葬送 第一部(下) (新潮文庫)

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  • Amazon.co.jp ・本 (364ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101290348

感想・レビュー・書評

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  • さて今回は全体の話の流れを紹介したい

    ネタバレを含みますが、ネタバレは重要ではない作品なのだ(と勝手に強く思っている)

    まず本書を読むにあたり、一番のネックは(ありがちな)横文字の登場人物の多さ
    メモを取りながら読むのだが多過ぎて倒れそうになる
    〇〇侯爵夫人、〇〇男爵、〇〇大公妃…次から次へと登場しおまけに名前が長い(ドストエフスキーのがマシ)!
    メモを書いても正直わからなくなる
    途中から主要人物ではなさそうな人はもういいや!と断念したが、まぁ話は繋がっていく
    あまり完璧主義に陥らず読んでも大丈夫そうだ(モヤモヤしては読めない!という方は頑張ってメモしてください…)

    「序」章はショパンの葬儀から始まる
    そのため、最後まで読み切ってからここにもう一度戻るとよくわかる(あなたは誰ですか?となるため…)
    逆に言えば、理解がぼんやりしていても何の問題もない
    すっ飛ばしてもいいかもしれない

    さて(ようやく)肝心の内容

    ショパンとドラクロワを中心にストーリーが展開される
    ショパンが主人公!というよりショパンを取り巻く人たちそれぞれにスポットが当たって行く
    なかでもドラクロワの立ち位置はショパンと並ぶほどガッツリ描かれる
    二人の友情、同じ芸術家の二人の比較、二人の芸術に対する思い、わかり合う喜び、しかし最後のドラクロワの心境は……注目だ

    ショパンの愛人である小説家のサンド夫人
    愛人という言葉はこの時代にはしっくりくるが、現代ではあまり良い印象はもたれまい
    余談ながら当時のフランスは宗教上の理由などにより、おそらく離婚ができなかったのではないか
    そのためサンド夫人は戸籍上のご主人と別居状態である
    今の「愛人」の感覚とは少々違う気がする
    そのサンド夫人と子供たち
    ショパンはしばしば彼らと食事や旅行を共にし、ある種家族のように過ごしていた 
    サンド夫人とその娘は以前から確執があるが、彼女の結婚をめぐる問題で確執がさらに深まり、これにショパンも巻き込まれる
    元々体が丈夫ではないショパンであるが、このことをきっかけに心身ともにやつれ病んでいく…
    この親子の確執がある意味ドラマである
    確執になる要素は確かにあるとはいえ、原因なんかより、とにかく母娘の性格が非常にクセモノである
    似た者同士の意地の張り合いが、まさかここまで…というほどの亀裂へ展開する
    滑稽と感じるが、彼女たちは真剣勝負で自分はぜったいに悪くないと一歩も引かない
    そこに非常に繊細なショパンが間に入ってきて、なんとも似つかわしくないのが容易にわかるだろう
    当然彼の精神は蝕まれていく

    ショパンの素晴らしい演奏(素晴らしい演奏に聞き惚れる皆の興奮が伝わる)、ドラクロワの仕事っぷり(いつも悶々しているから、頑張れ!と応援したくなる)、サロンでの社交の場(華やか☆)、パリの生活(そうとう埃っぽく騒がしく臭そうである 喘息の人は住めないんじゃないか)、馬車での移動(大変そう 高齢者や病人はどうしていたのだろうか…)、革命やその時代の政治的動向(ショパンやドラクロワは結構無関心)、サンド夫人の娘の結婚(旦那がクソ過ぎてビックリする)、やがて訪れるサンド夫人との訣別、ショパンを愛してやまないスターリング嬢の登場、そして最後はショパンのお姉さんが…

    まぁざっとこんな感じでその世界観に浸るのがなかなか異空間に行ったようで悪くない
    実に様々な目線から楽しめる
    内容もいちいち広く深く、(なんせ本書の分量が相当なページに及ぶので)じっくり重厚に進んでいくのだが、内容がないといえばある意味ないともいえるかもしれない
    いや、深い内容がたくさんあるのだが、狙った内容ではないというのか…
    そのためノンフィクションに近い感覚で読める

    次回は各登場人物についてご紹介したい

  • 登場人物の江戸訛りが気になる…。フランス人なのに「ちくしょうめ!」みたいなこと言われても…

  • 210119*読了
    さて、第一部の下巻です。
    彫刻家クレザンジェと、サンド夫人の娘、ソランジュの結婚。サンド夫人の暴走がすごい。落ち着いておくれよ…。
    最初はすごくクレザンジェに腹を立てていたけれど、だんだん憎めなくなってくるから不思議。悪人になりきれない兄ちゃん。笑
    この結婚の騒動がほとんどを占めていて、やっとショパンが出てきたと思いきや…。うーん。サンド夫人よ…。
    彼女は自分が間違っていると思っていない。立場が変わればなんとやら、でそれぞれの立場で正しさって変わるのだなと学ばせられました。

    ドラクロワとショパンの関係がなんだかいい。なんともいえぬ距離感。
    ドラクロワの思索が好きなので、最後のシーンが印象的でした。彼の超大作が読みながら頭の中に広がっていきました。ドラクロワさん、お疲れ様。

    平野啓一郎さんの文章って、読んでいて理解できないような哲学的なところがあるけれど、それがおもしろい。
    さて、第二部も今から読みます。至福…。

  • 上巻ではややもたついていたストーリー展開が,サンド夫人の娘のソランジュがクレサンジュと結婚するあたりから加速し,ドラクロアが自ら描いたリュクサンブール宮の天井画を観て自ら驚愕するところまで.
    徐々に病に冒されていくショパンの影が薄くなってゆき,話の着地点がどこなのかが見えなくなってきた.第2部が楽しみだ.
    この小説を読んでいて見事だと思うのは,登場人物が会話を,特に親しい友人と,交わす場面における思考の流れ,飛躍の描写である.
    ドラクロアは,例の自由の女神の絵の印象が強いのだが,リュクサンブール宮の天井画はすごく観たくなった.ショパンももっとちゃんと聴いてみようかしらん.

  • 第一部下巻。ショパンの愛人の娘が身持ちの悪さで有名な彫刻家と結婚することになり、物語は急展開。登場人物の感情表現の細かさ深さに圧倒されつつ引き込まれる。一方でドラクロワは全身全霊をこめて大作を完成させるが、最後に完成された作品を眺めて、自らに驚愕する場面が凄い。
    とにかく隙のない、密度の物凄く濃い小説です。

  •  この巻で主に語られているのはサンド夫人の娘・ソランジュの結婚をめぐる一連の騒動で、それに引っ張られてどんどん読み進めることができたんだけど、読み終わって印象に残るのはやっぱりドラクロワの煩悶だったりします。
     ようやく完成した議員図書室の天井画とそれを見るドラクロワの描写で第一部が完結するからかも知れないですが(しかしこの天井画、ほんとうに見たい……!)
     作中ドラクロワは仕事をするためにアトリエへ行くことへの「抵抗」を、単なる「怠け癖」ではなく「時間の問題」ではないか、というようなことを考え続けていて、最後に完成した天井画の下で「奪われたのは享楽の時ばかりではなかった。彼の生の時そのものであった。そして、削り取られたその痕跡を、画家はただ自分を見捨てゆくもう一つの生の、彼の不在の未来に於る持続を夢見ることによってのみ慰めねばならな」いことに呆然とするのですが、確かにひとりの人間が生きている現在をそれこそ食い潰すほど膨大に費やさなければ芸術は生まれず、あらためて残酷なものだと思いました。
     百年後のドラクロワの評価を知っているし、彼の絵を見てのんきに感動していたので感慨深く読みました。「自分だけが置き去りにされてゆく。今こうして家の中に取り残されているように、この十九世紀という時代の中に。そして彼ばかりが、自分から離れてずっとあとの時代にまで生き残っていく」という愛人・フォルジェ男爵夫人の嘆きもせつない。

     ジョルジュ・サンドは支離滅裂なくらい感情的に描かれていて、ショパンとの関係が破綻する経緯も一方的にショパンに同情するしかないような感じなのですが、……それでも私はサンド夫人がショパンの何を煙たく思うのかちょっとわかるような気がするなあ。
     ショパンを「現実には目を背け、何時も夢のような考えで頭をいっぱいにしている」としか理解しなかった彼女こそが世間知らずのお嬢様で、現実認識ができていなかったのは全くその通りなんですが。

     ところでこの小説、どこまでが創作なのか気になります。

  • 第一部完。しかしショパンの人生は続く。物語は佳境へ。

著者プロフィール

作家

「2017年 『現代作家アーカイヴ1』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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