貝のうた (新潮文庫)

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著者 : 沢村貞子
  • 新潮社 (1983年3月発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (255ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101291017

貝のうた (新潮文庫)の感想・レビュー・書評

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  • 『沢村貞子の献立日記』 (とんぼの本)に高橋みどりが解説をかくなど、沢村貞子のリバイバルブームであるらしい。『私の浅草』に代表される、沢村の書くものにはつねに東京下町のにおいがする。本書はその料理名人の、苦み、辛みがうかがえる部分といえようか。新潮文庫版の佐多稲子による解説は胸をうつ。

  • おていちゃんの弟・加東大介の『南の島に雪が降る』には、おていちゃんの「後記」がついていて、この弟の本を読んだら、姉ちゃんの本もまた読みたくなって、本棚から古いのを出してきて読む。ずっと前から持ってて、何度か読んでる本で、この前に読んだのは2009年の暮れのこと。

    私の記憶にしかと残っていなかっただけで、おていちゃんは、もちろん弟のことも、弟の出征のことも書いていた。母は陰膳をそなえ、妻である義妹ともども「生きて帰るという望み」を捨てずに待っていた。

    8月15日、「終わったのよ、終わったのよ、私の旦那さまが帰ってくるのよ」(p.245)と言う義妹とおていちゃんは、手を握って家の中をぐるぐる踊りまわったそうである。

    戦争中、弟はニューギニアで芝居をしていた。姉は、兄(沢村国太郎)の劇団に加わって旅から旅へと芝居を続け、ゆく先ざきで皇軍慰問をしていた。そのときに、口に出して言えなかった思いを、おていちゃんは書いている。

    ▼兵舎の仮り舞台で慰問の芝居が終わると、座員一同、兄の音頭で、いっせいに、
    「大日本帝国万歳! 大東亜戦争万歳!」
     両手をあげて異口同音に叫んだ。興奮した兵隊たちも、大声でそれに和した。
     私には、それがいえなかった…どうしても。深く頭を下げて、勝利を祈るような形をとり、心の中で、
    〈一日も早く、この戦争が終わりますように…〉ほんとうに、そう祈った。
    「私はこんな戦争に反対です」
     と、ひとりで叫ぶ勇気は、もうなかった。それを、自分で恥ずかしいと思った。(pp.239-240)

    おていちゃんの生い立ちが記されたこの本を読むたび、女は女というだけで、あきらめることやできないことがいくつもあったことをつくづく感じるが、弟の本を読んだあとだけに、弟のことを書いた部分や、芝居のことを書いた部分、そして言論の縛られていった時代、戦争の時代にどんな経験をしたのかという部分が、とりわけ印象に残った。

    たとえば、女子大に通うおていちゃんにこどもたちの家庭教師を頼んだ沢村宗之助さん。「これからの役者は学問をしなければいけない。新しい風を入れなければ、やがて歌舞伎はほろびてゆくだろう」(p.56)というのが持論であったというこの役者は、ある日突然倒れて亡くなった。死因は高血圧で、若い名優の死は痛惜されたという。

    ▼役者というものは、その死とともにすべてが失われる。書いた本も、描いた絵も残らない。そのからだ一つが資本であり、会社も工場もその肉体のなかにあるのだから、子孫にゆずりわたす何ものもない。(p.57)

    あるいは、「働く人たちがみんなしあわせになるための運動は、人間としてしなければいけないことだと思います。悪いことをしたとは思いません。できれば、またやりたいと思います」(p.146)とキッパリ言い、拷問に耐えて、若い1年を刑務所ですわっていた、まじめすぎるほど真っ直ぐなおていちゃんの姿。

    最後の章のタイトルにもつけられている「一生懸命生きてみたい」というその思いが、胸に迫る。

    (2015/3/28)

    ーーーーー

    ライター社納葉子さんが、『We』163号の感想を送ってくださった。そのメールに、最近通りすがりの古本フェアで買った『貝のうた』がヒットでしたとあって、

    貝のうた!!なつかしい~

    と思う。なつかしすぎて、表紙カバーに姉様人形みたいなのがかいてあったよな…という絵しか思いだせない。どんな内容やったっけ、たしか手放さずに持ってたはず…と本棚をすみずみまで探して、古い文庫本を発見。

    1983年の新潮文庫。誰かからもらったような気もするが(可能性としては中2の時の担任だったT先生)、母の本棚あたりから借りてきたような気もするし、自分で買ったような気もするし、手に入れた経緯については記憶がアイマイ。でも、この本を読んだことと、手放さずに持っておこうと思った本だということはおぼえている。

    出てきたついでに、久しぶりに読む。ああ、そうやそうや、こんな話やったと思い出す。

    明治41年(1908年)の末にうまれた沢村貞子、「おていちゃん」の、戦争が終わった日、8月15日までの半生記。

    「自分の子どもは、みんな役者にする」という悲願をもっていた父は、子どもが生まれたときいて飛んで帰ってきて「チェッ、女か」と言ったそうである。

    男がえらく、わけても父と兄がえらいという時代。ご飯のおかずも違っていた。おていちゃんが兄のおかずを欲しがると、母は「女はなんでも文句を言ってはいけないんだよ」とたしなめた、そんな時代。母や伯母の姿を見て、「どうして、いやなことはいやと、はっきりいわないのかしらと、じれったかった」「女って哀れなものだなあ、とおもい、自分も女の子であることが悲しかった」「気の強い母マツですら、女であるために不幸だった」「今度生まれてくるときは男の子になりたい、心からそうおもった」とおていちゃんは書く。

    おていちゃんは学校がすきだった。〈学校って、なんてすてきなところだろう。大きくなったら学校の先生になろう〉と憧れていた。知りたいことが日増しにふえ、ふくれあがってゆくようで、どうしても女学校へいこうと決心する。

    当時、小学校を終えて上の学校へ進む女の子はかなり少なかったはずだ。東京はまだ他の地方に比べれば進学は多かったかもしれないが、大正の初めにうまれた私の祖母(兵庫にいた)は、やはり女学校へ行きたいと思ったときに、その祖父から「風が悪い(世間体が悪い)」と言われて反対されたと言っていた。「家のことはきっちりやります」という条件で、祖母は女学校へ通い、学校へ行く前に早くから起きて家族の朝ご飯を支度し、帰りは少しでも学校に長くいられるようにと入れるクラブには全部入っていた、と聞いた。

    おていちゃんは女学校受験の際に、担当の先生の知恵で、兄や弟が芝居の子役をしていることを言わないようにと注意されている。役者が「河原乞食」とさげすまれた時代なのだ。

    女学校在学中に関東大震災に遭い、もう女学校へ通えないと避難先から退学届を出したが、東京に家を再建するまでと下宿させてくれる級友がいて、おていちゃんは学校に戻ることができた。下宿代のかわりに友人の勉強を手伝ったのをきっかけに、家庭教師をはじめて稼ぐようになる。勉強を手伝って得る月謝収入は学費を払ってなお余りがあり、おていちゃんはほしかった本をてあたり次第に買った。

    ▼家庭教師の内職が忙しすぎて、せっかく買いこんだ念願の本が読みきれなくなったとき、これは、ちょっとおかしな生活じゃないかしらと気がついた。本が読みたいから学校へ行く。その学校へ行くために働いているのに、働きすぎて、せっかく買った本を読んだり考えたりするひまがない――これは悪循環だ、なんとかしなければ…。(p.56)

    おていちゃんは、さらに上の学校へ行きたいと考えるようになっていた。母にはこう言われている―「どうしても行きたいならしようがないけど。でも、女が大学なんかへ行ったら、それこそお嫁の口が遠くなるよ。いったい、先きざきどうする気なんだい」。

    私も言われたことがあるなあ。「女の子が大学院まで行ってどうするの」と。親に言われなかっただけ、まだいいのだろう。

    ポン女へ入ったおていちゃんは「お金の迷惑はいっさいかけません」と約束している。ほんとうは奈良の女高師へ行きたかったが、東京の家を離れることは父がどうしても許してくれなかったという。前の年には男子の普通選挙とだきあわせで治安維持法が成立していた。文部省の役人のほとんどが「女をまったく男とおなじように勉強させるのは、女子教育の行きすぎである」と考えていた頃である。

    いよいよ普選が実施された年、昭和3年(1928年)には3.15事件で多数の共産党員が投獄され、治安維持法が改正されて、死刑と無期の極刑が追加された。

    おていちゃんは、「運よく学生生活をおくることができたからこそ、私は、私の青春を充分なやむことができたのである」と書く。
    ▼社会の流れにとびこむ前に、学校という囲いのなかで、ゆっくり考えることができたのは、しあわせだった。たとえ、それからの道が、どんなに曲がりくねって、失敗を重ね続けたとしても…。(p.69)

    おていちゃんは、女子大在学中に、山本安英に導かれて、新劇女優の道をあゆみはじめる。「一生懸命はたらく、貧しい人たちに幸福を!」という考えに共感し、「働く人たちがみんな幸せに暮らせるような世の中をつくる。私はその運動に参加しているのだ」と思い、まっしぐらに進んでいった。

    芝居の観客は、学生やインテリが多かったが、労働者も圧倒的に増えてきた。ただ、おていちゃんが「ほんものの労働者階級と結びつくことができた」とよろこんでいた頃から、官憲の取り締まりが異常に厳しくなってきた。事前検閲のカットだらけで、上演時間が三分の二以下になるようなこともあったという。上演中止や上演不能なほどの検閲カットが続いた。

    そして、おていちゃんは治安維持法違反で逮捕され、留置場ですごし、「働く人たちがみんなしあわせになるための運動は、人間としてしなければいけないことだと思います。悪いことをしたとは思いません。できればまたやりたいと思います」と言って、刑務所に送られた。政治犯として、23歳の初夏から24歳の春までを市ヶ谷刑務所の独房で、おていちゃんはすわっていた。

    "転向"文書を書いて保釈されたあと、組織の指導で地下にもぐったおていちゃんは、再び捕まる。取調室で拷問も受けたが、けっしてしゃべってはいけないと痛さに耐えた。身体の痛みがやっと癒えてきた頃、おまえの夫がゲロったからおまえは捕まったんだと聞かされたおていちゃんは、心の折れる思いをする。組織の指示で、思想と運動のためにむすびついたような結婚だっただけに、疵は深かった。おていちゃんは執行猶予付きの判決を受けて釈放されたあと、誰も信じられない思いで、運動から離れ、映画女優の道に入った。

    前に読んだときにどんなことを思ったのかは今まったく思いだせないが、このおていちゃんの話を手元に置いておきたいと思ったのは、前に読んだときも今も、同じやろうなあと思う。
    (2009年12月14日)

  • 『寄り添って老後』を読んでから密かにずっと
    興味を持っていた沢村貞子さん。
    幼少から女優になるまでの半生を描いた『貝のうた』を読む。

    強さ、潔さ、優しさ、人が欲しいと思うあらゆるものを
    兼ね備えた少女だったんだ、とこれを読んで感じた。
    彼女にお手本なんてなかった。
    信じられるのは自分の頭。自分の心。

    感動した。

  • 何度読み直しても心にしみる大切な本

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