朽ちていった命:被曝治療83日間の記録 (新潮文庫)

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  • Amazon.co.jp ・本 (224ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101295510

作品紹介・あらすじ

1999年9月に起きた茨城県東海村での臨界事故。核燃料の加工作業中に大量の放射線を浴びた患者を救うべく、83日間にわたる壮絶な闘いがはじまった-。「生命の設計図」である染色体が砕け散り、再生をやめ次第に朽ちていく体。前例なき治療を続ける医療スタッフの苦悩。人知及ばぬ放射線の恐ろしさを改めて問う渾身のドキュメント。

感想・レビュー・書評

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  • 「完全版チェルノブイリの祈り」の解説で梨木香歩さんが取り上げていて知った一冊。東海村の臨界事故で被曝し亡くなった作業員の壮絶な治療記録。今更ながら、内部から身体を蝕んでいく放射線の凄まじい破壊力、前例のない症状に衝撃を受けた。“延命治療”をめぐる議論は残っても、医療チームが人事を尽くした「海図のない航海」は決して無駄ではなかったはず…と思いたい。

  • 東海村JOC臨界事故の概要をネットで読みこの本に興味を持った。
    ネット記事を読んで、何よりも恐ろしかったのは、被曝した大内さんが、助かる見込みもないのに83日間も生かされ続けたこと。ネット記事には大内さんの遺体の写真もあった(あくまでネット記事なので本当に大内さんの写真なのかは確認できていないが)。体の正面の皮膚が剥がれおち、真っ赤な肉がずるずる露出してる状態になっても生かされているなんて想像を絶する苦痛だろう。

    何で医者はこうなる前に安楽死させてあげなかったのか?世界に類を見ない事故の犠牲者になると、本人や家族の意志を無視してでも、死ぬことを許されないモルモットにされるしかないのか?こんなになるまで生かしておいた関係者たちに人の心は無いのか…と思っていた時に出会ったのがこの本だった。

    本の全編を通じて、医療関係者がなんとか助かる見込みはないのか真摯に治療をしていたこと、家族が皆良くなることを信じて回復を待っていたことが伝わってきた…

    反面、その後の顛末を知っているから、「こんなにも苦しんでいるのに、まだこれ以上の苦痛が待ってるんだ…」「早く楽にしてあげてほしい…」という感想がふつふつと湧き上がってきた。

    10日目あたりには「はやく茨城に帰りたい」「もういやだ」「おふくろ」と苦悶の叫びを上げたり、看護師の手を振り払って「もういやだ、家に帰る」と言ったりしていたけれどもこの苦しみはまだ序の口……最終的には呼吸器をつけられ、話すことも出来ず、回復の見込みのない激痛の中生かされ続けた、というのはあまりに残酷すぎる。鎮痛剤や鎮静剤は大量に投与されていたと書かれていたけれど、それでも苦しくないわけなかっただろうに。

    前例のない患者だし、回復の兆候に繋がりそうなサインもちょくちょく見られたからこそ医師も家族も諦めなかったのだろうが、結局彼らのその善意が大内さんを、83日にも及ぶ長い長い地獄へと突き落としたのでは…。地獄への道は善意で舗装されている、ということわざを思い出した。

    被曝50日を過ぎた頃には、医者や看護師の間に「我々がやってるのは正しいことなのか、患者のためになることなのか」「死なないよう現状維持を務めて、それでどうなるのか」という葛藤が出てきたという描写があった。その時点で大内さんを楽にさせてあげる方向に何故舵を切らなかったのか…。

    ただ、医療現場において「ひたすらに生かし続けるだけが医療じゃない」「患者の意志を尊重し、患者の尊厳を守ることが何より大切」という意識ができたのは結構最近のことだと思う。インフォームドコンセント、なんて最近までなかったし、昔は寝たきりで回復する見込みがない老人もとにかく胃瘻をして肉体を生かすことが多かったという話も聞く。1999年段階の医療や一般の方の看護の認識も「何はともあれ生かす」に寄りがちだったのかなあ…

    大内さんはコミュニケーションが取れなくなった後も長々と生かされ、苦痛を伴う医療を長期間受け続けたが、「彼には『生きたい』という意思があったんだ」という医療関係者や家族のコメントには「本当にそう思う?自分が同じ状況になったとして、果たしてこれと同じ治療を受けたいと思う?」という思いが強い。所詮はエゴに過ぎないのでは…。終章では医者看護師がこの問題について葛藤を抱いているので、やはりそうだろうなと思った。

    患者の尊厳を守る医療、患者の苦痛を軽減させる医療こそ本来あるべき姿をなのでは…。


    大内さんの闘病記録も凄まじいが、一瞬にして細胞の染色体を破壊し尽くしてしまう中性子線被曝の威力も凄まじい。本の最後に大内さんの同僚、篠原さんの話も少し出てくる。Wikipediaの「東海村JOC臨界事故」の写真は篠原さんの治療経過の写真だが、その変わり果てていく姿には戦慄を覚える。どこにでもいそうな普通の男性の顔が次第に膨らみ、歪み、崩れて苦悶の表情を浮かべていく様は本当に恐ろしい。使い方を誤ったエネルギーがどんな悲劇を生むのかがひしひしと迫ってくる。

    少量の放射線は自然界に当たり前に存在すること、原子力エネルギーは正しく使えば役立つものであることは認識している。けれども東海村の事故や、世界で起こった様々な原子力事故や放射線事故、震災というよりその後の対応の悪さと人災的側面が目立つ福島第一原発事故…などなどを見ていると、この恐るべきエネルギーを扱うのに人間という生き物が信頼できなさすぎて怖い。

    というか、福島第一原発事故を機に、放射能関連の情報や原発関連の情報が、脱原発派と原発推進派の煽り合いみたいになっていて正しい情報が見つけにくくなっているように感じる。原子力や放射線について知りたければ震災以前の発行物を読んだ方が良さそうだな…。というか、そういうところにますます人間の信頼できなさを感じるんだけどね

  • 1999年9月に、茨城県東海村の核燃料加工施設JCO東海事業所で起きた、国内で初めての臨界事故における被曝者の83日間の被曝治療について、NHKがNHKスペシャル「被曝治療83日間の記録」として取材を行い、その内容を2002年に書籍化(2006年文庫化)したものである。
    本書は、数多ある、不治の病に罹った患者と家族の絆の物語でも、病院関係者の献身的な努力の物語でもない。書かれているのは、題名の通り、“朽ちていく”被曝者・大内久氏の身体の変化と、“負け戦”を覚悟の上で病院関係者が行った医療行為である。
    そして、その淡々とした記録から感じたことは。。。
    NHK取材班の責任者があとがきで、「大内さんのご遺体が写っている写真・・・体の正面の皮膚がすべてなくなって真っ赤になっているにもかかわらず、背中側の半分は皮膚が残って真っ白で、はっきりと境界ができていました。これまでにまったく見たことのない遺体でした。放射線がDNAを破壊し、体を内側から溶かしていく怖さを感じました。私は大内さんが、その怖さを多くの人に伝えてほしいと訴えていると思いました」と語っている通り、まずは、それまで医療関係者でさえ十分な知識のなかった、被曝が人体に与える直接的・具体的な影響とその怖さである。
    そして、医療チームのリーダーだった前川氏が、「日本は電力の三分の一を原子力に依存している。しかし、原子力防災体制のなかで、被曝治療の位置づけは非常に低い」、「自分たちのような臨床医が関わっていたら、もっと違う体制をとっているはずだった」と感じているように、原子力防災体制の在り方であり、更に、その後の福島第一原発事故を考え合わせると、原子力政策そのものの是非である。
    また、本書は“いのち”についての大きな問いかけもしている。医療チームにいた多くの看護婦が後に語っているのは、原子力や被曝治療に関することではなく、「大内さん本人は、そして家族は、本当はどう生きたいのか。本当はどうしてほしいのだろうと、ずっと思いながらケアをしていました。特殊なケースだから、本人や家族の希望があっても、それを実現するのが難しかったのは確かです。でも、できるならば本人の希望をかなえてあげたかった。・・・死ぬのも生きるのと同じように、その人が自分の死に方を決められればいいのに。最後まで、その人の意志が尊重されるような、そういう最期を。・・・どういうふうに生きていきたいのかを考えるのと同じように、自分はどういうふうに死にたいのか、考えられるようになればいいのに」、「あの治療の意味がいまだにわからずにいます。大内さんの気持ちがわからないから。・・・大内さん自身の気持ちがもう永遠に聞けないから、自分自身がしてきたことへの後悔、罪悪感まで覚えてしまう」。。。という、“いのち”への向き合い方の問題である。
    大内氏の“いのち”が示し、残してくれた記憶(記録)を風化させてはならないと思う。
    (2017年7月了)

  • あまりの衝撃的な内容に声も出なかった。1999年に東海村で起きた日本初の臨界事故。標準作業を逸脱したことによる明らかなる人身事故である。この本が出版されたのは2002年であり、当時、この事故と比較されたのは1986年に起きたチェルノブイリ原発事故であった。現在なら2011年に起きた福島第一原発事故と比較されていたことであろう。それだけに被曝の恐怖をより一層感じる内容だった。

    事故により大量の放射線を浴びた作業員は染色体を完膚なきまでに破壊され、想像を絶する悲惨な症状に陥る。前例の無い症状と必死で闘う医療スタッフの苦労も伝わって来るのだが、それ以上に声を出すことも出来なくなった作業員の悲痛な心の叫びが聞こえてくるようだった。また、作業員の家族の悲しみも如何なるものだったのか…

    被曝11日目に作業員が発した『おれはモルモットじゃない』という言葉が耳から離れない。

  • 「知らない」ということの怖さを思い知る本です。

     1999年9月30日。茨城県東海村の核燃料加工施設で、臨界事故が起きました。日本で初めての臨界事故でした。津波でも地震でもない、人が起こした事故です。
     臨界事故が起きると何が起きるか。放射線の中でも最もエネルギーの大きい中性子線が放たれます。

     このとき事故にあったその人の被曝量は、20シーベルト前後。一般の人が、一年間に浴びる限度とされる量のおよそ2万倍です。その2万倍の中性子線が、体を突きぬけました。突き抜けながら、体中の染色体を砕き壊しました。染色体は、生命の設計図です。設計図が無くなった体はどうなるか。再生をやめてしまうんです。再生をやめてしまうとどうなるか。目に見える変化としてはまず、皮膚がなくなります。
     皮膚は日々、生まれ変わるはずのものです。古くなった皮膚は、はがれおちて、新しい皮膚に生まれ変わっています。目に見えないほどスムーズに。その新しい皮膚が、生まれてこなくなるのです。肌がなくなり、体の中の粘膜がなくなり、筋肉も失われていきます。意識は、残っています。激痛です。体も心も。本人も、関わる全ての人も。

     そのとき行われていたのは、核燃料サイクル開発機構の高速実験炉で使うウラン燃料の加工作業でした。
    その場に居たのは三人。作業をしていたのは、二人。
    ウラン燃料を加工する、というと、どんな作業を思い浮かべますか?
     何だかよくわからないけど、慎重にやらなきゃならないような作業だとは思いませんか。

     10リットルのステンレス製のバケツを思い浮かべてください。大体、掃除のときに使うくらいのサイズです。
     作業員は、ウラン化合物をそのバケツで溶かし、5リットルのステンレス製ビーカーで汲んで、身長よりも高い場所にある沈殿槽に、ハシゴを上り、でっかいロウトを使って、注ぎ込んでいました。手作業で。
     バケツで7杯目を流し込み始めたとき、パシッという音とともに、青い光が放たれ、その瞬間、放射線の中でももっともエネルギーの大きい中性子線が作業員二人の体を突き抜けます。

     ウラン溶液を、バケツでザバザバ混ぜるようなこと、どうなるか知っていればしなかったはずなんです。

     本当は、臨界を防ぐための様々な器具や手順がありました。一回一回小さな容器を使って、一回一回洗って、小分けして。
     でもとても面倒で、時間がかかります。
     それで、裏マニュアルが出来ました。
     でも、裏マニュアルが出来た時には、まだ、臨界を防ぐために色々考えて作られていました。手を抜いても、臨界にだけはならないように。
     でもだからやっぱり、その裏マニュアルさえも、かなり面倒臭かった。
     どんなところでもそうですが、裏マニュアルに、馴らされてしまった現場では、もともとのマニュアルの意味がわからなくなっていきます。安全で手順のかかる方法に戻ることは、ありません。もっともっともっと、作業が単純になるように、簡単になるようにとなっていきます。まあいいじゃん、いいじゃんそれくらい、それがいいんなら、これだっていいじゃん。―――例えば自分なら、そのとき、もうここでやめよう、この手順だけは守ろうと、踏ん張れるでしょうか?いつも一緒に働いている人たちが、こうやったほうが簡単じゃんとラクな作業手順をとるなかで、自分一人、もとの手順にもどせますか。その手順の意味を何にも知らない状態で。

     その日の作業員は、この作業をするのは、全く初めてでした。
     ウラン溶液を一度に混ぜるとどうなるか、全く何にも知らなかったのだそうです。
    だから、面倒な手順の一つ一つに意味があるなんて何にも思わず、裏マニュアルさえも無視して、ザバザバ混ぜたんです。この人は家族に、オレの仕事は危なくない、と言っていたそうです。

     2003年3月3日、水戸地方裁判所は、長年にわたる会社のずさんな安全管理が臨界事故を引き起こしたとして、会社の幹部6人に、いずれも執行猶予のついた禁固3年から2年の判決を言い渡しました。どちらも控訴せず、有罪は確定しています。

     被曝した作業員の方は、凄絶な治療の末、亡くなりました。治療に携わった人達も、その凄絶さゆえに、その治療をしたのが、本当にその人のためになったのかどうか、苦しみ続けているのだそうです。

     悪かったのは、誰なんでしょう。悪かった人なんて、いるんでしょうか。

     まあいいじゃん、いいじゃんそれくらい、それがいいんならこれだっていいじゃん、その怖さを忘れないでいたいと思います。

  • 胸が痛んだ。1999年9月末に起きた、茨城県東海村の臨界事故で大量被ばくした大内さんの治療の記録である。
    すでに知られているように、作業担当者に危険性が知らされていなかったこの事故で、2人の作業員が亡くなった。その亡くなり方が壮絶であった。放射線により、一瞬にして染色体が破壊され、細胞が再生されなくなったことにより、多臓器不全となってしまった。
    希望を持ち見守る家族、本人にとって苦痛と思われる治療、あらゆる手を尽くしても悪化の一途で無力感に苦しむ医師や看護師。読むだけでも苦しくてもがきそうになり、家族を思うと涙が出た。当事者たちの苦悩は計り知れない。
    あれから福島の原発事故があり、現在は総選挙を控え、原発の再稼働が争点の一つとなっている。原子力による放射能の前には、人間はひとたまりもないことを認識されられた本。
    治療中の大内さんの写真が掲載されているので、心臓が弱い人は注意されたい。

  • 読んでいて、あまりにリアルでゾッとするような恐怖。

    中性子線の被爆。健常人が一年間に浴びる2万倍の量を浴びた大内さん。それはマニュアルを無視した作業中のことだった。起こるべくして起こった事故。しかしそれは大内さんの責任ではなく、裏マニュアルを認めていた会社に非があり、何も知らない大内さんらがたまたま現場にいただけなのだ。

    ただしこの本は、誰が悪いのかとか責任がとかいう話ではない。東大病院に入院した大内さんの、83日間にわたる壮絶な経過報告である。

    染色体の崩壊、皮膚が再生されず剥がれ落ちる、粘膜組織の脱落、1日に2Lも失われる浸出液等々、読んでいて 胸が苦しくなるような話の連続だった。

    また、助からない患者に苦痛を与えるだけのケアに悩む看護師や医師。何より声を出せなくなった大内さんの辛さは想像に絶する。

    この本を読むと、原子力は人の手に負えるものではないことを感じる。原子力に頼らなくてもよいエネルギー社会を考えていきたい。

  • "臨界"という言葉が連日報道されたのを覚えていて、被爆された方が亡くなられたとの事実までは記憶していた。事細かに説明されていて、放射能の恐ろしさを感じた。ヒロシマの被爆者を描写した絵の信憑性が増した。
    ここまでの恐怖と至近距離にいながら、ずさんな管理になるのが信じられず、何事もない日常がもたらす"慣れ"との相関が身近な事にも思えて、時々触れねばならない事実の一つと認識した一冊でした。

  • 何が起こったのかもわからないまま被爆し、前代未聞の、治療なのか実験なのかもわからない闘病の末に亡くなられた大内さんと篠原さん。そして、そこに携わった医療関係者の方達。彼等が懸命に抗った日々の記録が綴られています。

    まずは、お二人にご冥福をお祈り致します。
    そして、写真や当時の治療内容などまで細かく掲載し、この本を後世に残すことを決断くださった御家族の方々に、私からは読ませていただいて本当にありがとうございますとしか言いようがありません。

    世界で唯一の被爆国であり、今回のような事故が起きているにも関わらず、未だに多くの人が生活するには原子力に頼るしかないという皮肉。治る見込みがないと分かっていても続けられた延命治療。「一体誰のための治療なのか」もはや目的を失いつつある中で自分たちのやっていることは間違いではないと必死に肯定しようとしている医師たち。この治療が正解だったのか間違いなのか本人の意思が最後まで聞けなかったため、ボロボロになってしまった体に「大内さんががんばってきた、その結晶」なんて言ってしまう。「もうがんばらなくていいですね、よかったですね」なんて心の中での言葉だとしても、そう言われた大内さんと篠原さんが報われるとは決して思えませんでした。

    また、タイトルとあらすじには「83日間の記録」と書かれていて、本書の内容もほとんど大内さんの治療を追った内容でした。けれど、この事故には2人の方が犠牲になっています。篠原さんは211日間の闘病でした。篠原さんについて書かれた内容が極端に少ないのは何故なのか、少し気になってしまいました。

  • 詳細は他の方のレビューにもあるので割愛させていただきます。代わりに、私が感じたことを箇条書きにして残します。あくまで個人的意見という観点・前提のもと、批判はあろうかと思いますがあえて記載します。

    ・まず、ショッキングな内容に耐性の無い方は見ない方がいいです。気分が悪くなったりそのこと(本の内容)が頭に焼き付く恐れがあります。内容はNHK取材のもと、ドキュメンタリーとしてまとめられたもので、ネットにある情報よりずっと当事者に近い視点からのものになっています。当事者に近いということは、より鮮明でグロテスクであるということを意味しています。

    ・医療関係者に様々な葛藤と多大な努力があったことを否定するつもりはありませんが、やはり医学的見地から”生かされ続けた”とするのが妥当だと思います。データの取得や解剖により、患者の命が医学的な貢献をしたこともまた事実ですが、当人の苦しみは当人にしかわからないものでしょう。

    ・原発というものの管理が杜撰であることはこの事故に限らず以前・以後に様々な事故が起こってしまったことにより明らかです。原発は管理を間違うと兵器ともなり得るうえ、どんな医学でも救えないような被爆をもたらすということが分かります。

    ・細胞が分裂できないとどうなるのか? という問いを見たいのであればこの本はそれをまさに目の前に示してくれると思います。

    ・読後に自分が生きていることを感謝、あるいは確かめたくなるような後味の悪い本です。それが狙いでもあり、半分は存在意義なのだと思います。

    ・悲惨な出来事しかこの本には存在しませんが、同時に知識として知っておかなければならないのでは、とも思います。当人は自分がどういう状況に陥ったのか全くわからないまま、あのような最期を迎えたと思うと人間の業を感じさせられる思いですし、自然界にないものを、それも途轍もなく恐ろしいものを作り出してしまった人間の罪というものを垣間見た気がしました。

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