ヤノマミ (新潮文庫)

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  • 新潮社
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  • Amazon.co.jp ・本 (375ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101281919

感想・レビュー・書評

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  • ヤノマミ族はアマゾンの奥地、「ブラジルとベネズエラに跨がる広大な森に生きる先住民で、推定二万五千人から三万人が二百以上の集落に分散して暮らしている」。本書は、2007年~2008年にかけてNHK取材班がヤノマミの集落ワトリキに150日滞在して記録した、ドキュメンタリー。なお、「ヤノマミ」は彼らの言葉で「人間」という意味。

    ワトリキは、直径60メートルのドーナツ状の巨大な家(シャボノ)に38家族、167人が暮らす集落だ。文字は持たない。文明社会と接触しつつも独自のライフスタイルを守り続けているレアな村だという。取材当時から15年、今どうなってるかは分からないな。いずれにせよ、先住民文化は消えていく運命にあるんだろうな。

    自由奔放な性的関係(したがって家族関係も複雑)がなかなか面白かった。「旦那がいようと恋人がいようと、性関係を結ぶのは女の自由」、「不倫は日常茶飯事」。とはいえ嫉妬もあれば制裁もあるようだが(笑)。規範に縛られないプリミティブな男女関係が存在してるってことかな。

    印象的だったのは、偉大なシャーマン、シャボリ・バタが語った言葉

    「地上の死は死ではない。
    私たちも死ねば精霊となり、天で生きる。
    だが、精霊にも寿命がある。
    男は最後に蟻や蝿となって地上に戻る。
    女は最後にノミやダニになり地上に戻る。
    地上で生き、天で精霊として生き、最後に虫となって消える。
    これが定めなのだ」

    女性は子供を出産したとき、育てるか間引くかを一人で決定する、という事実も衝撃的だった。「ヤノマミの世界では、産まれたばかりの子どもは人間ではない。精霊なのだ」、「精霊として産まれてくる子どもを人間として迎え入れるのか、天に返すのか、その決定権は母親にある」、「母親の決定は絶対で、周りの者たちは理由も聞かずにただ受け入れる」。

    出産時の撮影など、かなり踏み込んだ取材をしているが、果たしてどうなんだろう。興味本意で何でも記録・報道すればいいってもんじゃないしなあ。

  • ――――森に産まれ、森を食べ、森に食べられる

    以前NHKで放送されたドキュメンタリーを今でもよく覚えている。
    わたしにはとても衝撃的なもので、正直鑑賞後どのように理解すればいいのか戸惑った。
    「ヤノマミ」はブラジルとベネズエラにちょうどまたがる地域に住んでいるそう。食料はほぼ狩猟と採集で調達しており、古くからの生活を今も続けているひとたちだ。ヤノマミとしてひとつのグループとなっているのではなく、小さな集団が100以上もあり内紛状態にあるらしい。
    この作品はそのヤノマミのひとつの集団に180日ほど断続的に滞在したドキュメンタリーだ。できるだけ個人的な感情を挟まず、淡々と出来事が書かれている。

    この冒頭に書いた「森に産まれ、森を食べ、森に食べられる」というのはNHKのなかで出てきた言葉で、彼らの人生を現している。特に「森に食べられる」というのは穏やかではない。これは出産したときに母親に突きつけられる選択に関わる。出産したとき、へその緒がまだ付いた赤子はまだ人間ではない。母親はこのへその緒の処理をして「人間」にするか、それとも「精霊」として森に返すかを決断しなければならない。母親にしか決定権はない。食料のこと、家族のこと、いろんなことを考えてそれを決める。もし決めたらだれもその意志を覆すことができない。…そしてもし、「精霊」に返すとなったら、彼女はそっと、まだ人間になっていない子供をバナナの葉で包み、シロアリの巣に置く。シロアリが食べつくしたころ、そのシロアリの巣を焼くのだ。衝撃。わたしにはその風習自体を理解できない。でも理解できないといって、否定もできない。ドキュメンタリーで観たとき、悲しくはないのか、と疑問だった。この本のなかにもある。ある日子供を精霊に返した女が(男勝りでめったに泣かないような女性だったのに)泣いていたという。シロアリの巣を焼くときも、涙をこぼしていた。悲しくないわけがないよね…。

    感情としては納得できないのだけど、文化というものはそういうものなのだなあと別の意味では納得した。外から見ていくらそれが許せなくても、そのひとたちにとってみればそんなのは「押し付け」だろう。未開の地や野蛮…などという言葉はどうしても陳腐だ。いくら切なくても、納得できなくても、「それが文化だ」という理解はできる。かつて幕末の昔、野蛮だと日本人も思われていた、というのを考えると「野蛮」という言葉は使いたくない。そういう人たちがいる、とそれだけでいい。

    ちょっと、正直、本当にショックだったのはもう仕様がない。

    ただこの本を読んでいると、圧倒的な生命力にびっくりする。美しいとさえ思う。力強いひとたち。

    • mkt99さん
      こんにちは。

      テレビもこの本も未見ですが、渾身の力をこめたブリジットさんのこのレビューは素敵ですね!
      森に生きる「ヤノマミ」のあり方...
      こんにちは。

      テレビもこの本も未見ですが、渾身の力をこめたブリジットさんのこのレビューは素敵ですね!
      森に生きる「ヤノマミ」のあり方が、切実に伝わってきました。
      2013/11/26
    • ブリジットさん
      こんにちは!

      完全に夜中の勢いで書いたので、今読むと熱いですね…。笑
      色んな文化があるのだとは分かっていても、なかなかに衝撃的でした...
      こんにちは!

      完全に夜中の勢いで書いたので、今読むと熱いですね…。笑
      色んな文化があるのだとは分かっていても、なかなかに衝撃的でした。15やそこらで出産し、命を決断するということの厳しさ…。
      わたしの衝撃が少しでもお伝えできていたなら、意を決してレビューを書いた甲斐がありました。ありがとうございます。
      2013/11/26
  • アマゾンの奥地で暮らす民族ヤノマミ。1万年前から変わらない生活を続けていると言われている彼らと150日生活を共にして、その生活をテレビカメラに収めた副産物の本です。
    強烈な本で、よくあるいい話のような異文化交流ではありません。所謂善悪のような物では仕分けする事が出来ないような事が沢山出てきます。命の在り方が我々とは違う為に、それを受け止めようとした国分氏が、神的に変調を来してしまうような衝撃があります。
    どんな事があるのかは是非読んで確かめて頂きたいですが、情愛というものの前に、生きていく為に切り捨てて行かなければならない事。これは日本でも昔似たような事が絶対に有ったと思います。
    そして、急速に文明社会に取り込まれて行ってしまう民族たちの中で、彼らは従来の生活を堅持しようとしています。そんな中に入って彼らの事を記録するが故に、彼らを文明に近寄らせてしまうジレンマもあります。
    特に若者は便利で享楽的な方を選ぶに決まっているので、早晩彼らの世界観も資本主義に染め上げられていく事でしょう。
    もうこの本の中の彼らは存在しないんだろうなと思うと、非常にやりきれない想いで一杯です。
    とても素晴らしい本で、人間って何だろうと考えこんでしまいました。

  • 雪で外出を諦めたのでその隙に読了。
    ヤノマミ部族を取材した150日間にわたる同居の記録。

    文字の文化がないので同じ会話を幾度も繰り返して記憶する、出産をした女はその場で子供を森に返す(絞殺する)か人間として育てるため連れ帰るか選び、命の決断は女が絶対的に握っており男は介入できない、など。

    閉じられた文化に文明が入り記録するのは賛否両論あろうが、確実に失われていくものを記録しておくのは必要なのではないかと強く思う。

    それも知識欲のエゴなのだろうか。

  • なぜか読むのを避けていたのだけど、初めて入った書店で目についたので購入。
    映像の衝撃には敵わないかと思っていたが、これはこれで良かった。作者の気持ちの入りすぎない描写がとても良かった。映画かドキュメンタリーをもう一度見たい。どこかで見れるだろうか

  • ヤノマミには、子供は一定の年齢になるまでは人ではなく、神様からの借り物と考えられているらしく、小さな頃に亡くなった場合は神に返すことになるらしい。

    別の資料から、日本でも似た考え方や風習があったと知った。
    また、ピダハンでは小さな子供は妖精と考えられていたのではなかったか。

    かつてベーリング海峡を渡ったモンゴロイドと、日本人が文化的に類似しているのが興味深い。

    アニミズムに特有の宗教観なのかな。
    もう少し掘り下げたい。

    あれ?これピダハンの話とごっちゃになってるかな?
    読み直し決定(笑)

  • 南米の熱帯雨林の奥地、
    ブラジルとベネズエラの国境付近に暮らす
    ヤノマミ族を取材するため、
    150日間寝食を共にしたその記録です。

    ヤノマミは外界の影響をほとんど受けていない
    原初の暮らしを営む未接触部族なのですが、
    その暮らしぶりはもとより、
    彼らの世界観や死生観、風習には驚かされることばかり。
    中にはかなりショッキングな報告もあります。
    現に著者は心身に大きなダメージを受け、
    帰国されてからも
    しばらく不調が続いたようです。

    本書で紹介されていることがらは、
    わたしたちの常識や
    善悪の基準が通用するものではありませんし、
    わたしたちの尺度で判断すべきものではありません。
    しかし、ここで語られているのは、
    まさに人間の営みです。

    このような未接触部族は、
    世界におおよそ100ほど存在するようです。
    世界は広いですね。
    でも文明は、
    彼らの暮らしを徐々に侵食しつつあります。
    それがはたして良いことなのかどうか?
    文明に触れて得られるものより、
    失うものの方が多いような気がします・・・
    といえば、
    それもまたわたしたちの傲慢さかもしれません。

    ちなみにヤノマミとは、
    彼らの言葉で〝人間〟という意味なのだそうです。




    べそかきアルルカンの詩的日常
    http://blog.goo.ne.jp/b-arlequin/
    べそかきアルルカンの“スケッチブックを小脇に抱え”
    http://blog.goo.ne.jp/besokaki-a
    べそかきアルルカンの“銀幕の向こうがわ”
    http://booklog.jp/users/besokaki-arlequin2

  • 新聞書評に「ノモレ」が掲載されており、興味を持った。
    精霊か人間かは女が一人で決める。
    文明への憧れと憎悪。
    書き手の心の動き、葛藤が伝わってきた。

  • NHKディレクターがドキュメンタリー番組作成のために、南米ヤノマミ族の村で暮らした150日間の記録。大宅壮一ノンフィクション賞受賞作(2011年)。
    ヤノマミ族は、ブラジルとベネズエラに跨る広大な森に生きる先住民で、推定2万5千人から3万人が200以上の村に分散して暮らしている。南米に残った文化変容の度合いが少ない最後の大きな先住民集団と言われる。
    ヤノマミの生活は規則正しい。日の出とともに起き、日の入りとともに(雑談し)寝る。昼間は、男は狩りへ行き、女は畑で作業をする。年に一度の祭り。
    ヤノマミはものを持たない。狩りへ行かない男の答えは「食べ物は十分に間に合っているのに、どうして獲りにいかねばならないのか」。「富」を貯め込まず、誇りもしない。
    ヤノマミの世界では、万物は精霊からなり、精霊には「いい精霊」もいれば、「悪い精霊」もいる。人間も死ねば精霊となり天で生きる。人も動物も、人間も精霊も、生も死も、全てがただ在るものとして繋がり、一つの大きな空間の中で一体となっている。そこに、優劣とか善悪とか主従の関係は存在しない。
    しかし、ヤノマミの生活にも、争いがあったり、盗みがあったり、怠け者がいたり、社会生活や人間関係の本質においては、我々となんら変わることはない。
    ただ、我々は、数千年の間に機械文明を発展させ、物理的に便利な生活を送るようになり、その一方で、人類の存亡にも影響を与えるような環境破壊を引き起こしてきた。
    どちらが良いのか(良かったのか)は一概には結論付けられないが、間違いなく現代社会について様々なことを考えるきっかけになる書と言える。
    (2014年2月了)

  • ドキュメンタリーの書籍化なんて、結局書く人だって本職は映像の人なんだし、大分劣るんだろうと思って読み始めたんだけど。結構な力を持った作品だった。映像未見なのでぜひ見てみたい。

著者プロフィール

国分拓(こくぶん ひろむ)
1965(昭和40)年宮城県生れ。1988年早稲田大学法学部卒業。NHKディレクター。著書『ヤノマミ』で2010年石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞、2011年大宅壮一ノンフィクション賞受賞。

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