父という余分なもの: サルに探る文明の起源 (新潮文庫)

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  • Amazon.co.jp ・本 (325ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101265919

作品紹介・あらすじ

人類の歩みは「父」の創造から始まった――ゴリラ研究の第一人者が、丹念なフィールドワークと深い洞察に基づいて、人類に備わる特性のルーツに迫る。なぜヒトは家族で暮らすのか、父親の存在とは何か。恋愛、同性愛、遊び、食事……。コンゴの森に分け入り、野生のゴリラと触れ合って研究を続ける霊長類学者が、「父性」を手がかりにヒトの社会を考察する。発見に満ちた文明論!

感想・レビュー・書評

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  • ◯類人猿の社会を読んでいると、父親っているのかな?と思えてくる。この本はその回答になると思っていたが、正直にいうと、そこまでの回答は得られていない。
    ◯母親が子育てをする際に、食料の確保などにおいて、他者の手伝いが必要だという合理性で生じているようにも思えるが、別にそれをしなくても繁栄している生物もいる。
    ◯今の社会でも、合理性の考え方は普遍的であると思う。性的な観点で役割分化してきた社会にあると、母親に子育て、父親は外に出て経済活動を行う、ということは一つの型にはまっている。しかし、母親に新しい価値観が生じることや、経済的に行き詰まるといった状況の変化により、この型も見直す必要が出てくる。しかし、変わらないのは、父親がどちらも流動的な立場に置かれていることではないか。価値観の変化は母親が主体的であるし、経済的に行き詰まるのは、神の見えざる手により父親の存在意義がなくなるということでもある。
    ◯今の社会はこれらの要素が全体的に影響し、進化の過程以上に性急な変化が求められている。父親はどうなるのか。昭和の親父とは異なる新たな父親像が絶対に必要ではないかとされている。変われない親父たちのせいで、父親不要の社会が作り上げられていくのかもしれない。

  • ゴリラの優しさ、素晴らしさを強調するだけの本ではない。著者の思いの矛先はゴリラの延長線上の人間社会に向いている。許容力のない社会が可塑性のない、取り返しのつかない方向へ進んでいるのかもしれない。ゴリラの調査に長年従事してきた視点からの指摘は客観的かつ根本的なものだった。

  • 性と食という観点から,ヒトの起源を人類学的に追究する.過去を探ることで現在を見るのみならず,未来のヒトの有り様を模索する内容には考えさせられる.一体僕とは何なのだろうか.

  • 得した!!解説が鷲田先生だった!!三浦雅士さんとの対談も読み応えあり!!!
    いつものごとく、フィールドワーク関係の話は興味深いし、今回は人間の営為がいかにゴリラを追い詰めているかにも言及されていて、内戦や経済開発の問題についても考えさせられる。あと、ゴリラは食糧、という現地の人たちの認識があることにも度肝を抜かれた。インディージョーンズにそんなシーンがあったような……?あれは猿だっけ??

    人間って何?という疑問が、さまざまな分野で高まっているように感じられる。その背景に、AIの進歩だったり、文化・宗教間の対立だったり、ジェンダーギャップだったりがあるのかな。その辺が知りたくて最近、ずっと山極先生の本を読んでいる。山極先生の著書の魅力は、「人間って何?」という疑問へのヒントを形而上のことではなく、ゴリラという人間の仲間の実見から得た血の通った話として筋を通してくださること。難儀な哲学関係の本と往還しながら読んでいるので、そこに強く惹かれる。

    今回の切り口は「父」。結論からいうと、これは人類の文化の根幹をなす重要な装置、ということらしい。しかも、「父」なるものは、配偶者と子からの二重の選択を経てようやく存在が許される、とても脆弱な装置なのだそうな。とすると、その脆弱性を覆い隠すべく儀礼や宗教が発達したってことなのかしら??捨てられないための必死の偽装工作???

    で、「人間って何?」の話はコロナの影響への懸念にもつながってしまう。
    人類進化の出発点は連帯と共食への願望、そして、対話や会話などの交渉は互いに向かい合うことが基本と本書にはある。この指摘から、コロナがいかに人間の基本と相性が良いか(人間側からは迷惑千万だけど)がよくわかる。禁じられて初めて、それがどれほど大切かが分かるというのはよくある話だけれど、ここまで人間の根幹に関わることだったとは。それを一年とか二年とか、そこそこ長い期間禁じられることが、この後、特に小さな子どもたちにどんな影響を与えるのだろう?

  • 山極寿一氏の本を読むときは、自然と、観察と推察の先に霊長類→類人猿→そして人間社会という循環がイメージされてくる。
    イメージと想像を巡らしながらじっくり読んで欲しい一冊。
    これを読んだあとに『そして父になる』『もう一人の息子』をDVDで鑑賞した。過去に観た映画だったが、違う映画として感じかれた。ーー具は同じなのに出汁が変わった味噌汁を飲んだみたいだった。

  • 単行本の文庫化だが、巻末の鷲田清一氏の解説にこんな記述がある。ゴリラは「人間になれなかった動物」ではなく、「人間よりも、ある方向に進みすぎてしまった動物」という山極寿一氏の言葉を引用している。ゴリラの家にホームステイした霊長類学者・山極氏の言葉だけに、心にグサっと突き刺さる言葉だ。家族制も含めた人間社会の進化(と、退化?)の謎が解き明かされるような本で、現京大総長の警鐘を申年に因んで紹介してみた。チンパンジーと同じくヒト科に属するゴリラは、遺伝的にサルより人類に近いのだ。

  • ゴリラの研究で知られる著者の論文集?
    父性という、生存と遺伝子伝達には不必要なものを、人間がなぜ獲得したのかを、ゴリラのフィールドワークから得たデータをもとに推察したもの。
    私の読み方が悪かったのか、知識不足によるものか、いまいち結論が見えにくかった。最後に付いている対談とあとがきで、説明されているものの、前半は、これまでの研究成果、論文を羅列しただけに思えた。
    ただ、内容は興味深く、人間のコミュニケーションや言葉の習得など、派生していろいろ知りたいと思わせるものだった。

  • p237
    人類はすごくバラエティに富んでいる。肌の色も髪の毛の色も背の高さもずいぶん違う。人間の体色そのものが文化。
    今の人種や民族を別の人類と考えれば共存していると言えるかもしれません、しかし人類は1種。

    p249
    最初の人類は手や指が湾曲している。これは地上歩行するよりも木にぶら下がりやすい特徴を持っている。

    p253
    抑制と同調の基本は人類の食事パターンにある。人類の食事というのは自分の食欲を抑えることから始まっている。食物を採集する時その場で食べてしまったらその食物は仲間の下へ持って帰れない。仲間に分配する時でも自分の欲望をあらわに出してしまったら秩序が保たれない。さらに分配した食物をみんなで食べる時でも自分が抑制しなければ共食と言う場を持てない。
    今のは抑制ですが、もう一つ、同調がなければならない。これは相手の欲望を自分の行為に取り入れること。この抑制と同調の2つによって初めて共食が成り立つ。この共食こそ類人猿の食事から人間の食事へ移行した第一歩。

    p254
    類人猿は人類のように同じ行為を一緒に行うことができない。群れるという事と同時に何かをするという事は違う。類人猿はしないが、人間は発生のかなり早い時期から一緒に同じ行為をすることを学習している。個人が社会の中に埋没していることが人間社会の特徴である。

    p258
    類人猿は埋葬ができません。相手の立場に立ってものを考えることもおそらくできないと思います。なぜ人類の食事を問題にしたかというと、他人の欲望を自分のものにして考えないと人類的な分配と言うのは成り立たないから。
    他人と自分の障壁を故意ににとってしまう、それによって精神的なトリップとして一種の快楽の領域が入ってくる。そういうものを経験して初めて非常に特異な社会行動が生まれてきたのではないか。人類のセックスが他の類人猿と異なるのもその点で、相手の立場に立つと言うのは別に異性同士でなくても良くて、同性同士でも相手の気持ちを自分の中に取り込むことで一体化してしまう、それが人類のセックス。アメリカに行った人が数年経って戻ってくるとすごくアメリカ的な身振りや雰囲気を身に付けている、これは人間の能力を端的に表現している人間でしかありえない。
    人間でしかありえないこの能力を近代は否定してきた。そういう状況で個性を大事にしろと言う。
    何か違うものになる能力を高く評価するけど、同時に他の人とは違うと言うことを評価する。考えてみると2つはすごく矛盾している。

    p262
    食物を確保するためと繁殖をするために動物は群がっていると言っても過言ではない。単独生活しているものも、繁殖するためには群がる。

    p266
    霊長類ではゴリラにしか社会学的父性が無い。父親というかオスの方が群にとって遊びの要素、変容できる役割を持っていて、文化になりやすい。父親と言うのは父親である必然性がなく、それを維持するためには(メスと子の二重の承認が必要だし)文化的な集団的な認知が必要。
    チンパンジーとゴリラはメスが集団を渡り歩くのは共通項目で、その上で、ゴリラは他のオスを排除して息子だけ自分の集団に残し、チンパンジーはオス同士が固まってその中で勢力争いして1番2番を決める。

    p268
    ゴリラとチンパンジーが共存しているが、全く違う社会を作っているのはなぜか?食物はそう変わらないので性の行動様式が大きな要素になっていると思われる。

    p269
    ニホンザルはメスでなくオスが移動する。メスは自分の群れの中に長く滞在しているオスより、外から来た新しい男子に性的な興味を示す。ゴリラのメスも一緒に生まれ育った兄弟には性的な興味を示さず、外からのオスに惹かれる。

    p272
    人間の場合にも旅と言うのは性的な要素を抜きに考えられない。子供を持つと類人猿すべてのメスは動かなくなり移動を中断させる。

    p274
    チンパンジーのメスは発情すると尻が腫れるのが分かるが、ゴリラや人間は発情期が見えない。ただ人間はゴリラよりオランウータンに近い。オランウータンは出会った時にメスの生理状態にかかわらず交尾をする。技巧よって発情すると思われる。目配せや声も技巧。
     
    p275
    昔は集団の構成員には自我がなかった。王だけが集団のトップとして自我を、主体的な意思を持っていた。それが徐々に下部の構成員も持つようになってきたのがルネサンスであり近代。
    つまり最初に共同体のレベルで自我が発生した。経済交流と同じ。昔は家族のみんなが金のやりとりをしていたわけではなく、家族の長が対外的にしていた。家の中でさえお金がやり取りされるようになったと言う事は自我が諸個人にまで降りてきたと言う事。
    ……
    との考えに立てば1番最初に国家がなくてはだめだが、人類学者の調査だとそうではなく、「バンド」といわれる、人が作る25人位の集団の最小単位があるといわれる。狩猟採集民はみんなオールラウンドプレイヤーで他の人の助けを借りなくても個人個人で独立している、その上で共同意識が人類の特性としてある。

    p278
    人間の場合、自分が疑われることが原因で自殺をする人がいる。小さな集団では自分が認められると言うイメージがきちんと決まっていなければ困る。25人と言うのはそういうまとまりが可能な数字。
    (上の自我が下に降りてくると言う話で言えば下の者は部分でしかなくなるが、そういう発想は原始共同体には多分ない。)むしろ相互に交換可能な資質を持っている者たちが集団を支えている。そちらのほうが自我の原型に近い気がする。

    p280
    愛と言う機能、憑依という機能が逆方向に働いて、個人が進んで全体の部分になろうとする歴史 が繰り返し起こったのかもしれない

    p288
    遊びはふつう起こる文脈を変えること、つまり少し離れて操作的に仮想の状態に持っていって何かをやることに心理的な喜びを持つこと。チンパンジーもゴリラもユーモアを持っている。

    p291
    優劣ではなくニュートラルな状態が必要となったときにそれを明示する音が言語の起源。言語的な音声が決まるのは経済的な価値が生まれる段階になってから。交換財としての価値があると認知されるとそれに付与される名称が決まる。
    野生状態で、化粧や装身具をつける類人猿はいない。

    p295
    遊びは優劣を反映しない行動。双方が積極的に関与して遊びを盛り上げなければならない。普段の自分の姿を変えて文脈をずらすことで遊びの喜びが出てくる。

    p300
    自然界には同じことが連なって存在していない。ところが、人間は環境を変えてしまった。同じことをするということが有利であったり、正しかったりする状況。

    p314
    直立ニ足歩行は広い範囲を歩いて食物を集めるために発達した初期の特徴。直立ニ足歩行が完成して骨盤がお椀状になったため、産道の大きさが制約を受け大きな脳の子供を産めなくなった。そこで生後に脳の成長を加速させエネルギーを脳の成長に回したため、体の成長が遅れることになった。頭でっかちの発育の遅い子供をたくさん抱えては母親だけでは育てられず共同育児をすることが生き延びるために不可欠となった。
    人間の赤ん坊は生後すぐにけたたましい声で鳴く。それはお母さんがすぐに自分の腕から赤ちゃんを話すから。類人猿の赤ん坊は泣かない。泣く事は肉食動物の中引くので危険である。赤ん坊を泣かせるには安全に守る体制ができていなくてはならなかっただろう。

  • 父親なんてものはいなくていいんだ、という内容ではない。
    他の類人猿にはみられない、人間に特有の(=余分な)社会的役割としての父というものの、起源を探る。

    前半、すごく真面目な内容で、一般向けの読み物としての科学エッセイというより、研究・観察の結果を平易な言葉で書いた、専門的分野の入門書の一歩手前というか、新書に多いレベルと思う。

    最後の対談は、ぐっとくだけた雰囲気で楽しい。
    類人猿の性行動と育児のあり方、とても興味深かったので、この分野もチェックしていきたい。

  • 今なにかと話題の^^;京大霊長類研究所出身の元京大総長山極先生の本を読んでみた。
    んーーーーー。微妙。
    まず、私の知りたいようには「父という余分なもの」について書かれてはいなかった。
    なんといっても、サルについての話が長い(笑)。当たり前なんだけど。

    真ん中あたりの複数の章は、まるっとさまざまなサル類(この言い方が正しいのかどうかもわからない。というより間違っているだろう)の集団形成のあり方や性行動について比較していくのだけど、新世界ザルと旧世界ザルとか、クモザル亜科とか類人猿とか、それぞれのサル(?)の種類の名前とか、もう素人にとってはどれがどれやら???進化の過程の系統図でもどこかにあれば別だけど、そんなものもないまま(簡単な分岐図が1枚あるが、そんなものでは全く網羅していない)、もう当然知ってる前提で話が進んでいくので、だんだん退屈になっていく。

    そして、どんなに知を重ねたところで、ヒトの行動や文化については、「起源が考えられる」程度にしか書かれない。まぁ当然と言えば当然なんだけど…。
    ゴリラと人間の間には、まだまだ丁寧に追わなければわからないつながりの謎がある。

    良かったのは、人といった場合、私たちは「現代人」を思い浮かべると思うんだけど、この本ではそうではない。人というのは、ホモ・サピエンスを指す…。え?あの、化石が発見された、原始人?あれ、私とは違うよーという浅はかな価値観があっさり無にされる。それは新鮮で良かった(笑)

    しかしまぁ、サルから人間を語るには、100年早いようだな、というのが率直な感想。それだったら、今ある人間の姿を観察して考察する方がずっと有益な気がする。

    それはひとえに、私の関心が、今目の前にいるこの人、に向けられているからで、それが、生物社会学者あるいは自然人類学者である山極先生との違いなんだろうな。

    この本、つまらないとは言わないです。面白い視点や指摘はいっぱいあった。ただ、私の興味関心にはあまり迫ってこなかったなというのと、タイトルはキャッチーだけど、内容を表してはいないな、というので、私にとってはあまり満足感のない読書体験になってしまった。残念。

  • 割と勝手な感想だというのはわかっているが、「父という余分なもの」について書かれているのはほんの一部というタイトル詐欺だった。特に、父親から送られてきた差し入れに混ざっていた本だったからなんか深い意味でもあるのかと思ってたわ… 無かったわ…
    内容としてはそこそこ興味深かったが、父という存在についてサル研究から改めて見直してみる、というのではなく、父というテーマを含んでいるサルの研究についてひたすら語るだけの本だった。
    プロローグで父親とは云々と紹介した次の章が「直立歩行は舌から始まった」として食事について紹介し始める。えっ?ってなった。そしてそのまま色々な霊長類の家族の仕組み、性、ゴリラの研究などを紹介し続け、終わる。
    いや、人類だけが「食物をその場で食べず、持ち帰って分配する」という特殊な行動を取るというのとか確かに… おもしろいな、とはなったけども。
    ずっと「違うなぁ…」と思いながら読んでて、読み終わった後は「違ったなぁ…」となった。

  • p.2015/1/30


  • まずタイトルに誤解があって、精子提供以上の価値がないはずの父親の存在価値について書かれている本だった。

  • 【いちぶん】
    ゴリラにおいても父である集団のリーダーオスは、自動的に父親になれるわけではない。母であるメスとその子供から二重の選択を得て、初めて父親としての行動を発揮できるからである。自分で腹を痛めることのないオスは、父親となるためにある種の不確かさを払拭する約束事のような仲間との合意を必要とする。
    (p.313)

  • 著者は、ゴリラ・チンパンジー・オランウータンなど、人類に近い類人猿の社会をつぶさに観察することで、人類社会の発生を浮き彫りにしようとしてきた。かつて人類は、彼ら彼女らと共存していた。にもかかわらず人類はどうして違う道を歩んだのか、世界中を旅するに至ったのか、そこに人類の秘密が隠されている。
    はたして、人類が自我を得る至ったのは進化であったのか。そうは思えない。だって、そのせいで死が怖くなったのだから。はたして、人類が共食を喜びとするに至ったのは進化であったのか。あるいはそうかもしれない。そのおかげで「愛」という概念を得るに至ったのだから。

  • うーん、ちょっと難しかったけど、最後にもう一度プロローグを読んでスッキリ。
    読了後は父親の生態よりゴリラに興味津々。

  • らエディプスコンプレックス フロイト 事実、多くの動物達は父親がいなくても差し支えのない社会生活を営んでいる 一夫一婦いっぷいっぷ 萌芽ほうが 近親相姦インセスト回避の傾向 人類の父親は類人猿から引き継いだ特徴を契約によって補強した文化的な存在である 文化の自然に対する優越が始まる ボノボは、人類の祖先より後にチンパンジーから分岐した類人猿 ダーウィンの進化論 鏡の国のアリス チェスの駒 オリバーくん鑑定結果はチンパンジー ニッチェ 人間は他者になることによって初めて自分になる 人間の能力としてのシャーマニズム憑依 自分から離れて他人になることが、一種の快楽になる 他人と自分の障壁を故意に取ってしまうわけです。それによって精神的なトリップとして、一種の快楽の領域が入っていくる。 相手の気持ちを自分の中に取り込むことで一体化してしまう。或いは自分が相手の中に入ってしまう。 アメリカ的な身振りや雰囲気を身につくてくる フレキシビリティ 憑依というものを通して、自分を変えてしまうことができる。 視野の長期・短期で、"strategy"(戦略)と"tactics"(戦術)を使い分けるひともいる。
    異邦人に惹かれる 旅というのは、性的な要素を抜きに考えられない 強烈な指摘 旅には、もともと繁殖の問題がベースとしてあった 混血していく傾向を持った動物 パーソナリティー=人格 つまり「これはウソです」という感じでやるわけです。演劇とはそういうものです。つまりウソだけど本当というものですね。 レジリエンス=精神的回復力 答えにきゅう窮する ゴリラのように泰然自若たいぜんじじゃく 山極寿一やまぎわじゅいち フィールドワーカーの矜持 可塑性- 固体に外力を加えて変形させ、力を取り去っても もとに戻らない性質。 コノテーション=内包
    人間の社会はそもそも効率化を目指して組立てられたわけではない。むしろ、頭でっかちで成長の遅い子供をたっぷりと時間をかけて育てるという、効率化とは逆の方向で作られたのである。そこに人間の豊かさと幸福が宿る。古き時代に戻ろうというのではない。人類の進化を突き動かしてきた舵を見失ってはいけないということが言いたいのである。

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著者プロフィール

第26代京都大学総長。専門は人類学、霊長類学。研究テーマはゴリラの社会生態学、家族の起源と進化、人間社会の未来像。

「2020年 『人のつながりと世界の行方』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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