東京タワー―オカンとボクと、時々、オトン (新潮文庫)

  • 新潮社
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  • Amazon.co.jp ・本 (522ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101275710

感想・レビュー・書評

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  • 主人公の〈ボク〉が東京に出るまで、ほぼ毎日読んで2週間かかった。読み通すことが出来ない本は他に幾つもあるのだけど、どうしてこんなに読むのが遅いのかよくわからなかった。

    〈ボク〉と僕は、ほぼ同世代だ。僕にとっては異次元の世界と、同次元の世界が、交差しながら進む「1人語り」に、僕は幼少時を追体験してお腹いっぱいな気分になっていたのかもしれない。

    どんなに平凡な人生でも、ついつい誰かにむかし語りを始めれば、それは途轍もなく面白い物語になることがある。筑豊から出てきた少年が、東京で紆余曲折して、オカンの最期を見届ける。少年期がとてつもなく面白い。要は語りようなのだろう。

    「小学生になって、ボクは突然、活発な子供になった」1人汽車、学芸会の仕切り、イタズラ、柔道場通い、白いままの夏休み宿題、麻生何某の選挙ポスター掲示板の柱のバット転用等々、ひとつひとつのエピソードを膨らませば、一冊の本になりそうなことも、数文字で済ませて、怒涛の如く少年時代が過ぎてゆく。

    そういうひとつひとつが、僕と全然違う。〈ボク〉の初レコードは「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」だったという。僕のそれは南沙織の「色づく街」であったこともつい思い出してしまう。そうそう、500円のレコードだった。親子には簡単になれるけど、家族は違うと感じてしまう〈ボク〉とは違って、僕は当たり前のように親子も家族も満喫していた。そのこと自体にショックを受けて、なかなか前に進めない。

    東京に出てきてからの〈ボク〉は、一般的に自堕落な80年代の若者を過ごし、一般的に独り立ちをして、一般的にオカンを東京に呼び寄せる。本人は次第と一般的ではなくなってゆくのだけど、仕事と恋の描写は見事に省略される。何故かスラスラ読めてしまう。

    本屋大賞コンプリートのために読み始めた本。読み終わった今ならば、僕も母親と父親の最期までの長い物語を書けそうな気がする。読んだ直後のほんの1時間の間ぐらいの走馬灯の勘違い。

    脳内再生は、どうしてもリリー・フランキーにはならない。どうしてもオダギリ・ジョーになってしまった。しかも朝ドラ出演中の60年代のジョーになってしまう。脳内再生はどうしてもオカンは樹木希林になってしまう。内田也哉子さんはあまり再生されない。

    リリー・フランキー自体は作家よりも前に凄い役者なのだ、という僕の刷り込みがある。2013年の「そして、父になる」の優しい父ちゃんと「凶悪」のサイコパスの振り幅の凄さ。その源泉を、この作品から読み取ることができる。そうか、どちらもちゃんと見てきたものだから演じることが出来たんだ。

    ひとつどうでもいいこと。この文庫本は、2010年の初版のまま、岡山の本屋の棚の一番下に並んでいた。つまり、11年間売れることもなく、返品されることもなく、居続けた。新潮文庫「7月のヨンダ?」チラシが挟まっていた。凄いことだ。これが本屋大賞受賞作としての、実力と運命なのだろうか。

    ごめんね、そしてありがとう。
    そうだね、僕も逝ってしまった人に
    そんな言葉しか浮かばない。

    • 夜型さん
      こんばんは。
      レビューを読んで、いよいよ親孝行に邁進しようと決意が固まりました。
      ありがとうございます。
      こんばんは。
      レビューを読んで、いよいよ親孝行に邁進しようと決意が固まりました。
      ありがとうございます。
      2022/01/25
    • kuma0504さん
      夜型さん、おはようございます。
      親孝行、したいときには親はなし
      真実です。
      夜型さん、おはようございます。
      親孝行、したいときには親はなし
      真実です。
      2022/01/25
  • 2006年本屋大賞受賞作。
    映画も観たことなかったので初見です。
    『親の思い子知らず』とは本当によく言ったもので、死ぬ間際にならないと家族って真剣に向き合わないものなのかなと改めて感じた。色んな感情を揺さぶられながらの読了であったが、現代社会の淋しさや悲しさ憤りなど、愛情の与え方や受け取り方も変わってきてしまっている世の中で、自身にはかなり刺さった作品でした。

  • 笑って、泣いて、泣いた。
    胸が、最後はギュッと締め付けられて、自分のオカンやオトンのことを想って泣きました。

    小説であり、エッセイであり。
    章の冒頭に挟まれるコラムのような文章たちは本質を掴んだものが多く、ストーリーはもちろん作者の世界の捉え方にもすごく惹かれました。

    私のオカンは3人子供を生んで、今はオトンと一緒に暮らしています。
    ちゃんと幸せに暮らせているのだろうか。自分ができる親孝行って何かないだろうか。

    年齢を重ねるとオカンが小さく見えるのは、愛情をたくさん分けすぎて風船のように萎んだからだという表現が好きでした。
    私のオカンもそうなのかもしれない。

    オカンに会いたい。

    いつかいなくなるのかもしれないけど、お願いだからずっと生きていてほしい。
    この恐怖はオカンがいなくなるまで消えないからこそ、幸せな怯えなのかもしれない。

  • H30.9.14 読了。

    ・一番近くに居て、身の回りのことをいっぱいしてもらっているのに、なかなか言えない「ありがとう」「ごめんなさい」。親孝行したい気持ちと照れ臭い気持ちが見え隠れして。
    良い作品でした。

    ・「親子関係は未来永劫に約束されるが、「家族」とは生活という息苦しい土壌の上で、時間を掛け、努力を重ね、時には自らを滅して培うものである。」
    ・「家族関係は神経質なものだ。無神経で居られる場所ほど、実は細心の神経を求める。」
    ・「行儀とは自分のための世間体ではなく、料理なら、料理を作ってくれた人に対する敬意を持つマナーである。」
    ・「子供に限らず、人の人格や性格は、家族、家族をはみ出した、もっと広い範囲の環境によって形成されてゆく。その場所の空気や土壌、気質に、DNAと血が混ざって、一滴たらすと、その土地による、その人の性質が芽吹いてくるのだろう。」
    ・「あれだけ立派に生きてきた大人の人が年取って亡くなる時は、もうそれがどんな死に方でも、その時が寿命よ。」

  • リリーさんがあとがきで、三千人の人が、みんな違った、三千種類の感想を話してくれたと書かれていました。
    その中には家族という枠から、息苦しくて飛び出した人もいるでしょう。辛くて逃げ出した人もいるんじゃないでしょうか。もしかしたら、追い出された人もいるかもしれません。
    家族という形は幸せの象徴だと思い込んでしまうけれど、柵となることもあると思います。
    それでも、読んだ人たちが、読んだ人たちの数だけ、家族のことを一瞬でも振り返ることのできる力のある小説だと思いました。
    そして、読んだ人たちが、読んだ人たちの数だけ、誰かを心に描いて素直に「ありがとう」って思うことのできる優しさの滲み出た小説だと思いました。

  • 2021年1月17日読了。

    ボクは幼い頃、オカンに連れられて家を飛び出し、
    オカンと二人で暮らしながら、時々オトンと会うという微妙な関係性の別居生活を過ごしていた。
    大学への進学で東京へ上京したが、自堕落な生活で留年・借金とオカンに迷惑をかけてばかり。
    やっと大学を卒業しても、定職にも就かずうだつが上がらない日々。
    それでもオカンは叱るでもなく、いつも優しく見守り応援し続けてくれた。

    仕事にも就き、なんとか生活していける様になった頃、オカンがガンに侵されている事を知らされる。
    年老いたオカンが一人で病気と闘っている。
    そう思った時、無意識のうちに言葉が出た。
    『オカン…東京で、一緒に住もうか?』
    そこから、またボクとオカンの生活が始まった。


    著者リリー・フランキー氏の自伝的小説。
    原作も映画も有名で存在は知っていたが、リリー・フランキー氏の実話だとは知らなかった。

    自分は幼い頃に両親が離婚し、父子家庭で育ってきた事もあり、著書が作中で書いていた
    『家族や親の問題をひどくコンプレックスに思っていたかといえば、まるでそうではない。自分にとっては、そんな状況が当たり前のことになっていたし、取り立てて他の一般的な家族を羨ましいとも思わなかった。ただ、そのことはもうほっといて欲しかった』
    という文章にとても共感した。
    しかし、母親をあまり知らずに育った自分には、息子と母親同士の無償の愛みたいなものを理解はしているのだが、人並みに共感出来ず感動も半減なのは少し悲しい。
    自分が感じてこれなかったからこそ、妻と息子の愛情を、これからの人生で一緒に分かち合っていきたいと思う。
    ●『幸福』は『家庭』にある。
    ●世の中に様々な想いがあっても、親が子を想うこと以上の想いはない。
    求めているうちは、それがわからない。ただ、ひたすらに与える立場になってみて、やっとわかってくる。かつて、親が自分になにを思っていたのか。その日のことを知り、今の日に、自分がそのようになろうと思う。

    そして月並みな感想だが、やはり親孝行はするべきだと思わされた。
    伝えられるうちに、ただ一言『ありがとう』と感謝の気持ちを伝える事は大切。
    ●希望を込めて想う『いつか』はいつまでも訪れることがないのかもしれないけれど、恐れている『いつか』は突然やってくる。

  • 母親をなくすことが何よりも一番こわい。
    この気持ちがすごくわかるから、共感だらけで、涙なしには読めなかったこの小説。
    文句なしに、大好きな一冊です。

  • 胸がぎゅっと締め付けられる
    リリー・フランキーさんと「オカン」との日々と想い。
    息子にとっての母親。
    そんなこともあって、私が母を思い出すよりも、息子にとっての母としての私目線で読んで、涙いっぱいでした。

    母として思うことは、息子がうまれてきてくれたその瞬間に一生分の喜びと幸せを受け取っているから、親孝行なんて考えなくていいからね。
    オカンは幸せだったのだろうかなんて思わなくていいよ、何もしてあげられなかったと後悔なんてしないで、とリリーさんに伝えたい。

    だから、私も息子たちにちゃんと伝わるように、「うまれてきてくれてありがとう」や「元気でいてくれるだけで嬉しいよ」って何度も言葉で伝えてあげたいなと思いました。

  • リリー・フランキーの生い立ちとオカンの最期。

    リリー・フランキーは外弁慶。
    オカンの前ではいい子、外では麻雀、パチンコで大学留年。オカンの働いたお金で大学に行っているのだから、オカンが大好きなら真面目に大学行けって思うけどね。そこはオトンの血があるのかな。

    世の母は偉大だね。
    見返り求めず育てて、自分の金はなくなるし、
    反抗期なんて溜まったもんじゃないよね。
    割に合わないよ。
    すごいよ、オカンって。



  • 〝たとえ、姿かたちはなくなっても、その人の想いや魂は消えることはないのです。あなたが、手を合わせて、その声を聞きたいと願えば、すぐに聞こえるはずです〟・・・日本の異色マルチタレント<リリ-・フランキ-(中川雅也サン)>が、東京タワ-をまじかに見ながら癌と闘って逝った母親(オカン)と、小倉から時々顔を見せに来る父親(オトン)との珍妙な生活風景を綴った、切なさがこぼれ出て、泣き笑いが交錯する長編小説風自叙伝。〝あなたがそこに ただいるだけで その場の空気が あかるくなる... 〟(相田みつを)。

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著者プロフィール

1963年生まれ、福岡県出身。 武蔵野美術大学を卒業。 俳優業のほか、文筆家、小説家、絵本作家、写真家、アートディレクター、作詞・作曲など幅広く活躍。自身初の長編小説『東京タワー~オカンとボクと、時々、オトン~』(扶桑社)が06年、本屋大賞を受賞。200万部以上の大ベストセラーとなり、映画化をはじめ、ドラマ化、舞台化された。著書は『美女と野球』『エコラム』など。初のひとり芝居に挑んだ映画『その日、カレーライスができるまで』が公開中

「2022年 『細野晴臣 夢十夜』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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