水底の歌―柿本人麿論 (下) (新潮文庫)

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  • Amazon.co.jp ・本 (432ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101244037

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  • 再読。真淵、茂吉の人麻論を主に、誤謬を突きながら定説と言われてきた歌聖の、主に晩年人生を見事にひっくり返してくれます。たくさんの資料による提示、素直な解釈によってかえってすっきり血の通った人生の見えてくる面白さ。綺麗事じゃすまない古代史が血生臭く、それがまたもっと知りたい!と好奇心をつついてくれました。力でねじ伏せる論じゃないから大好き。

  • 先日亡くなれた梅原猛氏の入魂の大作『水底の歌』を読み終えました。
    まさに衝撃の作品と言ってよいでしょう。
    『万葉集』や『古今集』などに関して専門的知識のない私としては、
    彼の言っていることが正しいかどうかわかりません。

    ただ、賀茂真淵や本居宣長が言ってきたこと、
    また斎藤茂吉や多くの現今の学者が言っていることが
    必ずしも正しいとは限らないということを確認できただけも
    有意義な書物であったことと思っています。

    さて、この本のテーマとなっているのは柿本人麻呂という万葉歌人その人です。
    いつ何処で生まれ、何歳で何処で泣くなったか詳しくはわからいけれど、
    古今集よりこのかた「歌聖」と仰がれている大歌人です。

    「正史」、すなわち日本書紀、古事記などに登場していない歌人が
    天皇の行幸に伴い、皇子などの挽歌な数多くの歌を詠むことができたのであろうか?
    これが古来より謎の部分として幾多の学者、歌人に論じられてきました。

    今日多くの学者などは江戸時代の国学者、賀茂真淵、本居宣長らが唱えた説を
    概ね支持しているようです。斎藤茂吉もそれにそって独自説を展開しています。
    すなわち、人麿は六位以下の舎人で、朝集使でもあったらしい。
    最後は舎人から地方の下級官僚となり、石見国で亡くなった。
    また、古今集の序に謳われている文言の一部
    (五位以上を示す大夫を付して「柿本大夫」と記された)は
    後世書き換えられたものである。

    梅原は石見国の微官が持統天皇のお供をしたり、皇子の歌を読んだりできるか?
    たとえ舎人の身であったとしても、律令制度の中、多くの皇族に接触することは考えられない、
    とまず疑問を提示します。
    また古今集は天皇のさししめした勅撰歌集である、みだりに書き換えることはありえない、等々。
    彼の論法は気持ち良いほど明快で、過去の常識をずばずばと断ち切ってゆきます。
    そのスジの運びは昔読んだジョセフィン・テイの『時の娘』を読んでいたときの興奮を
    呼び起こしてくれました。

    彼が言っていることが真実かどうかは勿論私には全くわかりません。
    でも、「あらゆる権威や前提を疑い、すべてを自分の論理で判断し、
    確実な基礎の上に一歩一歩論証を重ねて行く」
    こうした姿勢に私は心打たれました。
    世の人々、否、特に学問に携わる人はこうあってほしいなと思っています。

著者プロフィール

哲学者。『隠された十字架』『水底の歌』で、それぞれ毎日出版文化賞、大佛次郎賞を受賞。縄文時代から近代までを視野に収め、文学・歴史・宗教等を包括して日本文化の深層を解明する〈梅原日本学〉を確立の後、能を研究。

「2016年 『世阿弥を学び、世阿弥に学ぶ』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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