水底の歌―柿本人麿論 (下) (新潮文庫)

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著者 : 梅原猛
  • 新潮社 (1983年3月1日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (432ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101244037

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水底の歌―柿本人麿論 (下) (新潮文庫)の感想・レビュー・書評

  • 2ヶ月近くかかったであろうか。通勤途中のみで読んでいたから、本書を読んでいる間にほかに5冊の本を読んでレビューを書いている。パートナーの実家は島根県大田市にある。邑智郡までは車で1時間足らず。それを目的とはせずに、偶然見つけて入った柿本人麿および齋藤茂吉の記念館(と言っても小さな小屋くらいのもの)。こんなところが人麿の終焉の地であったのかという感慨。そして、大田市の古本屋で見つけた本書。偶然であろうかあるいは何らかのつながりがあるのか。本書は、その邑智郡が人麿の終焉地であるとした齋藤茂吉の説を徹底的に批判している。さらには、賀茂真淵などの人麿論についてもこれでもかこれでもかと批判が続く。そこに、著者自身の人麿論が語られている。「隠された十字架」で感じたのと同じ、あたかも推理小説でも読むかのようなふしぎな期待感を持ちながら読みすすめた。菅原道真などとあわせての怨霊の話にもひきつけられる。神社や寺が成立してきた過程。そして、万葉集が編まれた本当の意味。「古今集」の抜粋を含め古文・漢文の部分はほとんど読み飛ばしてしまったが、それでも十分にエンターテイメント的な読後感がある。

  • (2014.02.23読了)(2001.11.22購入)
    副題「柿本人麿論」
    【日本の古典の周辺】
    人麿論は、賀茂真淵によって確立され、それ以後は、賀茂真淵の説をもとに論じられてきているとのことです。ところが賀茂真淵の説を採用すると、『古今集』の序文に書かれていることを否定することになります。人麿が生きていた時代に近い人たちが書いたものが、間違っているはずがないと考えると、『古今集』の序文は、『古今集』が編纂された時代に書かれたものではなく、後の人が書き加えたものだということになってしまいます。
    梅原さんは、『古今集』の序文が、正しいと考えたらどうか、という観点からどう考えれば、正しいと言えるようになるのかを探っています。
    『古今集』の序文には、人麿が、正三位の位で歌の聖だ、と書かれています。正三位だとすると、続日本紀などの正史に書かれるはずなのに、書かれていないし、亡くなった場合は、薨や卒が使われることになっているのに、万葉集では、死が使われているので、正三位というのは、間違いということになります。
    死という文字がつかわれるのは、六位以下ということになっているので、六位以下だとどのような役職が可能かというふうに論が進められて作られているのが、真淵以後の人麻呂論です。
    梅原さんは、第一部で、人麿は、藤原不比等によって、石見の国の鴨嶋に流され、そこで処刑されたという説をとっています。
    罪に問われて処刑された場合、位は剥奪されるので、死という文字がつかわれているのではないかと推測しています。
    正史に人麿の記述がないのは、処刑されたために、記述の際に名前を変えられたのではないか、言うのです。そのような例もなくはないというのです。
    正史には、柿本猨(さる)、柿本佐留という人物が出てくるのですが、時代的に人麿と合致するので、これが、人麿ではないのか、ということです。(人麿ではなく、人麿の父親ではないかという説もあります)
    ヒトがサルに変えられたというわけです。この人の位は、従四位下です。
    また、他の言い伝えによると、人麿は、大夫と呼ばれています。従四位下の位の人のなりうる役職として、大夫はふさわしいものです。このことからも、柿本猨は、人麿の可能性があるということです。
    これで、正史には現われないという、問題は解決したとしても、位は、従四位下ですので、正三位ではありません。梅原さんは、正三位は、藤原不比等の亡くなった後に、人麿の名誉回復のために、追贈された位ではないだろうか、と推測しています。
    そのような記述のある文献が現れれば、梅原説は、確定するでしょう。論としては、面白いし、ありうることかもしれません。
    人麿が、サルに変えられた説のついでに、梅原さんは、百人一首に出てくる猿丸大夫は、実は、人麿ではないかということも述べています。人麿を人丸とも呼ぶし、人麿大夫と呼ばれたりもするので。
    梅原さんのように考えると、『古今集』の序文を記述まちがいと考えずに済むということになります。『古今集』の序文を否定するよりも、こちらのほうがすっきりするし、宮廷歌人としての人麿のイメージとも合致するのではないでしょうか。
    六位以下では、宮廷歌人というイメージには、合致しません。

    【目次】
    第二部 柿本人麿の生 ―賀茂真淵説をめぐって―
    第二章 年齢考
    第三章 官位考・正史考
    第四章 『古今集』序文考
    あとがき
    文庫版のためのあとがき
    年表
    図版目録

    ●天皇の称号(65頁)
    天皇という称号が、いつ、何のためにできたのか。持統三年につくられた人麿のかの歌には、明らかに「天皇」とある。
    その後も、人麿の、多分持統六年の頃の作であると思われる近江の都を過ぎたときの歌にも、天皇という言葉が使われている。万葉集を見る限... 続きを読む

  • 飛鳥・奈良時代お好きでしたらおすすめですが、梅原先生なので学術的です(つまり文章がカタイ)

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