葬送 第二部(下) (新潮文庫)

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  • / ISBN・EAN: 9784101290362

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  • 「葬送 第二部(下)」平野啓一郎著、新潮文庫、2005.09.01
    476p ¥660 C0193 (2023.09.19読了)(2014.01.18購入)
    イギリスから戻ったショパンは、少しずつ病状が悪化してゆきます。著者は、その様子を克明につづってゆきます。喀血の様子などは、目の前で繰り広げられているかのように錯覚してしまいます。最後には、とうとうこと切れてしまいます。題名になっている「葬送」の模様も綴られ、遺産の処分の模様も綴られています。祖国ポーランドは、ロシアに占領された状態で、遺産をまとめて保存することは、かなわなかったようです。
    読み切るのが、結構大変だったけど、読み終えてよかったです。

    【目次】(なし)
    十三~二十七
    主要参考文献
    解説  星野知子

    ☆関連図書(既読)
    「ショパンとサンド 新版」小沼ますみ著、音楽之友社、2010.05.10
    「ショパン奇蹟の一瞬」高樹のぶ子著、PHP研究所、2010.05.10
    「愛の妖精」ジョルジュ・サンド著、岩波文庫、1936.09.05
    「ショパン」遠山一行著、新潮文庫、1988.07.25
    「ドラクロワ」富永惣一著、新潮美術文庫、1975.01.25
    「葬送 第一部(上)」平野啓一郎著、新潮文庫、2005.08.01
    「葬送 第一部(下)」平野啓一郎著、新潮文庫、2005.08.01
    「葬送 第二部(上)」平野啓一郎著、新潮文庫、2005.09.01
    「ウェブ人間論」梅田望夫・平野啓一郎著、新潮新書、2006.12.20
    「三島由紀夫『金閣寺』」平野啓一郎著、NHK出版、2021.05.01
    (アマゾンより)
    病躯を引きずるように英国から戻ったショパンは、折からのコレラの大流行を避けてパリ郊外へ移った。起きあがることもままならぬショパンを訪なう様々な見舞客。長期にわたる病臥、激しい衰弱、喀血。死期を悟ったショパンは、集まった人々に限りなく美しく優しい言葉を遺す。「小説」という形式が完成したとされる十九世紀。その小説手法に正面から挑んだ稀代の雄編。堂々の完結。
    ショパン生誕200年のメモリアルイヤーを彩る、美と感動の長編小説

  • イギリスから帰ってきたショパンはさらに体調を崩し、パリ郊外へと移住する。ゆっくりと死へ向かっていくショパンと彼を慕い、取り巻く人々とのやり取りが繊細なまでに描きこまれ、読んだあとにため息が出ました。

    本書で「葬送」は完結します。もちろん。主人公であるショパンの「死」という逃れることのない結末ですが、一歩。また一歩と死へと向かっていく彼と、彼の音楽を愛し、また、彼の人柄を慕う周りの人々とのやり取りが、壮麗な文体とともに描きこまれます。

    渡英し、すっかりと体調を崩したショパンがその体を引きずるようにして戻ってくると、そこもまた、これらの大流行ということで、それを避けるためにパリの郊外に移ったショパン。しかし、彼の身の内に深く巣食った病はその衰えを知ることはありませんでした。

    もともと頑健でない彼の体に訪れる長期にわたる病臥、激しい衰弱、 喀血。それを見舞う客たちのくだりは、本当に読んでいて悲痛な気持ちになりました。ショパン自身も何度も主治医を変え、彼らに当り散らし、ついには自分の殻に閉じこもってしまうところには、やはり「病人」としての不安が顕在化したものなんだと思いました。

    自らの死期が近いと悟ったショパンは自らの「今後」のことや今までに彼がしたためた楽譜や手紙などの「始末」をするべく、遠くポーランドから家族を呼び寄せ、母親であるサンド夫人と不仲になっている娘のソランジュに彼女と仲直りをするようにいったり、その夫であるクレザンジェにも、真心を尽くした言葉をかけているのが印象的で、改めて彼の繊細な心がこちらにも伝わってくるようでした。

    一方のドラクロワのほうも、その詳細が描かれているのですが、ショパンの最後があまりにも印象的過ぎて、彼がなくなった後にしばらくしてから大泣きした。ということしか覚えておりませんでした。

    やがてショパンは彼を慕うものに囲まれながらその最期を遂げ、残された手紙や彼が愛用していたピアノ。そして彼の遺体は解剖にかけられ、その心臓は防腐処置を施された上で、故郷であるポーランドに帰る、という場面になると、本当に泣けてしまいました。結局のところ。経済的な都合で手放さざるを得なかったショパンの遺品の数々は彼の弟子であり、彼を慕い続けたジェイン・ズターリング嬢によって落札され、ショパンの家族に寄付されたのだそうです。その後も彼女は生涯にわたって、独身を貫き、ある意味で彼への愛に殉じた、といえると思います。

    この豪華絢爛な芸術絵巻、実を言うと重厚すぎて敬遠していた節があったのですが、これを読むように僕の背中を後押ししてくれたのは、誰あろう作家の平野啓一郎氏であり、彼にツイッター上でこれを勧められなければ、おそらく永遠に手にすることはなかったでしょう。この場を借りて、平野啓一郎氏には感謝御礼申し上げます。まことに、有難うございました。

  • 第四巻。
    最終巻は壮絶な戦いの巻だった。
    ある者は病と、ある者は老いと、ある者は失われた絆を取り戻すため、ある者は名誉のため、ある者は愛する人への想いを貫くため、ある者はこの生活を守るため…。
    登場人物の全てが皆、何かのために戦っていた。ある者は赤々と燃え盛る炎のような怒りを剥き出しにして、またある者は、青白く燃える焔のように、静かに、でも確かな温度を持って。

    読みながらずっと頭の片隅にあったのが、この物語ははたして、何に向けての葬送曲であったのか、という問いだった。
    物語の中心が夭折した音楽家の「死」であり、主たるモチーフがその「葬送」の場面であることは言うまでもない。
    しかしこの長い物語の中で、著者はもう一人の主人公の言葉を借りて、全く別のあるものに向けていくつかの追悼の言葉を綴っているようにも思えた。

    第一巻の冒頭で、プレリュード的にショパンの葬送の一場面が描かれていたことが思い出される。思えばショパンは、この物語では初めから、決定づけられた「死」の象徴として描かれていたのだろう。
    それに対してドラクロワは、時に感情的でありながらも常に思索的で、創作に苦悩し、時に怠惰で、より人間的に、芸術家的な側面を強調して描かれているように思った。つまり彼は、少しずつ忍び寄る「老い」を恐れながらも、それでも生きていこうとする「生」の象徴なのだろう。

    そのドラクロワが、友人の死を乗り越え、新しい作品へと踏み出すところで物語は終わる。
    登場人物たちは皆、他の何物でもない「生きる喜び」のために戦っていたのだろう。
    もしかしたらこの物語は、「死」そのものへの「葬送」の物語だったのかもしれない。

    読む人の年齢や経験によって、考え方は変わってくるだろう。たとえばショパンやドラクロワと同じ、所謂「芸術家」の人が読んだとしたら? 病の淵にある人が読んだとしたら? 自分自身、作中のドラクロワと同じ年齢になってこれを読み返したとしたら感じ方は変わっているだろう。

    人生のうちに一度は読んでおいた方が良い一編。生きているうちに。

  • 「人生は大きな不協和音だ」

    これを20代で書ききった作者に感銘を覚えました。
    こんな描き物をされている最中、作者はすごい濃密な空間にいたんだろうなと、想像すると畏怖を覚えました。

    人は死ぬ、という事をこの2部ではずっと突き付けられた時間になりました。

    死が身の回りから現代的に忌避されている中、こんな形でしか段々と人へ伝えられなくなってきている気もします。

    天才ショパンを通して人生の歩み方を、凡人ショパンを通して死ぬ過程とは何かを問いかける。

    読んでいる途中より、読み終えた後の今の方が、頭の中でメロディーを奏でているのがすごく不思議。

    思考から他の事が消え去るくらい、いい時間になりました。

  • ジョンジュサンドの気持ちには、あまり共感しなかった。最後くらいは会いに来て欲しかった。
    善良な個が集まって奏でられる不協和音。私たちを取り巻く現実世界をうまく表現しているなぁと思った。
    曖昧な物が重なって出来上がってる個と共同体。印象派の絵画のような文体を意識して書いたって、平野さんが天才すぎる。
    クラシック含め音楽の知識が不十分で、ショパンの演奏会を想像の世界で実感できなかったのが悔しく、今後も勉強していきたい。


  • 「ポーランド人とは即ちポーランドだ。ポーランドとは即ちポーランド人だ。
    この心のすべてが、いわばポーランドの文化の歴史だ。我々一人一人が感じ取り、考え、生み出そうとするとき、常に感じ取らせ、考えさせ、生み出させているのはポーランドだ。
    このからだこそは。ポーランドの土が育んだパンが血となり肉となったものだ。十指の先端にまでその土の恵みを知らぬ箇所はない。」

    優美で、神経質なまでに繊細、決して相手を傷つけることのない紳士的なショパンの胸の内にある、ポーランド人としての誇り、ポーランドへの熱い思いが伝わります。
    「我々の心に訴えるものは、技量というよりも精神であり、技術というよりも人間である」」という岡倉天心の言葉を思い出しました。

    ショパンのリサイタルで演奏された曲を、一つ一つ聴きながら文章を読み、とても贅沢な読書体験になりました。お勧めの読み方です。

    「どうして自分は、たったそれだけの思いやりをすら持つことが出来ないのだろう?どうして一切を顧みず、愛する人の為に何かあをしてやりたいという気持ちを抱くことが出来ないのだろう?」
    …天才ドラクロワ、切ないです。

    この他にも、サンド夫人、ソランジュ、スターリング嬢、どの人物にもそれぞれの人間性やドラマがあり、この小説を重厚なものにしています。
    とても贅沢な小説でした。

  • ショパンとパトロンのジョルジュサンドとの係わりがよく分かる。ポーランド人ショパンのパリやロンドンでの苦闘、作曲や演奏会がダイナミックに描かれている。

  • 今年は5年に1度開催される『ショパン国際ピアノコンクール(ショパコン)』の開催年、この年にこの本と巡り会い幸運でした。 ショパコンでの演奏曲もちらほらと‥
    ショパンの生に対する限りなく強い思い、執着、画家ドラクロワの鋭い洞察力、そして自由奔放、強い個性の執筆家サンド、三人が織り成す人間模様は複雑です。
    平野氏の三人三様のこと細かな心理描写・思考描写には脱帽、いやその細かさ故に疲労感さえ感じられる場面もありました。
    人の本当の心の中は誰も覗けませんですしね。

  • 本卷自1849年開始寫起,蕭邦日漸憔悴,德拉克羅瓦也從公職或アカデミー會員的願望中脫出,專心著手Église Saint-Sulpice的壁畫。本卷沒有吉村昭那麼驚悚,但也很仔細地描寫蕭邦的病狀,更一一凝視每個登場人物的內心,「ある心理を明示的に分割してひとつひとつの要素で描き、それらが読者の心の中であわさった時、直接に表現しにくい複雑な心理がいきいきと理解されるように試みた」,作者所述的手法確實寫得相當出色。還記得第一卷一開始就是一堆人在蕭邦的葬禮登場,太多名字令人不禁懷疑難道是在讀紅樓夢的丫環,作者很無情(刻意?)地在第一卷一開始設了一堆讓人搞不清楚狀況的門檻(13年前讀第一次也因此放棄),但是至此終於很順暢地全部銜接在一起,這卷反而是病中蕭邦回憶自己的童年與青春,因此倒著回溯蕭邦的前傳,也才比較清楚他生命的來龍去脈,但也因為他波蘭人(父親佛人)的身分,也讓他嘗盡苦痛,不但離家還要一直背負當初沒有為國而戰的愧疚。蕭邦的最後也是悲劇中的帶著滑稽的鬧劇,史達林姊妹號稱送給蕭邦兩萬五千法郎失蹤虛驚一場、姐姐得以終於從波蘭來照護他,而因為姊姊的信任史達林小姐又得以回到這個圈子,然而姊夫始終畏懼蕭邦的交友關係會讓他的教職蒙上陰影,非但一開始反對來,甚至最後還逼迫姐姐不准把凡登廣場的公寓設立紀念館、逼迫變賣蕭邦生前的遺物(結果史達林小姐又標到一堆重要物品),蕭邦終究因為喬治桑母女之間的意氣之爭無法再見到喬治桑,而葬禮裡面歌手搶劫要求帳價又是一場鬧劇,喬治桑母女間的確執,史達林小姐的癡情(之後甚至自稱未亡人,我的感覺和グジマワ伯爵很像,對此人非常反感)也是鬧劇一場,生命就像蕭邦所說,就像本來應該安在小提琴上的E絃卻安在低音大提琴上?蕭邦的生命如此短暫,但也可以看到他被好多人所愛,也是一種人德,只是最後依然沒放下見喬治桑一面的念頭,也是可嘆。而德拉克羅瓦曾經一度擔心年老的身體無法追上自己的創作欲,也擔心是否隨著年紀感性也在下降,然而在自然中,再度被磨銳感性又可以繼續創作,感到很欣慰。「....自然の中で時間を過ごすことが不可欠となってくるのであろう。それは惜しみなく感性を鍛え、想像力を導き、しかも他に替え難い慰安を齎してくれる。肉体に治癒力があるように、自然はそこに身を預け、一体となる時、人を自らの部分として治癒しようとするものではあるまいか」

    這部作品劇情極度濃密,末卷也有太多思索,不知為何我隱然覺得作者應該沒有把自己所思所想全部寫盡,而是讓作品本身停在該停之處,留下很多還可以再各自生長的思考空間。這場巴黎的社會實相繪圖,也讓閱讀過程相當享受,從無論政治、藝術、社會世相、心理、哲學等各個方面交織出的思考的刺激,讓人相當滿足。附帶一提,這卷令我特別印象深刻的一段就是作者代德拉克羅瓦思考(二月革命),人為何有一定要進步的強迫幻覺,這個進步的觀念是否就是一切錯誤的根源「そもそも現代に進歩という考えはこれほどまでに浸透してしまったのは何故だろう?あの変わらなければならないという一種の強迫観念の仕業であろうか。...考えてみればこれほど信仰が危機に瀕する時代に、人々がかくも熱心に世界の漸進的な改善の可能性を信じているというのは何と奇妙な光景であろうか。一国民の全員がパングロスだ。しかも、その視線の先には既に神の姿はなく、ただ茫洋として虚空に物質的な繁栄に満たされた得体の知れぬ楽園の幻影が浮かび上がっているのだ....そもそも美術に話を限るならば、あらゆる大問題はほぼすべて16世紀に於いて解決し尽されている。...その上、何を付け加えようというのであろうか?自らの創造の革新性への自負は大抵は無知の産物である、単に勉強不足というに過ぎない。..芸術が過去に於いて築き上げてきた真実の一切を顧みぬというのならば、今日の表現者達は原初の稚拙へと逆戻りせねばならなくなるだろう。現にそうなってはいないだろうか?政治も同じことだ。相次ぐ無軌道な変革の果てに、野蛮な無法状態が訪れるというのもなるほど道理じゃないか...」

    闔起這本書,想起這四卷已經在我的書架上躺了十三年,讀完也覺得走了好長好長一段路,但是也感到有些寂寞,下一次遇到這麼飽足的作品還要多久呢。

  • 結核に冒されたショパンに遂に死が訪れる.ショパンの矜持と高潔さ,一方の画壇の異端者ドラクロワの生きるための処世術と密かな望みが対比され,二人の友情を軸に,スターリング嬢を代表とする周りの人々の視野の狭さや俗さ,あるいはショパンの死に際しての悲しみ,サンド夫人親子の確執などの多層構造を,ポトツカ伯爵夫人やフランショームの言葉を借りれば「不協和音」として描いた大河小説である.
    細やかな心理描写が見事で,特にドラクロワの思考の流れに共感する場面が多々あった.また,本書の主人公は一見ショパンであるが,真の主人公はドラクロワであろう.ショパン死去,それにともなう葬儀の混乱,財産の処分などの喧噪から一歩身を引くドラクロワ.彼が取り組むことになった教会の天井画について,その希望に満ちた内容を思い描く場面で本書は終わる.
    行間から少し作者の「どうだ」という態度が透けて見えるのだが,古典を読むような重厚さがあり,非常に読み応えのある小説であった.
    恐らく再読することになると思う.

著者プロフィール

作家

「2017年 『現代作家アーカイヴ1』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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