- Amazon.co.jp ・本 (286ページ)
- / ISBN・EAN: 9784101283746
作品紹介・あらすじ
日本人だけで300万人を超える死者を出した太平洋戦争。軍幹部ですら「負ける」と予想した戦争へ、日本はなぜ踏み込んでしまったのか――。当事者の肉声証言テープなど貴重な新資料と、国内外の最新の研究成果をもとに、壮大な疑問を徹底検証。列強の動きを読み違えた日本外交の“楽観”、新興ナチスドイツへの接近、陸軍中央の戦略なき人事・・・・・・今だからこそ見えてきた開戦までの道程。
感想・レビュー・書評
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なぜ日本は負けるであろうと、軍幹部ですら予想していた太平洋戦争に踏み込んでしまったのか、をテーマに2011年にNHKは5本の特集番組を制作した。本書は、その番組の第一回「"外交敗戦”孤立への道」、第二回「巨大組織"陸軍"暴走のメカニズム」を書籍化したものである。残りの3本の番組についても2巻の書籍にまとめられている。
満州事変、および、日本陸軍の中国での活動拡大に対する諸外国の反応を読み誤り、その後読み誤りは修正されることなく国際連盟脱退まで追い込まれ、日本は国際社会の中で孤立してしまい、そして、ドイツやイタリアに接近する。陸軍は現場に大きな権力を持たせる組織構造・統治構造をとっていたため、現場が満州事変のような大事(おおごと)を独断で起こし得ることになっていた。陸軍全体でも、まずは組織を守ることにプライオリティが置かれ、満州事変のような事件を「過ち」と最後まで認めることが出来ず、それを肯定する形でしか、組織運営が出来なかった。陸軍という組織は、ガバナンスが全く効いていなかった、「暴走」が可能な構造になっていたということだ。
そういったことが、本書には書かれている。
それ自体はその通りなのだろうが、私が感じた「欠陥」は、「全体視点」を持った意思決定機構を、日本が国として持っていなかったことだ。
本書で主に取り上げられている組織は、外務省と陸軍であるが、彼らが行ったことは、外務省という組織の視点から見れば、あるいは、陸軍という組織のロジックから見れば、合理的な部分がある。それぞれの組織を守る、組織内の人達の考えを優先するということ自体が目的であるとすれば、合理性があったということだ。しかしながら、日本全体にとって何が良いことなのかという視点はなかった。部分的な合理性を推し進めても、それは、全体視点での合理性につながらないケースが多い。
しかしよく考えてみると、それは、今に至るもあまり変わっていないということが出来ないだろうか。日本という国の将来を考えたときに大事なことは沢山あるだろうが、省庁も、政党も、その他の多くのステークホルダーたちが、自分たちの視点から見える合理性に基づいた主張をしており、トータルの視点が欠けているように思える。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
リアルタイムで番組を見た。その時は聞き流していた事柄が、今はなんと心に響くことか。私が変わったからではない。世の中が変わったからである。
2011年1月の放送開始は、NHKの良心の最後の輝きの時だったのかもしれない。今では間違ってもこんな番組作れない。よくぞ、文庫が出版されたと思うくらいである。あと2年遅かったら、本の出版さえ無理だったかもしれない。日本は未だに「出版・言論の自由」は謳われてはいるが、ことNHKに限り、それは急速に戦前の段階まで後退しているからである。
番組の最初の映像の中で流れる、無数のドミノ倒し。「もしあの時に違う選択をしたならば」そういう問題意識で作られたこの番組に喝采を送りたい。そして決定的な場面はひとつではなく、とてもとても多くあった。それが日本の特徴です。でも選択の時はあったのです。それが、そのまま現代に繋がる。
外交編では、最初に1931年国際連盟脱退の「選択」に焦点が当てられます。松岡外相が堂々と演説して、日本は最初から進んで孤立の道を選んだ、かのような認識が私にありました。教科書で学んだのが、そういうニュアンスだったからです。しかし、違った。日本は脱退など予想しないでジュネーブに臨み、英国も着地点を用意していた。
そうならなかった要因。
日本側当事者たちの甘い体質に他ならなかった。そこから浮かび上がってくるのは、「希望的判断」に終始し、その幻想が破れると「急場しのぎ」の美貌作に奔走する、国家としての根本的な戦略が欠如した日本の姿であった。(38p)
それは、現代ではTPP交渉、又言えば安保法をめぐる国家戦略にも通じる、日本政府の最大最悪最低の弱点だろう。
陸軍編では、よく「陸軍が暴走した」と一言で片付けられることが多い。まるで過去の出来事で他人事である。
しかし、ここで語られるのは、暴走の仕組みは現代にそのまま残っているということである。
外交編も陸軍編も、その組織的体質は全然変わっていない。それは基本的には旧体質が、主体的には一切反省などせずに、アメリカによって温存されたためではあるのだが、こういう番組のあとに、国民の側から、組織的体質の徹底的な反省を促す運動が起こらなかったためでもある。もっとも、この番組の直後に東日本大震災が起きて、そんな余裕を持たなかったといえばそれまで?いや、その組織的体質は原発事故体質にも引き継がれたのだから、それはそのまま、国民の側の怠慢でもあったのだと、今になって思うのは、おそらく少数意見なのだろうな。
2015年10月4日読了 -
人事といい前線で倒れていく兵士のことを考えない理由で戦争を戦う陸軍には憤りしかない。
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陸軍編は、永田鉄山らバーデン・バーデン会議の若手軍事官僚たちから、「日本人はなぜ戦争へと向かったのか」と進むのは、ドラマとしては面白いが、あまりのも浅慮に感じる。菊澤研宗氏の、行動経済論から軍事組織を論じる話にも、平面的な趣しか感じない。盧溝橋、ビルマ、インパールの牟田口が愚将で、こんな男たちに命を預けざるを得なかった兵士たちの不幸が伝わらない。
学術会議から省かれた加藤陽子氏の文「なぜ、戦争の歴史を学ぶのか」。ヘロドトスの『歴史』から「国家と国家が生死をかけた知性の営み=言葉を分析する学問、歴史学にほかならない。」という語りは重い。
何のために戦ったのか、なぜ命を懸けたのか、命をかける必要が本当にあったのか。考えたい。 -
日本はなぜ戦争へと向かったのか、外交と陸軍の問題。
情報の不統一が戦略の不統一となり、陸軍と外務省の二重外交、外務省内の混乱により適切な外交政策が打てなかった。
戦争のあり方が総力戦へと変わっていったことに対する危機感のギャップ、出先と中央のギャップ、軍政と軍令のギャップといった組織内外の様々なギャップにより、組織や派閥の狭い合理性が国家の広い合理性を損なう結果となった。
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外交と陸軍にスポットをあてたもの。陸軍はそもそも人事制度に問題があったことを指摘している。そのほかにも、過剰な現場主義によって、中央からの統制がうまく効いていなかったことなどがわかる。
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外交交渉をかけ違う外務省、
想定敵国が異なる陸軍と海軍、
独断専行したことへ懲罰のない人事、
などが積み重なり、アメリカとの戦争の選択肢を選ばざるを得ない選択肢がなくなり、追い込まれていく。
総理大臣や国会議員達が担うべき政治が機能不全であったこと原因だと思う。
現代では改善され防げることが出来る日本になったのか?と悩みが止まぬノンフィクション。 -
関心がないように見えても、個々人が歴史観をそれぞれ持っており、他者との間でそれについて議論したりはおろかお互いに披瀝したりもしないのが通常である。
要はセンシティブなものであるから、特に近現代史については、軽々に口にしないのが利口である。以下は個人の感想であって真実それ以上のものではない。
・当時の日本にはリーダーもなく、大局観もなく、悪循環に陥っていた。
・満州事変から日中戦争に至るまでに政党政治が破綻し、それが藩閥政治、元老に代わって担うはずであった、外交・軍事を一元化する意思決定の仕組みは確立できなかった。
・満州事変をきっかけに独断専行、下剋上的風潮に歯止めがかからなくなった、現地軍の規律違反をきっちり処罰できなかった、などといった点は以前から読んでいた本にも繰り返し述べられている。
・しかし、本書で独特だと思ったのは、慶應の菊澤先生の経済コスト的観点から軍人の行動を説明するという箇所だった。現地軍にとってはあくまでコスト面で合理的選択を行なっているにも関わらず、社会全体から見て非効率的、非合理的結果になってしまう。これは現代の大企業でも代理人関係において起こりうる現象であるとしている。中央と現地で同じ人物でも態度を変えてしまうのもリスクテイクする人間の心理的側面から説明していて興味深かった。
・つまり、ただ当時の軍人たちの見方が甘いとか、単に判断力に乏しいからとかではなく、彼らは合理的知性的に判断した(つもり)であってもなお失敗してしまったということが読み取れて興味深かった。
・また、戸部教授の軍事VS軍政の二元的意思決定方法の過ちについての記載もあった。 -
戦争関係は苦手だなーと再認識
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とても読みやすくまとめられているが、
これは実際に映像で観ていた場合、
もっと印象が異なっていたのではないかと思う。
菊澤研宗氏へのインタビューによる知見は、
日本陸軍が陥った組織としての脆弱性を、
いまの大企業でも有しうる問題として解き明かしており、
とても興味深いものがあった。