- Amazon.co.jp ・本 (102ページ)
- / ISBN・EAN: 9784101273518
感想・レビュー・書評
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この作品は、芥川賞をとったころに雑誌に載ったのを読んだ。その後、単行本になり、いつのまにか文庫にもなっていたのかと、久しぶりに借りて読んでみる。関東の図書館や本屋で『アンネの日記』が破られたり切り裂かれたりしているという事件が気になっていたせいもある。
この小説の舞台となっている京都の外国語大学で、ドイツ語のスピーチのゼミを担当するバッハマン教授は、テキストに『ヘト アハテルハイス』(つまりは『アンネの日記』)のドイツ語版を使っている。
教授はゼミの学生たち(全員が女子学生だという)を「乙女」と呼び、スピーチコンテストに向けて「乙女の皆さん、血を吐いてください」とのたまう。指定されたページは、「1944年4月9日 日曜日の夜」だ。隠れ家の隠しドアのすぐ後ろまで警察がやってきた日だ。教授はこの日が『ヘト アハテルハイス』の中で最も重要な日だと言う。「乙女の皆さん、アンネ・フランクをちゃんと思い出してください!」と言う。
みか子は、4月9日の日記を暗記しながら、少女の頃に『アンネの日記』を読んだときには、こんなアンネを全くおぼえていなかった、と思う。みか子たち乙女がスピーチのための暗記に懸命になり、スピーチの練習でつかえ、忘れてしまうことを怖れる、そんな大学生の日々が描かれる。乙女たちの目前には、『ヘト アハテルハイス』のスピーチコンテストしかないかのようだ。
そんな中で、教授と麗子様についての"不潔な"噂が流れる。
▼乙女の噂とは恐ろしいものなのだ。何の根拠もなく、一人の乙女を異質な存在に変えてしまう。自分達の集団にとって徹底した他者にしてしまう。その時、真実なんか全く関係ない。何よりも、「乙女らしからぬ」噂ほど、乙女にとって恐ろしいものはない。乙女を乙女ではないと決めつけてしまう。同時に、これほど乙女を魅了する噂もないのだ。(p.32)
乙女たちは、スピーチの練習よりも熱心に噂を囁いた。みか子は、黙っていた。「自分から噂を囁くことはどうしてもできなかった。」(pp.34-35) 友から、噂を信じてへんの?と問われると、「わからへんねん」「噂が信じられへん。あたしはほんまのことが知りたいねん!」とみか子は答えた。
そして、こんどはみか子が噂されるようになっていた。密告者はだれなのか。いったい自分はどうなるのか。密告されたアンネは二度と帰ったこなかった、とみか子は思い出す。
4月9日の日記を暗唱する練習をくりかえしながら、いつもみか子は同じところで忘れてしまう。教授は言う「忘れることを恐れてはいけません。アンネ・フランクという名前だけを覚えていれば十分です」(p.86)と。一番大事なのはアンネの名前だと言って、「アンネ・フランク」という名前をどの単語よりも丁寧に発音練習させている。
このアンネの名前についての、バッハマン教授の話が、強く強く印象にのこる。
▼「ミカコ。アンネがわたしたちに残した言葉があります。『アンネ・フランク』。アンネの名前です。『ヘト アハテルハイス』の中で何度も何度も書かれた名前です。ホロコーストが奪ったのは人の命や財産だけではありません。名前です。一人一人の名前が奪われてしまいました。人々はもう『わたし』でいることが許されませんでした。代わりに、人々に付けられたのは『他者』というたったひとつの名前です。異質な存在は『他者』という名前のもとで、世界から疎外されたのです。ユダヤ人であれ、ジプシーであれ、敵であれ、政治犯であれ、同性愛者であれ、他の理由であれ、迫害された人達の名前はただひとつ『他者』でした。『ヘト アハテルハイス』は時を超えてアンネに名前を取り戻しました。アンネだけではありません。『ヘト アハテルハイス』はあの名も無き人たち全てに名前があったことを後世の人たちに思い知らせました。あの人たちは『他者』ではありません。かけがえのない『わたし』だったのです。これが『ヘト アハテルハイス』の最大の功績です。ミカコは絶対にアンネの名前を忘れません。わたし達は誰もアンネの名前を忘れません」(pp.86-87)
みか子ははっとする。
密告者はわたしだ。
『今、わたしが一番望むことは、戦争が終わったらオランダ人になることです!』というアンネの言葉。アンネは、アンネのままで、ユダヤ人であるままでは生きていけなかった。
バッハマン教授はこうも語っている。
▼「…アンネがオランダを『祖国』と呼ぶ時、それはもはやアンネの自己に反するのです。決して忘れないでください。ミカコがいつも忘れる言葉はアンネ・フランクを二つに引き裂く言葉です。アンネの自己に重くのしかかる言葉です」(pp.53-54)
みか子がこんなアンネを全くおぼえていなかったと思ったように、私も『アンネの日記』は読んだけれど、こんなふうにアンネを見たことはなかった。『光ほのかに』というタイトルで長くおぼえていた『アンネの日記』を、また読んでみようと思う。
(2014/3/16了) -
解釈の余地の多いお話という印象。高校などでこの本を題材に議論をしたら、きっと色々な意見が出て、面白いのではないかと思った。
自己が確立されてきているけれど、まだ揺らいでいる、20歳前後の少女 …作中では「乙女」という呼称になっている…達が主人公。作者の出身校でもあるらしい京都外語大学のドイツ語学科に通う彼女達は「アンネの日記」を題材に、スピーチコンテストの練習に余念が無い。スピーチコンテストを主導する個性的なドイツ人教授や、スピーチコンテストに人生を掛けているかの如き女学生を巡る噂。
色々なテーマが読み取れるが、やはり一番強く考えさせられたのは、自己…アイデンティティ…ということについて。アンネと同世代の女の子達の純粋や潔癖、真実よりも美しいフィクションを愛してしまう心、本当の自分を探し求める心などが、アンネと共振したり対象の位置に置かれたりしながら、たくさんの問いをあたりにキラキラ撒き散らしていく。 -
理想の小説です。他者からすれば全くもって非なるようなもの同士のなかにたった一点見出した共通点。そこから自然と生まれる立体世界。真似たい手法です。
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本日読了。
外大あるある。
留年から逃れるだけで必死の4年間を思い出す。 -
2010年上半期の芥川賞受賞作。小説の舞台は、著者自身の体験に基づく京都外国語大学のドイツ語科。『アンネの日記』を軸に物語が展開してゆく。そして「真実は乙女の祈りの言葉ではない」と、「アンネは密告された―わたしは密告される」という2つがキー・コードとなっている。選考委員の中でも、特に『アンネの日記』に深い思い入れを持つ小川洋子氏はこの作品に好意的だが、インパクトが弱い上に随所に素人っぽさが目立つ。しかも、これでは共学の外大というよりは、もう全くの女子大だ。そもそも「乙女」が作品のキーワードになるようでは。
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文体がミュージカルみたいで何か面白かった。
舞台は現代の外語大ですが、女子大生達は古き良き大正時代のハイカラな女学生を思わせます。
しかし、お人形を持ち歩くドイツ語学教授(中年男性)ってどうなんだろう(笑 -
芥川賞受賞作。
新刊で出た時は何となくスルーしたけど、『きことわ』を買ったついでにふと思い出して購入した。
『乙女』『乙女』を連発する文章にはちょっと苦笑したが、文体がリズミカルで引き込まれる。京都弁も違和感なく文章になっているのは好印象。 -
独特の世界観というか、今どきこんな女子大生いるのか?と言うのが率直な感想。乙女乙女と連発されるのになんだか疲れて読了した。日頃「文学」と呼ばれる作品を読んでいないせいかも知れない。
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事前に読んでいた評通りで、やたらに「乙女」と出てきた。
近年の芥川賞の受賞者の作品は面白いものが多いなあと個人的に感じていたのだけれど、赤染さんは普通ぐらいか。「アンネの日記」はやはりいつか読みたいと改めて思った。
最後の盛り上がり方がよかった。やや長めだけれど、何かのオムニバス中の一編として編まれると光る作品のような気がする、という感想を持った。