寺内貫太郎一家 (新潮文庫)

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  • Amazon.co.jp ・本 (295ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101294018

感想・レビュー・書評

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  • 日本の家父長制度の典型的な家族像がある。父は無口で、手が早く、でも情に厚い。母はそんな父を支えながら、子供や周辺に明るく振る舞う。
    笑いと涙が自然にこみ上げる向田邦子ならではの代表作。

  • 「祭りばやし」「初恋」という話が良かった。昭和の生活、季節を感じられる傑作!

  • 何度目かの再読。

    令和になって読んでみると、世の中いろんな価値観が変わってきているが、なんだろ、やっぱりじわっと温かいものが込み上げてくる。
    そして久世さんの解説もまたいい。凄くいい。
    山藤さんの文庫のカバーもいい。

    よって評価の星の数変わらず。

  • 1974年に民放で連続ドラマ化され、高視聴率を得た作品。巻末の久世光彦氏の解説が良い。

  • 小林亜星主演でテレビドラマになった寺内貫太郎一家。原作なのかノベライズなのかは判然としない。おそらく原作かなと思っている。
    昭和の価値観満載で、歴史的価値すら持ち始めているのではないかと思われる。
    解説にドラマ企画時の裏話が載っているのが貴重。向田邦子は最初は貫太郎を亜星が演じることには反対だったとか。

  • 大好きな向田邦子作品の中でも大好きな作品。
    登場人物全員がクセがあるも憎めず。。
    泣けて笑えて、唯一無二だけど昭和のどこにでも転がっていそうな貫太郎一家。もっともっと、この家族に会いたかったなぁ。

  • 「向田邦子」の処女長篇小説『寺内貫太郎一家』を読みました。

    「小林竜雄」が「向田邦子」の奇跡を辿った作品『向田邦子ワールドの進化 ― 没後20年を迎え、今初めて明かされるドラマと小説の謎』を読んで、久しぶりに「向田邦子」作品を読みたくなったんですよね。

    -----story-------------
    「貫太郎」のモデルは、私の父「向田敏雄」である。
    よくどなり、よく殴り、5年前に亡くなった。
    お線香代りに、ちょっぴり「立派な男」に仕立て直してお目にかけた……。
    口下手で怒りっぽいくせに涙もろい、日本の愛すべき“お父さん"とその家族をユーモアとペーソスで捉え、きめ細かな筆致で下町の人情を刻み、東京・谷中に暮す庶民の真情溢れる生活を描いた幻の処女長編小説。
    -----------------------

    『寺内貫太郎一家』は1974年にTBS系列の水曜劇場枠で放送された人気テレビドラマ(平均視聴率31.3%を記録)だったので、子どもの頃に何気なく見ていたことを断片的に記憶しています。

    本書は、そのノベライズ版で「向田邦子」の処女長篇小説として発表された作品で、以下の12篇で構成されています。

     ■1=身上調査
     ■2=石頭
     ■3=びっこの犬
     ■4=EGG(エッグ)
     ■5=ネズミの一日
     ■6=蛍の光
     ■7=ビー玉
     ■8=親知らず
     ■9=いたずら
     ■10=祭りばやし
     ■11=梅雨の客
     ■12=初恋

    昨年読んだ『せい子・宙太郎』と同じく、笑いあり、涙ありの、心温まる下町人情ドラマで、特に『EGG(エッグ)』と『祭りばやし』は、読んでいて思わずウルッ… となっちゃいましたね。


    『EGG(エッグ)』は、「石貫」の職人「タメさん」が風邪をひき「寺内」家で看病してもらうことになり、ひとつ屋根の下で暮らすことで、家族の温かさを再認識する物語、、、

    熱が下がったのに、まだ熱があるように見せかけて長居しようとしたり、

    「周平」の我侭が許せず親子喧嘩に飛入りしたり、

    そして、アパートに戻ってから、同居しているベテラン職人「岩さん」に居心地はどうだったかと問われ「いや、うるせいのなんの。ああ箸の上げ下ろしに文句いわれちゃとてもいられねえな。ハハ。みんなよく我慢してるよ」と強がりを言ったり、

    その気持ち、よくわかるなぁ… と思いました。


    『祭りばやし』は、お手伝いの「ミヨ子」が夏祭りの手伝いを頼まれるが、その日は母親の命日だったので素直に手伝うことができない、、、

    事情を知っている読者は、拗ねた「ミヨ子」の態度に共感できるのですが、登場人物たちは「ミヨ子」の我侭な行動と思い込み、「ミヨ子」を責める… その理由がわかったあとの「貫太郎」の行動は素早かったですね。

    巧く感情移入できるような構成になっていますねぇ… 良い作品でした。


    登場人物の一人ひとりが個性的でキチンと性格付けされており、とても魅力的に描かれていますね… 読んでいると気付かないうちに感情移入してしまっていました。

    心の機微が巧く描かれている物語… 大好きですねぇ。

    タイトルの付け方も秀逸… 見習いたいものです。

    「向田邦子」は、こんな良い作品を、もっともっとたくさん書いて欲しかったですねぇ。




    以下、テレビドラマの主な出演者です。

    「寺内貫太郎:小林亜星」
     主人公。
     50歳。
     寺内家の主人・頑固親父。

    「寺内里子:加藤治子」
     貫太郎の妻。
     48歳。
     和服姿でいつもてきぱき働いている。

    「寺内周平:西城秀樹」
     寺内家の長男。
     19歳。
     浪人中で父と激しく喧嘩する。
     原作では西城秀樹に似ていると書かれている。

    「寺内きん:悠木千帆(樹木希林)」
     貫太郎の実母。
     70歳。
     沢田研二の大ファン。

    「相馬ミヨコ、相馬美代子:浅田美代子」
     寺内家のお手伝い。
     17歳。
     新潟からやってきた。
     高校3年の5月に母を亡くして親戚に引き取られたが、その親戚の家の金銭事情を察して高校を中退している。

    「倉島岩次郎(岩さん):伴淳三郎」
     「石貫」の職人で、職人暦50年のベテラン。
     山形出身で大阪に息子夫婦がいる。
     若い頃、きんに想いを寄せて求婚したこともあった。

    「榊原為光(タメさん):左とん平」
     「石貫」の職人。
     29歳。
     貫太郎に啖呵を切っては、毎回必ず痛い目に遭う。
     独身でアパートに一人暮らしをしており、家族の温かさに憧れたこともあった。

    「ウス:三浦寛二」
     「石貫」の職人で、花くまの知り合い。
     第18話より登場。

    「花くま:由利徹」
     「石貫」の向かいにある花屋「花くま」の主人。
     独身。

    「寺内静江:梶芽衣子」
     寺内家の長女。
     24歳。
     4歳の頃の事故で左足が不自由。

    「上条裕也:藤竜也」
     静江の恋人。
     子持ちでバツイチ。

    「上条マモル:芦沢竜介」
     上条の連れ子。
     フィンガー5のメンバー・玉元妙子のファン。

    「秋本幸子:吉行和子」
     上条と別れた元妻。
     上条とは嫁姑問題のもつれから離婚、姑の希望から、マモルとは引き離された。
     その後姑が他界したこともあり、上条やマモルには未練を抱いている。
     しゃぶしゃぶ屋で働いている。
     ひと月に一度、マモルと会えることになっているが、我が子恋しさから上条の留守に約束を破ってさつき荘を訪れ、静江を困惑させたこともあった。

    「寺内貫次郎:谷啓」
     貫太郎の腹違いの弟。
     豆腐屋を営んでいる。
     第26話で豆腐屋が火事となり登場。

    「ふみ子:浅茅しのぶ」
     貫次郎の妻。
     第26話より登場。

    「京子:市地洋子」
     貫次郎の長女。
     第26話より登場。

    「和夫:白石浩司」
     貫次郎の長男。
     第26話より登場。

    「お涼:篠ヒロコ」
     居酒屋「霧雨」のおかみ。

    「倉田:横尾忠則」
     居酒屋「霧雨」の常連客。
     岩さん、タメなどからは「だんまり兄さん」と呼ばれている。

    「諏訪チエコ:加茂さくら」
     居酒屋「霧雨」の常連客。

    「毛利:毛利久」
     居酒屋「霧雨」の常連客。
     洋服屋を営む。

    「マユミ:いけだももこ」
     周平の恋人。

    「きみ子:藤園貴巳子」
     居酒屋「霧雨」の従業員。

    「雄さん:伊藤高」

    「金子みさ:野村昭子」
     さつき荘(上条の住むアパート)の管理人。
     上条と静江の仲を応援してはいるが、付き合いの長さから幸子との付き合いのほうに重点を置いている。
     甘いもの好きで、ポケットには常に菓子が入っている。



    もう一度、観てみたいなぁ… 

  • 昭和だなー。
    シナリオライターらしくすごく読みやすい文章。3.5。

  •  ゴールデンウィークに入る前、髙島屋の月刊誌で、この本についての太田光のエッセイを読んだ。昭和50年に刊行され、ドラマ化もされたこの小説。今から40年以上も前に書かれたのに、未来を予見していたかのように現在の社会の様子を描き出している、と太田は言っていた。

     具体的には、「祭りばやし」という章で、町の人々が祭りに浮き足立っている様子を、お手伝いさんのミヨ子が冷ややかな気持ちで眺めるシーン。ミヨ子は母親を一年前に亡くしており、祭り当日が命日だったので、一緒に楽しめる気分ではなかった。でもみんなの雰囲気に水を差してはいけないとずっと我慢してきた。それでも態度には出てしまい、それが原因で一家と喧嘩になってしまう。自分の態度を責められ、ついに我慢できなくなったミヨ子は、母の命日であったことを告白し、同時に、みんなが祭りに浮き足立って、先に解決すべき問題の数々から目を逸していると怒りをぶつける。

    「みんなから寄付を集めて、そのお金で飲んだり食べたり騒いだりーーーバカバカしいと思わないんですか。道だって凸凹だし、街灯だってついてなくて暗いとこだってあるのに、町内会の人が酔っ払うのにお金使って」
    「朝からドンドンピーピーお囃子流してーーー病気の人だって心配ごとある人だっているのにーーー非常識だと思います!」
    「幸せな人だけが楽しんでるんです!私、お祭りなんて大嫌いです!」

     40年も前に書かれたこのセリフが、今、オリンピックをどうにか開催しようと躍起になっている一部の日本人を表しているかのようだ、と太田は言っていた。時代を超えて真実を描き出す力がすごいなぁ、と私も思った。

     大変なこと、未解決の問題があるから、楽しいことをするのは良くない、という自粛の精神は好きではないけれど(3.11の翌日だった結婚式を延期せざるを得なくなり、結局一年半「自粛」した十年前を思い出している)、大事なのはバランスなんだろうなぁと思う。楽しいことを挟んで、明日からまた頑張ろうと思えるのであれば、建設的で有意義なのだけれど、「楽しいこと」そのものが目的になってしまうと、未解決の問題はそのまま置いてけぼりになってしまう。オリンピックはどう考えても、後者に見える。問題(コロナの感染者が減らないこと、それに伴って医療従事者の負担が増えたり、飲食業についている人々の収入が不安になったりしていることなど)はいったん置いておいて、の「いったん」が長くなりすぎるし、オリンピックの開催期間中も人々の暮らしは続いているわけで、その保証はどうするのだとか。「とりあえずオリンピックで楽しんで、テンション上げて、終わったらまたコロナ対策とかいろいろ頑張ろうぜ!」というレベルのイベントではないと思う。

     こうやって書いていると、私はオリンピックに反対なのだな、と感じる。これまで明確にどちらのポジションも取ってこなかったけれど、書いていてしっくりきているというきとは、そういうことなのだろう。

     私が反対しようがしまいが、世の中は変わらないし、オリンピックはきっと開催される(あるいは私の意見とは全く関係ないところで中止が決定される)。でもきっとそうであっても、自分の立ち位置みたいなものを持っておくことは必要なように思える。口論するつもりもなければ、違う意見の人を論破しようとするつもりもない。ただひとつの芯のようなものとして、自分の立ち位置を決めることにする。そしてその芯のようなものは、柔軟であったほうがいいと思う。事実に基づく柔軟さを持ちたいと思う。その場の感情や、社会から読むことを求められる「空気」に惑わされない、事実に基づいた柔軟さを身に付けたいと思う。

  • 再読。昭和49年に放送されたテレビドラマの小説。ドラマを見ていた記憶があるのだが、本当だろうか。あらためて読み返してみると子供が見て面白がるドラマではないと思うのだが。貫太郎の優しさが理解できたとは思えないのだが。でも読みながら不思議と役者の顔や舞台セットがきちんと浮かんでくるのだ。久世光彦さんのあとがきは泣かせてくれます。

  • いやぁ良かった‼︎わたしだけでしょうが泣けて笑ってしまう作品でした☆配役が頭の中で再生されて、ドタバタしたちょっと重い話のはずなのにあのドラマのおかげで軽快に読み進めることが出来ました☆これはオススメですよ!続編読みたいくらい(笑)

  • 軽妙で洒脱な言葉が気持ちよく身体に響き 読みながら 泣いたり笑ったり照れたり・・・
    僅かにテレビで見た記憶があり ジュリ~~~って 思わず吹き出していた
    最近では自主規制なのか使ってはいけない言葉も 堂々と並んでいて それもまた物語の風景が心に飛び込んでくる大事な要素だった

  • 寺内貫太郎の言動は過激だが嫌じゃない。暴力的な作品は好まない私でも、カラッとした気持ちよささえ感じた。ドラマも観たい。

  • 個性的な家族を中心に話が進んでいく。一部を学校のテスト問題で出されて、内容が気になっていた。男気ある人間って今の時代減ってきたんだなとしみじみ感じてしまった。

  • 小説というよりは、ト書きが地の文になった台本みたいな感じ。
    台詞がテンポ良く行き交い、地の文にもほとんど接続詞がつかず、じっくり味わって読むというよりも文章に引っ張られて読んだ感じ。

    ドラマを見ていたわけではない私でも、なんとなく人物の動きが目に浮かぶのは、やはり脚本家としての力なのだろう。

    しかし、寺内貫太郎一家って、昭和のいつ頃が舞台なのだろう?
    私は昭和40年代くらいかと思っていたのだけど、そうすると、日常的に着物を着ている女性の多さや、お手伝いさんのいる生活っていうのがちょっとピンとこない。
    私が知らなかっただけで、普通だったのかしら?

    私が子どもの頃、友達のお母さんたちは洋服だったよなあ。私の母も。
    両親と祖母、23歳の娘と20歳の息子。
    料理は母が、買い物は姉娘が行っている家庭で、お手伝いさんは何をやるんだろう?
    中途半端に近い時代なので、逆に変なところがいろいろ気になってしまったのは残念。

    でも、時代とは関係なく、寺内貫太郎はいい男だ。
    家族を殴るのはよくないけど、不器用で生真面目で人の心の機微に長けていて、何より奥さんに惚れていて。

    お手伝いのミヨちゃんが思いのほかトラブルメーカーで、貫太郎に腹を立ててハンストをしたり、気を使って親の命日を内緒にしたばっかりに、堪えきれなくて家を飛び出す羽目になったり。
    家族が互いに互いを思いやる姿が、温かくていいのだね。
    ミヨちゃんも家族なのよ。
    娘の恋人の連れ子も、面と向かっては認めないけど、心の奥では家族になっちゃってるのね。
    いい男だなぁ。

  • 向田邦子はエッセイしか読んだことがないので初小説。
    ドラマ『寺内貫太郎一家』は毎回見ていた記憶はないのだが、それでも小林亜星と西城秀樹の取っ組み合い、樹木希林の「ジュリぃ~」は覚えている。
    この小説の文章は、そのシナリオを小説ぽくしたものなのだろうか? 箇条書きみたいで妙に淡々としている。
    ただこういう世界は嫌いではないので、違う作品を読んでみよう。
    巻末の久世氏の解説は泣かせる。

  • いわゆる「昭和のカミナリ親父」というべきか。時には横暴だけれど、根本は繊細で心優しい「愛のあるげんごつ」をふれる貫太郎に不器用だなと同情しながらも「いいなぁ」と感じてしまった。色々あって人生なんです。こんな人現代にはもういないんだろうなぁ。

  • 向田邦子さんの本が今でもとてもファンが多いと聞いて一度読んでみたいと思いました。

    寺内貫太郎一家は若い頃テレビで観て、人情味とユーモアのあふれるお話だったと覚えています。あらためて本を読んで、貫太郎の人柄に時々涙が出ました。

    小林亜星さんを貫太郎役にすることに向田さんが反対していて、ようやく納得してもらったと聞きました。すごくぴったりな配役だったと当時も思いました。

    楽しい小説でした。

  • 東京の下町の人たちはこんな風だ、と示したような話。口より手が早い親父。でも気持ちは素直であったかい。周りもいい人ばかりだ。皆が影響しあって高めていってる。テレビドラマでの小林亜星と西城秀樹のつかみ合いをふっと思い出した。13.10.14

  • 昭和ってこんな感じなんだろうなと想像できる本でした。寺内家の会話、喧嘩などに心がホクホクしました。

    貫太郎のような大人は今の時代には少なくなっているんでしょうね。
    ドラマは見たことはありませんが、小林亜星さんや樹木希林さんが出ていたのは知っていたのでとてもイメージしやすかったです。
    リアルタイムでドラマ見たかったと心から思いました。

  • 読んでいたらドラマの場面が鮮やかに甦りました。
    懐かしい!
    ドラマは何度も何度も繰り返し見たのに、原作を読んだのは初めて。
    これを読んであのドラマがいかに原作に忠実だったのかが分かりました。

    まず物語の最初に登場人物の紹介があります。
    寺内貫太郎一家は石材店を営む一家。
    その長である貫太郎は体重100kgを越す巨体。
    怒りっぽくて涙もろくカッとなると口より先に手が出る。
    その妻でのんびりした性格の里子、長女の静江、長男の周平、貫太郎の母きん、お手伝いのミヨ子、石工職人のイワさん、タメ公、向いの花屋の主人、花くま。
    それらの人々が織り成す、日常的で人情味あふれるお話。

    この人物紹介で、長男周平の紹介に『人気歌手の西城秀樹そっくりだといわれている』には笑えた。
    だってドラマで実際に西城秀樹が演じていたから。
    そして何と言っても祖母のきんが面白い。
    これはドラマでは樹木希林さんが演じていましたが、本の中でもドラマと同じように、食事中に飯粒を飛ばしながら下品なことをわざわざ言う。
    それを見て、周平が「ばあちゃん、汚ねえなぁ」と文句を言う。
    それに周りの人間が合いの手を入れて、最後にはオヤジの雷が落ちるといった具合。
    その雷も平手でペシャッとか拳固なんて甘いもんじゃない。
    何しろあの巨体から繰り出すパンチ。
    それを受けた周平は縁の下に吹っ飛ぶ。
    「げっ!!」とか思うも「またいつものが始まったよ」とこちらも楽しんでそれを見る。
    同じように登場人物たちも「また始まった」くらいなもんで、適当にご飯を食べていたりする。

    何て単純で素朴な世界。
    だけどそこには気遣いがある。
    何も考えずに言いたい事を何でも言っているようでいて、その実、相手の触れられたくない事やこれ以上言ってはダメという境界線を暗黙の内に知っていている。
    その空気感が好き。

    子供の頃は小林亜星さん演じる貫太郎が恐かった。
    あの巨体に細い目。
    しかも怒ると手がつけられないくらい暴れて女子供も殴る。
    だけど嫌いじゃなかった。
    時には人の子供も殴る貫太郎。
    でも見えない所で、殴った当の本人も大粒の涙を流している。
    もうこういう時代には戻れないし、行き着くことも決してないのだと思う。
    だからこれを見て声を出してカハカハ笑いながら、どこか淋しい気持ちにもなる。
    そして最後には感動して涙がこぼれました。

  • 油断してたら泣かされた。
    後書きもいい。

  • 昭和の家族ドラマといえばやっぱり向田邦子!
    この本は、テレビドラマ「寺内貫太郎一家」を向田先生ご自身でノベライズしたもの。
    もちろんドラマもすばらしいですが、小説版のこちらも筆が冴えわたってキレッキレで味わい深いです。

  • 向田邦子は「日向」のことを、「陽なた」と書いていた。確かにやさしい。

  • 2012.11.19

  • 寺内貫太郎一家
    〈貫太郎のモデルは、私の父 向田敏雄である。よくどなり、よく殴り、5年前に亡くなった。お線香代わりに、ちょっぴり「立派な男」に仕立て直してお目にかけた…〉。
    口下手で怒りっぽいくせに涙もろい父親とその家族をユーモアとペーソスで捉え、きめ細かな筆致で下町の人情を刻み、東京?谷中に暮らす庶民の生活を描いた幻の処女長編小説。

    ■石頭
    …振り払おうとする貫太郎の胸倉を取って、里子は言った。
    「あの子がただのいっぺんだって、足のことであたしたちに文句を言ったことがありますか。生まれついてならいざ知らず、あたしたちの不注意であんなことになったのに」
    「お前は関係ない!」
    「あの子がケガしてから、あたしは十一月が大嫌いになりましたよ。運動会のかけっこ、あの子はにこにこしながら一生懸命に駆け出して、ビリになるの可哀想で…それでもあの子、ごほうびの鉛筆を『ハイッ』って、お父さんに上げてたじゃありませんか」

    向田邦子 著
    寺内貫太郎一家

  • 当然、フィクションだとわかってはいます。あくまで理想のひとつに過ぎないのもわかっています。けれど家族間での悲しい事件が少しも珍しくなくなってしまった今では、ちょっと物騒だけど毎日のように喧嘩を繰り返しても愛情と信頼で結ばれている寺内貫太郎一家のような家庭の風景が、昔はどこにでも広がっていて、今もどこかにあると信じたいのです。貫太郎が不器用にも程があると言いたいくらいに不器用なのですが、それが可笑しくて、愛おしくて、格好良くて、泣かせてくれます。時に本気でぶつかりあいながらも、支えあう家族の姿は素敵です。

  • 2012.9.16読了。

    なんていじらしい!ちょいちょい涙出た。いいなぁ。

  • 20120607 リアルにテレビで見ている時より感じるものがあった。活字の良いところだと思う。今のドラマにはこの泥臭さが必要かも。

  • 昭和に放送されたドラマの原作。その読みやすさとセリフ回し主体の構成は「原作?ノベライズでないの?」と思うくらい情景が浮かぶ。最初の登場人物紹介はまるでオープニングテーマが頭に浮かぶようだ。

    下町人情物語だがこの平成の世の中では、またいい感じに熟成されて内容を堪能することができる。高度経済成長で移り変わる価値観の中で翻弄される一家。職人気質で頑固な寺内貫太郎だが、娘、息子が新しい価値観を家庭に持ち込み騒動を起こす、というプロットは現代でも描かれる親と子のコミュニケーションの物語だ。

    しかし、今の時代から見てこの時代の家庭のなんと盤石で温かいことか。昭和ではトラブルと問題だらけのような家庭でも今の世の中から見れば温かさに満ちあふれている。現代にこのような光景は残っているのだろうか。

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著者プロフィール

向田邦子(むこうだ・くにこ)
1929年、東京生まれ。脚本家、エッセイスト、小説家。実践女子専門学校国語科卒業後、記者を経て脚本の世界へ。代表作に「七人の孫」「寺内貫太郎一家」「阿修羅のごとく」。1980年、「花の名前」などで第83回直木賞受賞。おもな著書に『父の詫び状』『思い出トランプ』『あ・うん』。1981年、飛行機事故で急逝。

「2021年 『向田邦子シナリオ集 昭和の人間ドラマ』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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