なぜ君は絶望と闘えたのか―本村洋の3300日 (新潮文庫)

著者 :
  • 新潮社
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  • Amazon.co.jp ・本 (348ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101231426

作品紹介・あらすじ

1999年、山口県光市で、23歳の主婦と生後11カ月の乳児が惨殺された。犯人は少年法に守られた18歳。一人残された夫である本村洋は、妻子の名誉のため、正義のため、絶望の淵から立ち上がって司法の壁に挑む。そして、彼の周囲には、孤高の闘いを支える人々がいた。その果てに彼が手にしたものとは何だったのか。9年に及ぶ綿密な取材が明らかにする一人の青年の苦闘の軌跡。

感想・レビュー・書評

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  • 門田隆将『なぜ君は絶望と闘えたのか 本村洋の3300日』新潮文庫。

    綿密な取材により描かれたノンフィクション。非常に読み応えがあり、司法制度の問題に様々なことを考えさせられた。

    1999年に山口県光市で起きた23歳の主婦と生後11ヶ月の乳児の18歳の少年による惨殺事件。独り残された夫は絶望の淵から立ち上がり、周囲の人に支えられながら、少年法に守られた18歳の少年の裁判に9年間も挑み続けた。

    自らの性的欲求を満たすために近隣の家を周り、若い女性を物色した挙げ句に2人もの尊い命を奪い、殺害後に強姦するという残虐極まりない犯罪を犯した少年。反省の態度を見せない少年を弁護する死刑制度反対の立場を取る弁護団。

    当時、テレビのニュースで遺族となったまだ若い夫が、犯人の少年を殺害すると恐ろしいまでの怒りの口調で発言したことに驚いた。不慮の事故ではなく、明らかな目的を持って殺害に及んだ少年が少年法に守らというのは全く理不尽なことである。犠牲者や遺族はニュースで実名報道されるのに、犯人の少年は匿名で報道されるだけでなく、過去の判例では少年が2人を殺害しても最高刑は無期懲役にしかならず、少年が無期懲役になれば僅か7年で仮釈放されるというのだ。

    自分は少年であろうと相当の非道な犯罪を犯したら死刑にすべきだと思う。そのような犯罪を犯す少年には更正の可能性など無い。仮釈放されれば再び犯罪を犯す確率の方が高い。

    また、犠牲者は予期せぬうちに命を奪われたというのに対して、刑が確定した死刑囚が何年も生かされているのはおかしい。三権分立と言いながら、法務大臣という政治家の許可が無いと死刑が執行されないという制度が間違っているのだ。死刑判決が確定したら法務大臣の判断など待たずに、定められている期日以内に執行すべきだと思う。

    本体価格514円(古本100円)
    ★★★★★

  • 2012/05/07
    読み進めるのが辛い。
    毎日流れるニュースは、それがどんなに辛くても悲しくても、私達の記憶から流れ出ていってしまうけれど、当事者の人達にとって、それは終わらない過酷なもの。
    そんな、想像することもできないような経験をされた本村さんの、圧倒的な強さを私は心から尊敬する。
    それは自己の復讐心ではなく、亡くなられた家族のため、同じような被害者家族のため、そして日本のための闘いだったのだと思う。

    本村さんや、ご遺族のみなさんが、心穏やかに幸せな人生を送られることを祈ります。

    • 猫丸(nyancomaru)さん
      「圧倒的な強さを私は心から尊敬する」
      二度と起こって欲しくは無いですが、この方の真っ直ぐな戦い方は、これからの指針になるでしょう!
      でも、世...
      「圧倒的な強さを私は心から尊敬する」
      二度と起こって欲しくは無いですが、この方の真っ直ぐな戦い方は、これからの指針になるでしょう!
      でも、世間と離れて静かな毎日を送りたいだろうなぁ・・・
      2012/06/21
  • 不十分ではあるか被害者支援という領域が確立した現在の刑事司法のあり方に確実に影響を与えた人物である。被害者がこれまで人権を二重にも三重にも踏み躙られてきた歴史と向き合い、被害者を1人の人間として尊重することを刑事司法関係者は忘れてはならない。一方で、刑事裁判は被害者による裁きや報復の場ではないからこそ、第三者たる裁判官が事実を認定し、判断を下す。家族への愛情の深さから出た本村さんの「殺す」という言葉は、家族への愛の深さを裏付けるものではあるが、悲しみの連鎖の象徴でもある。理性が感情に打ち克つ記録である。

    本村さんの家族のささやかな幸せが奪い去られたことに深い悲しみを抱き、本村さんの感情の動きに共感し、被害者支援が確立していない時代に被害者支援に奮闘した警察官や検察官がいること、また葬儀へのマスコミ対応などを一挙に引き受けた本村さんの職場に尊敬を抱きつつ、ただ、やはり死刑制度や弁護人批判についてはどうしても受け入れがたかった。差し戻し控訴審が可塑性について触れていたが、筆者が面会した時のFの様子が事実であれば、やはりみな人間であり、Fに可塑性はあったといえる。検察に迎合して自白するということもまた歴史的にありうることであることを知っているからこそ、一・二審こそ「作られた真実」であり、最高裁以降のFの訴えや控訴審で採用された私信の内容は、知的な能力がありながらも事件当日の未熟さの表れであると感じてしまう。筆者は文庫本の後書きで、罪と向き合ったからこそ防衛本能で行動に理由をつけなければ理性を保っていられないのであり、Fが本当に罪と向き合っていることの現れではないかと述べる。死刑があるから罪と向き合えることは事実とも書くが、死刑を面前にして精神を壊してしまう人もいる。筆者の見方以外からも本件をもう少し知りたい。

  • 「光市母子殺人事件」を追ったドキュメンタリー。

    少年法、加害者の人権ばかりが重視され被害者が置き去りの裁判、相場主義に凝り固まった裁判官などと戦う本村を記録するが、同時に凶悪犯の弁護、死刑制度の存廃、いったん方向が定まると「死ね」の大合唱になるマスコミ報道など、考えさせられるテーマばかりが次々と登場する。

    それにしても被害者の夫・父である本村はすごい。
    TVでインタビューを見たことがあるが、その時は「弁舌爽やかすぎて胡散臭い」って印象だった。でも一読して、平穏な生活と引き換えに司法の重い扉をこじ開けてきた人なんだなあと意識を改めた。

    願わくばこんな事件が二度と起きませんように。

  • 光市母子殺害事件の遺族である本村洋さんに、著者が事件直後から取材し続けて書かれたドキュメンタリーです。

    今まであまり意識していなかったのですが、本村洋さんは私と年齢が同じです。という事は同級生の妻とも同じ年。当時23歳だったんですよ。そんな若さで妻と11ヶ月の娘を惨殺された。
    しかも犯人は18歳で少年法に守られている。
    そんな彼が、少年法や司法の壁に立ち向かおうとする経緯や、周りで支えていた方々の事を知る事ができます。

    この本を読むと死刑について本当に考えさせられます。
    是非多くの方に、読んで色々と考えて欲しいです。
    死刑制度の是非・マスコミ報道・少年法などについて。
    この事件によって変わった様々な事、変わってない事について。

    この事件によって良い方向に変わった事も多い、本村さんの努力・信念によって好転した事も多いと思います。
    だけどその改変のためにはあまりに大きすぎる犠牲だった。
    残虐な事件が起きてからでは遅いのです。

    • 猫丸(nyancomaru)さん
      「あまりに大きすぎる犠牲だった」
      とても難しい問題で、気持ちは大きく揺れ動いています。
      本当に更生する気があるなら、全力で応援したい。。。で...
      「あまりに大きすぎる犠牲だった」
      とても難しい問題で、気持ちは大きく揺れ動いています。
      本当に更生する気があるなら、全力で応援したい。。。でも弁護士の入れ知恵で逃れようとするなら、、、
      書いてる自分が情けない気分になってしまってます。

      少年問題ネットワークのHP
      http://www.rikkyo.ne.jp/univ/araki/jvnet-hp/
      2012/09/18
  • 僕が本村洋さんとお会いしたのは平成20年12月1日の

    内閣府の事業でありました。

    この年 弊社は犯罪被害者支援事業の中でも国として一番大きな事業である

    犯罪被害者週間 国民のつどいを請負っており、11月22日から

    浜松〜旭川〜滋賀〜福岡と事業を廻りこの日が最後の中央大会でありました。

    本村さんの印象は、ほとんど一般の方と同様に「TVのニュース報道」の中でしか知り得ませんでした。

    その印象は、鋭く 堅く 怖い印象を持っていたのが正直な気持ちでした。

    会場に到着された本村さんは

    「本日はお世話になります。皆様のお陰で、今日 このような機会をいただきました」

    と挨拶をしていただきました。

    小柄な青年に似合ったその表情や声は誠実で優しく、今までとは違った印象を持ちました。

    しかしながら その数時間後の講演会やパネルディスカッションでの

    実直で正義感を持たれた本村さんの発言は

    僕だけでなく会場の皆さんの心に響いたと思えます。



    中でも、本書にもある2000年3月22日山口地裁での「絶望」的な

    無期懲役判決での本村さんと吉池検事とのやりとりや

    その前日に遺書を書いていた場面は、「ぐっと」旨に迫る物を感じます。

    正直、この場面を読むと 涙がこぼれ落ちてきてしまいます。

    それは、かわいそうという安易な気持ちではなく

    判決によっては死を選び、

    司法に社会に絶望し、

    控訴せずこの手で殺す!とまで言い切った男に、

    『司法を変える為に闘おう』と言い放ったこの判事の姿にも

    男として感動してしまうからです。



    本書にはこんな場面が書かれています。

    事件後、会社に辞表を出した時の上司の言葉です。

    「この職場で働くのが嫌なのであれば、辞めてもいい。

    君は特別な経験をした。

    社会に対して訴えたいこともあるだろう。

    でも、君は社会人として発言をしていってくれ。

    労働も納税もしない人間が社会に訴えても、

    それはただの負け犬の遠吠えだ。

    君は社会人たりなさい」



    被害者の皆さんに対して、

    これほどまでにストレートに言える支援は

    本村さんに大きな力を与えたと思います。

    犯罪被害にあわれてしまった方々は

    多くの支援を求めています。

    直接的な支援もあれば間接的な支援もあります。

    間接的な支援の中でも書籍を読んで まず理解する!ことも

    重要だと考えています。

    是非 ご一読をお勧めします。

  • 犯人逮捕の時点から、光市の母子殺害事件は死刑賛否論と嫌でも結びついてきた。死刑廃止の声も出るなか、死刑の是非を問う上で、この事件は非常に重要な材料として扱われる。

    しかし、この本は、死刑の賛否が常に付きまとうこの事件を、その議論から一旦切り離してくれる。
    事件を単なる死刑賛否論の一材料として扱わず、事件自体を中心に据えて、事件発生から犯人逮捕、報道内容、裁判内容、本村さんが疑問を抱くようになる司法などを描いている。
    そこからみえる、事件に関わる人のもつ、死と死刑と罪という関係の捉え方が、私にとって最も印象強いものだった。
    これについては、自分の価値観と照らし合わせながら読むことで、自分の考えがより整理できたことが、私にとって非常に大きい。

    上で述べた、死と死刑と罪という関係の捉え方以外にも人と人との関係のなかで、重い言葉がいくつもあった。
    「労働も納税もしない人間が社会に訴えても、それはただの負け犬の遠吠えだ。君は、社会人たりなさい。」
    何かを主張する時には、その責任を果たせる身分を持っていないと、いくら正論であっても訴えが響きにくい。主張はその内容だけを評価されるのではなく、それが生まれるに至った背景や、主張している人間も合わせて評価される。
    それゆえ、背景や主張する人間の点で落ち度を指摘されれば、それによって内容が薄いものになってしまう。
    この言葉は本村さんに上司の日高さんがかけた言葉だけれど、主張の正当性だけを重視しがちな私にとって、それを諌められているような気になった。

    長くなったが、以上の二点がこの本を読んで、自分が特に強く思ったことである。

  • 本村さんの苦悩や絶望の塊のような本。ずっと報道で見てたけど、当時の私には理解及ばぬ部分も多々あったと、結婚して主婦になって改めて感じる。きっとこれを読んだところで、真の理解なんて無理だ。加害者少年のなんと浅はかで想像力のないことか。こんな壮絶な事を普通に生きる23歳の夫がなぜ味合わなければならないのか。妻の亡骸を抱けなかったと自分を責める彼はとても無力で、必死に司法と戦う彼はもはや彼でないようで。被害者側の意を汲むにも範囲を設ける必要はあるし、少年法や死刑制度について議論に尽きることはないだろう。

  • 光氏母子殺害事件については名前だけ知っていたが、どれほど悲惨な事件かは知らなかった。
    本村さんが裁判、また司法制度との戦いの記録として、とても興味深く、涙しながら読んだ。
    ただ死刑を勝ち取れたからといって、被害者が帰ってくるわけではない無情さを感じた。

    欧米から批判される日本の死刑制度だが、本書を読んで必要のある制度だと理解し、本書に出てくる死刑制度反対派の弁護士に気持ち悪さを感じた。(あくまでも個人的な見解)


    学校教育において、こういったノンフィクション作品を読んで、死刑制度だけでなく、社会制度について考える時間が必要であると感じる。

  • なぜ君は絶望と闘えたのか―本村洋の3300日。門田隆将先生の著書。光市母子殺害事件で奥様とお子様を奪われた本村洋さんの心情は察するに余りあります。普通の人間なら、容疑者への怨恨を抑えられず、逆上して罵詈雑言を浴びせたり報復措置を考えてしまったりしてもおかしくありません。それなのに常に冷静で真摯な対応を取り続ける本村さんのお人柄にはただただ尊敬するばかり。このような残忍な事件が二度と起こらない社会であってほしい。

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著者プロフィール

作家、ジャーナリスト。1958年、高知県生まれ。中央大学法学部卒業後、新潮社入社。『週刊新潮』編集部記者、デスク、次長、副部長を経て2008年独立。『この命、義に捧ぐ─台湾を救った陸軍中将根本博の奇跡』(集英社、後に角川文庫)で第19回山本七平賞受賞。主な著書に『死の淵を見た男─吉田昌郎と福島第一原発』(角川文庫)、『日本、遥かなり─エルトゥールルの「奇跡」と邦人救出の「迷走」』(PHP研究所)、『なぜ君は絶望と闘えたのか─本村洋の3300日』(新潮文庫)、『甲子園への遺言』(講談社文庫)、『汝、ふたつの故国に殉ず』(KADOKAWA)、『疫病2020』『新聞という病』(ともに産経新聞出版)、『新・階級闘争論』(ワック)など。

「2022年 『“安倍後”を襲う日本という病 マスコミと警察の劣化、極まれり!』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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