- Amazon.co.jp ・本 (223ページ)
- / ISBN・EAN: 9784101253381
感想・レビュー・書評
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梨木さんの本は2冊目だが、話題になっていたのに読んでなかった。
ミステリの世界をちょっと歩いてみようと思ってから、文学作品から少し遠ざかっていた。
仕事を辞めた途端に、後を引かない話がいいと思うようになったのが原因かもしれない。仕事に逃げられなくなると、身軽な日常の方が健康上よろしいのではと思いついた。ストレスの源は仕事だと思っていたが、今になって思うとちょっとした逃げ場だったかもしれない。
あまりに本が溢れているので、退職後の時間の使い道に迷ったついでに、あまり知らないジャンルに踏み込んでみたらこれが面白過ぎた。
そして最近、何か足りない、情緒にいささか偏りがあると思い始めた。それが全部ミステリにどっぷり漬かり過ぎたので、幼い頃から馴染んできたものを手放しからではないかとふと思った。文学書のような区別の難しいミステリも多くてまだまだ卒業できそうになけれど。最近そんな気がしていた。
梨木さんの本を手にして、こういう文章が心を落ち着かせるのか、帰るところはこういう世界なのかもしれないと気がついた。
身の回りの話題から、世界を大く広げるようなエッセイ集だった。「ぐるり」と言う言葉は、「周り」ということに使われる。母の田舎では「田んぼのグルリの草刈りをしよう」「家のグルリをひと回り」などと普通に使う。
「グルリのこと」という題名の「グルリ」とは、「グリとグラ」に近い何かの名前なのかとぼんやり思っていた。わたしは何でも予備知識なしで取り掛かる欠点がある。
境界を行き来する
ドーバー海峡の崖からフランスの方に身を乗り出して見た時気づいた、「自分を開く」と言うことからつぎつぎに連想される事がらについて考える。
隠れていたい場所
生垣の中と外、内と外からの眺めや中に住んで見たい思いがイスラムの女性の服装について考える。
イスラームの女性の被りものは、覆う部位や大きさ、また国によって様々な呼び名があるが、総称してヘジャーブという(略)イスラームに対する批判の中には、唯々諾々とヘジャーブを「纏わされている」女性たち自身に対するものもある。「隠れている」状態は、それを強制させられていることに対する同情とともに抑圧に対する自覚がなく、自覚があるなら卑怯であり、個として認められなくても当たり前、というような。
それから、そういう印象を受けるイスラームの問題や、われわれの受け取り方や、わかろうとする無理について考える。面白い。
風の巡る場所
観光客が向けるカメラの先にいる現地の人たちに対する思いや、旅人の自分や大地を見つめて、考えたことなど。
大地へ
少年犯罪について、教育者の態度、子を亡くした親の悲痛な心について。逆縁の不孝、冠婚葬祭の風習などについても。
目的に向かう
この分は実に「ぐるりのこと」なので面白い。車で信楽に出掛けたところ、回り道をしてしまって伊賀上野についたり、昔ながらの田舎の庭が、イングリッシュガーデンの始まりに似ていると思ったり、私も野草や花が好きなので、近代的な花もいいが、昔ながらの黄色いダリアや千日紅、ホウセンカなどが咲いている庭を見ると懐かしい。共感を覚えて嬉しくなった。
群れの境界から
映画「ラストサムライ」を見て思ったこと。葉隠れの思想、西郷隆盛の実像などの考察。
群れで生きることの精神的な(だからこそ人が命をかけるほどに重要な)意義は、それが与えてくれる安定感、所属感にあり、そしてそれは、儒教精神のよってさらに強固なものになる(その「強固」もうすでに崩壊に向かっている訳だけれど)この儒教精神も絶妙な遣りかたで(結果的に見れば。その時々で都合のいいように使われてきたことの堆積が宋見えるだけかも知れないけれど)為政者側に役立ってきた。
こういう物語や、現実につながる過去の歴史が思い当たる。
物語を
風切羽が事故でだめになったカラスに出会う、あんたは死ぬ、と言って聞かせた後、帰り道でカラスが民家の庭にいるのを見る。迷子のカラスがペットになった話があったなと思う。カラスと目が合って「そうだとりあえず、それでいこう、それしかない」と思い、そうだ、可能性がある限り生物は生きる努力をする。生き抜く算段をしなければ。
アイヌのおばあさんの処世術について。
ムラサキツユクサの白花を見つけたが、そこが住宅地になってしまって胸が痛んだこと。
本当にしたい仕事について、
物語を語りたい。
そこに人が存在する、その大地の由来を
ますます好きになった梨木さんという作家の物語を楽しみに読みたい。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
梨木さん、どれだけ深く、広く、物事をとらえながら生きているんだろう。
いつもぐるりのことにアンテナをはっており、疲れないのだろうか。
そんなところの気のゆるめかたもうまいんだろうな。 -
日々の生、社会の生、時代の生を丁寧に深く生き抜くことを綴る随筆集。
あらゆる物事と、その背景にある人間の心の動きを明らかにする、その為に選ぶ言葉の的確さに、何度もはっとさせられました。
自分という個と、世界との境界を自由に行き来する梨木さんの柔軟な思考が、数々の著作の根底にあったのだと実感すると共に、その真の思慮深さに憧れてやみません。 -
その事をやらずには生きられない、
そういった事をやっているヒトを感じるのが、自分は好きで。
ニセモノとホンモノがあるのなら、このヒトはホンモノだと思う。 -
てっきり映画の原作だと思っていたら全く関係ないエッセイ集でした。
目的を設定し、最小の労力でそれに辿り着く最短距離を考えるー(中略)何かをしたい、という情熱が育まれる以前に、「何かをするためのマニュアル」が与えられてしまう。
↑ここが一番ぐっときた。日本の教育について考察する場面なのだが、私は正にこの通りに育っていると思う。
著者はこういった教育を批判し切り捨てるのではなく、一定の理解を示しつつもっとなんとかならないものかと憂いている。
しかし、この短絡性を援助交際や恐喝などの犯罪に結びつけてしまったのは私には残念だった。
もっと「情熱を育む」という部分に焦点を当てて欲しかった。
著者はこれほど意識的に生活していくことに、疲れないのだろうか、と読んでいて心配になった。
自分で深く深く考えていても結局世界が変わることは(多分)ないのに。
何か行動を起こさないことに罪悪感を覚えたりしないのだろうか。
そう思うと同時に、著者にとっては作品を書いて世に発表するということが、行動を起こすことなのだ、と思った。 -
梨木さんの作品は、静かな空気感のなかに、ひとつひとつに歴史を重ねてきた重みというのが感じられてとても好きなのだが、こちらのエッセー...というには深い思索に驚かされる。常日頃から、自分をとりまく事柄にこんなに思いを馳せている方だったんですね。すごく勉強になりました。
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タイトルから女性作家の随筆、エッセイの類と思って読み始めて、驚く。むしろ評論というべきもの。
外部と内部、その間にある周辺とか境界といわれる領域。この辺までは教科書的な理解はあった。英国の生垣は動物や昆虫たちが集まる豊潤な世界という。中心あっての周辺と思い込んでいて、そんなことは考えもしなかった。著者自身、幼い頃そこに立て籠もった。遠くからの光に誘われて出てしまったとの告白。光とは何の比喩だろうか。自己と他者を超越する理想だろうか?
難しい。トンデモナイ疑問を最後にポンと置いたりする。意地悪じゃないけれど、読者についてこれるかと試しているかも知れない。
境界を行き来せよという。境界を曖昧にすればいいのかと思っていると、群れに埋もれることを糾弾してくる。周囲に捲かれず、遠い外部との境界を超えろという。ベクトルの方向が判らない。日常に埋没するサラリーマンは途方に暮れる。想像力の跳躍が必要だ。
一つの話題から急に唐突に違う舞台へピョンと飛ぶ。最後に軽々と最初の地点に舞い戻る。その跳躍力と着地の見事さ。ノルマンディーやトルコ、高千穂、近江の地の空気感が素晴らしい。
共感ではなく、境界を越えることを考えさせられた読書だった。 -
ぐるりのこと −外の世界、境界− について書かれたエッセイです。
そんなに易しくもなく、難しくもありません。
・「個人の生」と「時代の生」
・「個」と「群れ」
・生け垣と有刺鉄線
対称的な言葉の組み合わせは色々出てきますが、
記憶に残っているものはこの3組です。
大台ヶ原に移住してきた春日山の鹿の話は分かりやすかったです。
人と人とが関わり合う、文化と文化が触れ合うということを
考えさせられる一冊。 -
まわりの世界と
自分の境界
そういうぐるっとしてことなど
世界に対してどう開いていくか
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作者の身の回りで起こること、発見したことを通して社会の在り方を考える過程を描く。やがて物語へと昇華するのだろう示唆。冷静な分析やある種開き直ったような極論を展開しつつ、本質を捉えようと葛藤する作者に共感する。