オンナを降りない女たちオトコを降りる男たち (新潮文庫 か 44-5)
- 新潮社 (2012年9月28日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (222ページ)
- / ISBN・EAN: 9784101294551
作品紹介・あらすじ
出産しようと中年になろうとキレイなままの「美魔女」たち。バブル時代に青春を謳歌し、「恋愛至上主義」が蔓延るなかで大人になった彼女らは"年相応に老いる"ことさえ拒むのか。降りようにも降りられない「オンナ」という道はいったいどこへと至るのか。それを見る男たちの本音とは?男女の心と体の深淵を追求し続けてきたルポライターによる、これ以上ない赤裸々なレポート。
感想・レビュー・書評
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オンナを降りない女の方がボリュームある内容。
女の生き方や価値観ってほんとさまざまになったよなあとあらためて実感。
そして、女の敵はやっぱり女だともほんとうにそう思う。
私みたいに女偏差値が低い人間でも女の見栄や意地は低いなりにあるものだから、目立ちすぎない勝ちの演出の必要性はよくわかる。
個人的には『負け犬の遠吠え』関連での「勝ち負け」という表現自体は好き。だってそれが本音でしょって思うし、そこを認められない人がこんなにもいることにびっくりしたクチだし・・・。話がそれちゃった。
結論。本音トークでお腹見せられるのってすごくおもしろいし、救われると思うんだけどなあ。 -
気になるタイトルとともに、内容もなかなか考えさせられる。
男も女も性を意識してイケてると思う反面、そんな自分に疲れてしまって楽になりたい気持ちもあり、そんな40代、50代の情況が垣間見える。
考えは人それぞれだが、夫婦としてどういうふうに関係を築いていくかはふたりの努力次第な部分が多いと思う -
ピアノ師匠が「これを読め!」とプレゼントしてくれた。扱っているものは「性!」だが、著者の嘘偽りない生き方、人を眺める視線の温かさが素敵♪彼女の著作をもう5~6冊読んでみようと思う。
(師匠、芸の肥やしになるものを、いつもありがとう!) -
不倫のノンフィクション。
不倫が人を傷つける行為である以上、許される事ではないし不倫をしている人もそれは承知しているから見つからないように行動するし背徳感、罪悪感が生まれる。
そもそも倫理観なんて一人一人違う。皆自己都合で生きているのだから倫理観も自分に都合のいいものになっている。一回くらい許してよとかキスならok?とかそんなレベルから、メールも許さないという人もいる。
とにかく誰もが不倫をする(される)可能性はあるし、その可能性はいつ訪れるかわからない。人類が地球の覇者になれたのは価値観の多様性があったためと言われているけど、隙あらばものにしようという涙ぐましい不断の努力も人類の繁栄の一因なのかもしれない。 -
「女は死ぬまで女なのだ。」
化粧や服、自分への投資は惜しみなく、クリスマスには都心の高級ホテルで恋人と過ごす、など恋愛至上主義のうちに青春時代を送った、いわゆるバブル世代が中年となった現代。「いつまでもキレイでいなければならない」という呪文の内に、自らの「老い」と折り合いがつけられない彼女たちはいったいどこへ向かおうとしているのか。自身も50を超えたという著者が中年男女の本音を探る。
中年と呼ばれる域に入り、「今の自分の年代が着られる服が無い」と悩む女性は少なくないのではないだろうか。街にあふれるのは自分よりはるかに若い女性向けの服ばかり。そうかと言ってデパートやスーパーで売っているウエストがゆるく、スカート丈がダサいミセス服は着たくない。50代前後の世代は昔でいえばりっぱなおばあさんで、一昔前ならば自然とそうしたファッションに落ち着いていったのだろうけれど。
「若作りしているイタイ女とは思われたくないが、汚いおばさんにもなりたくない」そういう悩み一つとっても今の中年女性のあがきというか、著者いうところの「オンナを降りようにも降りられない女」の存在を実感する。本書ではそういう女性たちにインタビューすることにより「いつまでもきれいで異性に女性として見られたい」現代の中年女性の意識を明らかにしていく。
40代、50代でもエステに通い、美しく化粧して、先端のファッションに身を包み「美魔女」とまで呼ばれる女性がいることについて、著者はどうしてそこまでして「キレイ」でいなくてはならないのか、無理をしているのではないか、と言う。いくつになってもオンナを磨く事を怠らない彼女たちを取材した結果、女が「きれいになりたい」気持ちにはいくつかのパターンがあることがわかる。
一つには「自分自身のプライド」。次に「幸せな女に見られたい。特に同性の目から見て」さらにここが一番核心だと思われるが「男に性的対象として見てもらいたい」。歳を取ればとるほどつのる「老化」への危機感に反してその欲求は高まるのだという。「女は若くキレイでなくてはいけない」という世間の価値観はさらに彼女たちにプレッシャーとなってのしかかる。結果的にオンナを降りようにも降りられない女が社会にあふれることになるのだ。
無理して若い女性に張り合うような女であるよりも年齢なりの良さ美しさがあってよいのでは、という著者からして、取材を重ねていくうちに、仕事ではスカートにハイヒールを履き、爪を赤く染めている自身こそ、その深層に「異性に女として見られたい」本音があったことを発見する。
女がいつまでも女でありたい一方で男たちはどうか。全体として女が経済的に自立し男と対等であることを望むようになった結果、恋愛も勝ち負けで考える女が多くなったのだと言う。恋愛の場面においても実は女性のほうが強く、かつてのように「男が弱い女を守る」という風潮はなくなり、男性は恋愛に臆病になり「草食系男子」などと呼ばれ、歳を経てみれば早々に男女関係の土俵から降りる男が女性に比べて多いのではと推測している。
「70歳になっても男を勃起させられる女を目指す」―今年54歳を迎え、本書の中で自らも「オンナを降りない女」であることを認めた著者・亀山早苗さんの気概は奮っている。老人ホームで認知症の女性に化粧を施し口紅をさしてあげたところ、幸せそうに微笑んだというエピソードはしばしば聞かれるところだが、女は死ぬまで女なのだ。周囲がどう見ようと思おうと、本音の部分においてオンナを降りることなんてありえない。男性の皆さま、よく覚えておいてください。 -
とかく生きていく過程で、性的なものを除いたとしても男と女の関係が占める割合はとても大きい。結婚を始めとする男女関係がその人個人の評価にもなる。これがいいに傾向であるにしろそうではないにしろ、そうした傾向はすぐに変わるものではない。とすればそれに応じた対応をしなければどうしようもない。そんなものが開き直りからか積極的に発動したのが「オンナを降りない女たち」でありニヒリズムからか消極的な反応を示したのが「オトコを降りる男たち」であるように思う。
「オンナを降りない女たち」と「オトコを降りる男たち」それぞれを考察することによって、それぞれが誇りに思っているもの、依存しているもの、執着しているものが見えてくる。それらが交じり合うことによって、男女関係を形成するもの、すなわち男性の魅力と女性の魅力とその結びつき、それが家族を作って集団を作って・・・そんなものにつながってくる。
性や世間に対する赤裸々な言動から著者のカッコ良さが伝わってくる。ルポというよりも自己の直接的体験を交えたエッセイ色がのほうが強い。老若男女、男女関係の仕組みを知りたい方々に。 -
今は年相応に老いることも大変。
オンナとしてキレイでいなければならなくそこを降りられない。
2013.11.15読了 -
男を降りる。楽なような寂しいような。
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男も女も大変だなあ。