凍 (新潮文庫)

著者 :
  • 新潮社
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  • Amazon.co.jp ・本 (366ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101235172

作品紹介・あらすじ

最強のクライマーとの呼び声も高い山野井泰史。世界的名声を得ながら、ストイックなほど厳しい登山を続けている彼が選んだのは、ヒマラヤの難峰ギャチュンカンだった。だが彼は、妻とともにその美しい氷壁に挑み始めたとき、二人を待ち受ける壮絶な闘いの結末を知るはずもなかった-。絶望的状況下、究極の選択。鮮かに浮かび上がる奇跡の登山行と人間の絆、ノンフィクションの極北。講談社ノンフィクション賞受賞。

感想・レビュー・書評

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  • 登山家山野井泰志さんを描いたドキュメンタリー。

    最初からぐんぐん引き込まれてページを捲る手が止まらなくなりました。

    筆者の文章表現力がすごい。実際に自分が雪山で窮地に陥っているような感覚になります。

    またすごい本に出会っちゃった!

    オススメ!

  • 「深夜特急」のような陽気なところが少なく、雪山登山らしい、辛く苦しい挑戦の話だった。
    昔ウチに帰るまでが遠足だよと良く言われたが
    山も下山してベースキャンプに無事戻って初めて登頂成功となる。
    凍傷で多くの指を失っても、また登山に挑む姿は、呆れるを通り越して、諦めない姿勢が見事だと考えさせられた。
    次はもう少し明るめの沢木作品を選ぼう。

  • 読み応え抜群の作品。
    小説ではなくノンフィクション。

    【本の内容】
    「ギャチュンカン」という、決して大した勲章はないが非常に難易度の高い山を登攀した、日本人夫婦のノンフィクション・ストーリー
    男女2人だけのアルパイン・スタイルで、夫婦というより「パートナー」である夫婦2人で登り、山野井泰史だけが頂上を踏み、2人とも凍傷で大怪我をしたが無事生還した、前後9日間にわたる不屈の戦い。

    ※「登攀」・・・登山で、険しい岩壁や高所によじ登ること。


    【感想】
    まず始めに、このギャチュンカン登攀に同行していない沢木耕太郎がここまで繊細にノンフィクションでストーリー化できるのが凄い。
    なんてゆうことだ、一体どれほどの取材力をしているってゆうねん。あんなにリアルタイムで書けるのは化け物レベルだろう。

    次に山野井夫婦について。
    この人たちは一体何者なんだ?
    あれだけ絶望的な状況でも一切うろたえず、客観的いうか落ち着いた状況で死も受け入れていらっしゃる。
    なんでこんな極限状態で、危険な思いをしてまで登攀するんだ?
    大した稼ぎにも名誉にもならない(むしろ出費になる)のに、何故生活の全てを「趣味」である登攀に賭けれるんだ?
    凍傷して大きな手術を行ない、指もほとんど切断してしまったのに、何故また登りに行くんだ?
    この夫婦の人生って何なんだ?

    そもそもマトモな神経している人は、こんな危険な登山なんてしないのだろう。
    本当に人としてスゴイと尊敬する反面、一切自分とは相容れることのない人達だ。

    まぁ、納得できないというか到底真似できない生き方だが、何はともあれこの1冊の読み応えは専門的だが相当凄まじい。
    沢木耕太郎の熱意も感じるくらい、面白い作品だった。


    【初めて知ったこと】
    ・世界には8000メートルを超える山が14座ある。
    ・世界で初めて登られた山やルートには自身で命名できる。
    ・登攀前は、様々なデータを収集して複数名で解析し、アタックポイントをミーティングする。


    【引用】
    ・ギャチュンカン
    標高7952メートル。
    ヒマラヤ高峰群の100の谷が集まるところにある雪山。
    高峰群の中でも、とりわけ未踏の谷の奥深く。
    登頂するのが難しいのに、8000メートル未満なので勲章を得ることが出来ない。

    ※世界には8000メートルを超える山が14座ある。


    ・ギャチュンカンの登攀費用は2人で150万円ほど。
    航空費、ビザ代、現地近くまでの輸送費、一緒に行くコックの賃金、食料や燃料費、山岳協会への支払いなど


    ・2人の普段の生活は非常に慎ましい
    →家は奥多摩の古民家で家賃2.5万円(近くにクライミングできる岩場があるため)
    →家具はほとんど友人から貰い受けたもので、車は廃車同然のもの、食べ物は近くの山で採れた山菜ベース
    →収入は山野井が冬の山場でする強力(ごうりき)作業と、妻・妙子の宿坊パートが基本。
     スポンサー契約は自身が登りたい山に行けないため行なっていない。
     登山用具メーカーとのアドバイザリー契約も少しだけしているが、決して多い額ではない。


    p21
    登れるかどうかは全く分からないが、分からないという部分に強く惹かれるところがある。
    すべてが分かっており、全く安全だというなら、登る必要がない。


    p?
    その山を頂上まで登ったのなら、次はルートに視線が行く。
    新しいルートを突くことが一番の楽しみ。


    p169
    登攀中は上しか見ないが、下降中は下が見える。
    それは自分がどれだけ高いところにいるかを常に意識しなくてはならないということである。
    「オマケが全くないなぁ。」
    ギャチュンカンは「オマケ」を中々くれようとしなかった。
    予想通りの、あるいは予想以上の難しさだった。


    p?
    頂を前にした自分には常に焦っているところがある。
    決して功名心からではなく、そこに確かな山があるとき、その山を登りたいという思いが自分を焦らせてしまう。

  • 山野井夫妻のギャチュンカン登山

    オススメ評価通り凄く興味深く読めました。
    頂きを目指し過酷なルートを登る 今まで下山はどうするのか疑問に思っていました。心身疲れた状態での下山想像絶する過酷さにハラハラしてしまいました。
    やりたい事があるって強くなれますね。見習いたいと思います。

  • 2年以上という月日を経て当時の出来事を思い出す山野井夫妻。それを根気よく聴き取り、躍動感ある文章で表現する沢木耕太郎。この作品は彼らの絶妙なハーモニーのように感じられる。登山というものがこれでもかっていうほど苛酷で危険だということを痛感させられた。この壮大かつ壮絶な物語は、ノンフィクション作品の極みと言えるだろう。感動させられた。

  • 信じられないほどの精神力。
    他の方の言葉を借りるけれど、「圧倒」。

    人生を賭けるほど、好きなものに出会えたこと。
    好きなものを共有でき、命を預けられるほど信頼できるパートナーに出会い、壮絶な経験を経ても尚、挑戦し続けていること。
    その事がシンプルに羨ましいと思った。

    彼らを形作った幼少期からの話、山との出会いも興味深かった。

    にしても専門外のことでもここまで簡潔に読みやすく客観的にまとめられる沢木耕太郎はやっぱり凄い。

  • ノンフィクションだから可能なリアルが詰まっている。夫婦で挑んだ死闘の果てに見えてくるものとは。ここまで引き出す著者の力量に感銘を受けた。掛け値なしの過酷さを追体験できる。山野井夫婦の生き方がなんと爽快なことか...。予備知識があるに越したことはないが、山登りに詳しくない人でも手に取ることをお勧めする。

  • ちょいちょい読み進めるはずが、半分を超したあたりから止めることができず、そこから一気読み。

    作者の山野井夫婦に対する敬意が文章にとても現れていて、過剰なんじゃ・・とも途中感じる部分があったのだが読み終えてみて全然過剰じゃなかった。

    私が想像できる人間の精神力、行動力
    すべてを超越している。
    その自分のリアリティーからかけ離れている状況を
    まるでそこにいて見ているように感じられる文章。
    怖かったけど素晴らしい。

    どんな状況でも、一歩前に踏み出せば
    いつかゴールにたどり着ける。どんなに歩みが遅くとも。
    心にとめておきたいなと思う。

    いつか山野井夫婦にお会いして握手できたらいいなと
    本気で思う。


    2018
    イベントで山野井さんの講演を聴ける機会があり、
    一目でもと行きました。
    お会いできるだけでも幸せ。だったのですが
    握手し、一緒に写真を撮って頂きました。
    握手した手の硬さやごつさは一生忘れないと思います。
    妙子さんにもお会いしたいなあ

  • 山野井氏ももちろん凄いが、妻・妙子さんの精神力の強さ、肝の座りっぷりに驚嘆。

  • 過去に山関連では植村直己「青春を山に賭けて」、著者関連では「深夜特急」を読んだ状態で読了。「青春を山に賭けて」では植村直己のとんでもない情熱と傾注力に触れて、深夜特急では不思議な旅を独特な文章で魅せられた。これら(題材×文章力)が掛け合わさるとどうなるかと気になりつつ読み終えた。

    読み終えた率直な感想は、やっぱりこれが史実なのかと驚きを隠せない。幼少期からの過ごし方、今回の挑戦までの動機、山野井と長尾が結ばれた経緯などどれをとっても不思議さと想像できないことの連発だった。ただどこの点においても決意と達成しようとする情熱はすごかった。植村直己と同様、アクティビティであると同時に命をかけてやらないといけない山登りの性質かもしれない。
    一番驚いたのは長尾の身体についてかもしれなかったが・・日本一優れた女性クライマーといっても過言ではないかも知れない。ディスアドバンテージを人よりも持ちつつも肉体面・精神面で勝てる人はいないのではないだろうか。

    ただ、本作はすこしばかりの物足りなさを感じた。前述の「深夜特急」で綴られた文体がありながらも、万人受けするような読みやすさ重視の文章になっていた気がする。そして、臨場感やその情景を感じられない場面が多々あった。これはおそらく、著者の沢木氏の史実ではないからだろう。

    ただ逆に言うと、この本はどのように書かれたのだろうか。ノンフィクション作家は基本的に自身の経験を書くものだと思ったが他人の物も書くのかと知らされた意味で、その概念が崩されたということで本作は良かった。それにしてもどのように書いたのだろうか。本作を書くことになったきっかけ、どのように書いたかが気になる。

    山野井は本作の話の後も登山を続けているよう。未踏峰ルートも登ってるということで真似できないし尊敬する。
    https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E9%87%8E%E4%BA%95%E6%B3%B0%E5%8F%B2

  • やー…すごい本だ。というかすごい人たちだ。自分が好きなものを知っていて、それに全力で取り組んだ人って、たとえ手足の指18本無くしても動じない。妙子さん素敵すぎる。二人とも世間からの要求や、「こうあるべき」姿、ピークハントから自由で、「次はどこがおもしろそうか」の軸で決めているから、誰のせいにもしないし後悔もしないんだろうな。ほんとすごい本。

  • 読んでいく内に、心が震えて、凍っていた何かが溶けていく感じがした。山野井夫妻のあり方、生き方が素敵だった。

    この人だという人に出会えるのは、一生にあるのかな。早く忘れようとしてるのに、ふと思い出したり、何気ない一言を覚えていたり。ずっとひとりで生きていくって思ってたから、心配する対象ができて、こんなにも好きになったことがなくて、自分の普通の状態というか、チューニングがおかしくなってた。自分の器、そんなでかくなかった。壊れてしまってた。自分が回りに伝えてた言葉が悪い意味で繋がって、無意識に突きつけられた感じで、そんなことあるはずないのに、自分は死ねばいいとか、酷い愚かだとか、ごめんなさいとか、思ってしまってた。ほんとヤバい状態だった。やっとひとりで、と思ったのに、いまさらだけど、自分の生き方はどーなんだろうって考えるようになってた。

    寡黙になったり、ときどき苛立ったり、そして、二人がスピリットを尊重し合っているのが、かっこいい。

    なんとなく「へー」くらいに読んでいた一冊一冊が、すごい。やっぱり、君のセレクトする本はすごいなぁと思う。ぼくは、どんなに満たされて、安全地帯にいたとしても、好きな人が選んだ本を読んでいたいな。そして、そういう人を笑顔にさせられたらと思うけど。。。原点の山に、アタックして、ぼんやり自分の生き方を考えてみる。なにか違う景色に見えてくる気がする。人生の折り返しに新しい挑戦ができる。嬉しい。

    今日は、大丈夫だ。ひとりじゃないよ。それは、ぼくじゃないのが哀しいけど。人を引き寄せて、相手の魅力を最大限に引き出す愛で溢れてる。君といることは、みんなの喜びなんだろう。独り占めしちゃいけないんだろう。

    君と出逢って死ぬのが怖くなった。好奇心がわいてきたからなんだって、やっとわかった。

  • 宇宙開発とか深海探索とか南極探検とか、人類に進歩をもたらすためにリスクをおかして挑戦するのはわかるけど、登山家といわれる人たちは、ほとんど何の利益ももたらすことなんかなさそうなのに、いったいなんのために大きな危険をおかしてのぼるのだろうかと思っていた。この本を読んでもやっぱりわからなかった。わかったのは、登る動機はただ登りたいという気持ちだけなのだということ。
    考えてみると結局どんな人だって、程度の差はいろいろあれど、自分のやりたいことのためならリスクをおかしてでもやっているのだ。遊園地でジェットコースターにのるのも、海外旅行のために飛行機に乗るのも、もっと言えば外を出歩くだけでもリスクはあるけど、(人類の利益になるかどうかにかかわらず)何かしたいという気持ちがリスクを心配する気持ちを上回ればなんだってやってしまう。そういうことなのかなと思った。

  • 今井通子、植村直己、加藤保男、小西正継、長谷川恒男、ラインホルト・メスナー、ガストン・レビュファ。これまで様々な登頂記を読んできたが、その多くは登山家自身によるものだった。

    本格的な登山経験のない作家が取材により登頂記を書くのは、なかなか難しいのではないかと思う。しかし途中からは夢中になり、最後はベッドの中、日をまたいで(都合により^^)懐中電灯の灯りで読了した。

    特に下山時の極限状態が生々しく伝わってくる。フィクションではない事実の凄まじさ。作家は後景に退き、主役はどこまでも山野井泰史、妙子という登山家だ。このブクログで山野井泰史自身による『垂直の記憶』という著書があることを知った。いつか読んでみたい。

  • これノンフィクションなの!?
    最強のクライマーと言われた山野井泰史さん。
    夫婦で挑んだヒマラヤの難峰ギャチュンカンでの、極限の世界。

    あまりに壮絶なクライマー夫妻の氷壁との闘いに茫然とするばかり。
    でもそこにあるのは、悲壮感や絶望でなく、生きる希望と力であることに心を打たれました。
    手足の指を凍傷で失うことになろうとも、
    死に直面しようとも。

    7000mを超える高山の世界。
    氷壁。絶壁。雪崩。吹雪。
    酸素濃度の低さ、低温。高山病。

    高山で頭痛や吐き気、食べられない、
    それでも登るとは?

    6367mのクスム・カングル東壁にフリーソロで33時間まったく眠らないで登りつづけたり、高度7000m、下の氷河まで1000m、斜度70度以上の氷の壁で、50センチほどの幅の平らな部分を掘って作ってテントを張って寝たり、場所がなくて氷壁からブランコ状にして寝るとか、ひとつひとつ想像してみるけれど、想像しきれない!

    「これでいいのか。
    自分の人生は間違っていないのか。
    しかし、残念ながら、あの山を見ると、登らざるをえない自分がいる。」

    ギャチュンカンアタック前夜
    「何を食べているかわからないほど緊張していた。」
    「食後のコーヒーを、これが最後かもしれないと味わって飲みはじめるが、また上の空の状態になっている。」

    「午前三時半、ビバーク地点を離れた。月は山陰に隠れ、空にはまったく明るさがない。ヘッドランプを照らしながら北壁の取り付き地点へ向かった。」

    苦しくて苦しくて、何度も読む手を止めて深呼吸をしました。

    私もその世界をリアルに見ているように、淡々と鮮明に綴る沢木耕太郎さんの文章がまた素晴らしく、心にしみました。

  • フリークライマーである山野井泰史と妻妙子が、エベレスト近峰にあるギャチュンカンを目指す姿を描いたノンフィクション。その壮絶な工程を、信じられない思いで読み進んだ。活字から想像するしかない世界で、どこまで沢木さんの文章についていけていたかわからないが、想像を絶する登山を追体験させてもらいました。渾身の力で生き抜こうとするふたりの姿が、とても美しかった。自由な生き方、自由なクライミング、かつて藤原新也がカンジス川で撮影した写真に「人間は犬に食われるほど自由だ」とコメントしたように、それを体現しているふたり。
    美しいラインを描いて登ることへのこだわりは、生き方とか物事への向き合い方なんですね。
    とても良い表現です。僕も美しいラインを描いて生きていきたい。

  • 山に登るのいうのはこんなにも過酷な体験だったのか。

    今まで登山というものに全くもって興味がなかったが、この本を読んでみようと思ったのは、自分が知らない世界を覗いてみたい、と思ったのと、登山に全く興味がなかったが故に、なぜ人は危険を冒してまで山に登ろうと思うのだろう?と単純に疑問に思ったからである。

    読み始めると続きが気になってしまい、一日で読んでしまった。私が想像していた登山とは全く異なり、もはや崖を登る(しかも雪の)状態で、どのルートを選ぶか、酸素が薄く朦朧とする頭で常に生死を分ける判断を強いられる。疲労困憊で極限の精神状態の中、追い打ちをかけるように雪崩にあい、休む場所もなければ満足に食事も摂れない。それでもなんとか生き延びる方法を模索する精神力。

    なるほど、山に登る人の心境というのは、限界まで自分を追い詰めてそれを乗り越える事が原動力になっているのかなと思った。生きるも死ぬも全て自分の判断。正しい判断をすれば生き延びるが一歩違えば死に至る。そんな体験が現実にできるのは確かに山はうってつけである。

    稲泉連の日本人宇宙飛行士を読んだ時は宇宙に行ってみたい、と思ったが、本書を読んでも山に登りたいという気持ちは私には芽生えなかった。私のような素人が挑むべき場所ではないと思うし、何より極限状態を耐え抜く精神力が必要だと思うから。

    この本を本人ではなく第三者が本にしていることには感嘆する。これだけ臨場感溢れるストーリーにする為に、どれほどの労力があったろうか。これもまたすごい精神力だと思う。






  • 山野井泰史さんと妙子さんのギャチュンカン北壁からの登頂ノンフィクション作品。

    タイトルの「凍」には、かなりの指を凍傷で失った「凍りつく」意味だけでなく、全力をつくして「闘」した意味も込められている。

    ピオレドール生涯功労賞も受賞してる山野井さんの、追い込まれても追い込まれても対処し続ける体力と精神力に、ただただ脱帽する1冊でした。

    8章の書き出し「目が覚めるとまだ生きていた」が特に痺れます。

    山野井さん密着ドキュメンタリー「人生クライマー」を見てたのもあり、本が特別面白かった、というよりも、本人じゃない人が書いてるのにこの緊迫感はすごい。というのが率直な感想でした。本人じゃないのにこれだけ書けるということは、いかに聞き出し、再構築したのか、その手腕がすごいに違いないはず。

    作品について書くよりも印象に残ったフレーズについて2つ触れたたいと思います。

    ①「わからなさは、危険と隣り合わせだとういこと。同時に、自分の未知の力を引き出してくれる可能性もある。」

    未知は未知を引き出す。限界は知らない領域から訪れる。

    以前自分の記録で書いた「まだ知らないだけ。だから足を運ぶ。挑む。だから挑戦というのは楽しいのだ」というフレーズはもっと深められるのだと思いました。

    ②「筋肉がつくことによって登れるようになるのではないのだろう。ある時脳のどこかが、ここは登れると思うようになる。そこと手足の神経が結びついた時、登れなかったはずのところが登れるようになるに違いなかった」

    凍傷で多くの指を失った山野井さん。以前のような登りができなくなっても、クライミングを繰り返していくうちに少しずつ登れるようになっていく。その出来事自体に多くのクライマーが言い訳できない背景を感じつつ、クライミングの楽しさの本質をついたような一文だと思いました。


    ポッドキャストで配信されてるラジオドラマがなかなかよかったので、本を読む時間がない方にはそっちをお勧めします!

    https://podcasts.apple.com/jp/podcast/%E6%B2%A2%E6%9C%A8%E8%80%95%E5%A4%AA%E9%83%8E-%E5%87%8D/id1510513690?uo=2

  • ノンフィクション作家としての著者の取材力に感嘆する。特に、登山家の山野井が登頂成功後に、一緒に登った妻との苦難に満ちた下山行のくだりは、緻密な描写で緊迫感が伝わり、一気に最後まで読み終えた。登山愛好家に、読むことをおすすめする。

    • ヤスローさん
      ノンフィクションとして、著者の取材力に感嘆する。特に山野が登頂した後の苦難に満ちた下山行のくだりは緻密で緊迫感がある描写で、一気に最後まで読...
      ノンフィクションとして、著者の取材力に感嘆する。特に山野が登頂した後の苦難に満ちた下山行のくだりは緻密で緊迫感がある描写で、一気に最後まで読んだ。登山愛好家に、読むことをおすすめしたい。
      2023/01/24
  • 山岳小説、小説(物語)の一つのジャンルと呼べるだろう。作品も多く佳作も少なくない、自分も好んで読んでいる。極地に焦がれる人間の思想、スリル&サスペンスなどが絡むこともある。さらには物語ではないノンフィクションもあり、これは創作(フィクション)を大きく超える困難試練に人間が襲われることもある。


    今作は沢木耕太郎著のノンフィクションである、きっかけはYoutubeから。なんとなく視聴していたキャンプやら、遭難やらの中に、登山家「山野井泰久・妙子」夫妻のヒマラヤにおける登山行があり、今作に至った。登山家(アルピニスト)についてはさほどの知識があるわけではないが、有名どころ、小説の主人公になったり、遭難死された方などは、脳の片隅に記憶されてはいた。今作の山野井夫妻については無知であり、youtubeでの紹介に大きく心揺れたのであった。


    沢木氏は言わずとしれた、エッセイ、ルポルタージュ、紀行等々の大家であるが、自分は名前だけ知っていて作品に触れたことはなかった、今作は山野井夫妻のヒマラヤ登山行が中心であるが、夫妻のそれぞれの生い立ち、登山歴までも詳しく掘り下げられており、読者は一端の山野井夫妻マニアになれるほどの情報を得ることになる。正直に思うことは、著者の取材能力の完璧さ、読者よりの適格さである。それは登攀シーンにも顕著に見られ、山岳モノに触れる度思うことであるが、読者を極地に連れ去り、極低温、強風、轟音、恐怖、を地肌で感じさせてくれる。この読書体験がなんとも心地良いのである。山岳モノを好む人なら共感するところ間違いないであろう。


    自分に登山の趣味はない、登山家の心理は理解はできるが共感はできない、命の保証がない極地に得られるモノがさほどないのに行きたいとは思わない。そして手足の指を失ってまで再度山に登ろうとは思わない。しかしながらそれらの強固な意志、思いには憧憬の念を禁じ得ない、自分にはとうてい不可能であることに、命を含めた全てをぶつけていける人達には、ただただ尊敬の念に頭を垂れるのみである。


    今作の山野井夫妻の登山にかける思いには、大いに共感できる。その行動原理は、かの有名な問答における回答「そこに山があるから」に近しいと感じた。夫妻が挑戦するヒマラヤ峰は、さほど有名ではない「カチュンガン」なる頂であった、当然自分の知識にはなかったが、8000m峰14座の次の標高を誇る8000m未満の頂であるそうだ。また夫妻の登山スタイルは、いわゆる「アルパイン・スタイル」であり何度かそのスタイルで、それぞれが14座のいくつかを登頂成功させている。そのようなベテランアルピニストの夫妻に、予想していたモノ予想外のモノ、様々な試練が襲いくる。それら全てをクリアしていく先に彼等の決死の登山行は、なんとか無事に終わるものの、その犠牲は多かったと思う。


    読了後に山野井夫妻について、さらに調べたのだが、山野井妙子氏のメンタルの強靭さには驚く。9歳年上の姉さん女房であり、クライミングの経験も歳の分山野井泰久氏を上まっていると感じた。過去にヒマラヤの高峰を踏んでおり、さらにパートナーを亡くす悲劇にも見舞われている。なんといっても今作では手足の指を18本失ってからの登攀なのである。彼女の心象描写もふんだんに組み込まれているが、楽天的とかパートナー泰久氏への信頼とか、そのようなものでこの強さを納得することが自分にはできなかった。おそらくは必要ない感情を完全に切り去ることが可能なのか?にしても恐るべしは山野井妙子、女性アルピニストである。思うにスポーツという枠で見た場合、登山には男女の優位の差がほとんどないようにも感じた。


    総じて山岳モノにはあまり外れがないように思う、コミック、映像なども含めてである、今作読了のついでに「エベレスト」2015年 をamazonで視聴した。これも1996年の遭難を元にした作品である。いわゆるデス・ゾーンでの人間の動きが、絵的に納得できた、これにより今作での夫妻の登攀の補完を得ることができた。映像作品もオススメである。

  • 山の世界の片鱗を垣間見させてもらいました。文章構成の巧拙は別として、臨場感や生命力が伝わった価値ある1冊。

  • 本当に命を懸けるものをもっているならば、手足の指を失ってもこれほどまでに前向きにいられる。そういうものなのかと驚かされる。

  • 山岳小説というと、新田次郎を思い出すが、本著者のものも中々おもしろかった。 山野井夫妻のギャチュンカン登頂記だが、夫の泰史のストイックさと妻の妙子の楽天家さがなんとも言えず本書の味を出している。著者も、変に美談として泰史を書くのではなく、生きて帰ることに必死になり、妻をおいてけぼりにしてしまった泰史のことや、それを特に根に持つことなく追い付いてくる妙子のことを正直にかいている。 最後に、指を凍傷で失った泰史にお見舞いに来た、親戚の子供が、なぜ無いのか聞いたときの泰史のコメントが、おもしろかった。山で食べ物がなくて食べちゃった、と。

  • 珍しく一気読み。山への挑戦の記録、物語としても面白いが、そこに人の気持ち、考え方、想いが乗って没頭できる。

    あとがきで池澤夏樹さんも書いているが、自由って改めて深いな、と思った。

    著者の沢木耕太郎さんは、有名な深夜特急が自己陶酔的に写ってしまって苦手だったけど、第3者のフィクションの書き手としてはいいかもしれない。他も興味を持った。

    2019.6.16

  • とんでもなく面白い。気軽にこんなことを言っていいものではないが、当に山野井泰史と妙子と一緒にギャチュンカンに登り、降りて来た気にさせられる。登る困難、達成感だけでなく、こんなにも降りる困難と達成を感じられる本に出会ったことがない。また、こんなにも恐ろしい山に嬉々として向かう人間を幾人もこの本は生み出してしまうだろう。恐ろしいことに!

  • いやー、ほんとに読み応えあった。状況が厳しすぎてずっと眉根に皺をいかせながら読んでた。降りたら甘いお菓子を食べるんだなんて考えながら。
    このお二人を存じ上げなかったのだがすごいお二人だと思った。夫婦の形もまたいい。いろんな生き方があっていいんだ。そしてなんといっても人間の底力が熱い。

  • 壮絶な山登りが素晴らしい文学表現で再現されている名著。この本が嫌いな人に会ったことがない。どの指だったら失ってもよいかなと考えながら、一本ずつ指を犠牲にしつつ妻妙子を救出に向かう壮絶さ。読んでいて耳元で唸りをあげる豪風の音が聞こえるよう。山野井さん本人の文も好きだけど、これは流石に素晴らしい作家の仕事。

  • 世界的クライマー山野井夫妻のギャチュンカン登山の記録。泰史さんは登頂したものの、行きも帰りも壮絶なものとなったことが、読んでいて苦しくなるくらい詳細に書いてある。一気読み。
    登山家のニュースを聞くたびに、登山家という人たちはどういう人たちなのかとその心理に尊敬と興味をもって山岳ものを読みたくなる。山野井夫妻がすごいクライマーだというのは聞いてはいたが、ここまですごいとは。なんでもっと日本で評価されてないの。それに登山家って文字通り死と隣り合わせで、それをちゃんと理解してるというのが、凄まじい精神力だなと感じた。

  • この本が好きな人は、山際淳司さんの『みんな山が大好きだった』もおすすめです。

  • はんぱない。文句なし。下山中の支点構築の描写は壮絶の一言。

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著者プロフィール

1947年東京生まれ。横浜国立大学卒業。73年『若き実力者たち』で、ルポライターとしてデビュー。79年『テロルの決算』で「大宅壮一ノンフィクション賞」、82年『一瞬の夏』で「新田次郎文学賞」、85年『バーボン・ストリート』で「講談社エッセイ賞」を受賞する。86年から刊行する『深夜特急』3部作では、93年に「JTB紀行文学賞」を受賞する。2000年、初の書き下ろし長編小説『血の味』を刊行し、06年『凍』で「講談社ノンフィクション賞」、14年『キャパの十字架』で「司馬遼太郎賞」、23年『天路の旅人』で「読売文学賞」を受賞する。

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