プリンシプルのない日本 (新潮文庫)

著者 :
  • 新潮社
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  • Amazon.co.jp ・本 (295ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101288710

作品紹介・あらすじ

「風の男」、そして「占領を背負った男」-戦後史の重要な場面の数々に立ち会いながら、まとまった著作は遺さなかった白洲次郎が、生前、散発的に発表した文章がこの一冊に。「他力本願の乞食根性を捨てよ」「イエス・マンを反省せよ」「八方美人が多すぎる」など、日本人の本質をズバリと突く痛快な叱責は、現代人の耳をも心地良く打つ。その人物像をストレートに伝える、唯一の直言集。

感想・レビュー・書評

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  • 著者、白洲次郎さん、どのような方かというと、ウィキペディアには、次のように書かれています。

    ---引用開始

    白洲 次郎(しらす じろう、1902年(明治35年)2月17日 - 1985年(昭和60年)11月28日)は、日本の実業家。元貿易庁長官。兵庫県武庫郡精道村(現在の芦屋市)出身。

    連合国軍占領下の日本で吉田茂の側近として活躍し、終戦連絡中央事務局や経済安定本部の次長を経て、商工省の外局として新設された貿易庁の長官を務めた。吉田政権崩壊後は、実業家として東北電力の会長を務めるなど多くの企業役員を歴任した。

    ---引用終了

    で、本作の内容は、次のとおり。

    ---引用開始

    「風の男」、そして「占領を背負った男」―戦後史の重要な場面の数々に立ち会いながら、まとまった著作は遺さなかった白洲次郎が、生前、散発的に発表した文章がこの一冊に。「他力本願の乞食根性を捨てよ」「イエス・マンを反省せよ」「八方美人が多すぎる」など、日本人の本質をズバリと突く痛快な叱責は、現代人の耳をも心地良く打つ。その人物像をストレートに伝える、唯一の直言集。

    ---引用終了

  • 43冊目『プリンシプルのない日本』(白州次郎 著、2006年6月、新潮社)
    GHQから「従順ならざる唯一の日本人」と呼ばれたと伝えられている男、元終戦連絡中央事務局次長の白州次郎が.、1951年から1969年までの間に発表したエッセイをまとめたもの。
    「プリンシプル」=原則に基づく行動を是とした白州が、暗愚な為政者や乞食根性に染まった日本人の精神性をバッサバッサと叩き切る。
    歯に衣着せぬ彼の言葉は、民主主義が機能不全に陥っている現代にこそより強く響く。

    〈人を殺して、いいことなんかないよ、ほんとに〉

  • 戦後日本国憲法制定にかかわり、吉田茂とも親交の深い白洲次郎による短編エッセイ集(ノンフィクション集)。最初の方と、表題作とその周辺作品のみ読んだが、白洲のいう「プリンシプル」は、「その人の(モノの)機能・本分・役割」ということなのだろうと思う。全体の中で自分の・そのモノの機能・本分・役割をよく考えて、それに基づいて行動せよ、という目的志向の考え方のことたが、その態度は簡単には取れないのかもしれない。

    白洲の議論で、日本の政治家は、イデオロギーは勉強して暗記するモノだと思っているから、自分の普段話していることと、政治的イデオロギーが乖離しており、だから実のある論争は期待できず、思想と思想の落とし所を見つけたりできない、という箇所があった。ここで思想の不在を白洲は批判するが、これもプリンシプル(本来の機能・本分・役割)不在の政治論争ということか。前提としては政治論争は空虚な理論ではなく生活や意思に根差すべきだ、そうして初めて意味のある議論ができる、ということなのか?白洲のすごいところはこういった、「どうあるべきか」の機能を考えていることなのではないかと考える。

    白洲のプリンシプルの特徴は、国際的に日本がどう立場取るべきかという視点を持っていること、なのだろう。他はわからない。

  • 白洲次郎は、全てにおいて格好良すぎる(妬み嫉み?)。顔も良くて身長も高い、お金に不自由なく、奥さんも才女、名前だってカッコいいし年取ってからも髪の毛もフサフサしていてロマンスグレーな紳士そのもの。

    共通点を何一つ見出す事の出来ない自分としては、「全くもってけしからん!」として、彼について触れているもの全てから遠ざかっていた。

    先日、久我山のある方のお宅の蔵書にこの本があった事をきっかけに購入してみたのだが、あたかも現政界・経済界について書いてあるのかと思うほど。逆に言えば、人間のやる事というのは、たかが7・80年では何も変わらないのだろうか…いや、旧約聖書の時代から根本的に何も変わらずに、同じ事を繰り返しているだけか、と情けなくなる…

    物事を利害関係抜きに判断すれば、大抵のものは合理的帰結に行き着くものだが、そこに私利私欲が絡んでくる事で色々な不具合・不都合が出てくる。そしてそれをカバーしようとして話がどんどんややこしくなってくる。今回の東京オリンピック開催についても同様。

    叶わぬことではあるが、白洲次郎が日本国家のためにと人肌脱いで政治の世界で活躍してくれていたら、もしかしたら日本も今とは違った姿になっていたのかもしれなかったのではと思う。「そんなバカな事を言ってもらっては困る」と返されるだけだろうが……







  • 僕の頭では読みにくくわかりにくかった。ひとつ分かったことは白洲次郎と言う男はカッコいいってこと。

  • kikainekoさんオススメ

    こういう気持ちいい文章が書きたいなぁ。

    どきりとすること頻りで、考えさせられる内容だった。

    評伝の「風の男 白州次郎」も読みたい。

  • 憲法改正、沖縄の基地問題、日米貿易問題、国会での圧倒的多数の自民党に対する野党のあり方。。。
    60年前に彼が書いたことは、現在の諸問題に対する発言かと思うほどだった。我が国の問題は何も進展してないということか。2017.2.10

  • 「個人関係に於いても、国際関係に於いても永続きする友情は、双方が腹を打ち開けて話すことである。そこに何等の遠慮もあってはならないと私は信じる。」
    「弱い奴が強い奴に抑え付けられるのは世の常で致し方なしとあきらめもするが、言うことだけは正しいことを堂々と言って欲しい。」
    「何でもかんでも一つのことを固執しろというのではない。妥協もいいだろうし、また必要なことも往々ある。しかしプリンシプルのない妥協は妥協ではなくて、一時しのぎのごまかしに過ぎないのだと考える。」

    そこをよく考えないといけない。我々日本人が何故にそれを行動に繋げられて、諸外国で出来ないのか?その根本が理解出来なければ、10年後、そして100年後には、日本とて諸外国と大差ない、三島由紀夫が予言した東洋の経済的には発展したけれども、どこの国ともわからん無色透明な国に成り果てるだけである。本質を知り、それを学ぶことをせねば、そのような事柄も、まもなく失われてしまう。木がなぜ実をつけるのかを知らねば、ただ実りをもたらしてくれる木を眺めて、もぎとるだけもぎとるばかりならば、やがて枯れてしまうだろう。プリンシプルという根をどのように栄養をやり、しっかりとするかを考えねばならない。

    本書で白洲次郎が語ったプリンシプルとは、そう言ったものである。日本人が日本人であるための根幹となる心、精神。白洲は他人の言葉を引用することをせず、自分の言葉で語って来た。その白洲が小林秀雄の言葉を引用して、そのような考え方は朱子学より学んで来たと記している。そしていまの世の中、四書五経を学ぶ人は殆どいない。しかし四書五経にはそういった日本人を日本人たらしめる日本人のプリンシプルを育てるための道、真理と言うものが書かれてある。そしてより細かいことを言えば、それは大陸の儒教でもなく、半島の儒教でもなく、日本的儒教である。現代日本にも、その残り滓が残っている。昨今話題となる、日本人の素晴らしさとは失われつつある、祖先の積善の残り滓による死に際の輝きなのである。消える直前、ひとしきりまばゆく輝いておちる線香花火のようなものだ。今の日本はそういったプリンシプルを失いつつある民族であって、決して喜ばしいことではない。
    Principle = 原理、原則、道義、本質

    安保に対する革新派に対する議論も素晴らしい。今と通ずるところ多し。スイスのたとえ。軍事費における国民の税金の負担。ヒステリー女の喧嘩と面白い言い回し。昔も今も本質は変わらないとつくづく思う。プリンシプルの欠如がもたらす着地点の曖昧さ。

    従順ならざる唯一の日本人

  • 白洲次郎が1951年から1969年にかけて『文藝春秋』等に発表した原稿をまとめ、2001年に発表されたものである。
    戦後暫くは忘れられていた白洲次郎が各種メディアに取り上げられるようになったのは、没後10年ほど経った1990年中頃で、1997年には青柳恵介による『風の男 白洲次郎』が発刊されている。
    白洲氏ほど毀誉褒貶に包まれた人物も少なかろうと思われるほど評価の分かれる人物であるが、本書の冒頭で、幼な友達の今日出海が「どうして彼が自分の理屈にあんなに自信を持つのか判らぬほど、自分の感覚とその合理性に自信を持っている」、「彼は誤解を解くような努力は一切しないし、また誤解されるような人物だ」と語っているように、周りになんと思われようと、自分のプリンシプルに基づいて、真っ直ぐに行動した人間なのだろう。
    「個人関係に於いても、国際関係に於いても永続きする友情は、双方が腹を打ち開けて話すことである。そこに何等の遠慮もあってはならないと私は信じる。」
    「弱い奴が強い奴に抑え付けられるのは世の常で致し方なしとあきらめもするが、言うことだけは正しいことを堂々と言って欲しい。」
    「何でもかんでも一つのことを固執しろというのではない。妥協もいいだろうし、また必要なことも往々ある。しかしプリンシプルのない妥協は妥協ではなくて、一時しのぎのごまかしに過ぎないのだと考える。」等
    プリンシプルに生きた男の思いが、時を越えて伝わってくる。
    (2007年4月了)

  • 45
    白州次郎の言葉はきもちがよい。
    本著は白州が文藝春秋に寄稿したものをまとめたもの。
    何よりも端的でわかりやすい表現で当時の政治や、日本人を憂い、厳しい提言を主張しているが、これは今の世でも十分、いやむしろ今の日本人が読まなければならない一冊だろう。

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著者プロフィール

1902(明治35)年2月17日、兵庫県芦屋に生れる。19(大正8)年、神戸一中を卒え、ケンブリッジ大学クレア・カレッジに留学。28(昭和3)年に帰国し、翌年、樺山正子と結婚。43(昭和18)年、仕事から退いて東京郊外鶴川村に移転。45年暮に終戦連絡中央事務局参与に就任、翌年次長。48年、貿易庁長官。50年、吉田茂首相の特使として渡米。51年、東北電力会長に就任。以降、荒川水力発電会長、大沢商会会長、大洋漁業・日本テレビ社外役員、S・G・ウォーバーグ顧問等を歴任。76年より軽井沢ゴルグ倶楽部常務理事(のち理事長)。85(昭和60)年11月28日、83歳にて逝去。遺言書には「葬式無用、戒名不要」と記されていた。

「2014年 『プリンシプルのない日本 電子増補版』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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