河岸忘日抄 (新潮文庫)

  • 488人登録
  • 3.97評価
    • (56)
    • (47)
    • (48)
    • (5)
    • (1)
  • 56レビュー
著者 : 堀江敏幸
  • 新潮社 (2008年4月25日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (405ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101294735

この本を読んでいる人は、こんな本も本棚に登録しています。

有効な左矢印 無効な左矢印
村上 春樹
村上 春樹
三島 由紀夫
有効な右矢印 無効な右矢印

河岸忘日抄 (新潮文庫)の感想・レビュー・書評

  • 読み始めた事のみを理由にして読了するには、多くの時間を費やしすぎた気がします。

  • 10年くらい前に買って、何度も途中で挫折し、結局読み終えるのに今日までかかってしまった。

    にも関わらず、
    10年間ずっと大切な本だった。

    孤独である、ということに、こんなにあたたかい日の光を注いでくれる小説を、他に知らない。

  • 子供の頃は一分一秒毎に将来の夢が変わった。女優にもお花屋さんにも宇宙飛行士にも教師にもなりたかった。
    でも、本当はもうなりたいものになっていることに気づいていた。それは「何かになりたいけど、なれない(ならない)」自分であって、何かにならなければ、何にでもなれることを知っていた。

    この本に描かれた、河辺にひっそりと漂い続ける生活は憧れる。でも、「憧れる」じゃ少し足りない。この幼児みたいな丁寧な生き方を、私達はおそらく「知っていた」。
    ためらい続けることの贅沢さ、何にもならないことの自由さ、悲しみを悲しみと定義することで陳腐化してしまう悲しさ。
    それと、自分を必ず迎えに来るKみたいな得たいの知れない結末の存在。
    そんなことを。

    なんか、この本は感想を書くことで感想が失われてしまいそう。
    そういう儚い本。

    あとは、これは忘日じゃなくて、覚日抄だよなあって思った。

  • ひとの何倍も働いてきた「彼」がそれまでの生活を清算し、異国の地の河に繋留されている船を借りて日々を過ごす。備え付けの本棚から本を出して読み、レコードをかける。クレープを焼きコーヒーを挽いて淹れ、郵便配達人と飲む。大家を訪ねて箴言の数々を聴き、母国の知己である男性と手紙を交わす。
    親しいエッセイのようで、読み進めるうち「彼」からいつ自分にも手紙が届くだろうかとさえ感じ始めたが、「彼」は一切の他者との関わりを躊躇いつづけているひとなのだった。
    正直者すぎる「彼」が人生という河の途中で(しかも河の上流のほうだ)動かない船に乗って躊躇い続けることを選んでいる時点の思考の軌跡は、あたかも「彼」の逡巡のようでいてその実己の逡巡を読み上げているかのようだ。だが、やさしい。日本の知己である枕木さんの思慮深い手紙、その言葉遣いの明晰さがきらきらと光る。
    他者なくしてあり得ないのが人の一生だが、そこにこんな止まり木があると思うことは、ちょっと、とてもすてきだ。主人公とともにたゆたいに身を浸すよろこび。そっとしずかにあり続ける肯定感。


    読む本の選択と暗喩のすばらしさも特筆に値する。特にブッツァーティはこれの先にでもあとにでも読むとさらにたのしさが広がるはず。
    このスピンオフとも言うべき枕木さんの小説が『燃焼のための習作』なので、たのしみはつづくのだった。

  • ひさしぶりに長い小説を読んだ。

    だが「読んだ」ということが「読了」を意味することであるのならば、ちょっと違うような気がしてくる。
    「読み終える」ことに意義を付さないものがこの文章・・というより堀江氏の文体にはあるようなのだ。

    「ためらい」つつ、変奏しながらどこまでもつづいていくような・・

  •  セーヌ河に浮かぶ船で人が暮らしている姿を見たことがあるだろうか。あれは「ペニッシュ(平底船)」とよばれる住居だ。水上生活者といえばランクの低い生活と思われがちだが、とんでもない。セーヌ川の河岸に泊まるペニッシュは「億ション」もザラにある。しかも河岸に停泊できる艘数に制限があるため、何年も順番待ちが続く。停泊料もかかる。しかし一戸建てが許されないパリ20区の中で、独立した住まいを持つにはこれしか方法がないのだ。
     そんな事情を知ってこの本を読むと、主人公の暮らしがリアルに思い描けるかも知れない。何をしているのかわからない主人公の「彼」。隠遁生活とも言える暮らしの中に、時々パリジャン、パリジェンヌが入り込んでくる。しかし彼らが去るとまたひとりの暮らしに。しかし船暮らしは快適なものらしい。船底を打つ波音。頭上に広がる星空。早朝には舳先で鳥がさえずり、日々の暮らしはとてもパリとは思えない静けさだ。ほうれん草を茹でてオムレツ風グラタンを作ったり、雨の湿気を含んだバゲットをオーブンで温め、バターとグラニュー糖をかける(簡易ラスクである)。本を片手に済ませる食事。気が向いた時にかけるレコード。
     かつてはパリに多くいたであろう「思索する人」が、いまもこうして棲息しているのかも知れない。セーヌ河岸を早朝に散歩しながら、「彼」の生活を覗いてみたい気持ちになる。

  • 生きていること、それはいろんな意味で移動すると言うことで。物理的にも心理的にも。けどその移動の影響をあまり受けない生き方というのもまたあるわけで。本来移動するための「船」が動かない状態で存在し、その中で生活すると言うのはどういうことなのだろう。主人公がフランスのセーヌ川のほとりに係留されている船の中で始めた生活は、動くことを拒否し変わらないことのなかで移動していくものをぼんやり眺めているというようなもの。ひっそりとした秋の雨のような物語。

  • 主人公は「彼」、と三人称で語られているにも関わらず、一人称小説にも読めてしまう。
    現実の小説、音楽、絵画や事件を絶妙に織り交ぜつつ、相変わらずの堀江節で全ての境界線を曖昧にしたまま物語は「彼」の思考を追いながら少しずつ「対岸」へと向かっていく。

    「彼」と関わる人物の中で、やはり印象深いのは「大家」の老人と「枕木さん」。
    その言葉はどれも箴言で、どきりとさせられたり唸らせられたり。

    ところで、堀江さんの本にはいつも素敵にくたびれた(つまり、旧いけれど趣味の良い)存在感のある雑貨や調度品と、シンプルで素朴だけど手間ヒマを惜しまずに作られたものすごく美味しそうな飲食物が出てくる。

    特に、食べ物関係は食欲を多いに刺激されて溜息が出るのだが、今回は、ガラパゴス産のコーヒーと、バターたっぷりにグラニュー糖をまぶしたクレープが猛然と食べたくなった。あと、マルメロのジャムってどんな味なのか気になる。
    あ、それと。チェーホフ、読んでみようと思いました。

  • ついている付箋の数がすごい。

    すすめていくほどに、暗雲が立ち込めてありながらに少しずつ見えてくる隙間と、気持ちの移動の跡。
    答えを求めないことを肯定することを否定されることが多い中、このような本を読めたことが嬉しい。

  • 美文に疲れて休憩中。
    文章にも、「乱調」が必要なのかも。

  • この方の他の作品は少し私には柔らかすぎるか、気取りすぎていて合わないのですが、これは好きで、繰り返し読んでいます。でも、一度も通読できていません(笑)。初めて手に取った10年くらい前に比べて、今なら感じることも違うかもしれないと思って再読。

  • ” 料理を駄目にしたのはテフロン加工だ、と彼はつぶやく。 ”

    この言葉はもう、私の座右の銘みたいなものになっていて、かなりの頻度で心の中で唱える。
    卵焼き、目玉焼き、オムレツ....ほぼ毎日、卵を使った料理をするのだけど、疲れていたり、イライラしていたり、余裕がなかったり、焦っていたり、そういう状態で卵を扱うと、大抵失敗する。フライパンにひっついて取れなくなって、ボロボロになる。私のフライパンのテフロン加工は、もうとっくに取れてしまっているから、頼れない。

    ” 納得のいく焼き加減にするためには、一、二分のあいだ、全神経をフライパンのうえに集中し、自分がこの世に生まれてきたのはオムレツを焼くためだ、世界はふたりのためにではなくオムレツのためにあると言い聞かせなければならない。 ”

    生活の中に、こういった卵と向き合う様な時間は必要で、せかせか、イライラ、わたわた生きていると、何のために生きているのか見失う。彼のように繋留された船の上で暮らすようなことは実際にはできないけど、河の流れに身をまかせるように生きていけたらな、と思う。

  • セーヌの「河岸でぼんやり日を忘れる」ことが今の「彼」の仕事です。

    「彼」は何かを見極めようとしています。
    大きなものか、それとも日常の違和感の正体を見極めようとしているのか。

    日本からパリにきた目的は、ためらうために、という説明がしっくりきます。

    そんな「彼」には、エンジンを積みながら河岸に留められ、時には曳航されて移動できる異郷の船上生活はうってつけの住まいです。

    「ためらうことの贅沢とは、目の前の道を選ぶための小さな決断の総体を受け入れること」
    パリでの発散しているような数々のエピソードや回想が、「彼」の中でためらいと接点を持ち、交差し、作用しあいます。

    「わかりません」と老大家の問いに答えてしまったら、見極めせずに違和感を切り捨てることになります。

    小さな決断と行動が蓄積されれば、ためらいがいつか実を結ぶ可能性も。

    ゆっくりと感じる時間の流れの中でのためらいは、慌ただしい時間の流れに身を任せている私には贅沢に映ります。

  • 再読。衣服を選んで着るように読む。
    「拙訳」の語が気になる。

  • 河岸の船に住むことになった男性の、何でもない日常。
    大家さんや、配達夫や、少女や、遠く離れた友達との交流。

  • うーん,仕事をドロップ・アウトしたと思われる男性が船の中でだらだら暮らす姿を描く.こういう生活を送ってみたい.休暇中に読むのが良いのではないかなあ.

  • 大家とのとあるつてで、はじまる船上生活。
    それは岸の片側に停泊し、どこへも流れ着くことはない。

    その中で送る暮らし。
    本を読んだり、レコードを聴いたり、
    母国の知人と連絡を取り合ったり。
    ごくまれに訪ねてくる郵便配達夫や小さな少女と
    珈琲を飲みながら、クレープを食べながら語らったり。

    そういうとりとめのない日常を送りながら
    思考は船のようにたゆたう。

    葛藤を抱えながら「留まること」という一片に。

    それはさながら岸の片側につながれた船のように。

  • BSフジ「原宿ブックカフェ」のコーナー“あの人が買う本”で登場。

    http://www.bsfuji.tv/hjbookcafe/highlight/06.html

    お気に入りの一冊、堀江敏幸 「河岸忘日抄」を手にとり、
    『基本的に暗い文章がすきなんです・・・』とはにかんで微笑まれたKIKIさん


    原宿ブックカフェ公式サイト

    http://www.bsfuji.tv/hjbookcafe/index.html

    http://nestle.jp/entertain/bookcafe/teaser.php

  • この作品は、『雪沼とその周辺』で受けた印象と、またタイトルから想像していたものとは随分と違った内容だった。河岸に係留された舟を住居とする「彼」の視点で、淡々と日常(とはいうものの、通常のそれとは違って、旅の中にあるような一種の非日常)や思索が語られていくのだが、ある意味ではかなり難解な小説だ。「彼」が「私」であったなら、これは小説ではなく、エッセイとして読まれてしまうかもしれない危うさがそこにはあるからだ。

  • 堀江敏幸「河岸忘日抄」読んだ http://www.shinchosha.co.jp/book/129473/ たぶんセーヌ、に浮かぶ居住舟で音楽と読書とコーヒーに明け暮れる日々。主人公の職業(日々の糧を何で賄っているのか)は最後まで判らず、全体にサナトリウム感が漂う。ベットから窓の景色を綴っているような(つづく


    タルコフスキー、白い封筒、インクの切れたファクス、霧、ワイン樽の中の死体、病室、晩秋の公園。全体が灰緑色の膜に覆われ、どうやら人生の一時休止中と見える日々が続く。小説の引用や物語に絡めた内省が多くこの本自体が読書案内にもなっているという堀江の得意技にまた読書欲が刺激される(つづく


    起承転結もなく事件も謎解きも仕込まれていないので、本を開いたどの頁からでも読み出せる。そういう意味では本当に日記だな。中等遊民という表現は、経済事情だけでなくその漂泊生活に心底では馴染んでいない、馴染めない小市民的な不安感や罪悪感も感じさせる上手い表現だなと思った(おわり

  • しばらくかけて少しずつ読んで、きょう読了。ずっと気になっていた堀江さんを、ようやく。
    つかず離れず、というような、とつおいつ、というような、たゆたいながら、でもどこかにうっすらと緊張の漂っている感じのする文章。途切れそうな細さで紡がれつつ、でもやはり途切れず、緩急がないわけではないけれど、どうしてか凪いだ印象を受ける。そうしたことを、静かに、けれど意外とはっきりと肯定する姿勢を感じる。それに共感するとともに、あと少し、それをことばにせず浮かび上がらせるかたちで書かれていたらもっとよかったのに、との思いもちょっとあった。このあたりは好みの問題、かもしれないけども。
    身を浸しているときの感覚が、とても心地よくて、好き。堀江さんもう何作か読んでみたいなぁ。

  • 河岸に繋いだボートで生活する男がひたすらためらいがちに生活してる、なんだかとらえどころのない話。あんま好きじゃない感じがしましたが、読んでみたらするっと読めてしまいました。面白いかってえとまた違う気もするが…

  • ゆったり読書したい人へオススメ

  • 読み中の感想→佐々木敦の絶対安全文芸批評で名前を知り、初めて読んでみた。
    多和田葉子っぽい言葉遊び&イメージの飛ばし方な感じがして、読んでいる間よく頭によぎった。
    田中小実昌っぽい緻密さを感じつつも、それよりも有意味な感じがしている。
    シーンによって、ふっと村上春樹なんかも思い出したりした。
    まだまだ読み中なので相対的な感想ばかりだけれど、、
    ゆっくりと時間をかけて読むがよろしの本な気がする。

    読後の感想→ようやく読み終えた。一言で言うならば、とても美しい小説であった。「小説」と出来上がった言葉で表してよいものか、、読み終わった時に初めて小説、と私たちが呼んでいるものに収斂されてゆくという印象もある。
    まさしく河岸に打ち寄せる波のような一冊で、大きなうねりや小さなうねりがぶつかりあったり引き寄せあったりしながら複雑な水面を描いてゆく。何かをわかったような気にもなるし、しかしそれを言葉にしようとすると判然としてしまい、この本によって何を自分が得たのか、うまくいうことが出来ない。
    だけど、この、うまくいうことができないという現象に対して真摯に立ち向かっている(というより、寄り添っている)この作品を前に、「うまくいえない」で済ませてしまうなんて失礼な気もする。

    繊細で無駄がなく、緻密で、誠実で、美しい本だと思う。

全56件中 1 - 25件を表示

河岸忘日抄 (新潮文庫)の作品紹介

ためらいつづけることの、何という贅沢-。ひとりの老人の世話で、異国のとある河岸に繋留された船に住むことになった「彼」は、古い家具とレコードが整然と並ぶリビングを珈琲の香りで満たしながら、本を読み、時折訪れる郵便配達夫と語らう。ゆるやかに流れる時間のなかで、日を忘れるために。動かぬ船内で言葉を紡ぎつつ、なおどこかへの移動を試みる傑作長編小説。

河岸忘日抄 (新潮文庫)の単行本

ツイートする