- Amazon.co.jp ・本 (413ページ)
- / ISBN・EAN: 9784101254814
作品紹介・あらすじ
謎の位牌を握りしめて、百合江は死の床についていた――。彼女の生涯はまさに波乱万丈だった。道東の開拓村で極貧の家に育ち、中学卒業と同時に奉公に出されるが、やがては旅芸人一座に飛び込んだ。一方、妹の里実は道東に残り、理容師の道を歩み始めた……。流転する百合江と堅実な妹の60年に及ぶ絆を軸にして、姉妹の母や娘たちを含む女三世代の凄絶な人生を描いた圧倒的長編小説。
感想・レビュー・書評
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あなたは、他の人の人生が”幸福だったか、不幸だった”かを判断できるでしょうか?
なかなかに難しい質問からスタートした本日のレビューですが、いかがでしょう。この問いに答えるには『幸福』とは何か?という非常に難しい質問に答える必要もありそうです。
ところで、この世には”大河小説”なるものが多数出版されています。或る人物が、いつ、どんな場所で、どんな境遇の中に生まれたのかから始まる物語は、そんな人物がどんな青春時代を送り、どんな人生を送ったのかが記されています。そんな人生にはまさしく喜怒哀楽の日常があり、山あり谷ありの人生の中でこんなことを成し、こんな風にこの世を後にした…その人の人生のすべてがそこにまとめられています。
そんな物語を読むと、その人物が何を成し遂げ、何に苦悩したか、また、人によって人生の頂点がいつだったのかを第三者的に感じることはできます。一方で、小説と違って、リアル世界においては、他の人が、自らの人生をどのように感じていたのか、そう、”幸福だったか、不幸だったか”を本人以外が知ることはできません。そもそも自分の人生が”幸福だったか、不幸だったか”はあくまで、その人個人のことであり、他人がとやかく言える資格はありませんし、そもそもその人の心の内側を覗けるわけでもありません。私たちが、他人の人生を記した”大河小説”に魅かれるのは、自らが決して体験することのできない他人の人生の中に、自らが生きていく上で”幸福だった”と言える人生を送るためのヒントを知りたいからなのかもしれません。
さてここに、”北海道、極貧の、愛のない家”で生まれ育った一人の女性を中心に親子三代に渡る家族の暮らしを描いた”大河小説”があります。戦後間もない時代から60年に渡るそれぞれの時代を描くこの作品。『わたしは食べて働いて歌ってさえいれば』と思う主人公がさまざまな境遇の中に生き抜いていく様を見るこの作品。そしてそれは、人がこの世を生きることの幸せというものに、あなたが思いを馳せることになる物語です。
『休み時間に電話ちょうだい』という『従姉妹の理恵からメールが入ってい』たのに気づいたのは主人公の清水小夜子(しみず さよこ)。そんな小夜子が電話をかけると『うちのお母さんと連絡が取れないの。ちょっと様子を見に行ってもらえないかな』、『電話に出ないの。里実おばさんに訊くのがいちばん早いんだろうけど。おばさんだとほら、いろいろあったから』と言う理恵。『伯母、杉山百合江の生活保護申請手続きを進めたのは、小夜子の母の里実』でした。『札幌に出たきりになっている理恵』を思い、依頼を引き受けることにした小夜子は電話を切り『階段の踊り場を見上げると』そこには鶴田の姿があります。『総務課の課長補佐だったころからのつき合い』という鶴田は『小夜子とのことがきっかけで』妻と別れた後、小夜子とも一旦切れますが、『五年前から、再び会うように』なりました。『四十五歳で妊娠』、『三日前、更年期の相談で婦人科を受診した際に告げられた』事実を『まだ鶴田に伝えていない』小夜子は、子どもの成長と自分たちの年齢感を思い『自分たちが人の親になれるような気がしな』いでいます。そして、仕事が終わった後『母の里実に百合江の部屋を教えてほしいと頼』む小夜子に、『なんか、嫌な予感がする』という里実は小夜子に同行して百合江の暮らす『古い町営住宅』へと向かいました。『若いころはクラブ歌手で、子供の目にもずいぶん美しく華やかに見えた伯母の、おそらくここが終の棲家だ』と目の前の住宅を見る小夜子に『いい年して、ひとりでこんなところに住まなきゃならないなんて、みじめよねえ』と言う里実。そんな里実は『事業に失敗したあとストレス性のめまいで倒れた』百合江の『生活保護の手続き一切を取り仕切』りました。そして、『インターホンを押』すと『どちら様でしょうか』と『みごとな白髪の老人』が顔を出します。『百合江の部屋に男が ー といっても相当な年配の老人だが』と驚く二人。『どうぞ。奥の部屋にいらっしゃいますから』と招き入れられ部屋に入ると『終末に近づいた人間の饐えたにおいが室内に充満してい』ます。そして『おそるおそる次の間を覗』くと、『開いたふすまの向こうで、百合江が布団に横たわってい』ました。『おばさん、小夜子です』と声をかけるも『動く気配』のない『百合江の左手には黒い漆塗りのちいさな位牌が握られて』います。そんな中、『姉さん』と『小夜子を押しのけ』里実が百合江の枕元に膝をつきます。そんな母親の姿を見て『はっと我に返った』小夜子は『バッグから携帯電話を取り出し、救急車を呼』びます。そして、『百合江の手から位牌を取ろうと指をこじ開けている』『母の両肩を掴』むと『ちょっと、そのままにしておいてあげて』と、手を払いのける小夜子。『両手を畳につき尻もちをついた格好で小夜子を睨』む里実…という〈序章〉から始まる物語に登場するのは主人公の百合江と里実の姉妹。そんな百合江が中学生だった頃に舞台を遡る物語、親子3代、60年に渡る女たちの凄絶な人生の物語が描かれていきます。
“謎の位牌を握りしめて、百合江は死の床についていた ー。彼女の生涯はまさに波乱万丈だった。道東の開拓村で極貧の家に育ち、中学卒業と同時に奉公に出されるが、やがては旅芸人一座に飛び込んだ。一方、妹の里実は道東に残り、理容師の道を歩み始めた…。流転する百合江と堅実な妹の60年に及ぶ絆を軸にして、姉妹の母や娘たちを含む女三世代の凄絶な人生を描いた圧倒的長編小説”とうたわれるこの作品は、桜木紫乃さんの最高傑作とも言われる作品でもあります。内容紹介にある通り、”女三世代”を描く大河小説の色合いを色濃く感じるこの作品では、冒頭の現代(刊行は2011年8月)を舞台にした物語が展開する一方で、〈序章〉に続く〈1〉では、時代を一気に遡り、『昭和二十五年十一月一日、標茶村は標茶町になった』と起点となる時代から60年前に場面は一気に遡ります。物語は、章が進むに従って数年おきに時代が進んでいきます。こういった複数の時代を取り上げる物語ではその時代、その時代を表す表現の登場が時代感を巧みに演出してくれます。
では、まずはそんな時代を表す表現を抜き出してみましょう。
・〈1〉: 昭和二十五年(1950年)、百合江15歳、里実11歳
→ 『板張りの部屋がたったふたつの、粗末な開拓小屋だった。電気が通っていないので日が暮れたらランプが頼りだ』。
※ 『開拓小屋』という表現も時代がかっていますが、『ランプが頼り』というのも時代を感じます。
・〈2〉: 昭和三十五年(1960年)、百合江25歳、里実21歳
→ 『チリ地震による津波の痛手は街の低い場所に多数残っていたが、復興の気配が見え始めてから半月が経とうとしていた』。
※ 1960年5月23日にM9.5という規模で発生した津波は日本へと押し寄せました。北海道から東北の沿岸部を壊滅させた事象を登場させる桜木さん。ちなみに、本文中に昭和三十五年と特定する表現は少し後に登場します。まずは、有名な事象で年代を敢えて書かずに読者におおよその時代を特定させる中に物語を展開させるという絶妙さを見せてくださいます。
→ 『トランジスタテレビから、日米安保条約が国会で承認され、デモ隊三十三万人が国会を包囲したというニュースが流れていた』。
※ 『トランジスタテレビ』って何?というこの表現に続くのが『日米安保条約』と『デモ隊』の登場です。この年にも当然他の出来事は多々あります。しかし、敢えてこれを選ぶ桜木さんがこの作品に帯びさせたい時代感が垣間見えます。
・〈3〉: 昭和三十八年(1963年)、百合江28歳、里実24歳
→ 『舞台では生バンドで協会理事長が「憧れのハワイ航路」を歌っている』。
→ 『綾子は満面の笑みでうなずくと、大きな声で「情熱の花」を歌います、と言ったのだった』
※ 岡晴夫『憧れのハワイ航路』は1948年、ザ・ピーナッツ『情熱の花』は1959年にそれぞれリリースされています。これだけでは時代特定はできませんが、これらはどちらかと言うと時代感を感じさせるものだと思います。それが、次の表現の登場で効果的に効いてきます。
→ 『椎名林檎の曲に指先でリズムを取りながら理恵が言う』
※ これは、現代の描写の中に登場する一文ですが、過去の時代の曲が複数登場する中で『椎名林檎の曲…』と、時代をジャンプする感覚が読書に軽妙なリズムをつけてくれます。このあたりも上手いなあと思います。
・〈4〉: 昭和五十年(1975年)、百合江40歳、里実36歳
→ 『皇太子夫妻が沖縄で火炎瓶を投げつけられたという話題が、新聞やテレビのトップニュースとなってすぐのことだった』。
※ 1975年7月17日に沖縄県糸満市で起こった、皇太子夫妻へ火炎瓶を投げつけるという”ひめゆりの塔事件”の記述からはじまるこの章。〈2〉と〈3〉の時間の開きが少ない分、〈4〉では、随分と先まで時代が進んだ感があります。そして、物語自体においてもさまざまなことがかなり進んだ未来が描かれていきます。
幾つか抜き出してみましたが、この作品の時代を感じさせる表現が極めて淡白なことに気づきます。”大河小説”ではこういった時代感を全面に出して楽しませてくれる作品も多い中、この作品で桜木さんはそこに重きを置かれていないことにも気づきます。それこそが、あとでも触れる、百合江と里実を中心に描く人生の物語です。
一方で、物語は60年の時代を描いていきますが、その舞台は桜木さんご自身が自ら暮らされている北海道です。桜木さんと言うと北国の仄暗い雰囲気感が何よりもの魅力ですが、この作品では釧路、弟子屈町が主な舞台となります。そんな舞台となる地を魅せる表現も見ておきたいと思います。
・『見下ろせば春採湖の湖面は晴れた空の下でも黒かった。海底炭採掘でできた低いズリ山と丘に挟まれた、ひょろ長い湖である。天然記念物の緋鮒はこの黒い湖にしか棲まないというのだが、小夜子はまだ一度も緋色の鮒を見たことがない』。
※ 春採湖(はるとりこ)は釧路にある汽水湖です。お住まいのある釧路の湖をさりげなく登場させる桜木さん。ディープな北海道を見せてくださいます。
・『川沿いの釧網本線付近では、乳白色の霧が生き物のように川上へと移動していた。窓から見える景色は、十メートル先の隣家も霞ませている』。
※ これは、実際に見た人でないと書けない表現だと思います。『生き物のように』移動する霧、雄大な北海道ならではの光景が思い浮かびます。
・『一番牧草の刈り取りが始まった農地にはいくつもの牧草ロールが並び、牧草畑は手入れの行き届いた芝生のように丘陵を夕空に繫げていた』。
※ これは万人が期待する北海道のイメージそのものだと思います。『丘陵を夕空に』と入れるところが北海道の雄大さを見せてくれます。
そんなこの作品は、兎にも角にも親子三代を描いた”大河小説”と言えると思います。現代を舞台にした〈序章〉の主人公は小夜子と理恵という三代目世代です。そんな小夜子は『四十五歳で妊娠』という衝撃的な立場にあることがスタート地点で明かされます。しかし、昭和二十五年という過去から始まる物語の主人公は百合江と里実です。ここで、主人公の親子三世代を整理しておきましょう。
・第一世代: 卯一、ハギ
↓
・第二世代(姉妹): 百合江、里実
↓
・第三世代(従姉妹): 小夜子(里実が母)、理恵(百合江が母)
姉妹、従姉妹と表記しましたが、これはあくまで分かりやすさのためのものです。特に第三世代の二人の境遇、関係性は実際はなかなかに複雑です。このあたりはネタバレを避けるため伏せます。本編でお楽しみください(笑)。
そんな物語は、内容紹介にもある通り、まさしく”波瀾万丈”な人生を送る百合江と里実の物語であり、長編小説として読み応え十分に描かれていきます。『板張りの部屋がたったふたつの、粗末な開拓小屋』で育った百合江に対して、生まれてすぐに、一旦、旅館を経営している卯一の妹の元に預けられた後で、極貧の実家へと連れ戻された里実。この幼き二人の境遇を描く〈1〉の物語は、すでに若くして凄絶な人生を歩む二人の姿を浮かび上がらせていきます。そんな中に『高校に進みたい。全日制が駄目なら夜学でも構わないんだ』と父親の卯一に願う百合江に待っていたのはまさかの『奉公』に出される未来でした。そんな『奉公』の日々のある日、『標茶町のみなさま、お待たせいたしました。これより三津橋道夫劇団の舞台が始まります』という舞台をたまたま目にした百合江。
『生まれて初めて観る踊りと歌芝居の世界は、貧乏や屈辱、百合江を取り巻くどうにもならないことのすべてを覆っていった』。
女歌手・一条鶴子との出会いは、百合江のそれからの未来を大きく変えていく起点となっていきます。
『歌を教えてください。お願いします。弟子にしてください』。
そんな風に鶴子に懇願することから輝き出していくのが百合江の歌の魅力です。物語は全編通して、この百合江の秀でた歌唱力が百合江を救っていく様を描いていきます。そんな百合江に対して理髪店に嫁いだ里実は、上記した『生活保護申請手続き』もそうですが、それ以外にも百合江の細々とした世話を焼いていきます。
『老いてから何年ものあいだ仲たがいができるのも、お互いの存在が大きなものだったことに気づけるのも、ふたりが血の繫がった姉妹だからなのだろう』。
そんな姉妹は、
『いつかまた関係が修復できるという無意識の甘えに支えられ、姉妹はいつまでも姉妹だった』。
という特別な関係性、繋がりの中に長い人生を支え合いながら生きていきます。四歳の歳の差の姉妹が見せるお互いを思いやる気持ちをさまざまな形で垣間見せる物語。そこには、”大河小説”らしく、凄絶な人生を必死に生きる百合江と里実の姉妹の苦難の日々が描かれていきます。そんな二人の人生を描く物語の全容を読み終える中に、『この世は生きてるだけで儲けもんだ』という言葉に思いを馳せ、人がこの世を生きていくことの意味を感じながら本を置きました。
『わたしは食べて働いて歌ってさえいれば』
苦難の人生の中にささやかな喜びを感じて生きていく百合江と、そんな姉をさまざまな形で思いやる妹・里実の人生が描かれるこの作品。そこには、そんな二人を中心とした親子三世代の物語が描かれていました。時代を表す表現の登場が物語の真実性を高めていくこの作品。北国を絶妙に描写する桜木さんの魅力を垣間見るこの作品。
60年という時代の移り変わりを描く物語の中に、”大河小説”ならではの深い余韻を感じる、これぞ桜木紫乃さんの傑作!だと思いました。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
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hibuさん、おはようございます
仰ること、よくわかります(≧∀≦)
先週は、通勤時間と休み時間が来る事を楽しみにしていた毎日でした
暗いの...hibuさん、おはようございます
仰ること、よくわかります(≧∀≦)
先週は、通勤時間と休み時間が来る事を楽しみにしていた毎日でした
暗いのですが、どっぷりハマる
桜木紫乃さんは癖になりそうです2023/10/29 -
ほん3さん
私の場合、夜眠気に耐えられず、寝る時間がどんどん早まり、その分早くに目が覚めます
これを老化現象と言います 笑ほん3さん
私の場合、夜眠気に耐えられず、寝る時間がどんどん早まり、その分早くに目が覚めます
これを老化現象と言います 笑2023/10/29 -
2023/10/29
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久々に夜を徹して読了。
北海道の開拓民の貧困を極めた様、貧しさが連鎖する様、まさに貧すれば鈍するの言葉が頭をよぎる。そうか…衣食足りて礼節を知ると言うのは本当の事かも知れない。いや、そうだろうか?百合江さんの生き方を見せられるとけしてそうではないとも思えてくる。最初から最後まで百合江さんの揺るぎない強さと優しさが見え、それは持って生まれた性格からなのか努力の賜なのか?
それにしてもダメ男の多い事と言ったら情けない。道徳論を持ち出すつもりはないが、そもそも百合江さんの両親のスタートが不倫。母親が息子に虐げられた件では同情出来ない自分に冷たいものを感じてしまった。いつか百合江さんの長女が自分のルーツを知る時が来ることを願う。女達三世代の壮絶な人生と厳しくも美しい自然豊かな北海道がリンクした良いお話だった。-
秋桜さん、こんにちは!
私もこの作品に引き込まれてページを捲る手が止まりませんでした。
なんか祈りながら、読み進めた記憶があります^_^秋桜さん、こんにちは!
私もこの作品に引き込まれてページを捲る手が止まりませんでした。
なんか祈りながら、読み進めた記憶があります^_^2023/10/14
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1人の女性の壮絶な人生を描いた小説。
色々な出来事があってたくさん苦労してそれでも前を向いて生きる主人公の姿に夢中になって読みました。
出てくる男性達はほぼ皆、ろくでなしでしたが女性達は色んな意味ですごかった。
タイトルからは想像できない内容でしたが、良い意味で予想外ですごく面白かったです。
久々に濃厚で読み応えのある作品が読めてすごく満足です。またこのような作品を読みたい。 -
人は何をどうしたら「幸せ」というものを手にできるのだろうか。
それは自分の努力や辛抱で得られるものなのか。
或いは、自分では制御不能の目に見えない定めのようなものに身をゆだねることにより、自ずと近づいてくるものか。
北海道開拓時代の極貧入植家族3代女性の物語。
桜木さんの作品を複数読んでいるので、ご自身のご実家の在り様も作品のなかで織り交ぜての1冊だと思う。
貧困、アルコール依存、暴力、暴言、借金苦等々、健全な営みとは程遠い身内の描写が胸を塞ぐ。やるせない。
その家庭に生まれた子どもたちは、目の前の状態が唯一無二。他の家との比較という発想もなければ、自分の手にある別の選択肢で世界を切り拓くという知恵もない。私がずっとそうだった。
「仕方がない」「しょうがない」と諦念が溢れる。
自分が充たされる思いを手にした感覚がないので、子どもに、どうしてやっていいのか術が見当たらない。愛され方も愛し方もわからない。
特に不倫の果てに駆け落ちで東北から入植した母親が印象的。
夫のアルコール依存による度重なる暴力暴言をじっとやり過ごした果てに、自身の寄る辺も酒へと。
読み書きも能わず、何をどうしたらよいのか知恵も知り合いもない。
そんな両親のもとに育った子どもたち。
華やかなステージに憧れ、旅の一座に逃げ込む娘。口減らしのために親戚に預けられていた娘。
労働力としてのみの息子たち。
心が通い合わない家族が離れることもせず、「家族」という型の「がらんどう」に居続ける。
その姿は私の実家そのものだ。昔は言葉や暴力で互いに刃を向け合う親兄弟が離れることもせずに、愛憎を絡ませながら日々を重ねる「家族」が結構いたのだと思う。
自分で何かを切り拓くよりも、流れに受動を保ち続け、「自分だけがなぜこんな目に?」という被害者意識や他者への嫉妬を募らせる。
自分で幾多の選択肢の中から選び、道を決めていく生き方など不謹慎。
少しでも幸せなんて感じたら、「お前だけ狡い、我慢が足りない」と揶揄され嫉妬の対象となる。
次にきっと酷いことがあるのだから、もっと苦しい目に自分を合わせないと、と自罰意識が働く。
自分で充足を感じない人間は他者を支配して思い通りにしたがるものなんだよなあ。
少し乱暴な表現ながら、時代背景もあり、知性・理性からほど遠く、未開で野蛮な家族間のやり取りが私自身の過去の経験と重なり、胸が塞ぐ。
桜木さんはインタビューやエッセイで、こうしたご実家での過去を作品で昇華することにより、折り合いをつけていきたいというニュアンスのことをおっしゃっていた。
私は離れることで自分が自分であることを維持しているのだと作品のなかで自分なりの落としどころを確認している。
入植者家系として生まれた土地で死にゆくことに固執しないと、この作品でも他のエッセイでもおっしゃっていて、それは私も同じ。
土地に縛られたくないし、子どもたちの行くても狭めず、選んで歩いて行ってほしい。
だがそれは土地や生きる選択肢に拘りがないのではなく、同じ土地でなくても、私の場合、自ら選んだ先で生きていきたい。
そういう点においては、母娘3代の生き方としては有吉佐和子さんの『紀の川』の知的で、能動的な生き方を自ら切り拓いた女性たちに惹かれる。
本作は2011年初出で桜木さんデビュー後の作品のため諦念を美化している印象。
自慈心皆無で、傷つけ合い、耐えることだけが美しいなんて、生きていて勿体ない。
直近作の方が、桜木さんご自身の変化もあり、作品後半の展開が回顧一辺倒ではなく、潔い気がするなあ。 -
姉妹として生まれた百合江と里実。
ふたりはまったく違った人生を歩んできた。
姉の百合江は思うがままに生き、けれど宝物のような思いはじっと胸に秘めたままに。
里実は地に足をつけた堅実で平和で、誰もが幸せだろうと感じるような生き方を。
過去があって今がある。
今があるから未来がある。
そんな当たり前のことをあらためて感じさせてくれた物語だった。
哀しみも苦しさも、辛さも後悔も、すべてはやがて過去になっていく。
その過去に支えられたり、だからこそ前に向かって生きていこうと思えたり、つながりあっていく時間の中で紡がれていく人生という物語。
期待せずに読み始めたけれど思っていた以上に入り込めた物語になった。
終わりよければすべてよしではないけれど、人生の最後に誰かに泣いてもらえるような生き方はやはり幸せな人生と呼んでもいいのでは?と感じた。
長編だけれど長さを感じさせない物語だった。 -
親子2世代の壮絶な人生が、現代と過去を行き来しながら描かれていた。
まさに演歌の似合う昭和感満載の作品でした。 -
久々に強烈な読後感を味わっています。
「杉山百合江」を中心に、彼女を取り巻く親兄弟、そして彼女を時に支え、突き放す男性達。時代を行き来しながら、その登場人物の誰しもが腹に抱えるものを持ち、また心の弱さを持ち合わせながら、陰鬱な雰囲気を終始漂わせ物語は核心に迫っていく。
道東に足を運ぶ機会の少なくない私としては、あまりにも描写が生々しく、正直、途中読み進めるのが辛いほどだった。
題名である『ラブレス』…(愛のない)というのは、ここに登場するキャラクター達を象徴しつつ、最後はハッピーエンドではないが、細やかな充足感で終わる事で決してラブレスでは無かったことを敢えて対比的に題名にしたのではないだろうかと考えた次第です。 -
これも辛かった。でもとっても良い本です。2年前の釧路は寂しかった。次は明るい本を読まないとどんどん沈んでいきそうな感じです。
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北海道を舞台にした三世代の物語です。
文学賞もとっているので、読んだ方も多いのかもしれません。
今と過去を交差する物語です。今、位牌を握りしめて、死の淵にある女性、百合江の過去に戻っていきます。
百合江の父はDV、アルコール依存、母はアルコール依存です。
今はこのような言葉が存在するので、背景や影響も想像できると思います。昭和初期はどうだったのでしょうか。
朝から酒を飲んで、暴力を振るう父と無口で殴られ続けて、隠れて酒を飲む母。
子どもは5人いて、典型的なアダルトチルドレンの環境です。
貧しい開拓民であり、百合江は奉公に出されています。
かなり後の方になりますが、父と母はどのような出会いをして、結婚し、北海道に来たのかを母から語られます。
なぜ、暴力をしてしまうのか、なぜ、依存してしまうのか。
ぼんやりした理由、背景が見えてきます。
親というのは不思議な物で(親がいなかった方は施設、親戚など育ててくれている方)、気づいたら一緒に暮らしていて、彼らの人生を知りません。
結果としての行動は見えますが、そこに至るまでの行動、選択の理由は何もしらないまま、知ろうとせずに日常は過ぎていきます。
それを知る時はかなり時を経ってしまうように感じます。
百合江の恋愛事情にも、突っ込みたくなりますが、だから彼は出てったんだよとか。
「女は選べるんだもの。産んでやり直す人生と、生まずにやり直す人生と。どっちも自分で選べば、誰も恨むこともないんじゃないの。」
ネタバレになるので、深く言えないですが、辛い経験あったけど、これがわかってるなら、失敗したことも良かったのではないかと思いました。
以前、自分は「自分は自分の人生を生きていいんだ」と気づきました。つまり、それは今まで生まれのせいにしたり、何かのせいにしたり、誰かのいいなりになって、生きてきたけど、何をどう言おうが、困るのは自分であり、自分の人生に自分が責任をとって生きていかなければいけないと思ったことです。
だから、百合江は百合江なりに幸せを感じていたのではないかと感じました。
ラストはファンタジーです。ファンタジーで終わりました。
レビューでも賛否別れていますが。
素直に受け取ると私は題名通りだと受け取ってしまいます。