渡りの足跡 (新潮文庫)

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著者 : 梨木香歩
  • 新潮社 (2013年2月28日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (253ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101253404

渡りの足跡 (新潮文庫)の感想・レビュー・書評

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  • 知床から北へと旅立つ渡り鳥に会うため、梨木さんが北海道の地に下り立つところから本書は始まります。
    しかし、この本は渡り鳥の足跡を追いかける旅の記録に止まらず、「越境するもの」たちに関する考察、さらには自然とは、人間とは何かを読んだ者に問いかけてくるのです。

    デルスー・ウザラーという案内人についてもっと知りたいと思いました。
    本書の中で取り上げられている本を読んでみよっと。

    私生活がばたばたしている時期に読み始めてしまったのが悔やまれます。
    まとまった時間がとれず、切れ切れの読書になってしまいました・・・
    いつか必ずや再読したい本です。
    そのときには、じっくりと感覚を研ぎ澄ませて、時間をかけて向かい合いたいと強く思うのです。

  • 基本は渡り鳥たちを見に行く旅。だがその中には、生きること、還る場所のこと等と鳥を通した作者の考察が散りばめられている。自分の行き先を見失いやすい時代だからこそ、この本が渡り鳥が渡りの頼りとする星の位置のように、輝いている。

  •  鳥の渡りを追うエッセイ。この作者さんならではの濃やかな感性と観察眼がなんともいえず魅力的。わたしはエッセイに関してはあまりいい読者とは言えず、普段はもっぱら小説(それもフィクション)を主食として読んでいるのだけれど、この方に関してはむしろエッセイが小説以上に大好き(小説も好き)。
     北方に渡る旅に発つオジロワシやオオワシに会うための、知床への旅。営巣中のオオワシを探す、カムチャッカへの旅。(鳥の渡りというものをその眼で実際に見るというのは、すごい体験だよなあ、と思うのだけれど、自分で真似してみるだけのガッツと資力がない……)
     鳥たちそのものについての観察と思索はもちろんのこと、挿入される現地の人々のエピソードもまた印象深い。戦時中のアメリカの、忠誠登録とノーノーボーイの話。北海道の開拓民の話。アリューシャンを旅したときのカヤックの話が面白かった。地形のせいで次から次に押し寄せるはげしい波を乗り越えるために、昔のアリュートが作りあ上げていったカヤックには、十二個もの骨がついていて、前後の柔軟性とねじれ剛性を高めているという話。人々の暮らしと、そこに流れる時間。
     ワタリガラスの神秘性、ヒヨドリの逞しさ、渡りをやめた鳥たち、公害に伴う鳥の減少。
     本作のようにそれを主題にまとめたものでなくても、梨木さんのエッセイにはよく鳥の話が出てくる(それから植物のことも)。それを読むたびに、鳥を見ない自分を省みる。実際のところ昔より数は減っているにせよ、身近にも鳥たちがいないわけではない。耳を澄ませば声がするのに姿を見つけられず、声を聞いても名前がわからない。ああ自分は貧しい暮らしをしているのだなあ、と思う。金銭的なものではなく、心が。鳥の名前を知り、その渡りの航路を知って思いをめぐらせ、ああ今年もまた彼らがやってきたのだなと目を細めて暮らすことができたなら、どんなにか……と思う。

  • 自分の庭に毎年来ているジョウビタキが、実はいつも同じ個体で、夏にはシベリアにいる、これを知ったときの感動、はい、わかります! 梨木香歩 著「渡りの足跡」、2013.3発行(文庫)です。「おつかれさま、よく来たね」心からそう思います(^-^)

  • マイ癒しその③、と、軽率に書くことを少々躊躇う。
    梨木さんのエッセイは、私にとって大きな安心である。乱雑にくくればやはり「癒し」が該当するのだが、よく一般に言われるような手軽なそれでは決してない。
    機械や文明に頼りきりの人間たちによる想像などより、はるかに過酷な生きかたをしているいきものたち(そのことを、かれら自身は過酷とは思っていないだろうが)を思うと、背筋がいつしか、すっと伸びていることに気付く。また、自然の持つ要素から、ありがちな、安心やセラピー的なものだけではなく、険しさ厳しさも拾い出してくれていて、さらには人間(同じ人間に対してさえ、どこまでも非道になれるもの!)が環境を変異させていることをも語ってくれている。自然動物と絡められながらなされる表現に、過剰な擬人化は、私の見た限りでは感じられない。
    それにしても、変異、つまり一部の人間の勝手を、自然(地球)は受容していくのだろうか。声の小さなものは、いつだって、耐えるか、抑圧されて消えるかしかできないのだろうか。暗澹たるというか、むしろ夜の砂漠に吹く風みたいなさみしい気持ちになってしまう。
    さらにいうのであれば、気のせいだろうか。自然に密着しない、土と水から離れたものほど残酷になれるように思える。あたたかさのなかに厳しさを含む自然こそが、わたしたちの生かされている場所であるのに。
    梨木さんのエッセイで息を吐くことができるのは、たぶん、かのじょが、きちんと自然の空気を吸ったうえで文章を綴っているからだろう。私はかのじょの文章に接したひとが、日々の生活にかき消されがちな小さな声を聞いてくれることを望み、また、声や警告を発することなど思い及びもせずほろびていく(私たちも含めて!)ことに注意を払ってくれはしないか、と願ってしまう。

  • 梨木さんの作品は植物の描写が素晴らしいので植物の造詣が深いのだろうなあと思ってましたが、鳥の知識もこれほどまでに豊富だとは知りませんでした。渡り鳥を見るために地方へ遠征までされていたのですね。観察者としての抑え気味の筆致の中に、時折擬人化していたりするあたりに鳥への深い愛情を感じます。私も、野山を歩くようになってもっと鳥のことを知りたいと思うようになり、動画サイトで検索してみたりもしてますが、まだまだ修行が足りないなあと実感しました。いつか、さらりと「〇〇の鳴き声だ」なんて言える人になりたいものです。

  • 私には、梨木香歩さんの文章について
    語れるほどの何も持ってはいない。

    それでもちょっぴり
    この本で分かったような気がすることを
    かいつまんで紹介してレビューとしたい。

    渡りの足跡を追う、梨木さんの立ち位置に
    背筋が伸びる思いがする。

    筆者は、種としての生きものを
    きちんと意識しつつ、しきりに「個体」と
    いう呼称を用いている。様々な鳥たちは
    彼女にとって、個々に向き合い、自分という
    人間の、生きものとしての品格を証明しようと
    試みる相手なのかもしれない。

    人もまた、渡る。
    知床開拓団の1人だったあや子さんの言葉や
    身振りを再現してみせる筆者の文章の、
    それはそれは饒舌なこと。あや子さんのことが
    好きでたまらないことが、梨木作品の愛読者には
    間違いなく伝わるだろう。

    人もまた、還る。
    そこでしか生きられないという消極的な選択
    ではなく、そこで生きるという確かで強いものを
    心に燃やして。そこがまったく見たこともない場所であっても、生きると決めた場所へ…人も鳥も
    還るのだ。

    そんなふうにして見たこともない知床で生きると
    決めた、あや子さんの言葉が大好きだ。

    …人間って、行ったとこで、
    生きていくなりのこと。

    梨木香歩さんの作品には、梨木さんと梨木さんと向き合ったたくさんの生きもの(もちろん人間も含む)の生命エネルギーがぎゅうぎゅうに詰め込まれていると思う。

    決まり切った言葉などで表現されてきた自然など
    忘れてしまえ! 誰にともなくそう叫びたい。

    季節感がどうだとか、閑静な趣きがどうだとか
    言う前に、人間の先入観や予定調和で満たされた
    心を解き放たなければ、私たちはいずれ、この
    自然の中で個体としてその命を燃やす力を
    失ってしまう。きっと。

  • 知床の開拓は失敗例だった、というイメージを行政はつくりあげ、手つかずの大自然を売りに国立公園化したが、その背景には泣く泣く畑を手放した住人がいた。

    戦時中、「ノーノーボーイ」だった日系アメリカ人。
    移住者のイメージと渡り鳥のイメージが重なる。

  • エッセイだった。
    渡り専門の鳥見が好きみたいです。
    鳥の、人の、と、渡りをテーマに書いてるのかしら。

    北海道にお嫁に来たおばあさんのところでは、なんだか納得いかない感動をされてると感じた。
    そこの住人からするとね。変な風に捉えられてるんだなぁと思った。

    本としては★3つなんだけど
    ヒヨドリをこけ落としてたのでマイナスにする。
    あんなかわいいのに・・・
    特にほっぺかわいいだろ!( ・ˇ_ˇ・)

  • これはノンフィクション。
    彼女が植物や鳥に造詣が深いことは知っていたけれど、渡り鳥を見るために何度も北海道を訪れていたとは知らなかった。
    サロマ湖や長都沼は知っているけれど、チミケップ湖なんて北海道に住んでいても聞いたこともなかった。

    とにかく彼女は自然が持つ力というものを絶対的に信じていて、人間が自然破壊をしたのも自然の意志かもしれないし、自然を回復しようとささやかながら努力することすらも自然の計算のうちかもしれない、と。
    ここまで来たら、もう、自分が信じる行動をとるしかないよね。

    太古の自然にもどすことは今さら不可能なのだから、無駄に自然を損なうことなどないように気を付けながら、文明の恩恵を享受するというのが、今のところの私のスタンスですが。

    自然の前では人間同士はもちろんのこと、人間とほかの生き物の存在は平等であり、風や海流は世界中で命の流れを繋ぐものであるとするならば、それらをぞんざいに扱うことなど当然してはいけないこと。
    けれど、ついそのことを忘れちゃうんだよね、私たち人間は。
    自分だけ良ければいいなんて思っちゃって。

    “太陽は、いくら礼を言っても足りないほどの、そう、神と言ってもいいほどの存在だったのだ。そのことは、私の日常からいつの間にか乖離していた。雨も、風も霧も、みな、必要とされ、過ぎれば脅威も与える。それが自分の生命を左右するものだという、その、生物として当たり前の感覚が、乖離していた。”

    どんな環境でも、そこが自分の居場所と思い定めている生物がいる。
    環境が変われば、それに合わせて自分を変えていく生物がいれば、自分の過ごしやすい場所を求めて移動する生物もいる。
    梨木香歩は前者を植物の中に、後者を渡り鳥の中に見ているが、人間にだってそういうところはあるのではないか、と、外国に移民した日本人や北海道を開拓した人たちに思いをはせる。

    自然の中にすっくと立って世の中を見る彼女の目は、ぶれない。
    だから私は、ぶれそうになるとき彼女の本を手に取るのだ。かくあらんとして。

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渡りの足跡 (新潮文庫)の作品紹介

この鳥たちが話してくれたら、それはきっと人間に負けないくらいの冒険譚になるに違いない-。一万キロを無着陸で飛び続けることもある、壮大なスケールの「渡り」。案内人に導かれ、命がけで旅立つ鳥たちの足跡を訪ねて、知床、諏訪湖、カムチャッカへ。ひとつの生命体の、その意志の向こうにあるものとは何か。創作の根源にあるテーマを浮き彫りにする、奇跡を見つめた旅の記録。

渡りの足跡 (新潮文庫)の単行本

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