顔のない裸体たち (新潮文庫)

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著者 : 平野啓一郎
  • 新潮社 (2008年7月29日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (194ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101290386

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顔のない裸体たち (新潮文庫)の感想・レビュー・書評

  • 平野啓一郎は初めて読みましたが、文章力の凄い作家だなあ、と感じた。
    エロス一辺倒になってしまうようなテーマでありながら、人間の内面を心に迫る文章で描いていて、結構下品な表現もありながら、エロスよりも二人の人間の心理描写が印象に残った。

  • 地方に住む地味な女教師が出会い系サイトで
    陰気で偏執的な性癖をもつ男性とセフレ関係になる。
    彼の要求は徐々にエスカレートしていき、
    ある日、行為を撮影させろと言い出す。

    個人を規定する要素が多層化する社会で、
    本名や職業、居住地といったデモグラフィックやソーシャルな属性が消失し、
    さらには衣服や倫理観、性癖といった極パーソナルな属性までも剥ぎとられ、
    その上、顔にモザイクをかけられた全裸写真や性交動画がネットで公開された時、
    「個」として残るものは何か。

    かなり生々しくエグい性描写が続くが、
    本質は後の分人思想に連なる「本当の自分とは何か」にある。
    このテーマ性を表現するために、
    これら個を成立せしめる要件がひとつひとつ取り除かれ、
    文字通りむき出しの「個」が晒されていくという、
    全編を通じてかなり観念的な世界が提起されている。

    なので、そこを読み違えると完全にただの官能小説。
    筆力が半端ないので、エロスムードも満載。
    物語性や人間の辛苦といった、
    いわゆるイメージ通りの文学作品を期待して読むと
    ずいぶんと違和感を感じる羽目になると思う。

  • てっきり現実に起きた事件のルポかと。
    でもどうやらそうではない模様。

    難解な文章を書く平野さんにしては、随分と平易なタッチで読みやすいという評価がネット上ではなされてますね。
    ただ、内容自体は新鮮味に欠けるし、平野啓一郎がわざわざ扱う題材ではない、とのキビシー声も。

    書かれたのが5年前なのでなんともいえんけど
    今となってはこういった事件というか出来事は
    決して珍しくないんだろうなあ。

    割と誰でも
    「ミッキー」や「ミッチー」になりうる可能性はあるんだと思う
    SNSが流行ってる現代はなおさら。。

  • 刺激的な描写もあるが、心理描写などの文章力が高いので勉強になる。ネット上と、自分自身の乖離、どちらが本当かなど考えさせられる。

  • こちら側とあちら側の「私」。共存しつつもその線引きがわからなくなった男と、分けて生きたい女の話。誰しもにある二面性がうまいこと表現されている。分人主義の、はじまり。

  • 10年前の小説
    出会い系、露出
    まあまあおもろいけど時代のもの感はすこしある

  • 『私とは何か――「個人」から「分人」へ』を読み、この本を手に取ったが、内容がハード。それでも平野さんはやはり凄いと思わせた一冊。

  • 平野さんの分人主義を表現した小説だという。ネット社会とセクシュアリティの問題を題材にもしている。ということで読んだ。実験的な感じかな。

    Amazonの書評を読むと「分人」への言及がほぼなかったのに対して、ブクログの書評では「分人」へ言及している人の割合が相当数いる。Amazonブックレビューとブクログのレビュワーの層の違いがこの辺に反映されていたりするのかもしれないな。


    『私とは何か――「個人」から「分人」へ』
    http://booklog.jp/users/sawataku/archives/1/4062881721

  • 平野先生の作品は 決壊 → ドーン → 空白を満たしなさい
    → 本の読み方 → 葬送 → 透明な迷宮 → かたちだけの愛
    の順番で読んできて、今この作品に至った。

    この順番で良かったかもしれない。

    平野文学は自分が今まで経験したことのない程の、
    とてつもない文章力で、読んでいて一文、一文に溜息が漏れる程。

    この作品は女性には少し受け入れにくい内容がテーマになっている。
    思わず顔を背けたくなるような描写も多い。

    これを平野作品の一番最初に読んでしまったら
    別の作品を読まなくなってしまっていたかもしれない。

    自分が手に取った一番最初の作品が「決壊」で良かった。

    しかし、皆さまの評価同様、平野先生の表現力は何を書いても
    平野文学になってしまう。
    このような難しいテーマでも十分に魅せられてしまう表現力に圧巻。

    そして、登場人物それぞれの心理描写も巧みで、
    読み終わって暫くは放心状態に陥ってしまう。

  • いまいち。
    事件の種類が違えど、社会に適応できない主人公とそれを取り巻きややもするとそれを助長させる環境や社会、というテーマは決壊とかぶるし、決壊より後に出ているのに比較にならないくらいしょぼい内容だし、別にって感じだった。
    普段見ることのできない変態の世界が見えた、という意味で好奇心が満たされたくらいかな。

  • 作家、平野啓一郎氏が描くネット社会の齎す『闇』を取り扱った小説です。地方の中学教師・吉田希美子と歪んだ女性観を持つ地方公務員・片原盈。出会い系サイトを介して二人が出会った先にあるものは…。

    芥川賞作家、平野啓一郎氏が『現代』と『性』をテーマに描いた衝撃的な作品です。最初にこれを読み終えたときはあまりのショックでしばらくの間考え込んでしまいました。もともと、このようなテーマで平野氏が執筆を考えたのは、伝え聞いたところによると平野氏があるときネットサーフィンをしていて、偶然、いわゆる『露出プレイ』をしている人たち向けの専門サイトで「そのテ」の写真を見たことに端を発するのだそうです。

    物語は二人の主人公によって進められていきます。どこにでもいるような生育暦を経て中学校の社会科教師となり、滋賀県の中学校で教鞭をとる吉田希美子の物語からスタートします。彼女は生徒の実態調査から『出会い系サイト』に「ミッキー」というハンドルネームを持ち、出入りするようになります。彼女の存在そのものが『欲望』の対象として見られるということにある種の『恍惚感』を感じつつある彼女は、地元の市役所に勤める陰気で歪んだ女性観を持った独身公務員・片原盈(みつる)でした。

    彼の生育暦や女性観に関しては具体的な描写が記されているのですが、あまりにあまりな内容ですので、ここではあえて記さないことにします。出会った二人は居酒屋でおざなりの会話を交わしたあとで、ラブホテルに行き、関係を持つことになります。それから、彼等二人のものすごく倒錯した心身のやり取りと、吉田希美子が中学校の教師として営む日常の『水と油』のように決して交わらない『二つ』の世界が続いていくのです。『行為』のどこまでも倒錯した世界は書き方によってはどこまでも下品に書くことが出来るのですが、そこをあえて行わず、本書が文学作品たらしめているのは、平野氏の持つ硬質な文体のなせる業であり、これがなければ単なる『変態カップル』の顛末というだけになっていたでしょう。

    エスカレートした二人はあらゆる『行為』を映像に、画像に収めていくようになっていきます。ある日、吉田希美子が投稿サイトに《ミッキー&ミッチー》として投稿された顔を消された自分の裸体が大量に溢れているのを目にするのです。思えばここから先が『賽が投げられた』瞬間だったのでしょう。『野外露出』や『野外プレイ』にエスカレートしていく吉田と片原。そして、ある日、学校に憎悪を持つ片原が『行為』に選んだところが自身の卒業した母校でありました、『真っ最中』に見つかった二人。捕まえようとした教師をサヴァイバルナイフで切りつけ、刺し。最後に取り押さえられる片原。何も出来ずにただおろおろする吉田希美子。崩壊へのカタルシスと、これが事件化され、二人の『行為』がマスメディアを通して世の中に晒される、というところで物語は終わります。

    本書を読み終えて、まず思ったことは、平野氏の唱える『分人』という考え方で、(この段階では言葉そのものはない)平野氏いわく「すべての分人を統合するのは『顔』である」という言葉から考えると『ミッキー』という片原盈の前で痴態を曝す分人と、中学教師・吉田希美子という分人は『モザイク』によって分断されていたのですが、事件化されてモザイクで隔てられた『分人』が統合され、『ミッキー』と『吉田希美子』という『水と油』だったものが『ひとつ』になってしまった…。そんなところに彼女の『悲劇』があるのではなかろうか…。読み終えた後にそんなことを考える自分がいるのでした。

  • 本当の自分は、淫乱?貞淑?

  • 若干人間の想像力を見くびった発言だが、男性の作家が生理の苦痛を適切な表現で過不足なく記述しているのを読むと一瞬ぎょっとする。本書の肉体に対する描写はとてつも好きだ;抑制されており端的で、性的なのに煽情でない。

    2005年12月出版。それは2002年の池田小事件からしても、出会い系サイトや素人投稿系サイトが流行りだした00年頃からしても少し遅れている。でもその時期だからこそ冷静にかけたのかもしれないし、それだから考察が深まっているのかもしれない。

    作家自体がインタビューで言っている:インターネットの世界の住人ならなんなく書ける話かもしれないが、それだと一部の世界の話とされてしまう。僕の厳格な描写でもう一度物語にして社会にちゃんと位置づける必要があった。そこまでの意識があれば言うことはない。

    以上のレビューからみてとれるように、とても共感や意義を感じる作品なのだけど、完成度という意味では中庸です。

  • 空白を満たしなさい、から遡って、決壊、ドーン、そして本作。
    こういう猥雑で「生理的な嫌悪感」というもので思考停止しそうなテーマをここまで掘り下げていく洞察力と筆致に舌を巻く。
     ドーンの「可塑整形」へと繋がるテーマでもあり、分人主義の土台となるようなモチーフである。

    「恥」という感情の存在条件、女の「本性」を妄信し、それを暴く欲求を抑えない男の執着、欲望と危惧との遠近の異なりが生む女の(間違った)選択、など随所に「卑猥なゴシップ」に留まらない心象を呈示する。とても一般受けする話とは思えないのだが、こういう題材で1つ小説を書いてしまうのは平野さんか橋本治ぐらいではないか、と思う。

    対照的に思い浮かんだのは、吉田修一の「悪人」。こちらは映画がヒットしたわけだが、地方の独身女性のネットの闇的ストーリーとしては、断然、本小説が上。

  • 露出系カップルが起こした社会事件を題材に、男と女の表と裏の顔を描く本作。

    一体いつから、セックスという名の性器の擦り合いを、肉体的接触のないフェティッシュ的な行為においても、性的興奮を得られるように現代人はシフトさせていったのか??

    今や変態が変態でなくなっているメディアによって描かれるエロに迫り、一気に読ませます。

    そして。
    「事件直後の取材では、犯人の周囲にいた者たちは、大抵彼を『ふつうの』」と評するものだが、これは無意識の社会的な責任の回避である」
    まさしく、みんながそうやって何とか世間という自分たちの住み処を保っているんだよな。

  • 男の思考が童貞をこじらせすぎてる。

    決して理解したくないのにわかってしまうのは私も寂しい人間だからなのかも。

  • 一人称はなく、ある事件に関わった男女の生育歴から出会い、そしてその事件が起きるまでの経緯が、第三者によってただひたすら淡々と描かれる。
    過激な単語も猥褻な描写も無機質。ただし鋭利。第三者の思考や感情は一切無い。(第三者は著者なのかな)
    昔話題になった映画「時計じかけのオレンジ」を思い出した。
    暴力シーンとクラシック音楽。
    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%99%82%E8%A8%88%E3%81%98%E3%81%8B%E3%81%91%E3%81%AE%E3%82%AA%E3%83%AC%E3%83%B3%E3%82%B8#.E3.83.89.E3.83.AB.E3.83.BC.E3.82.B0.E3.81.AE.E3.82.A6.E3.83.AB.E3.83.88.E3.83.A9.E3.83.B4.E3.82.A1.E3.82.A4.E3.82.AA.E3.83.AC.E3.83.B3.E3.82.B9

    事件に至る「経緯」の一部は、今日ネット社会に生きる我々のほとんどが、わずかなりとも思い当たる節があるのではないでしょうか。
    同一人物がつくり上げるネット上の存在の属性と現実の存在のそれが100%一致する人っているのかな。

  • 読まなきゃよかった。。。
    最悪

  • 「作家が何を書こうとしているのかを理解して小説を読むことは面白い」と思わせてくれた本。

    少し前に読んだ平野啓一郎が書いた「『私』とは何か」の中で、この作品についても「ネットとの関わりで『本当の自分』について考えた」と言及されていて、そのことを意識しながら読んだ。実際作中でも「本当の自分」という言葉がたびたび登場して、その文字は太字で強調されている。また主要な登場人物の一人は「本当の自分」は一つしかないと思っていて、そのことに執拗に拘っている。(そして性格的に歪んでいる)

    ちなみに話自体は出会い系サイトで知り合った男女が「顔のない裸体」のネット投稿にのめり込んでいく姿を書いたもので、わりと大人向けな気が。

  • 誰からも顧みられることのない地味な女性が、顔の見えないネット世界を媒介として、淫らな性に倒錯して行く。主人公の目に見える変化と自然な心の変遷のギャップ。誰にでも起こりうる違和のなさに肌寒さを覚える。心理分析は的確で説得力があり、目を瞠るリアルな描写に息を呑む。

  • 卑猥な状態が色々と書かれていて、電車の中で読むのがはばかられた。読んでいていやらしい気持ちになることはないので、官能小説とは全く異なるけれども、いやらしい言葉が多い。

    それでも、すっと心に落ちてくる言葉がありさすがだなと思う。

  • 「ま、『頭隠して尻隠さず』やな。」

    落語のサゲみたいなラストはちょっと好き。

  • 彼の書く文章は、どことなく固い。それは、流れているというよりも、展示しているという感じだ。しかし、その展示物の色彩が、色とりどりの感情を生み出しているのも確かに感じる。この小説もそうだと感じた。この小説に登場する人たちの感情は、まるで流れている感じがしない。けど、登場人物の心の裡では、確かな鼓動のような音が聞こえる。それは、確かなリズムを持って、読者に届くのだと思う。でも、その手法による表現については、あまりにも固いが、それでも強烈な波動を発し続けるモノなので、読者によっては、好き嫌いがはっきりと表れる作家であると感じる。彼の描く表現は、まるで熱せられ、光りを放つ鉄の固まりだ。それは強烈な存在感を放ちながら、読者の心情を困惑へと陥れる。いわば読者に対する挑戦状であると感じました。

  • 性的めざめを迎えた中年に足がかかった女と体しか愛せない若い男。社会的な居場所もある二人がエスカレートしていく性衝動につき突き動かされるように社会からずれていく。
    たぶん誰でも潜在的に持っている裏の顔、いえ体なのである。それを隠せなくなるほど野生化していく性へと成長していく。
    かなり倒錯している感もあるが、まさに顔をなくした体だけの裸体と化していく動物としての人間が描かれている。

  • ふ~む...
    結末にかけて盛り上がっただけに、エンディングに裏切られた感が残る。

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顔のない裸体たち (新潮文庫)の作品紹介

地方の中学教師・吉田希美子が出会い系サイトで知り合ったのは、陰気な独身公務員・片原盈だった。平凡な日常の裏側で、憎悪にも似た執拗な愛撫に身を委ねる彼女は、ある時、顔を消された自分の裸体が、投稿サイトに溢れているのを目にする。その時、二人は…。人格が漂流するネット空間を舞台に、顰蹙の中でしか生きられない男女の特異な性意識と暴力衝動に迫る衝撃作。

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