この世をば 下巻 (新潮文庫 な 13-7)

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  • Amazon.co.jp ・本 (473ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101292076

作品紹介・あらすじ

30歳で一躍トップの座に踊り出た道長は、兄道隆の子伊周の排撃にも成功した。そして娘の彰子を一条帝に入内させ、やがて待望の男子が生まれる。かくて一手に権力を握った道長は、抜群の平衡感覚で時代を乗り切り、"望月の世"を謳歌する-。"権力の権化"という従来のイメージではない、人間味溢れる平凡な男としての藤原道長を描き出し、平安貴族社会を見事に活写する歴史長編。

感想・レビュー・書評

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  • 藤原兼家の三男・道長は、長兄・道隆、次兄・道兼の病死により、いちやくトップの座に躍り出る。
    995年、30歳の道長は右大臣となり、同時に藤原氏の氏の長者になった。

    時の天皇は一条天皇。
    道長の姉・詮子の子である。
    道隆の子・伊周(これちか)との権力争いは、詮子の後押しで勝つことが出来たのだ。
    それでも、伊周の妹の定子は一条の中宮で、安定した仲。
    伊周は博学な才子で、公卿の会議の席で道長をやりこめることもあった。
    伊周の弟・隆家はまだ17歳だったが気が荒く、花山法皇との間に事件を起こして墓穴を掘り、兄とともに都から放逐される。(花山法皇は兄弟の父・道隆の計略で天皇位を退いた人物でまだ29歳だった)

    道長は娘の彰子がやっと入内できる年齢になったので、さっそく一条天皇に入内させる。
    ところが、兄弟の不祥事で一度は尼になって退いたはずの定子が、妊娠しているとわかり‥
    道長は一条と仲が悪かったわけでもなく、政治的には協力体制だったが、妃たちを巡っては何かと力の押し引きが始まる。
    道長がただ強引だっただけではない、複雑さが読みどころ。

    雅な歌会や華やかな行事のかげに、疫病の恐怖、付け火による火事も度重なる時代。
    朝廷の人間は庶民のことなど考えず、出世競争に明け暮れていた。
    内裏が焼ければ再建費用を出したり、自分の屋敷を進呈したりする。
    一条天皇は道長が進呈した屋敷を気に入り、内裏再建後もよく滞在していたという。
    天皇一家が貴族の屋敷に行幸した後は、その褒美として位階が昇進するってのが、すごい。

    大病をすれば呪詛のせいと思い、治すには祈祷だけが頼り。天皇家の人間の病気には恩赦が行われる時代。
    伊周、隆家も恩赦で都に戻ってくる。
    道長も病気をすると気弱になり、引退を口走った。

    才気にあふれカリスマ性があった長兄・道隆や、野心的で激しい性格の次兄・道兼に比べると、平凡な男だったのではないかという。
    それゆえにバランス感覚があり、ほかに政治をこなせる人材もいなかった。
    彰子に子が生まれなければ最高権力の座は望めないが、二人の男子を出生し、道長は栄華を極めることとなる。
    だが関白になると別格となって公卿の会議に列席できなくなるため、関白の座につくことはなかったという。(御堂関白は俗称)

    実資といううるさ型の人物が「小右記」という当時の記録を残していて、その視点がところどころ挿入されているのが面白い。
    藤原氏の本流の嫡男という意識があり、教養もあって、九条流の三男でしかない道長に批判的で、何かと意地悪なことを書いたり悔しがったりしている。
    彰子の入内を祝う屏風に、貴族たちがこぞって歌を進呈したのにも参加しない。とはいえ、面と向かったときには愛想良くしていたらしいが。
    彰子は長じて穏やかな女性に育ったようで、この実資にも何かと声をかけたという。
    事態の推移が良くわかり、面白かったです。

  • 平凡な末っ子なんだが兄貴が早死、甥は出過ぎて左遷。何もしなかったが故に生き残っていく。
    平凡児の常識が政治における平衡感覚となるのだ。
    自信満々の道長像を覆す長編。

  • 藤原道長といえば平安時代、娘が次々に帝の后になり栄華を極めたというイメージがあるが、そこに至るまでも骨肉の争いがあり、身もだえするような苦しみがあり、頂点に立ったと思われた時にも不安はしのびよっている、そんな一生だったのだなと思った。幼い帝とその外祖父ばかりが注目されがちだが母后の影響力がかなり大きかったことも興味深かった。

  • あれよあれよという間に、道長が権力者になってしまいましたね。
    道長は何を考えていたのでしょうか。
    本当に権力者になりたかったのか、イロイロと考えさせられます。
    何よりも倫子の視点で書かれているのが面白いです。

  • 藤原道長は、道隆、道兼の有力な二人の兄をさしおいてついに、藤原氏の氏長者となり、権力の中枢へと駆け上がっていく。
    倫子と明子の二人の妻を愛し、子沢山でもあった。ギラギラとしたタイプではないのだが、うまく世の中を渡り歩く事となる。
    平安期をここまで生き生きと描ききるとは、すごいですね。

  • 「平凡児」
    藤原道長と聞いてこの言葉を連想するのか?
    一般的にイメージするのは、娘を天皇に嫁がせ生まれた皇子を天皇にたて権力を我がものにした。
    多くの人はそうイメージするのではないでしょうか。私もその1人でした。
    ですが、永井路子さんの書く道長は全く違う。
    「平凡児」故に無難な道を模索し辿り着いた最終地点だと。
    その観点は今までになかったので、意外と共に衝撃でした。が、不思議と読んでいて違和感がない。
    当時の道長は本当に「平凡児」だったのかもしれないと思えてしまう。
    「この世をば」からはじまる和歌を詠んだ当人だけでなく、道長をとりまく情勢、ライバルの公卿たちや2人の妻、長女をはじめとする三人の后など女性にも焦点があたり、多方面から「平凡児」を捉えていてとても面白かったです。






  • 藤原道長の時代にタイムトリップできます。

  • 再讀之後對於命運的奇妙與時勢的浮沉感受更加深刻。尤其是伊周的遭遇和他的掙扎,實在讓人不勝唏噓。不過意外地道長也沒有想像中地一帆風順。作者認為他平凡也是他可以保持政治平衡感的主因,會比較意識和包容,但同時也保有不如歸去的諦念。

  • 右大臣となった道長の最初の大きな試練は「長徳の変」。続いて定子の懐妊。後世の我々だからこそ、“定子が最初に産むのは皇女”と知っているが、成人前の娘を持つ権力者の苦悩たるや、如何ばかりか。
    とまれ後半、偉くなってからの道長は色んな所で描かれている像と特段変わり映えしない。
    ところで藤原実資って何故「面倒臭いうるさ型」キャラ設定が確立されているんでしょ?あと、明子所生とは言え、五女・尊子と六男・長家は何故いつも端折られるんでしょ?
    まあしかし、この時代に2人の室との間に儲けた六男六女が全員成人したってだけでも道長の強運は推して知るべし。

    あと下世話ながら感心したのが、道隆存命時は全く懐妊しなかった定子が、中関白家の没落と共にポロポロ出産するようになる辺り。特に、敦康親王の百日の祝で入内した短期間で第三子を妊むとか、もう読んでるこっちが小っ恥ずかしいわ〜。人間も、所詮はDNAの生存本能に突き動かされるミームマシンなんだなあと(爆)

  • 挫折

  • 火事が多い

  • 「この世をば 我が世とぞ思ふ 望月の 虧けたることも なしと思へば」藤原家の絶頂。ラッキー☆ボーイ藤原道長の物語。

     外戚というものを理解するのに役立つ。

    ______
    p44 定子の子
     道長は兄:道隆の三男:伊周と政治権力を争った。伊周の妹:定子が一条帝の子供を授かったことで、道長の娘:彰子が中宮になれるかが危うくなってきた。
     しかし、伊周は定子の懐妊を極秘にしていた。なにか妨害工作をされないように慎重になったのだろう。しかし、ここまで道長は本当にツイテいる。兄:道隆の生前には望まれてもできなかった定子が今更妊娠した。道隆一族が地盤を固める前その隙に道長はトップに躍り出た。
     さらに、この時の定子の赤ん坊は女の子だった。彰子の地位がとりあえず守られた。
     天皇の外戚になるかが覇権を決める当時の朝廷は、娘が天皇の男の子を産むかという強い運を引き当てた者が勝つという、心に悪い場所だった。

    p93 道長評
     道長は実力でのし上がってきた人間ではない。運でいつの間にかトップに躍り出た、だから、最高位についても凡人の感覚を忘れなかった。それはむやみな驕りや地位への執着を起こさない、冷静さ、平衡感覚になった。そう描かれている。
     たしかに、できる人間は頂点を極めると発狂することがある。もはや一般人とは異なる境地にたどり着いてしまうためか。そういう人が舵取りをする船は恐ろしい。
     トップになる人物は、どこか一般人の心を忘れない、心の隙があるほうが良いんだろうな。

    p115 幸運とは恐ろしい
     道長の感想。世の人は道長を幸運の男とうらやむだろう。しかし、本人にすれば幸運でこんな魑魅魍魎が跋扈する朝廷で人々の恨みを買うなんて、幸運とはなんなのかと言いたくなるのも分かる気がする。

    p137 賢帝:一条
     一条帝は才覚は乏しいが、当時の天皇を比較すれば賢帝に入る。庶民への配慮や財政の能力はないが、文化を奨励し神仏を崇敬し、道長の提案で倹約令を実施するなんて当時の権力者としては非常に清廉な人物である。

    p142 二后並立問題
     一条帝の妃には道隆の女:定子がいたが、道長は娘の彰子を入内させるため、定子を皇后として彰子を中宮に据えた。これは先例のない、二后並立問題として道長のゴリ押しとして有名である。

    p187 怨霊を恐れて
     道長はなかなか帝の子供を解任しない彰子のために「御嶽詣で」をやった。きっと誰かの呪詛のせいで妊娠しないと思ったのだろうか。少子から悪い憑き物が落とされるよう体を張ったのである。そういう時代。

    p225 有頂天の道長を案じて
     道長の妻:倫子は幸運で政治権力の階段を駆け上ってきた道長の変化を憂いた。道長は間違いなく運によって出世した。しかし、ここまでくるとこの強運も自分が引き寄せたものだと感じてしまうのも仕方がない。実際、彰子の子供が生まれたのも自分の御嶽詣での努力の成果だと思ったのだろう。
     当時は言霊信仰があったのだから、自分の幸運も引き寄せたものだと考えたのも自然である。

    p256 道長vs三条帝
     一条帝の次代:三条帝と道長は対立した。朝廷の権力を握り、専横に近い道長の在り方に反発したようだ。人事問題でもめた。しかし、体調を崩して(張力視力を失う)三条は政治参加ができなくなり、後継者工作でさらに道長一族が実権を支配することになる。

    p265 刀伊の襲来
     日本が外国勢力の大規模な侵入を受けたのは、元寇と太平洋戦争とこの刀伊の襲来の三度と言える。
     1019年の春に九州北部を刀伊の賊が襲撃し、略奪された。博多の筥崎宮でなんとか押し返したが、双方甚大な被害を受けた。

    p267 この時の政権
     刀伊の侵入を受けた時の朝廷は「すわ!一大事!」と大慌てだったが、彼らがやったことと言えば各地の警護の強化と諸社寺への祈祷命令だけである。こんな時も神頼み。
     さらに、この刀伊の役で守護にあたった戦後褒賞もなしにした。無慈悲に思えることだが、中央政府が出先機関の独断専行に褒賞を与える先例を作ると、各地で独断専行が横行し、中央の危機の種を撒くことになる。シビリアンコントロールのために妥当なことであるとも見れる。そういう意味でも、この刀伊の事件での朝廷の対応は現代に通ずる問題提起をするじつに興味深いことである。

    p271 兄から学んで
     道長は長年その地位にいた左大臣の地位を離れ、摂政になった。しかしその翌年にはあっさりその役も藤原頼通に譲ってしまう。権力の地位に固執した結末をそれまで多く見てきた道長らしい、凡人の才覚と言える行動である。

    p283 この世をば…
     三条帝は早世した。その後を注いだのは後一条帝(母は道長の女:彰子)その東宮を決定する際に、藤原済時の孫:敦明親王が東宮に決まっていたが、彼がまさかの辞退をしたため、敦良親王(母は彰子)が東宮になり後の後朱雀天皇になった。またしても棚から牡丹餅で道長一族に皇位継承権が転がり込んできたのである。
     すごく、すごい。

     こんなにツイてツイてツキまくるラッキーマンならこんな和歌もつい歌っちゃうのも分かる。

     この世をば 我が世とぞ思ふ 望月の 虧けたることも なしと思へば

     道長一族の世が永遠に続きそうな気がするよ、そりゃあね。

    ______


     僕はやっぱり平安時代はそんなに好きになれない。だったら戦国時代の男臭い物語の方が好きだ。単純な奴だな。きっとHunter×Hunterで言えば強化系の念能力者だな。

     でも、この道長のラッキー☆サクセスストーリーはオプティミスティックな感じで好きになった。

     こいつ、リアルなラッキー☆マンだな。

  • バリバリエリートではなく、小心者で堅実な道長が、帝や東宮に次々と娘を入内させ、ついに権力を手にする。人間らしい道長に親しみが持てた。

  • 藤原道長一代記の下巻。

    疫病のために自分より上位の公卿が次々と世を去り、
    いよいよ権力の座に上り詰めようとする道長。
    道長に対抗していた伊周とその弟の隆家も次第に落ち目になる。

    前半生は、一介の平凡児でありながら、
    皇太后である姉・詮子の後ろ盾を得て、
    幸運に恵まれながら出世してきた。
    平凡児であるがゆえ父・兼家、兄・道隆や道兼とは異なり、
    果断さや激しさはないものの、優れた平衡感覚で時代を生き抜く。

    権力をほしいままにした、というイメージのあった道長に、
    一人の人物としての彼の生き方に面白い解釈をあたえた小説。

    蔵人頭としてはたらく藤原行成が、一条天皇と道長との橋渡しをする、
    勤勉で有能な官吏として描かれていた。

  • 永井路子の本はほぼ読破しています。最も好きな時代作家。残念ながら手元に残っていない本を「読みたい」カテゴリ登録してるけど、かつて一度は読んだ(笑)。

  • 九州3位に入賞したときの指定課題作品。

    永井さんの歴史小説は本当に読み応えもあって好き。
    しかも、ドラマチックなのにさらっとしている文体なので、長い作品なのにずっと読んでしまう。
    特に道長が引退するあたりの描写はさらりとしているのに、畳み掛けるような感じで、よい。

  • 大好きな作品。だけど本を紛失してしまったので、また見つけたら買っておかなくちゃ!

  • 2009/7/19 チェック済み

  • 課題図書

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著者プロフィール

(ながい・みちこ)1925~。東京生まれ。東京女子大学国語専攻部卒業。小学館勤務を経て文筆業に入る。1964年、『炎環』で第52回直木賞受賞。1982年、『氷輪』で第21回女流文学賞受賞。1984年、第32回菊池寛賞受賞。1988年、『雲と風と』で第22回吉川英治文学賞受賞。1996年、「永井路子歴史小説全集」が完結。作品は、NHK大河ドラマ「草燃える」、「毛利元就」に原作として使用されている。著書に、『北条政子』、『王者の妻』、『朱なる十字架』、『乱紋』、『流星』、『歴史をさわがせた女たち』、『噂の皇子』、『裸足の皇女』、『異議あり日本史』、『山霧』、『王朝序曲』などがある。

「2021年 『小説集 北条義時』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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