昭和最後の日: テレビ報道は何を伝えたか (新潮文庫)

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  • 新潮社 (2015年7月29日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (524ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101260112

昭和最後の日: テレビ報道は何を伝えたか (新潮文庫)の感想・レビュー・書評

  • 今でも鮮明に覚えている。昭和63年8月15日の終戦記念日の全国
    戦没者追悼式だ。前年の9月、歴代天皇として初めて開腹手術を
    受けられた昭和天皇は、ご静養先の那須御用邸からヘリで東京へ
    お戻りになり式典に参列された。

    既に公務の多くが皇太子殿下(今上天皇)が名代を務められていた。
    しかし、昭和天皇にとってこの式典は特別な思いがおありだったの
    だろう。ひと回り小さくなられたようなお体、弱々しい足取り。そして、
    正午の時報には若干遅れて祭壇の前に立たれた。

    天皇ということを考えなければ、そこにいるのは病身のひとりの高齢者
    でしかない。だが、お言葉を読み上げる声は、張りのある、あの昭和
    天皇のお声であった。

    中継のテレビ画面を見ながら鬼気迫るものを感じた。これが「天皇」と
    しての責務なのかとも思った。

    私事ながら、この頃私は広告業界の片隅で仕事をしていた。昭和62年
    9月の開腹手術からほどなくして、昭和天皇の病名の噂がちらほらと
    耳に入るようになった。癌である…と。

    宮内庁関係者や政府関係者、メディアの間では早い時期から暗黙の
    了解だった。がん告知の問題もあり、多くのメディアは病名については
    沈黙を守った。昭和63年9月24日、昭和天皇の重体が伝えられた時、
    ただ一紙、「朝日新聞」のみが夕刊で癌報道を行ったが。

    昭和天皇のお体に異変が起きた時から崩御までの日々は、ある種の
    狂乱の日々だったのではないかと思う。それをリードしたのは、やはり
    メディアだったのだろう。

    本書は日本テレビの取材班が終幕に向かう昭和をどのように伝えた
    のかの記録である。

    天皇は公人中の公人である。その人の病状は「国民の知る権利」と
    してメディアが「伝える責任」の範囲に含んでもいいのかとの問題は
    あると思う。病の床にあるとはいえ、報道される本人が目にしないと
    も限らないのだから。

    1日に数回発表されるバイタルデータ。少しでも容体に変化があれば
    通常の放送が特別番組に切り替えられる。今にも昭和が終わるので
    はないかとの雰囲気を、テレビを始めとしたメディアが国中に広めて
    いやしなかったか。

    日本テレビのみならず、取材に動員されたメディアの人々は確かに
    懸命に何かを伝えようとしたのだろう。しかし、その過剰な報道が
    自粛を煽り、生活に枷を嵌めたことも否めない。

    侍医長をはじめとした侍医団、宮内庁関係者への夜討ち朝駆け。
    少しでも情報を得ようとする取材者の行動は分からないでもない。

    だが、それは突き詰めて考えれば他者との競争以外のなにものでも
    ないのではないか。結局は「抜いた。抜かれた」の問題が大きいの
    だろう。

    「伝える責任」は独りよがりになっていはしなかっただろうかと思うの
    だが、メディア側の反省点は書かれていないんだよね。過剰報道で
    あったことを認めつつも天皇制を考える機会になったと自画自賛
    してるのはちょっとなぁ。仕方ないか、日本テレビだから。

    「いくら一生懸命取材してくれたって、患者である陛下にとって何も
    いいことはないんだよ」

    高木侍医長が記者に語った言葉が印象的だ。昭和天皇が少しでも
    安らかに天寿を全うできるよう努めて来た侍医長の言葉だけに重み
    がある。

    取材する側が、取材される側の立場を考えて行動するって言うのは
    無理な注文なのだろうか。妥協点はどこかにあると思うんだけれど、
    スクープ合戦しか頭にないメディアには期待できないのかな。

    メディア側からの昭和の記録として読むにはいいかも。

  • ある重大な瞬間に向かって進む筋立てには読む者を退屈させない要素がある。その瞬間とは20世紀の日本を象徴する人物の死で、本書は当時最大のメディアであるテレビがそれを追い続けたドキュメント。自分達は大仕事に携わっているのだという陶酔がやや垣間見られるものの、改めて考えさせられる日本国民における天皇の存在の意味や、狂騒曲的な報道のあり方への自己批判、またひとりの癌患者に対するプライバシーの保護など、一歩引いた視点も挟み込まれており、単なる経過報告には終わっていない。あの頃番組に頻繁に表示されていた「天皇陛下のご容態」のテロップは、昭和の終わりが近づいているのを知らせる信号のようだったし、読み進めながら当時自分が何をしてたか記憶が呼び起こされる感覚にもなった。その意味でも歴史の証言ではある。

  • 書いた人達は「なんとすばらしい仕事をしたんだろう」っていう気持ちなんだろうけど、正直言ってテレビ局の非常識加減がよくわかる本になっています。
    ガン告知の問題とか、一切無視だものなぁ。
    国民の知る権利とか持ち出しているけど、本当にそう思うならスクープとかいわないで、報道機関全体で内容を共有して日テレ観ない人にもちゃんと伝わるようにすればいいじゃんって思うし。
    せめて解説は報道関係者以外から連れてくればよかったのに。
    櫻井よしこに自画自賛的文章を書かせてもなぁ。

  • 去年買ったまま、積読になっていたもの。
    8日に明仁天皇による退位御希望のメッセージが放送されることとなり、読むべきタイミングと判断。
    昭和の終焉の前後、日本中で未曾有の事態が発生し、悲しみや、また一方では批判も巻き起こり、将来、同様の事態が発生するであろう事を明仁天皇が望まないのは余りにも当然であろう。
    このことが今回のお気持ちとして、国民に発せられた訳である。
    この本を読めば、当時の事に思いを馳せ、色々大変だったなと、再度あの時代が蘇ってくるようだ。
    天皇が崩御されるからこそ、その様な事態を招くわけであり、上皇であれば有る程度簡素になるのかもしれない。
    明仁天皇のお考えもここに有るのではないだろうか。
    改元が天皇の在位と同期したのは、極最近の明治以降である。
    それ以前の改元は天皇の専権事項であったと、私は理解している。それを考えれば、明仁天皇のご発案こそ古に帰る方法なのかもしれない。
    早急に陛下のご希望に副えるよう、動くべきだ。
    しかし案の定、自称保守派からは、退位など有り得えず、とんでもないことだなどの発言が相次いでいる。彼らにしてみれば天皇といえども、自分達の考える日本の有り方に沿わない行いは、批判の対象だ。
    明仁天皇が女系天皇を望まれたり、昭和天皇が靖国A級戦犯合祀に批判的であられたことを、安倍政権を擁護する彼らは強烈に非難する。
    彼らの望む日本の最終形態は、品の無いものであろう。

  • ドキュメンタリーとしては面白かったけど、思想的な部分や論考的なところはどうにも厳しい。この人が日テレ報道担当常務か… そして、ここまで報道する必要はあったのか。苦悩しながらやってるのでセーフみたいな姿勢が見える。

  • 二日ぐらいで一気に読みました。学術的価値はありませんが、最後の日を迎えるまでの日本テレビ局内の奮闘ぶりが伝わってくる。他局の様子もみてみたい。

  • こうして読み返すとマスコミの報道は異常だった。毎日毎日1秒を争って報道する必要なんてあったのか。宮内庁の発表を伝えるだけで十分だったんじゃないのか。
    と同時に、天皇が亡くなるのはテレビにとって初めての経験で、どう伝えるのが適切なのかわかっていなかったのだろう。今後はもっと冷静な報道になるはずだ。
    もう1つ、昭和というのはそれだけ特別な時代だったのだと思う。私自身も、昭和最後の日の当事者の1人だった。

  • あの日に至るドキュメントとして、あの日のドキュメントとして、とても貴重。分析は二流だが(いや三流か)。

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昭和最後の日: テレビ報道は何を伝えたか (新潮文庫)の作品紹介

昭和天皇吐血の大スクープを『きょうの出来事』が報じたその瞬間から、激動の昭和が終焉へと向かう最後のドラマが始まった。昼夜問わず繰り広げられる取材記者と宮内庁の情報戦。「癌」公表の是非を巡り葛藤する局内。マスコミは連日病状を速報し、街が自粛ムード一色に染まるなか、ついに崩御の時が訪れる。テレビ報道の真実を克明に綴るドキュメンタリーの名著、待望の文庫化。

昭和最後の日: テレビ報道は何を伝えたか (新潮文庫)はこんな本です

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