書いたのか?という疑問があるのですが、読んでみて分かりました。
    矢野さんが、小学校の5年生、11歳の時(1922年11月)、アインシュタインが来日し、講演旅行を行った。その時、「将来はアインシュタインの相対性理論が分かるようになって、できたら、アインシュタインとその相対性理論について話をするようになりたい」という夢を抱いたということです。相対性理論を理解するためには、リーマン幾何学を必要とすることが分かったので、数学科に入学した。1950年には、アインシュタインのいるプリンストン高級研究所に招待され、実際にアインシュタインと会って、統一場理論について話をしているのです。小学生の頃の夢を実現したわけです。目次の扉に、矢野さんとアインシュタインが並んで撮った写真が掲載されています。

    ●生誕(16頁)
    アルベルト・アインシュタインは、1879年3月14日に、ドイツの南西部、バイエルンの中都市ウルムに生まれた。アインシュタインが生まれて一年後に、ミュンヘン郊外へと移った。父は、小さな電気化学の工場を経営していた。
    アインシュタインは、6つの時バイオリンのレッスンを受けるようになった。
    ●スイス国立工芸学校(26頁)
    父の事業が失敗したので、早く学業を終えて、実務的な職業につく必要に迫られた。ドイツのギムナジュームを中退していたので、スイスのチューリッヒにあるスイス国立工芸学校を受験した。数学では優秀な成績を示したが、現代語・動物・植物で思わしい点が取れなかったので、入学試験に落ちてしまった。スイス国立工芸学校の学長のアドバイスに従い、スイスのギムナジュームに編入学し、1年学んで、卒業後、入学試験なしで、スイス国立工芸学校へ入学を許可された。物理学を学んだ。
    ●卒業(33頁)
    1900年スイス国立工芸学校を卒業。スイス市民権を取得。
    アインシュタインは、理論物理学の研究を続けるために、母校の助手になるか教職に就くことを望んだが、ユダヤ人のためとスイス市民権を取得したばかりというためか?職を得ることができなかった。友人の紹介で、ベルンの特許局の仕事を得た。
    ●論文発表(80頁)
    1905年、相対性理論、光量子の理論、ブラウン運動の理論の3つを同時に発表した。
    ●一般相対性理論(130頁)
    アインシュタインが1905年にベルンで発表した相対性理論は、重力場がない特殊な場合を取り扱っているので、特殊相対性理論、アインシュタインが1916年にベルリンで発表した相対性理論は、全く一般な重力場が存在する場合を取り扱っているので、一般相対性理論と呼ばれるようになった。
    ●一般相対性理論の成果(132頁)
    1.ニュートンの理論によれば、すべての遊星は、太陽を一つの焦点とする楕円軌道を描いて回っているはずである。ところが、太陽の近くにあって、太陽の作る非常に強い重力にさらされている水星は、いつも同じ、太陽を一つの焦点とする楕円軌道を描かないことが知られていた。水星の描く楕円軌道は一定不変ではなく、楕円軌道そのものが小さな割合で、太陽の周りを回っていることが知られていた。
    アインシュタインは、太陽の作る重力の場に彼の理論を当てはめ、その中で運動する水星の軌道を実際に計算して、水星の軌道は、いままで観測されていた通り、太陽の周りを少しずつ回っていなければならないことを見出した。
    2.強い重力場のある場所では、光の進路は直線から偏倚する。(予言)
    (1919年3月29日の皆既日食の際のイギリス観測隊の観測によって、確認された。)
    3.強い重力の場の中を通る光の波長は赤のほうへ変位する。(予言)
    ●バイオリン(155頁)
    1920年、チェコスロバキアのプラハに招待され、講演を行った。講演の後、歓迎パーティでスピーチの順番が回ってきたときに、アインシュタインは、「私の下手なスピーチよりもこの方がずっと良いでしょうといって、モーツアルトのバイオリン・ソナタを演奏した。」
    ●相対性理論とは(159頁)
    ニューヨークで受けた質問(1921年4月)
    「相対性理論の内容を、一口で説明するとどうなりますか」
    「いままでの理論では、もし宇宙からすべての物質が消えうせてしまったとしても、なお時間と空間は残っていたのですが、相対性理論によれば、もし宇宙からすべての物質が消え去ってしまえば、時間と空間もそれと一緒に消え去ってしまうのです」
    ●日本訪問(175頁)
    改造社の社長山本実彦氏は、京都大学の哲学教授西田幾多郎、東北大学の理論物理学教授石原純両氏の勧めによって、アインシュタインを日本へ招待する計画を立てた。
    アインシュタインは、1922年10月8日、マルセーユ出帆の北野丸に乗船した。11月13日に上海に着き、11月17日に神戸へ入港する予定だった。
    11月10日、スエーデンの科学アカデミーのノーベル賞委員会は、アインシュタインに対してノーベル物理学賞を与えるということを発表した。アインシュタインはこの知らせを、上海へ向かいつつあった北野丸の船上で聞いた。
    12月29日、榛名丸で、日本を去った。
    ●ドイツを追われアメリカへ(216頁)
    アインシュタインは、1933年10月に、サザンプトンから船でニューヨークへ向かった。
    ●インフェルト(239頁)
    アインシュタインがプリンストン高級研究所へ移ってからしばらくして、ポーランドの理論物理学者レオポルド・インフェルト(1898-1968)がこのプリンストンへやってきた。そこでアインシュタインは、このインフェルトと協力して、粒子の運動の方程式は、場の方程式から数学的に導き得るという事実に関して完全な証明を与えることができた。
    ●質量とエネルギーの同等性(242頁)
    もしmという質量が転換してEというエネルギーになったとすれば、その間には、
     E = mc²
    という関係がある。ここにcは、光の速度を表す定数。
    この式によって、ほんのわずかの質量が膨大なエネルギーに転換することが示され、さらに、ウランを中性子で打てば、その原子核はすさまじいエネルギーを放出して、二つのほぼ似た部分に分裂することが発見されたために、原子力利用の可能性が生まれてきた。
    ●死亡
    1955年4月18日、アインシュタイン、プリンストンで死去。76歳。

    ☆関連図書(既読)
    「数学物語」矢野健太郎著、角川文庫、1961.12.30
    「新しい数学」矢野健太郎著、岩波新書、1966.02.21
    「数学をきずいた人々」矢野健太郎著、講談社現代新書、1966.09.16
    「ゆかいな数学者たち」矢野健太郎著、新潮文庫、1981.12.25
    「物理学はいかに創られたか 上」アインシュタイン、インフェルト、岩波新書、1939.10.30
    「物理学はいかに創られたか 下」アインシュタイン、インフェルト、岩波新書、1940.01.30
    「相対性理論」アインシュタイン著・内山龍雄訳、岩波文庫、1988.11.16
    「アインシュタインの発想」小野健一著、講談社現代新書、1981.06.20
    「アインシュタインの夢」アラン・ライトマン著・浅倉久志訳、ハヤカワ文庫、2002.04.30

    著者 矢野 健太郎
    1912年 東京生まれ。
    東京帝国大学理学部数学科卒業。
    東京帝国大学大学院を修了
    パリ大学留学
    東京工業大学教授・名誉教授。
    1950-52年 プリンストン高等研究所に属した二年間、アインシュタインと親しく接する
    理学博士。専門は微分幾何学。
    1993年没。

    (「BOOK」データベースより)amazon
    その真価をめぐり世界中をスキャンダラスな渦に巻きこんだ相対性理論の創始者、アルベルト・アインシュタイン。彼の予言E=mc2は、40年を経て現実のものとなる。原爆という名の怖るべき現実に…。20世紀を象徴するかのように波瀾に満ちた理論物理学者の、人間味溢れる生涯。晩年の彼に近しく接した著者が、数学者ならではの率直明快、的確な筆で描き出す、同伝記の「定番」―。

  • アインシュタインの生涯を彼の業績とともに著している。著名な科学者たちの名前がいたるところに出てきて、去りし時代のダイナミズムを感じ取ることが出来る。また普段見たことのないようなアインシュタインの写真もでてくる(おそらくは著者の私蔵)のでそれを見るだけでも500円払う価値はある。
    アインシュタインを研究すれば、20世紀の物理学を一通り概観できるのではないかと思われる。時間がある時に再読したい。

  • アインシュタインと矢野健太郎とがつながっていることを知りませんでした。
    自分よりもすごいと思える人を慕う気持ちが、自分をも持ち上げていくのだと感じました。

    自分にとっては、CSPのホーアさんだろうか、ノイマン型コンピュータのノイマンさんだろうか。

  • 日本に原爆が落とされた日が過ぎた。特殊相対論で得られるE=mc2という式が独り歩きして、まるでアインシュタインのせいで原爆が出来たと語られる。ミヒャエル・エンデの様に文学者の中には、感情的にアインシュタインを批判する人もいる。矢野さんも勿論自分も、アインシュタインが大好きだし、核開発の歴史を知っているので、そういう誤解を無くすことに使命感がある。新潮文庫からたくさん出てた矢野さんの本は、今書店で見つかるのは"素晴らしい数学者たち"のみになってしまい、"アインシュタイン伝"は入手困難。残念無念というところ。

    矢野健太郎自身が別の著書で,自分がリーマン幾何学とその拡張を研究テーマに決めることになったのは,当時,世界で5人しか理解出来ないと言われた一般相対性理論を勉強するためだったとハッキリ語っている。物理学者が書いたものではないから,登場人物の選択には少し難があるが,アインシュタインの人と業績を知るにはピカイチ。但し,幾何学の革命的変革はアインシュタインを遡ること100年,ガウスの曲面論から始まる非ユークリッド幾何学の発展の歴史があったわけで,そういう解説は数学者による記述ならでは。

  • 4101219079  307p 1997・6・1 ?

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著者プロフィール

矢野健太郎

一九一二年、東京生まれ。東京帝国大学理学部数学科卒業。パリ大学留学ののち、東京大学助教授、プリンストン高等研究所所員、東京工業大学教授などを歴任。微分幾何学の権威として各国の数学者と交友を結び、日本数学界の国際化を牽引。また啓蒙書や受験参考書の著者として、「ヤノケン」の名で親しまれた。著書に『すばらしい数学者たち』『アインシュタイン伝』『エレガントな解答』『数学物語』『数学の考え方』など。八三年に勲二等瑞宝章を受章。九三年、逝去。

「2020年 『暮しの数学』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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