- Amazon.co.jp ・本 (364ページ)
- / ISBN・EAN: 9784101274911
作品紹介・あらすじ
日本を代表するメガバンク・みずほフィナンシャルグループ。この巨大企業の礎を築いた安田善次郎は、渋沢栄一らと共に国立銀行の設立に尽力し「元祖銀行王」と称されている。富山の貧しい下級武士の生まれながら、たった一代で巨万の富を掌中にした安田が如何なる時も肝に銘じた「陰徳」とは――。混迷の時代に生きるビジネスマン必読。『陰徳を積む 銀行王・安田善次郎伝』改題。
感想・レビュー・書評
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安田銀行(後の富士銀行、現在はみずほフィナンシャルグループ)や安田生命(現在は明治安田生命)、安田火災海上保険(現在の損保ジャパン)の創業者で明治の銀行王、安田顕善次郎の評伝。
善次郎は銀行家として大成功し、巨万の富を築いたが、世間からは吝嗇家として知られ、しばしば守銭奴と罵られたという。しかしながら国益のために大胆な投資を行い、我が国経済の危機を何度も救った陰徳の人だった。渋沢栄一が論語の人だったのに対し、善次郎は仏教に深く帰依していたのだという(両巨頭ともに倫理の人という点では共通していた)。
安田財閥(現在の腐葉土グループ)が、金融機関を中心としたユニークな企業集団だったことや、「安田銀行の支店や系列銀行は北海道や東北、北陸に多」く、「戊辰戦争で幕府側だったこともあり、明治に入ってからの社会インフラの整備が遅れていた」これらの地域の経済振興に大きく貢献したとのことなども興味深かった。
スケールが大きな明治の偉人の評伝は、どれも面白い。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
はじめにー空前絶後の成功者
千両分限者になる夢
父親のことば
「ただ漫然と日常を過ごすだけであれば、動物と何ら変わるところはない。規則正しい生活を送りながらそれぞれの天分を尽くし、持って自分と家族との繁栄発展を期することで初めて、万物の霊長としての人間の本文が果たせるのである」
「たとえ思わぬ災難に出会っても他人に迷惑をかけず、独立独歩で処しえるように平成の準備を立てておくことは人間第一の務めである」
”三つの誓い”をたてた
一、独立独行で世を渡り他人の力を当てにしない。一生懸命働き、女遊びをしない。遊び、怠け、他人に縋るときは天罰を与えてもらいたい
二、嘘を言わない。誘惑に負けない。
三、生活費や小遣いなどの支出は収入の十分の八以内に止め、残りは貯蓄する。住宅用には身代の十分の一以上をあてない。いかなることがあっても分限をこえず、不相当の金を使うときは天罰を与えてもらいたい。
太政官札で巨利を得る
銀行家・安田善次郎
銀行のための銀行としてー日本銀行と安田、第三国立銀行
事業家として立つ
後継者問題
人に惚れこむ
百三十銀行再建
無爵の銀行王
浅野総一郎
泣いて馬謖を斬る
後藤新平と見た最後の夢
まず”困窮”の中にいる人間は”発憤”するか、”挫折”するかに分かれる。”挫折”したものは前には進めないが、”発奮”したものは”勤勉”を旨として生活し、やがて“富足”(十分豊かになる)の状況となる。
大磯無残
あとがきー銀行王に学ぶ金融本来の役割
安田善次郎年譜
参考文献
家系図 -
【文章】
読みやすい
【ハマり】
★★★・・
【気付き】
★★★★・
・企業の最大の社会貢献は、環境や福祉に配慮した活動を行う事ではなく、社業を発展させ、雇用を継続させること
人の目に付かないところでこそ善い行いをする、という考えが、凶刃に倒れるという結果を招いたんだとすると、やるせない気持ちになる。 -
安田(芙蓉)グループを一代で築いた銀行家、安田善次郎の物語。小さな頃から勉強と観察、倹約、善行を徹底し、明治大正期の日本の産業を支えた影の立役者である。「規則正しい生活を送り、天分を全うすることが人間と獣の違い」「事を成すにはまず順序を定むべし」「小さな慈善事業ではなく大きな公益事業を」「一を以ってこれを貫く」
実力ある銀行家の存在は社会の大きな力となる。この事を自覚すべき。また、上手に金を稼ぐ事ではなく、約束を守る、嘘をつかない、義務を果たす、友人を大切にするという、信用を積み重ねる事こそが根幹であると教えてくれる。 -
サブタイトル陰徳を積むのとおり、その実力、功績は歴史的にあまり評価されることはなかったが、本書の登場によりかなり脚光を浴びるものと期待される。そうであってほしい伝記である。国家予算1/8といわれる財産は当代随一。それゆえ多くの救済を政界、財界から求められ続けた。救済をするのは救済すべき道理があるから、つまりは生き返ること。生き返る見込みがないものを救済することは、預金者に背くことになる。この一点が銀行家の守るべき本分。それゆえに多くの人に冷淡だと酷評されて、また本人も申し開きさえもせず、ひたすら陰徳を積むことに専念していたが、それゆえに最期を迎えたことは無念だったことだろう。
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小鳥ども笑わば笑えわれはまた世の憂【う】きことは聞かぬみみずく
安田善次郎
「金だ金だよこの世は金だ」が繰り返される「金金節」。明治に活躍した演歌師添田唖蝉坊による歌詞だが、その中に「安田善次郎」の名前も登場する。言わずと知れた、安田財閥を一代で築き上げた人物である。その遺産は2億円超。当時の国家予算の8分の1にもあたる巨額であった。
天保9年(1838年)、富山生まれ。切れ長の目「鳳眼【ほうがん】」の持ち主で、傑出した人物になる人相だったらしい。
両替店から出発し、銀行、生命保険会社など経営を広げたが、世評はいつも「ケチ」。晩年に暗殺されたことも、それが遠因と伝えられている。その風評を、作家北康利は、「陰徳」の語をもって否定する。評伝で、安田が見えないところで寄付をし、東大「安田講堂」も、当初は匿名での寄付であったことを強調しているのだ。
北海道史では、釧路集治監の囚人たちを使役して過酷な労働をさせたという苦い足跡を残しているが、明治新政府の弱すぎた経済基盤、日清・日露戦争での戦費調達等では、安田の存在は確かに大きかった。
さて、そんな「金融の神様」の精神面はどのようなものだったのだろう。仏教に篤く、意外にも多彩な趣味人であったという。義太夫や囲碁、書画骨董を愛し、短歌も長く続けていたことが興味深い。たとえば、恩ある父の死に際し、孝心の境涯詠。
花もみな浮世のいろと眺むればなほあぢきなき我が身なりけり
他方、掲出歌は、ミミズクの絵に添えた俳諧味たっぷりの歌。小鳥は誰だろう。
(2013年7月14日掲載) -
読んで良かったと素直に思います。
創業者の人となりを知ると愛社精神が高まる -
出会えてよかった本。
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陰徳のエピソードは
期待していたほど載っていなかった。
「意志の力」という言葉が印象に残っている。