コールドゲーム (新潮文庫)

著者 :
  • 新潮社
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感想 : 464
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  • Amazon.co.jp ・本 (480ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101230313

感想・レビュー・書評

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  • 文章は好きなのだが、イジメや青春ものの設定、後味の悪さ含め嫌悪感しか抱かない。読まなきゃ良かった。

  • まさかの「いじめていた側」小説。

    2度目の読了。時間を置いたら印象変わるかな、と思ったのと、ブックオフ行く前にもう1回、と思ったのが動機。

    ダメでした。

    子どもっぽく若者っぽく書かれた小説ってそもそも得意じゃないんですが、それを遥かに超えるイライラ感に終始苛まれ続けることに。

    高校3年生の主人公・光也。夏休みのある日、幼馴染の亮太に呼び出され、中学2年の時のクラスメイト達が次々に襲われている事を知らされる。
    被害状況や脅迫文等から、亮太は犯人を当時クラスの大半の生徒からいじめを受けていた男子(廣吉)であると断定。
    彼の復讐を阻止すべく、有志の「北中防衛隊」を結成する。

    この「北中防衛隊」がその名の通りほぼ暴走族みたいな連中で、積極的に暴力を振るっていた亮太とその手下だった弘樹のバイクで付近を流す、というもの(光也は2ケツか徒歩)。
    トロ吉のくせに生意気だぞ、とばかりに見つけ次第ボコボコにする気満々……というあたりが全く理解できません。

    いろいろあってクラスメイト達が再び集合した時も、彼らの関心は、自分は標的になるのかならないのか。「あいつはやられて当たり前」「俺がアウトならお前だって」のなすり合い。特に反省とか罪悪感は感じていない模様です。ふーん。

    「面白いから」「みんなやってるから」ではさすがに薄っぺら過ぎたのでしょうか。家庭環境が複雑で……とか、自分がいじめられる側に回るのが怖かったから……とか、そういう事情を「いじめた(傍観していた)」理由に挙げたりもしていますが、それって何の言い訳にもならなくないですか?

    なんて思いながら読み進んでいたものですから、ラストの爽やかさにも特大の疑問符。
    結局、廣吉の苦しさも悔しさも全部「青春」と「ミステリ」の薬味にされてしまったんだな、という印象です。

    毛利さんは好き。シャングリラのマスターはしょっぴかれればいい。

  • 読み終わったときの気分はあんまりよろしくない作品。
    私は好きじゃない。

  • 知人のすすめで読みました。


    僕は嫌い

    僕は本書のことが正直、好きではありません。理由はひとつ。中途半端であると思うからです(あくまで個人の意見です)。何が中途半端なのかを書く前にあらすじを書いていこうと思います。
    あらすじ

    本書は復讐譚です。主人公である光也の中2時代のクラスメイトたちが襲われることで物語は始まります。犯行予告から犯人は、中2時代にイジメの標的になっていたトロ吉だということが分かります。光也たち有志は「北中防衛隊」をつくり、トロ吉を捜します。果たして、事件の真相は?
    復讐される側からの物語

    あらすじにあるように本書は復讐譚です。ですが、目線は加害者の一人である光也です。そう、これは復讐される側からの物語なのです。そのため、読み始めると「事件に巻き込まれた感じ」を強く受けます。自分が発端を作った一人なのにも関わらずです。

    読んでいると主人公とその仲間、特にイジメの主犯である亮太に対して強い憤りを感じます。
    身勝手な加害者たち

    先日、イジメに関する以下の記事を見つけました。

    “空気と、いじめの共通点 シロクマの屑籠 http://t.co/SpyFo13Y

    この記事では、イジメを以下のように言えるのでは?とありました。
    子どものいじめは「バッシングして構わない大義名分さえあれば徹底的に叩いて構わない。それが社会だ」の劣化コピー版

    つまり、大人では「バッシングしても構わない大義名分」は社会的規範ということになりますが、子どもの場合はこの大義名分がいじめっ子の主観に左右されるということです(まあ大人の世界でもマスコミの主観だったりしますがw)。

    だから、いじめっ子からすれば、いじめるのはいじめられる方が悪いという理屈が成り立つのであり、本書におけるいじめの主犯・亮太も自分が悪いとは全く思っていません。それは、主犯以外もそうであり、自分の暴力の原因をいじめられる方に求めます。だから、「自分が復讐されるいわれはない」とそう考えます。
    良心的?な主人公

    彼らに対して、主人公は良心的といえるかもしれません。トロ吉と話し合おうとするのです。許す許さないの話ではなくなるでしょうが、それでも話そうとする。イジメにしても何にしてもコミュニケーションの断絶が問題だと思いますので、この姿勢は良いです。
    普通の人たち

    とはいえ、他の登場人物が悪人かというとそんなことはありません。どこにでもいる普通の学生です。イジメの主犯である亮太にしても、結婚して幸せになろうとしています。彼のことを大事に思う人間も(他の人間と同様に)いるのです。これはきっとどこにでもある話なのです。
    きっと自分もやる

    だから、「この登場人物を一概に責めることはできない」という考え方もできます。亮太は別として、他のクラスメイトたちと同じ立場に立たされたらきっと同じ対応をする人がほとんどなのだと思います(例外はあるでしょうし自分は違うという人もいるでしょう)。

    これはどういうことかというと、いじめは空気とか環境とかの問題なのです。

    いじめの主犯がいて(これは運次第ですが)、それを止めることができない社会。いじめがどこにでもあるということを前提に置くとしたら、起きたときに悪化する前に無くせない社会の側に問題があると考えるべきだと僕は思います。
    いじめっ子をいじめる正しい人たち

    近頃の大津いじめバッシングに関して、加害者を必要以上に「部外者が」「今さら」追い詰めようとする風潮に関して違和感を僕は覚えるのです。もちろんいじめた側に社会的制裁は加えられるべきでしょう。しかし、それは当事者と法に則った機関によるべきであり、「部外者が正義の名の下に何でもやっていい」というのは、それは違うのではないかと思うのです。

    それは社会的イジメに過ぎないのではないかと思うのです。
    バランスを取ってどうする

    さて、話が逸れました。本作の話です。僕は文頭に本作は「中途半端で嫌いだ」と言いました。本作は、大津いじめとは違い、一番の当事者であるイジメの被害者トロ吉による復習譚です。理は明らかにトロ吉の方にある。

    ネタバレになりますが、でも、最後、主人公たちは助かります。まるで、「自分は悪くなかった」「あのときは仕方なかったんだ」と言わんばかりに。そこに僕は強烈な違和感を感じるのです。

    そりゃ確かに現実にこんなことがあれば、問題でしょう。「目には目を、歯には歯を」とやっていたら社会は機能しなくなります。ですが、これはフィクションです。物語です。物語の中で絶対的な悪であるはずの亮太に人間味を持たせ、それで殺されるならまだしも生かすとは何事か。

    子どもへの影響を配慮しておとぎ話や童話、昔話をマイルドに漂白殺菌した風潮のような気持ち悪さを感じます。
    謎のあとがき

    さらに、あとがきを読むと、著者を「オトナな作家」「プロフェッショナルな作家」であると評してます。危な気なく淡々と一定水準の物語を書くと。本作がそうなのかと。「一定水準」なのかと。確かに本作は良い話かもしれません。主人公たちも過去の過ちと向き合い成長したかも知れません。こういう話に感動するファンもいるでしょう。

    ですが、彼らは加害者です。圧倒的に加害者です。しかも、警察にも届けず自分たちで解決しようとする猪口才さ。物語の中でくらい復讐が成り立っても良いと思うのです。だから、僕は本作が中途半端だと思うのです。
    最後に

    酷評しましたが、「押入れの中のチヨ」という短編集はそれなりに好きでしたので、おそらくこの著者がこのテーマを書くことが僕にとって合わなかったということなのだと思います。

  • よんで後悔。ハードボイルドエッグが面白かったから読んでみたものの、テーマが違うとここまでちがうのかってくらい面白くない。
    いじめと殺人と復習と自殺。虫酸が走る。っていいすぎか。

  • コールドゲームは、現代の日常にある闇の部分をとりいれたかなりパンチの効いた物語でした。ラストのほうでは、かなり、リアルな描写で、恐怖すらおぼえましたが、
    いじめっこといじめられっこの問題について触れられており、現代の学校事情について詳しくは、わかりませんが、子供達にとって狭い学校という世界は、その時の全てで深刻な問題であるということを改めて感じ、そして、目をそらしてはいけない問題なんだなと思いました。

  • 文庫本の帯に惹かれて読んだ。ここに宝物がうまっているような気がして掘って掘って確かに古びた箱が埋まってはいたけど、開けたら何も入ってなかったみたいな感じ。掘る過程が宝物という考え方もあるかもしれないが、そういう考え方も出来ないのはいじめとその復讐が宝物であるはずがないと思うから。それでも最後何か心揺さぶるのもが発見出来れば報われるがそれもなかった。
    犯人がわかってもすっきりしない、登場人物の誰一人共感出来る人がいないというのも大きな要因かもしれないが、どうにもすっきりしない。後味の悪さだけが残った。

著者プロフィール

1956年、埼玉県生まれ。成城大学経済学部卒業後、広告制作会社勤務を経て、フリーのコピーライターに。97年『オロロ畑でつかまえて』で小説すばる新人賞を受賞しデビュー。2005年『明日の記憶』で山本周五郎賞。14年『二千七百の夏と冬』で山田風太郎賞。16年『海の見える理髪店』で直木賞。著作は多数。近著に『楽園の真下』『それでも空は青い』『海馬の尻尾』『ストロベリーライフ』『ギブ・ミー・ア・チャンス』『金魚姫』など。18年『人生がそんなにも美しいのなら』で漫画家デビュー。

「2022年 『ワンダーランド急行』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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